第9話・試練って聞いてないんですけどっ?! その1
「さてと。久しいな、アコルニア。息災なようで何よりだ」
「はい、父さま。先日の贈り物のお礼が遅れて申し訳ありませんでした」
通された部屋でひとしきり恐縮しまくった兄妹が慌てて飛び込んで来た母親に連れられて退室していくと、アコルニアは父親と和やかな再会を果たしていた。母の方はマリスを送ってくる、ということで、今は父の私室で二人きりだ。
王の私室としては、この部屋は広く開放的で外光を取り入れるようになっている。一方で調度品は質素で気取らず、そういった部分はアコルニアの知る父の印象とかけ離れることがなくて、とても好感が持てる。私的な対面にいつもこの部屋を使ってくれるのも、アコルニアが気に入っていることを知ってのことだ。
そんな風に、立場ある身ながら娘への心遣いを忘れない父が、アコルニアは大好きだった。もちろん王として立つ場であれば話も違うのだろうが、それと家族の前でとる態度を使い分けることに、特に躊躇するようなことも無かったのだ。
「うむ。それはよい。そして今日呼び寄せた理由だがな、アコルニア」
「は、はい……父さま?」
少なくとも、これまでは。
外から差し込む光を背にする席に腰を下ろした父王の表情は、対面する席のアコルニアからはうかがえない。
公の場で父がどのような姿を見せるかは、多くはないものの様々な儀礼の場で見てきた。だから今の父が自分に向けているのが、そういった表面を取り繕ったものではないことは分かる。本気でいることは間違いない。
「あの、わたし何か……」
だから余計に真意が分からなくて、しゃちほこばった姿勢から更に軽く仰け反って、卓の上で組まれた父の手に目を落とす。そこに父の真意が込められているというものでもないだろうに。
だが、アコルニアの視線をそこに感じたのかもしれない。緊張をほぐすようにフッと笑みをこぼしたヴルルスカは、アコルニアの視線が注がれた手を解き、右の手を娘の頭に置いて軽くくしゃりと髪を撫でた。
「そう怯えるな。怖いことが起こるわけでは無い。ただ、一つ試さなければならないことがあるのだ」
「は、はい。ごめんなさい、父さま。怖いことなどなにもないというのに、気をつかわせてしまいました」
「私から見れば……いや、なんでもない。それで試さなければならないこと、というのはだな」
はい、というアコルニアの返事を待たず、父王は立ち上がった。
何が起こるのか、と見上げる娘に、来なさいとだけ告げて自分は部屋の外…内庭に面するテラスに向かった。その先にあるのは父の手によってよく手入れされた庭木。幼い頃、母に連れられてこの部屋を訪れると父は熱心に草花の世話をしていたものだ。
だが今日はそういった姿を見せることはなく、外に出て陽の光を浴びてただ佇むだけである。
戸惑いながらもアコルニアはその後をついてゆき、父が何を見ているのか知りたくて、隣に並んだ時だった。
「アコルニア、取れ」
そこにあったのは、完全武装した母の姿。
アコルニアと一緒に魔獣討伐に向かう時の、アウロ・ペルニカ衛兵隊の装備に準じる軽装の鎧ではなく、体の動きを邪魔しないように、ではあるが、体の大部分を覆い隠す鎧。
いかにも年季の入った、だが手入れの行き届いた武装に包まれた母は、周囲の人々に聞かされた魔王討伐の英雄の姿そのものだった。
「母さま?え、どうしてそんな格好を……」
「いいから、それを使え。これからお前と立ち会う」
「立ち会うって……え、わたしの剣……じゃなくて、これ母さまの、聖精石の剣っ?!」
無造作に足下に投げて寄越されたものを慌てて拾い上げる。
それはかつて母が携え、魔王に対した英雄の剣。この国の、いやこの大陸の至宝とも呼べる、世界にただ一振りの剣。
アコルニアが母の残したものを果たさんと引き継ぐことを乞うた、勇者の標しが、そこにあった。
「呪言を用いることをお前は厭うた。何故だ?」
「いきなりそんなこと言われたって分からないよ、母さまっ!どうしてわたしがこの剣で母さまと戦わないといけないの!」
「答えろ、アコルニア!……いや、アコ。今はそう呼ぼう。お前はその剣を継ぐことを願い、だがその剣から力を引き出すためにある呪言を否定した。それはどんなつもりで、だ」
「どんなつもりも何も……呪言は、この剣の力は使ったらいけないんだよ!そうしないと、世界が……」
「世界が?」
「世界が………う、あ……わ、分かんない……」
「アコ!」
何かが爆ぜた。
それに弾かれたように、アプロニアが疾駆する。
剣を抜き、一切の躊躇の無い動作で娘に斬りかかった。
「母さま!!」
それが本気の動作だと咄嗟に気付いたアコルニアは、投げ寄越された母の剣を抜くより先に大きく身を躱す。
