第8話・わたしは勇者さまの娘! その8

 「それはないよ、アコ姉」

 「そ、そうでしょうか……お姉さまだって精一杯やったのですから、それは讃えるべき……べき……のような……」

 「………もーいい」


 無理繰りなレシュリスの擁護に絶望したアコルニアは、ガコン、と割に派手な音を立てて卓に突っ伏した。

 そんな娘の様子を母は、この町の名物である蒸留酒を水で割りもせずにあおりながら、眺めていた。とても面白そうに。


 追加で現れた魔獣を一人で全滅させ、魔獣を現世に出現せしめている「穴」が閉じたのを確認した後、駆け付けたアイネイヤの衛兵隊に片付けを丸投げしてから、アプロニアは最初にいた茶店に戻ってきた。案の定アコルニアが先に逃げ戻ってきていて、レシュリスとルードの兄妹に泣きついていたところだった。

 二人は何があったのか委細分からずおろおろしていたから、アプロニアは何があったのかを詳細に、あるがまま、多少アコルニアの反応を楽しみながら(むしろそれが主だったようだが)説明したところ、アコルニアがいじけてしまった、ということになる。


 「……けど、聞いた限りではアコ姉が苦労するほどの魔獣じゃないみたいなんだけれど。病気でもしてた?」

 「………してない」

 「お姉さま……なんて痛々しい……お姉さまは怖いのに必死になって勇気を振り絞り、魔獣に立ち向かったんです……よね?」

 「間違っちゃあいねえけどなあ……ただ、本来の力量ならさして苦労するでもない相手にへっぴり腰で斬りかかって、何度か『きゃん!』とか『ひゃああ』とか気の抜ける悲鳴を聞かされた身としちゃあなあ……」

 「お、お姉さま………かわいい……」

 「そうじゃないでしょ、レシュ」


 擁護したでなく追い撃ちをかけるような格好になったレシュリスの本音を、流石に窘める兄ではあったが、俯いたままでいたアコルニアが伏せた面は半泣きになっていたことには気付いていなかった。

 まったく、情けない。

 我ながら不甲斐ない、どころじゃない。

 魔獣は、魔王討滅以後も姿を現しているとはいえ、頻度も数も強さもそれ以前とは大きく減じている、という話だ。剣技においては母親のものを正しく受け継ぎつつあるアコルニアにとって敵わない相手ではないし、これまでもアウロ・ペルニカの衛兵隊と一緒にではあるが実戦は繰り返してきたし、単独で戦ったことも無いではない。そしてそのどちらにおいても、魔獣に後れを取ったことなど無いのだ。

 本当に、自分はどうしてしまったのか。あの、肌色の巨大な魔獣は確かに見た目は不気味ではあったが、あれより更におぞましい外見の魔獣だって平気な顔で退治してきたはずなのに。


 「まあ二人ともそう言うな。アコルニアにだって苦手なものはあるさ。今日はたまたまだろ、たまたま」

 「そうですよね!お姉さまはいつだって完全無敵、完璧少女なんですっ!魔獣なんかに泣かされることなんかあるわけがありません!」


 今現在あなたに泣かされてるんだケド、と思うととうとう鼻がツーンとしてきた。どうにもならなくて卓に押し当てた鼻先をグリグリしたせいだと思いたい。


 「あの、お姉さま?……大丈夫です?」

 「……………大丈夫じゃない」


 三人に見せられない状態になってる顔だけじゃなくて、声までみっともなく涙混じりになっていた。

 心配したレシュリスが慌てて隣に駆け寄ってきてアコルニアの肩をつかんで「お姉さまお姉さまお姉さまっ?!死なないでぇぇぇぇぇ………」とかやっていたのだけれど、アコルニアは為すがままに任せて無反応だったため、レシュリスは冗談が通じる雰囲気でないことを察して、「どうしましょう…?」とアプロニアの方を見ると、苦笑から真面目な面に改め、酒の入ったカップを置いて対面に座る娘の頭の、だらんと垂れ下がったしっぽに向き直った。


 「しょうがねえなあ……おい、アコルニア。私は別に怒ってもいないし今日の騒ぎで誰一人怪我もしなかったんだ。ま、多少家や店が壊れたりはしたけどな、町中にいきなり魔獣が現れた、なんて事態にしちゃあ上手いこと収めたもんだよ。だからそういじけるな」

