第11話・試練って聞いてないんですけどっ?! その3

 王都滞在中、アコルニアは母と一緒に王宮に滞在する。昨夜のように街の宿に泊まることも無くは無い、というよりアプロニアの方はそちらの方が気楽でいい、などと平気な顔をするし、アコルニアだって魔獣討伐のために外に出ていることも少なくないから苦にはしないものの、生まれた時からお姫さまだったアコルニアはどうしたって王宮の方が落ち着くというものだ。

 そしてその滞在する部屋は、アプロニアがまだ王都で暮らしていた時期に使用され、アウロ・ペルニカでの生活に軸足が移って以降も専用の部屋ということで供されているものだった。


 「よいしょ、っと。母さま?今日はもう寝てもいいでしょ?」

 「おーい、まだ日も暮れてないうちから若いヤツが何言ってんだ。先王陛下に夕食を招待されているんだ。お前が顔を出さないと寂しがるから、一休みしたら行くぞ」

 「お祖父様が?うん、なら行く!」

 「現金なヤツだなあ…」


 呆れ気味ではあるが、屈託無く笑ってはいたから機嫌は良いのだろう。父となんやかんやあったらしいことも、当人からすれば楽しい出来事だったのだろう。

 そんな母の様子にホッとすると同時に、久しぶりの祖父との対面に胸を躍らせるアコルニア。

 一国の王としても柔軟な姿勢で、それが当人の為人に由るところでもあったのかとにかく優しい祖父ではあったが、アコルニアには特に甘いような気がする。

 訪れる度に何くれと世話を焼き、懐の豊かな祖父と遠くにいる孫、という基準に収まる範囲内で、小遣いなども潤沢に与えてくれた。

 アコルニアとしてもそれに馴れるようなことはなく、祖父と孫娘、王とその孫、という公私を分けるように、母にも父にも強く言い聞かされていたから、それは遠くにいる身族と、引退した先の王様の間の佳話ということで、誰からも暖かく見守られる関係だったと言えた。


 「お祖父様、少しお体悪くされてると聞いたけれど……大丈夫なの?」

 「ああ、そっちは心配無い。今は元気になられて表向きのお仕事もされているそうだ」

 「そっか」


 本当に安堵した、という風にアコルニアは短く息を吐き、荷ほどきを再開する。

 アプロニアが王宮で暮らしていた時の部屋、ということでそれほど広いわけではなく、寝台も一人分しかないから、いつものように母娘同衾、ということになるが、流石に寝室は居間とは別にある。

 寝間着をまとめてそちらに向かおうとしたアコルニアだったが、アプロニアはそれを呼び止めて、こう告げた。


 「ちょっと待て、アコルニア。一つ話しておかないといけない」

 「話?」

 「ああ。さっきの続きだ。そのために……ま、ちょいと隣に行こうか」

 「え、そのつもりだったのを止めたの母さまの方じゃない」

 「いいからいいから。まずは見ておけ」

 「え、ちょ…母さま?」


 なんとなく厳しい表情の母に気圧されるように、背中を押されて隣の寝室に入る。

 自分で扉を開け、やっぱり押し出されるようにして中に入ると、身分の割には質素な寝室の正面に、一枚の絵が掛けられていることに気がついた。


 「絵?……あれ、前来た時はこんなの無かったけど……どうしたの?母さま」

 「………ちゃんと、待っててくれたかな」


 振り返り見上げた母の、呟くような声に促されるように、アコルニアは壁の絵に目を向けた。


 「……母さま、この絵……人、は?」


 寝室の窓は窓掛けによって光が遮られ、室内はやや薄くあった。

 為にその絵にどんなものが描かれているのか確かめようとすると、近付いて目を凝らす必要がある。


 「……ちょっと待ちな。灯りをつける」

 「うん……」


 既に用意しておいたのか、間を置かずにランプに火が灯されて、それを掲げた母が隣に立った。

 すろと絵は暖色の光に照らされ、陰影が強調されたせいか神々しさが増したようにも思えるが、アコルニアが一瞬言葉を失ったのは、そこに描かれていた二人の人物に見覚えがあったからだ。

 一人は間違いなく、母アプロニア。それが、アコルニアも見慣れた、アウロ・ペルニカでの母の執務室に置かれた机に向かっている。

 その視線の先には、一人の女性が描かれていた。黒髪の、美しい……いや、確かに美しくはあったが、それとは関わりなく、アコルニアには胸の奥に深い疼きをもたらす姿だった。

