1-8 冒険者協会マウズ支部、支部長

 初心者たちを叩きのめしたことでようやく回復したディーオの気分は、冒険者協会の受付へと戻ってきたことで再び急降下してしまっていた。

 それというのも、明らかに彼を待ち構えている人物がいたからである。


「……支部長」


 そこにいたのは冒険者協会マウズ支部の支部長という肩書を持つ男性だった。

 エルフとドワーフのハーフという、あり得ないような出自を持つその男性は、一見するとただの優男にしか見えないが、その実マウズにおける最高戦力でもある。

 若々しい見た目とは裏腹に数百年という長い生の間に溜め込まれた知識と経験と力量は半端ではない。


 マウズという新しく謎の多い迷宮を御するために、グレイ王国の上層部と冒険者協会幹部が揃って頭を下げることで、ようやくこの地の支部長の職に就いてもらったという異色の経緯の持ち主でもある。

 それによって半ば引退したような形となっているが、彼の冒険者としての力は未だ衰えることなく――実はマウズの迷宮の最深到達階層記録保持者は彼を含む一団なのである――、一等級を超えた特級に位置する世界最高峰の冒険者の一人として名を馳せていた。


「やあ、ディーオ。今日はまた派手にやったようだね。……で、そのことも併せて少し時間を貰えないかな?」

「……いい加減に疲れたので帰りたいんですけど?」


 ディーオの返答に建物内にいた――当事者以外の――全ての人間がギョッと目を剝いた。

 先述した通り、支部長は類稀なると言っても過言ではないほどの有名人である。個人、団体、組織を問わず面会希望者は後を絶たない。内容は別として、そんな人物から声を掛けられたのだから、喜んで応じるというのが一般的な反応なのである。


 これが常日頃から彼と言葉を交わし、時には仕事を押し付けられている副支部長や各業務の総括長であるならば話は別だが、ディーオのような一介の冒険者にしか過ぎない相手がこのような対応を取るということは前代未聞の事だった。


 そんな周囲の様子とは裏腹に、支部長はさも愉快といった表情を浮かべていた。そして常識外れな返答への驚きで誰も気付いていなかったが、彼はディーオの名を呼んでいた。

 実は彼ら二人はそれなりにお互いのことを知る者同士だった。そう、支部長とディーオは迷宮探索でパーティーを組む間柄だったのだ。

 もちろん公にではなく迷宮内でばったり会った時の臨時のパーティーだ。しかし、どちらも基本的に一人で行動しているため、出会えば共に行動するというのが暗黙の了解となっていた。


 ちなみに、協会職員の間では支部長が抜けだす度に副支部長の額の荒野が広がっているという噂が真しやかに広がっているのだが、確かめられた者は皆無である。


「なに、それほど手間は取らせないさ。いや、取れないと言った方が正確かな。私も忙しい身なのでね」


 これ以上は意固地になっても反感を買ってしまうだけだ。今は多少の我を通したことで、協会だからといって唯々諾々と従いはしないと周知できただけでも良しとしておくべきだろう。


「……分かりました」

「悪いね。それじゃあ、奥へ行こう」


 支部長に続いて入って行ったのは、先ほどまでいた小部屋だった。勧められた上座を断り、下座側の椅子へと腰掛ける。

 が、別の街へと移ると啖呵を切って出て行った場所だけに、短時間で舞い戻って来てしまい、ひどく座りが悪く感じられた。


「まずは謝罪を。うちの職員が迷惑をかけたね」

「それは本人に言わせるべきなのでは?」

「もちろん、後で直接謝らせる。だけど事は緊急を要すると判断した」


 正面で頭を下げる支部長を見て、ため息を吐きたくなった。要するに「長である自分がここまで真摯に対応したのだから先ほどの件は水に流してくれ」ということなのである。

 だがそれは同時に、他人の目がない場所であるという条件は付くものの、必要とあらば立場が下の者が相手であっても首を垂れることを苦にしないという彼の非凡さを示すものでもあった。


「次はないですよ」

「ああ。しっかりと言い聞かせておく。冒険者あっての『冒険者協会』なのだとね」


 言質も取れたことだし、今回のところは未だ現役の冒険者である彼を信じることにしたのだった。そして、


「それで、後は何が聞きたいんですか?」


 本題に入るように促す。本人が言っていたようにこれでいて彼は多忙なのだ。アイテムボックスという稀有な代物を所持しているとしても一人の冒険者に謝罪して引き留めるためだけに出張ってくるようなことはない。


「彼らと合流した時のことを君の方からも聞いておきたいと思ってね。特にモンスターハウスの罠に関して詳しく話してもらいたい」

「詳しくも何も俺が合流した時には既に罠が作動していたから何とも言えないですよ。魔物が叫ぶ声が次々と聞こえてきたのでそちらに向かったら、教官と彼らが魔物の群れの中にいたって状態ですかね」


