2-1 ディーオという少年
ディーオがその身に宿る不思議な力に気が付いたのは四歳の時であった。
『異界倉庫』。
どことも知れない場所にある特殊な空間へとアクセスする権限を得たのだ。そうはいっても力を開花させたばかりの彼が触れ、取り出すことができたのはほんの一品だけ。
しかし、その一品がディーオに大きな影響を与えることとなった。
それは人の頭ほども大きさがある宝玉のような代物だった。
その当時の彼はグレイ王国より西の、とある国にある小さな村で家族と共に暮らしていたのだが、日中であったために家の中にはディーオだけしかおらず、宝玉やそれを――虚空から――取り出す仕草を誰にも見られることはなかった。
後に分かったことだが、宝玉にはディーオ以外の人の気配を察すると強制的に人がいない場所にまで転移させるという機能が付加されていた。
わずか四歳という物心がついた程度の身で、そのような異常事態を体験することがなかったのは幸運だったといえるのかもしれない。
さて、問題の宝玉であるが、取り出されるとすぐに周囲の魔力を取り込み――これも後から知った話だ――起動し始めることになる。
『やあ、どこかの世界の私。この力に目覚めた君を私たちは心から祝福する』
そこに映し出されたのは別の世界での自分だと名乗る男の姿だった。幼いディーオには映像の男の言うほとんどのことが分からなかったが、他の人にはない一風変わった力がその身に宿っているということだけは直感的に理解できていた。
それからというもの、時間さえあれば一人になっては宝玉を取り出してその力の使い方を学んでいった。
幼くまだ世界の常識というものを身に着けてはいなかったことも功を奏した。ディーオは乾いた大地が降り注ぐ雨粒を余さず吸い込んでいくように、宝玉から力とその使い方、そして異世界の自分たちが蓄えた知識を吸収していく。
やがて一年も経つ頃には『空間魔法』を操ることができるようになり、さらにその二年後には『異界倉庫』にある全ての物を取り出すことができるようになっていた。
そして、運命とも呼べる時が訪れる。
それは神の気まぐれだったのか、それとも悪魔の悪戯か。七歳になっていたディーオ少年は『異界倉庫』の片隅に捨てるように置かれていた一冊の本を発見した。
何度も読み返したのだろう、その表紙はくたびれ果てていて、鮮やかな色彩で描かれていたはずの絵も手垢で薄汚れていた。
それでも中を見てみようと思ったのは、生来の好奇心の強さゆえの事だった。
表紙を捲った瞬間、ディーオは文字通り唾を飲み込んだ。
そこに描かれていたのは腹の底から食欲を呼び覚ますような美味しそうな料理の数々だった。だが、それだけではない。どれもがとてつもなく美しいのだ。
税として取られる価値もない野菜くずや穀物をくたくたになるまで煮込んだだけの粥やスープでは生み出せない新鮮な食材たちが踊っていた。
ディーオがこれまでに食してきた一番のご馳走であったはずの家畜の丸焼き――村の祭りの際に饗された――ですら、それらの料理の前には霞んで見えてしまうほどであった。
食べてみたいと思った。
味わってみたいと思った。
だが、ここに描かれているのは異世界の料理だ。料理器具だけでなく、調味料や材料といったものですら同じ物が手に入ることはないだろう。
それこそ似た味や食感の物が手に入れば御の字だ。ディーオの想いは決して叶うことのない夢のまた夢の代物だったのである。
しかし、一度生まれた欲望は決して消えることはなかった。常に彼の心の中で燻り続け、日の目を迎える時が来るのを待ち続けることになる。
さて、それほどまでに異世界の料理に心を奪われたのであれば、冒険者ではなく料理の道に進むという選択肢はなかったのであろうか。
答えは否だった。理由はいくつかあったのだが、その中でも大きく二つのことがその道を妨げることになった。
一つはディーオが暮らしていたのが貧しい寒村であったということだ。その日暮らしが精一杯、という程厳しくはないが、余裕がある訳でもない。
満足が行くほどの量が食べられる機会など年に一度の祭りの日くらいという状況だった。当然、調味料など生きていくために必要な塩が、これまた生きていくために必要な量だけしか使われていないという有り様だった。
そのためディーオは異世界の料理の味というものを全く想像することができなかったばかりか、いつしか異世界の食材と調味料がなければ作ることができないのだと思い込んでしまう。
これが、せめて見た目だけでも再現してみよう、異世界の料理を真似てみようという想いを妨げた二つ目の大きな理由である。
しかしそれから数年後、冒険者となった彼は生きていくために、または将来異世界の料理を口にする時に備えて舌を肥えさせるために料理の基礎を学ぶことになるのだが、当時のディーオはそんなことを知る由もなかったのだった。
冒険者となること、そして迷宮へと向かわせるきっかけとなる出来事が起きたのは十歳の時だった。
折しもその年は天候に恵まれず、麦を始めとした穀物から野菜類に至るまでことごとくが不作となっていた。
食べ物に、暮らしに余裕のない寒村で不作が起これば何が行われるのか?答えは口減らしである。
出入りの行商人に依頼して、一定の年齢の子どもたちを奉公や下働きといった名目で町へと放出するのだ。
なぜ子どもなのかというと、育ち盛りで多くの食べ物が必要になることと、大人に比べて我慢がきかないことなどが挙げられるが、新しい環境に順応しやすいからという点も大きい。
ともあれ、ディーオもまたそうした子どもたちの内の一人に含まれていた。
ディーオの村に立ち寄っていた行商人は先を見る目があるのか、子どもたちを引き取ることを予想して数人の冒険者たちを護衛として連れて来ていた。
異世界の自分の進言に従って空間魔法と共に体も鍛えていたディーオは、そんな冒険者たちについて回り護衛の真似事をするようになっていく。
宝玉や『異界倉庫』に置かれていた書物などから野営の方法や周囲の監視の仕方なども学んでいたので、良い実践の機会とも言えた。
しかし皮肉なことにもそうして一人でいる時間が長かった分、村の中では浮いた存在となってしまっており、そのことが口減らしの一員に選ばれた大きな原因となってしまったのだった。
町までの数日間の旅の間にすっかり冒険者たちとも仲良くなったディーオは、彼らから様々な冒険の話を聞くことができた。
まあ、話のほとんどは大袈裟に脚色されたものではあったのだが、村という小さな世界しか知らなかった子どもにとっては胸が躍る話の数々であった。
その中の一つに迷宮の話もあった。
「迷宮っていうのは不思議な場所でな、倒したはずの魔物がいつの間にか継ぎ足されていたり、解除したはずの罠が再び仕掛けられていたりするんだ。だけど、悪いことばかりじゃない。他にはない珍しい物があったりもするんだ。どこかの異世界と繋がっているっていう話もあるくらいだからな」
それを聞いた瞬間、ディーオの目的が決まった。
異世界の料理を再現するために迷宮へと潜るのだ。
その後、ある都市の図書館で迷宮とダンジョンマスターの関係について知って以降は、目的が迷宮の踏破へと変更されることになるのだが、本人にとっては些細なことであった。
町に到着した後、ディーオが自分の持ち主である行商人に冒険者に成りたい旨を伝えると、すぐさま了承された。
それというのも、旅の最中の彼の働きぶりをつぶさに見ていたからである。村から村、町から町へと常に移動を行っている行商人にとって、凶悪な魔物は天敵ともいえる存在だった。
そんな魔物を討伐する力を持つ冒険者が増えることは、巡り巡って自分の益へと繋がると考えたのだ。
さらに持ち前の観察眼と先見の明でもってディーオにそれだけの技量があると見抜き、彼の申し出を受け入れたのであった。
場合によっては冒険者たちに口添えしてもらう事すら考えていたディーオにとって、肩透かしを受けたような状態ではあったが、これで晴れて冒険者の仲間入りをすることが可能となった。
行商人と村の子どもたちと別れ、依頼達成の報告を行うべく冒険者協会へと向かう先輩冒険者たちについて行ったディーオは、その場で冒険者としての登録を行うこととなった。
ここで役に立ったのが先輩冒険者たちの口添えである。この場を逃せば出番がなくなるとばかりに旅でのディーオの活躍ぶりを話していったのだった。
これが功を奏したのか、本来であれば未成年という事で見習いの仮登録しかできないのだが、特別に本登録の試験を受けさせてもらえることになる。
もちろん、これには難なく合格することができたディーオは、町での最年少正式冒険者となった。
しかしいくら最低等級といっても、さすがに成人した冒険者と同等に扱うのは問題があるという物言いがついてしまう。
結局、街の外に出る依頼を受ける際には成人した冒険者とパーティーを組むという条件が付け足されることになってしまうのだった。
結果を先に言えば、この条件はディーオにとって大きくプラスに働くことになった。多くの先輩冒険者と組むことで、彼は冒険者としての様々な立ち回りを身に着けていくことになる。
冒険者とは無頼者でもなければ無法者でもない。多くは拠点となる町や都市を持っていて、そこに
当然そこに住む人々との交流は不可欠であり、そうした人々とのかかわりを実地で学んでいくことができたのである。マウズで市場の人々と懇意になっていたように、彼の今後にも大きな影響を与えるものとなったのだった。
こうしてディーオは成人するまでの五年の間、その町で冒険者としての技量を磨いていった。そして成人を迎えた春、同郷の者たちも一人前になったことを見届けると、彼は目的へと本格的に歩み始めることになる。
いくつもの町を巡り、迷宮についての情報を集めていった彼がマウズへと辿り着いたのはそれから二年後、今から一年ほど前の事であった。
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