 母とこの女性は、絵の中で見つめ合っている。だがそれは、穏やかで深い信頼、あるいは絆を強く印象づけるものだった。


 「母さま……と、誰?わたし、会ったことある人?」

 「どうしてそう思う?」

 「どうしてって……ただ、なんとなく。母さまとこのひと、すごく仲が良さそうだし、だったらわたしが知らないはずがない、って思って」

 「……………」


 二人並んで、しばし絵を眺めていた。

 ただし、その胸中にある想いはおそらくは全く形の異なるものだったのだろう。チラと横目で盗み見するように覗いた母の横顔は、懐かしいものを見るような、けれど寂しさにも満ちたような、軋みを覚えながらも訝しむことしか出来ないアコルニアの内心とはかけ離れたものだったのだから。


 「……この絵、な?お前に見せておきたかったんだ」

 「わたしに?どうして?」


 しゅる、という布の擦れる音と共に、母の腕が自分の肩を抱いていた。

 そんな感触は懐旧の念をアコルニアの胸の内に滑り込ませる。

 母の匂いに包まれると、時にこうした気持ちになるのは、昔からよくあった。

 でもそれは、自分の記憶にもないくらいに幼い時の思い出がそうさせているのだと、思っていた。


 「……いや。これを見て何か思い出すことがあるのなら、これからする話も変わってくる、ってだけのことさ」

 「意味分かんないよ、母さま……」

 「深く考える必要は無いよ。……話をしようか」

 「……うん」


 アコルニアの身動ぎする仕草だけで察したのか、母はすぐに離れて先に居間に戻っていった。

 取り残された態のアコルニアは、慌てて後に続こうとしたが、寝室を出る間際にもう一度振り返ると。


 (…………)


 どこからか、自分の名前を呼ぶ声が聞こえたような気がしていた。

 それを不思議とも気味の悪いこととも思わないこと自体が、あるいは不思議なことだったのだろうけれど。


 


 アコルニアが茶の支度をしてひと息つくと、早速話を切り出す母だった。


 「ま、話といったってそれほど難しいことじゃない。聖精石の剣をお前に与える前に、確認しておこう、ってだけのことだ」


 それと試練の話かな、と付け加えてるように言うのだったが、アコルニアにとっては確認事項よりよほど試練などという仰々しく呼ばれた事の方が気になる。


 「母さま、試練って……わたし、何すればいいの?」

 「そっちは割とどーでもいいんだけどなあ……まあいい、まだ時間はあるし先に話しとくか。といってもな、アコルニア。お前の力で魔獣の穴を塞いでくればいい。ただそれだけだ」

 「……ほんとにそれだけ?」

 「それだけ。自分の力で、ってことだけど、剣を持った私が行かないだけで助っ人は頼んでも良い。なんならゴウリン連れてってもいいぞ」

 「アウロ・ペルニカの衛兵隊連れてっても?」

 「それでお前が試練を果たせると考えるならそれでもいいさ。ただ、達成条件はこっちの胸先三寸。穴を塞いできてもそれで達成したかどうかは、どうやってやったかを聞いて判断する」

 「ずるくない?」

 「魔獣の穴を塞ぐ、ということをお前がどう考えているかを見るための試練だ。そんくらい当然」

 「むぅ……」


 両手でカップを持ち、ようやく口に入れても熱くない程度の温度になった茶を口に含む。

 自分で煎れた茶は、正直言って屋敷で出してもらってるものに比べると数段味は落ちる。温度がどうとか茶葉が開く機を見るのが大切とか、アコルニアも一通り仕込まれてはいるものの、味にうるさい母を納得させられるものはまだ一度も用意出来たことがない。

 それが分かっていながらアコルニアに茶の支度をさせる母は、一体自分に何を期待しているのだろう。


 「……塞ぐ穴とかはどこにあるの?」

 「それを調べるところからが試練。アウロ・ペルニカに帰ってからでもいいし、こっちにいるうちにやってもいい。期限は……そーだな、まあ特に決めてないけれど、私がシビレを切らした頃でいいや」

 「母さま気が短いからなあ…明日にも気分変わってそ…あいたっ?!」

 「いくらなんでもそんな不真面目にやるわけあるか。この国どころか大陸全土にとっての宝剣とも呼べるものを預けるんだから、ちゃんとやれ、ちゃんと」

 「はぁい……」


 そこそこ痛くぶたれた頭を両手で押さえながら、アコルニアは口を尖らせた。そもそもフザけたことを言ったのは母さまの方じゃない、という抗議の意を込めて、のことだったが抗議された方はしれっと知らぬ顔のまま話を続ける。


 「で、それを調べる伝手も自分で作ること。手がかりだけ与えておくけれど、マリスのところはそれほどアテにはならないぞ。以前ならいざ知らず」


 以前なら?

 今はダメでも以前なら大丈夫だったんだろうか。以前ってどれくらい前のこと?

 いやそれより母さまや衛兵隊が穴塞ぎに行く時って、何を標にしてるいるんだろうか、と考え始めたアコルニアを前に、何か考えのありそうな母だった。


 「え?どうかしたの、母さま」

 「何でもねーよ。それより剣の話だ。聖精石の剣について復習しておく。お前があれをどう扱うのか、も含めてな」

 「うん」


 神妙に頷くアコルニア。

 それを前にして、「ま、知っているとは思うけどな」で始まった話は、もちろんアコルニアが小さい頃から聞かされてきた内容に違いは無かった。


 聖精石とは、世界のあちこちで採集される励精石と言われる鉱物を精製して作られる、宝石にも似た石だ。

 それをただの石にならしめていないのは、精製する段階で鋳込まれる呪言というものに由る。これは、外部から特定の働きかけをすることで、聖精石に固有の反応を生じさせる性質を持たせるのだ。

 例えば、夜露を集めて水にする性質を持たせる呪言が鋳込まれた聖精石は、あらかじめそれを発揮させるための働きかけをして瓶に入れておくと、朝起きる頃には瓶にいっぱいの水が貯まっている……というような使い方をする。

 何故そのようなことが出来るのか、など難しいことは究明されてはいないものの、呪言は研究を重ねられて今では火を熾したり水を集めたりといった簡単なことは、一般庶民でも可能なようになっている。

 もちろん武器として使うことも当たり前に行われている。ただ、効果の大きい武器にするには相当量の聖精石とその原料になる励精石が必要なため、大規模な軍隊に大火力を持たせるような使い方は今のところ実現していない。大きな効果を生むためには指数関数的に必要な量が増加するものだからだ。

 それより、もたらす効果がささやかである分、石の消費量もごく僅かである一般庶民の生活向上のために用いられていることがほとんどだった。それでも安価なものでは無いのだが。

 テラリア・アムソニアは、この呪言の研究において大陸随一の国家とされ、また励精石から聖精石を作り出す技術においても秀でていることで、歴史の古さだけによらない羨望と嫉視を受けている。それが諸外国からの侵略などを受けることに繋がっていないのは、理由としては様々なことが挙げられようが、やはり武器として聖精石を運用する実績も諸国に比べて遥かに重ねているからだろう。


 聖精石の剣、と呼ばれる、アプロニアの魔王討伐の象徴もまた、その一つだ。

 この剣が特異であるのは、一つには刀身が全て聖精石で作られていること。

 それから、特定の呪言を鋳込むのではなく、外部で編み出された呪言を以て剣に働きかけることで、様々な効果を生み出すことが可能になっていることだろう。

 故に剣を扱う者の創意工夫によっていくらでも武器としての可能性は高まる。そして用いられている聖精石の量に応じて威力も尋常なものではなくなるから、まさに聖精石を振るう人類の力の象徴でもあり、そして魔王を討伐する力の源泉ともなった、と言えるのだ。


 「……ま、その呪言を使いたがらない、っていうことで、お前が持ってもただ切れ味のいい剣に過ぎない、ってことになるんだが」

 「うん」

 「今さらどうしてそこに拘るか、どうしてこの剣を持ちたいのか、なんてどうせおめーも自分じゃ分からないってずっと言ってんだし、今さら聞くつもりもない。それでも、剣の方がどうなのか、っていうのは別の話なわけだ」

 「剣の方が……って?」

 「そう。剣がおめーをどう『観て』いるのか、って話さ。言っておくけどな、アイツにだっておめーに持たれたくない、って意志はあるのかもしれないし、それを無理に圧して使うなんてことも出来ない。それだけは覚えておくこと」


 当たり前に考えれば剣が持ち主を選ぶ、みたいな話なのだろうが、それでも母の口振りには比喩でもおとぎ話でもなく、妙な真実味があった。

 けれどアコルニアは、そのことをおかしいとも不思議と思わず、ただ「そういうもの」とするりと受け入れてしまっていた。

 剣が、自分を、受け入れるかどうか。

 要はそういうことになるのだろう。そしてきっとそれが、母の課した試練というものの正体。

 そんな風に思って、今まで曖昧な形だったものがどこか胸の中心のところで固まって形を成すように思えるアコルニアだった。


 「よし。いい顔になったな。それじゃあ出かけるか。時間もちょうど頃合いになったしな」

 「あ、そうだね。お茶の支度片付けてから行こうか?」

 「帰ってからでいいだろ……ああいや、持ってって途中で給仕に任せよう。ほら、支度しなアコルニア」


 何故か満面の笑みになる母を見て、アコルニアの顔にも笑みが浮かぶ。それは、娘のするような華やかなもではなく、どちらかといえば獰猛さにも似た剽悍なものだ。あるいは父が見れば「アプロニアの若い頃に似てきたな」とでも相好を崩しただろう。そんな笑顔だった。

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