だが。
「動きが大きい!迷ってる証しだアコ!!」
「くっ!」
退いた距離より踏み込みが大きく、ために相手の間合いから逃れることが出来なかった。咄嗟に鞘ごと剣をかざして防ぐ。それでも攻勢は収まらず、弾かれて体勢が崩れた。と同時にすぐ隣に父がいることを思い出す。
「父さま!危ないから逃げ……」
「気にしてる場合か!」
だが容赦なく攻撃の次の手を繰り出すアプロニア。父を庇わなければ、と思って踏みとどまるも、既に父は部屋の中に戻っていたようで、「俺のことは構うな、存分にやれ」と距離を感じさせる声がかけられる。
存分にやれと言われても、とまだ混乱から立ち直れないアコルニア。
そしてそれでもアプロニアの攻撃は続いていた。二手、三手、四手。王の庭に、親娘の撃剣の音が響く。
それを聞けば誰かしら慌てて駆け込む者でもあらわれようが、人払いが徹底されているのかそのような様子はなく、ただ鳴り響く金属の音は次第にアコルニアを冷静にしてゆく。
母の剣術は、とある帝国貴族に手習いを受けた後我流で鍛えたと聞く。実戦で培われた技倆と、聖精石の剣を扱うことに特化した剣筋は、元々備わっていた天稟と融合して並の剣士では打ち合いを重ねることすら難しくなった。
(でも……見える。師匠に比べたら、まだ……戦えるっ!!)
どうしてこんなことになっているのかは、よく分からない。
けれど、母にはまだ及ばないとはいえ重ねた研鑽は意識せずともアコルニアの手足を動かし、何度目か数えるのもやめた攻撃が、ほんの一瞬だけ途切れた隙にようやくアコルニアは、抜剣した。
聖精石の剣。幼い頃、一度だけ見た。もちろん自分で握り、抜くのは初めて。
「……ふん、やっと抜けたか。それで何が出来るのか……私に見せてみろ、アコ。それがまず第一の……試練だッ!!」
「試練っ?!聞いてないよ母さまどういうことなのっ!!」
「どういうもこういうも……自分の可能性を証明してみせろってことだよ簡単だろっ!!」
「意味分かんない!」
このやりとりを、撃剣を重ねながらやっていたのだ。母の方はともかくとして、娘の方は遊びでなどやれるものではなく、それでもこの戦いの意味を考えるだけの余裕は与えられていたことになる。
(……それにはきっと、意味がある。わたしが考えないといけなこと、考えなさいと母さまは言っているんだ……わたしにこの剣を与えた意味……それは)
母が勇者として魔王を倒した戦いにおいて用いた剣。
聖精石を素材として打たれ、呪言を唱えることでただの剣とはことなる恐ろしい力を発揮することが出来る。
アコルニアは、それを振るい戦った母の話を、憧憬をもって幼心に聞いた。流石に母自身が語って聞かせるようなことはなかったが、周囲の人間はその事蹟をアコルニアに聞かせてくれた。
そうしてアコルニアは、母を深く尊敬するようになった。その話の中で活躍を見せた剣にも、同様に憧れた。けれど、自分がそれを振るいたいと思ったことはなかった。少なくとも、光煌めくものを見るようには思っていなかったはずだ。
(わたしは、乞うた。この剣を担うことは。それは何故?わたしはどうして……この剣と共に起ちたいと思ったのか……くっ?!)
危ない。
考え事の方に思考が寄ってるうちに足下への注意が疎かになって、泥のようになっていた地面に足を取られていた。
ただ、それを誘いとでもとったのか、アプロニアは一旦剣を引いて体勢を整えなおす構えになる。察してアコルニアも一足飛び退いて剣を握り直した。
不思議に、馴染む。初めて握ったはずなのに、ずっと一緒にいたかのような感覚。
(けれど、わたしはこのコの力を使ったらいけない……なんでこんなことを思うんだろう)
聖精石は、この世界にもたらされた、魔獣と戦うための術。励精石と呼ばれる鉱物を精製して作られた聖精石は、作られる時に鋳込まれた呪言と呼ばれる一種の呪文を起動することで、様々な効果を発揮する。それは生活の細々とした力にもなるし、魔獣と戦う大きな力にもなる。
聖精石の剣、と呼ばれるこの剣は、特に大きな聖精石を剣の形としたものだ。他の聖精石と同じように呪言を鋳込むことも可能ではあったが、この剣を生み出した古の職人はそうすることはなく、ただこの剣の主が紡いだ呪言に応じて強大な力が熾るように作った。言わば、呪言を受け入れる器としたのだ。
結果、剣は使い手次第で様々な力を駆使出来るようになった。反面、恐ろしく使い者を選ぶ武具となり、長い時を経てようやくメイルンという少女の主を得て、そして魔王を討滅する力になった。
(だから、わたしにこの剣を使う資格があるとは限らない……でも、わたしにしか出来ないと思った……それは、何故?)