 〈地図〉や〈警戒〉については極秘事項だ。例え冒険者協会の支部長が相手であっても明かせない。そのためディーオは冒険者たちの間では勘が鋭い男として通っていた。


「痕跡らしきものもなかったかい?」

「俺が見た限りそちらもありませんでしたね。元々跡が残らないタイプの罠だったのか、それとも時間経過で消えてしまったのかは分かりませんけど」

「そうか……。集まっていた魔物はどうだった?特別強い個体が混ざっていたりはしなかったかな?」

「いたのは八階層に出現する魔物ばかりだけど、共食いが始まっていたのか妙に賢い個体が何体か混ざっていました。倒した魔物は全て買い取り部署に卸していますから、後で確認してみてください」


 重要なことでと分かってはいるのだが、できることなら掻っ捌いて腹の中を覗き見るようなことまではしたくない。

 どうせ解体するのだし、ついでに確認してもらえばいいだろう。


「君ねえ……、アイテムボックスがあるから持ち運びに不便はしないといっても、解体くらいは身につけておきなよ」


 そんなディーオの内心が透けて見えたのか、支部長が苦言を呈する。もっとも口元には笑みが浮かんでいるのでからかい半分というところなのだろう。


「前向きに検討させていただきます」


 こちらもそれが分かっているのか、明らかに口先だけという返しである。実はディーオは解体の手間分を引き下げて魔物を卸しているため、買い取り部門は元より市場でも評判が良かったりする。

 加えて珍しい魔物を直接見る、もしくは解体する機会として冒険者協会では時折――初心者の冒険者を中心として――開いている講習会の材料としても活用したりしているのだった。


「解体についてはともかく、対応としては、『モンスターハウス』の罠が低階層に出現したことの周知を徹底することと、高位冒険者たちに低階層の巡回と監視を依頼することの二点となるかな。ああ、いざという時のために周知は町全体に対して行うようにすべきだな。後で領主とも相談しておかないと……」

「二点目ですけど、依頼という形で受けてくれる高位の人たちがいますかね?」


 高位冒険者、腕利きの者たちとなると深層へと踏み込んでいるものであり、そちらでの収穫は浅層とは比べ物にならないほどの膨大な儲けを叩きだすことになる。

 手間と時間を浪費してしまう依頼を受けるような酔狂な連中が早々いるとは思えない。


 余談だが、いくら発見者の一人だとはいえ、今後の対策についての情報を与えられるものではない。当然、本来ならば五等級という精々が中程度の冒険者であるディーオが口出しをできるものでもない。

 通常では考えられない異常な事態なのだが、残念ながらここにいるのは支部長とディーオの二人だけなのであった。


「まあ、普通なら受け手がいなくて困るところだね」


 または対価としてべらぼうな金額を要求されるかである。ところがそんな通常の事情とは裏腹に、支部長の口角は上がっていた。

 彼と仕事を共にする機会の多い者たちであればすぐにこう思ったことだろう、「ああ、また何か良からぬことを思い付いたな……」と。


「丁度いいタイミングで迷宮には不慣れな高位冒険者のパーティーが訪れていてね。彼らにお願いしてみようかと思っているよ」


 どこかで聞いたことのあるような連中だなと思ったが、ディーオ、ブリックスと彼らとの経緯いきさつについては既に報告が上がっているはずなので黙っておくことにする。

 知っているはずなのに口にしなかったということは何かあるということだ。危険地帯へとあえて突っ込んでいく必要はないのである。


「なに、私から迷宮に慣れるための訓練にもなると言ってやれば従ってくれるだろうさ」


 予想している相手だとするならば二等級だったはずだ。対して目の前に座るこの男は特級冒険者だ。一部の跳ねっ返りや常識知らずを除いては、冒険者にとって畏怖と敬愛の対象ともいえる存在なのである。

 そんな人物から直々にお願いされたとすれば、まず間違いなく首を縦に振ってしまうことだろう。


 しかしながら、引き受けることで彼らにとって利点もある。誰に憚ることなく堂々と低階層で迷宮の基礎とその応用を学ぶことができるのだ。

 それらの知識や経験は、多くの者が軽く見てしまいそれゆえに命を落とす原因の上位へ常にランキングし続けている。迷宮の基礎知識を会得できるということは、これから深層へと足を踏み出す予定の者にとって大いに助けとなるはずだ。

 もっとも、最終的にそうした機会を活かせるかどうかは本人たち次第ではあるのだが。


「さて、ものは相談なんだが――」

「お断りします」

「……断るにしてもせめて最後まで聞いてからにしてくれないかな」

「聞いてしまったら機密を理由に引き受けさせるつもりでしょうに」


 若々しい見た目に騙されてしまいそうになるが、こう見えてこの男は数百年もの長き時を生きているのだ。油断しているとすぐにその老獪な手管で絡め取られかねない。

 勝負の土俵に上らない事、それこそが最も安全で確実な問題回避の手段なのである。


「ちっ!」

「わざとらしい舌打ちでの回答をどうもありがとうございます。それでは色々と打ち合わせで忙しくなるでしょうから、俺はこの辺で失礼します」


 そして自分の役目は終わったとばかりに席を立つ。


「はくじょうものー」


 背後から聞こえてくるやる気のない声にひらひらと手を振ると、ディーオはそのまま部屋から出て行くのだった。

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