 「……いじけてないもん」


 構ってちゃんな自覚はある。けれどそうせざるを得ない気分にだって時にはなる。

 鍛錬を重ねてそれなりに実績を残して、けれど肝心な時に一人では何も出来なかった。

 そこに反発してもっと強くなろうという気持ちはあるけれど、それ以上に自分自身ではどうにも出来ないものがあったのが衝撃だったのだ。


 「お姉さま……なんておかわいい……」

 「あのね、レシュ。話がややこしくなるからしばらく黙ってようか。ほら、アコ姉ヘコんじゃったよ」


 そんなことない、とでも言いたげに無理矢理顔を起こしてアゴを卓に乗せたけれど、力無くそんなことをしても却って痛々しい視線を向けられるだけだった。

 そんな自分が惨めで消えてしまいたくもなったアコルニアだってけれど、それまで苦笑するばかりだった母はそんな娘の態を見て、ふっと表情を柔らかくする。


 「……母さま?」


 叱られるのだろうか、あるいは叱られた方がまだ気分はマシかもしれない、と鬱々に陰々滅々を掛け算したみたいな顔だった娘は、そんな母親の表情にむしろ不審を覚える。

 そして思わず首をすくめたアコルニアの頭に、母は鍛えられた割には柔らかい手の平を乗せて、こう告げた。


 「……ま、私より先に駆け付けた勇壮な心がけは褒めてやるよ。先にお前の体が動いてなけりゃ、もっと被害が大きくなって犠牲者が出ていたっておかしくはなかったさ。よくやった、アコルニア」

 「……うん」


 雑な物言いに似合わず丁寧な手付きで頭を撫でられる。指の間に髪を絡め梳くような撫で方に、アコルニアは気持ちよさそうに目を細めた。

 それで照れたのか感じるものがあったのか、とにかく顔を見られたくなくなって卓の上にのせた腕に額を預ける格好で、もう一度顔を伏せた。


 「……むー」


 そんな親娘仲睦まじい様子にも苛立つものでもあるのか、とにかく面白くないという声と顔でレシュリスは腕を伸ばしてアコルニアの頭にのせられていたアプロニアの手を払う。


 「おい。何すんだ」

 「なにすんだ、じゃないですっ!なんか……よく分かんないですけど許せません!」

 「アホ。親が子供によくやった、と褒めてやってることに許せるも許せないもあるか」

 「でも、こお……アプロニアさま、なんかいやらしいです!お姉さまに……ええもうっ!!」

 「なんでぼくに当たるんだよっ!」

 「うるさいです!ルードはそこで道化を演じてお姉さまを笑顔にしてみせなさいっ!」

 「無茶苦茶言うなぁっ!」


 父親に似て女性の歓心を買うことなど苦手の極みみたいなルードに本当に無茶を言うコだなー、とおかしくなったアコルニアは、うつ伏せになった顔を僅かにほころばせていた。

 それは、いつも通りの罪のない兄妹のやり取りが微笑ましかったからなのか、自分の頭を撫でてくれた母の手付きに穏やかなものを覚えてのことなのかは分からなかったけれど。


 そして結局その晩は町で一泊し、次の日に四人揃って登城することになった。

 一泊することになった理由が、母が現地の衛兵隊に片付けを丸投げした、雑な後始末のせいということでアコルニアの機嫌はすこぶる悪くなったものだったが。



   ・・・・・



 「アプロニア殿下、アコルニア姫殿下、入城!」

 「あいよ。相変わらずここの衛士は元気でいいな」


 皮肉でもなんでもない口調で、城と街を隔てるとされる望郷門を守っていた城の衛士をそう労った。

 それがイヤミでないと通用していることを示すように、アプロニアにそう声をかけられた二人の衛士も、公的な態度を崩さない程度に口元を綻ばせていた。


 「どもどもー。ごくろーさまですー」


 アコルニアの方もいつものことだから、気取らず挨拶を交わして母に続く。

 王城に六つある出入口のうち、望郷門はもともと公事に用いられる出入口ではなく、王族の出入りするような門ではない。だがアプロニアは正式の手続きと儀式を経る必要のある他の門ではなくこの門を好んで用いるため、親娘揃ってこの門の警備を担当する衛士に馴染みがあるのだ。

 といって今回は、アプロニアの趣味でこの門を用いたわけではない。


 「ん?どしたー二人とも。そんなに緊張するこたないだろ」

 「そうは言いましても……」

 「うん……」


 レシュリスとルードを伴っていたから、だった。

 テラリア・アムソニアは歴史が古い割には格式張ったところは少なく、実務的な面に限れば非生産的な権威に阿ることも少ないから、教会の重鎮の子というだけでレシュリスやルードが特別扱いされたりはしない。故に二人とも登城するのは父母に連れられて、ということしかないが、それとて幼い時に先王に紹介された時くらいのものだ。


 「わたくしもルードも、前にお城の中に入ったのはこんな小さい頃でしたもの……」


 と、歩きながら自分の腰の辺りに手の平をかざしているレシュリスなのだが。


 「え、そう?レシュは今もけっこー小さいと思うんだけど」

 「お姉さまひどいっ?!」


 周囲の評価はまだ割とそんな感じだったりする。


 さて、王城は広くはあるが高い建物などはほとんど無く、王都アレニア・ポルトマの執政を担当する都政庁、王国テラリア・アムソニアの国家行政を担う省庁のそれぞれの建物、そして王室が生活する内宮が敷地内のそれぞれに居を構える。

 今日アコルニアとアプロニアを呼び出したのは国王ヴルルスカ直々の手配、ということだったが、公事ではない、ともされていたから、向かうのは王家の私事を取り仕切る家政庁になる。儀典省の中に所属するこの役所は、役所というよりはむしろ王家の家庭内を取り仕切る部署で、規模の大きな家政組織のようなものだ。そしてテラリア・アムソニア王家は古来より、王族を山ほど抱えて貴族勢力に対抗するつもりなどさらさらなかったから、精々今上の王の兄弟が王室に連なる程度で、それも代が変われば王室を出るのが慣例となっている。

 現王ヴルルスカは男の兄弟は無く、先王の養子となったアプロニアが王女として義理の妹になっていたが、それも先王の子から現王の側室に籍を移しているので、血筋としては実質ヴルルスカの実子とアコルニアだけが、血縁上正当な王室構成員ということになる。もちろん、それを笠に着て威張り散らすようなアコルニアではなかったが。

 そして今四人が案内も付けずに歩いているのは、家政庁の外周の通路。儀典を取り仕切る役所に属するだけあって広さの割には役人の数も少なく、それが却ってルードとレシュリスの二人を萎縮させてもいるようだった。


 「……あの、それで本当にぼくたちも一緒でよいのですか?陛下に失礼があっては問題になるのではないかと…主にレシュが」

 「ル~ド~?」

 「事実じゃないか」


 そう切り替えされて黙り込んだ辺り、本人にも心当たりはあるのだが、その場に居合わせたアコルニアとしてもいまでも思い出すと冷や汗が出る事件だったりする。


 「お前らが何を思いだしているのか大体想像つくけどな。けどレシュリスのお転婆は母親に比べりゃ大したことないぞ?」

 「お母さまが?」

 「母さんが?」


 だが、そんな三人の汗顔の至りみたいな出来事も、アプロニアにとっては懐かしいイタズラみたいなものようで、先頭を歩きながら振り返り言った言葉に、双子の兄妹は訝しげに首を傾げていた。


 「ああ。あれは先王陛下がまだご在位で、私もマリスもこの城で暮らしていた頃の話さ。先王陛下は夜を徹してのお仕事を終えてな、それで……」

 「アプロニア様っ!」


 そして、三人が「ふむふむ」と聞き入るような話を始めた瞬間、人気の少ない家政庁の建物の廊下に、金切り声半歩手前みたいな声が響く。

 思わず首をすくめるアコルニア。だがレシュリスとルードの二人は、驚いたようにその声を発した主の方を見つめ、口々にこう呼んだ。


 「母さん?!何でここに」

 「お母さまっ!」


 兄妹の母であるマリスは、行き先も告げずに飛び出した我が子を咎めるどころか目もくれず、ニヤニヤしながら待ち構えるアプロニアの元にやってきて、この歳になっても全く追いついてない背丈の差を必死で埋めるように背伸びをすると、腰脇に両手を当てて古馴染みの睨め上げ言った。


 「今何を言おうとしていたのですかっ?!」

 「何って。母親の武勇伝をな?」

 「わたくしの立場というものを少しは考えてくださいっ!」

 「立場ってえと、母親としての?それとも教会の参事としての?」

 「それはもちろん親として子になめられては困るので、って何を言わせるんですかっ!!」


 楽しそうね、ですわね、そうだね、と視線で会話した三人は、ほっといた方がいいと判断してとっとと先に進んだのだった。


 ……ちなみに辿り着いた先がアコルニアの父親、つまり国王の私室だと知った時の双子の狼狽えっぷりに「どうしたの?」と呑気に応えたアコルニアが流石に父王にたしなめられた、という場面もあったのだけれど。

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