自らへの問いを重ねる間にも、アプロニアの攻撃は続く。
もともと重量のある両刃の剣を好んで使う母だから、それを片手で扱っているとはいえ一撃の重みは耐えがたくある。
アコルニアはそれを正面から受けず、剣で力を逸らし流してはいるが、いくら不思議に馴染むとはいっても初めて持った武器を簡単に扱えるはずもない。反撃の機をうかがって巧みに剣を繰ってはいるが、長続きしないだろうことは自分でも分かった。
だったらせめて一太刀。母と父がどういうつもりか分からないけれど、自分に何かを示せと言うのであれば、今やれることをやるしかない。
打ち込みを一つ防ぐ度に一回、機を図る。体内に起こるモノを練り、呼吸に乗せる。
合わせる。一回、二回、三回。次。母の打ち込みに合わせて逸らし、弾き、打ち返す。
そう決めて、来るものを待った。自分の機を練り上げた。
こちらに届くと思った踏み込みに先して、足を運んだ。一瞬の半分の間を制した。そう思った。
(!!……しまっ……)
だが、気付いた時はもう遅い。
そこで踏み抜くと思った足はアコルニアの予想と観測を越え、一瞬の半分の、更に半分を刻んだ踏み込みと同時にアプロニアの剣先が空間を裂き、迫る。
死んだ、と思うくらいの余裕はあった。だが、そう思ったのは間違い無くアコルニアの甘えだ。そんな時間を見ることが出来るならそれを自分の手と足で刻むことが出来たであろうに。
(ごめんっ!!)
誰に謝ったのだろうか。思って、自分でも分からなかった。
一つ言えるのは瞑った目は何も見ることが出来ず、固くした身には何の衝撃も訪れなかったことだけ。
時間が止まった、という陳腐な錯覚は、父の「……そこまで、だな」という、嘆息めいた宣言によって霧散する。
恐る恐る開いた目にようやく見えたもの。それは、アコルニアの二つの眼の間の、寸の前で止まっていた剣先だった。もちろん、文字通り寸止めに留めたのは母アプロニア、だ。
「……え、ええと」
「ま、こんなもんだろうさ」
状況を見るに、どう考えても「試練」とやらは失敗したはずだろうに試験官たる母は殊の外サバサバした態度で剣を肩に担いだ。抜き身のままだったから、鎧の肩当てが無ければ腕ごと落ちそうな勢いだった。
「あの……母さま、わたし……失格?」
「ん?何がだ」
「何って」
それでも抜けてなかった自分の腰を内心で褒めながら立ち上がった。そこそこ勢いはあったようで、一瞬ふらつく。見栄と意地で悟られないようにはしたけれど。
「だって母さま、さっき『試練』って言って。父さまだって母さまが何をするつもりなのかご存じだったみたいだし……わ、わたし……母さまの剣を受け継ぐのに相応しくない……の?」
「アコルニア……」
ため息をついて、母は手を伸ばした。その指先が頬に触れてようやく、アコルニアは自分が泣いていることに気がついた。
泣いてる?どうして。悔しいのか、悲しいのか、それも分からない。
ただ、次から次へと湧き起こる感情とも呼べない奔流が、自分をそうしている。
そうとしか、言えなかった。
けれどそれを説明する言葉は無くて、どうすればいいのか分からずに両親の前で立ち尽くすしか出来なくて、ようやく自覚した涙がこぼれるままにしていたところ。
「ぐすっ………あいたっ」
「ばか。そんなつもりはねーよ。お前の考えすぎだ」
母は、娘の頬をなでていた指を曲げて額に持っていくと、勢いをつけて弾いた。
おでこを打たれたアコルニアは、今度は痛みに耐えかねてのもの、とはっきり分かる涙で目が潤んでいた。
そのやり取りはきっと傍から見れば微笑ましいもにだったに違いない。
苦笑する母と、穏やかに笑っている父の二人から視線を注がれて、なんとなくバツの悪い思いのするアコルニアである。もちろんそれで、今何が起こっているのかを理解出来るはずもないのだが。
「……陛下、お力添えありがとうございます。そろそろこの不祥の娘にも事態を理解出来るよう説明したいと思いますので、今しばしお時間を頂戴願えますか?」
「おい、アプロニア。アコルニアは俺の娘でもあるのだ。それに向かって不祥は不敬もいいところではないか?」
「ふふ、そうでしたね、兄上」
陛下と呼んだり兄上と呼んだり、これでなかなかフクザツな関係の両親だなあ、とようやく痛みの引いてきた額を抑えながら、アコルニアは部屋の中に戻っていく両親の後に続いていった。
そういえば母は鎧姿のままだったけれど、その格好で話を始めるつもりなのだろうか。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます