第7話・わたしは勇者さまの娘! その7
「コイツら見てくれは仰々しいが大したことは無い!いつもやってる通りやりゃあ問題無いぞ、アコルニア!」
「っ、わ、分かってるっ!」
背の高い母は、体格に見合った両刃の剣を振るう。あまり財物に執着のない人だが、自分の得物にはかなり拘りがあり、勇者を引退してから拵えたその剣は、アコルニアではまだ振り回すというより振り回されるといった方がしっくり来るような長さと重さを誇って、かつ切れ味も一級という逸品だ。
「その代わり数が多い!体力切らさないように効率良く戦え!」
膂力ではなく剣の重心を意識し、必要最小限の力で屹立する丸太状の魔獣を切り裂いていく。
大したことは無い、と言う言葉に違わず、それは熱を入れた包丁を乳酪に入れるように容易く、当たるを幸いどころか触れる片っ端から真っ二つ、あるいは三つ四つに斬り刻んでいった。
「よぉし、コイツらの狙いがこっちに定まった!あとは住民の避難が済めばやりたい放題だぞアコルニア!」
弱い、とはいっても大きさは人の背丈をも超える。それを寄る側から斬りまくりながら情勢を判断し、アコルニアに支持を与える姿は確かに歴戦の戦士のそれだった。
一方、その戦士の娘であるはずのアコルニアだったが……。
「え、えいっ!……とお!やあ!……きゃあっ?!」
格好付けて覚悟は決めたつもりだったが、結局締まりの無いかけ声と、時折似合わない悲鳴めいた叫び声をあげながら、どうにかこうにか時々剣を魔獣に斬り入れることに成功する、という体たらくだった。
「おーい、アコルニア。もう少し真面目にやれー」
「そ、そんなこと言われても……え、ええいっ!!……ひゃぁっ!」
悲鳴の正体にしても、剣が魔獣の体に入った時の異様な感触に恐れおののいてあげるだけのもので、路地裏で始まった戦闘は傍目にはひどく緊張感の欠けるものになってしまっている。
何せ、へっぴり腰のアコルニアがおっかなびっくり剣を振り、それでさえ当たれば魔獣は斃れ、しばらくすると何も無かったようにスゥッと消えていくのだ。出来の悪い喜劇の舞台を見ているようなものだろうが、本人にしてみれば実はかなり真面目ではあったのだ。
(な、なんで……くっそぅ、どうしてこんなのが……わぁっ、気持ち悪いこっち来んなぁっ!!)
脂汗を滲ませながら必死に剣を振る。
肩に力は入っているけれど、剣筋だけは頭より体の方が覚えているから、魔獣に当たった刃はスッとその巨体に斬り入るし、そのまま引ききれば魔獣はすぐに消え去る。
けれど手の中に残った生々しい感覚はすぐに拭い去ることも出来ず、その上一体倒しても次から次へと襲ってくるものだからいつの間にかアコルニアは虚無の境地に陥り、やがて目の前に現れたものをただ切って捨てる「作業」に徹するようになってしまった。
「……アコルニア、それ危ねえぞ」
そんな娘の変わりように母親は気がついてはいたが、他に闖入してくる者がいるのでもなければほっといた方がいいだろう、と判断して注意だけはした。耳に届いているかどうかは怪しい物だが。
「ま、いいか。そーら、よっと!……これで一通り片付いたか?」
それならそれでいい。取り乱したりしないのも強さの一つだろう。
そう思いながら、路地に次々と現れてきていた魔獣をあらかた掃討した時だった。
背中合わせで戦っていたアコルニアは、ぜぇぜぇと荒い息を吐いて激しく肩を上下させていて、背中しか見えない。どんな顔をしているのやら、とおかしく思う。それなりに鍛えた娘にしては珍しい様子だったが、名前も付けられていないこの魔獣を見て取り乱した理由には心当たりがある。そういえばそうだったな、と思いながらも、健闘を讃えようと後ろから近付いていく。
「ほーらアコルニア。頑張った頑張った、えらいえらい。良い子だからそろそろ落ち着こうかー」
「う、うう……」
振り返った娘は、もう涙目というか完全に泣きっ面だった。怖かっただろうに、必死で頑張った。いや、き怖かった理由は、どうして怖いのか自分でも分からなかったからではないのか。
そう思うと、ひどくいじましく思えてくる。
「……こい、こい。抱っこしてやるから」
「うう……母さまぁ……」
もう完全に娘を可愛がる母親の気持ちになり、固く剣を握った手をぶら下げるようにしながらふらふらしてるアコルニアを迎えにいく。
「よしよし。怖かったか?」
「……うー……」
それが当然みたいに抱き寄せ、幼子のようにしゃくり上げるアコルニアの後ろ頭を撫でる。
こうしている時ばかりは、旧知の間柄であるベルニーザに言われたような「アブナイ」関係ではなく、どこにでもいる母と娘の姿に他ならない。
他に見咎める者がいるわけでもなく、遠くに避難する人の喧噪はあるが、周囲は静かになりつつあった。
そんな中、ようやく落ち着いたアコルニアは、優しく自分の髪を撫で梳く母の指先の感触を心地よく思いつつ、自分が目にしたものとそこに脅かされた己の心情に不審を抱いていた。
「……ね、母さま。あの魔獣……何なの?」
「何なの、と言われてもなあ。教典にも載ってない魔獣だし、アレを直に見たのなんて世界中探しても四に……三人しかいないと思うぞ。まあそんな滅多に現れるもんでもねーし、気にするな」
「気になるよ!……だって、わたし魔獣を見て怖いなんて思ったこと……はあるけど、怖い、の意味がなんか違うんだもの。なんだかわたしじゃないものが怖がってて、それがわたしを覆っているみたいな……」
「アコ………ルニア…」
「……母さま?」
なんだろうか、この違和感は。
自分を抱き寄せていた母の手付きに何か変化を覚え、アコルニアは身を離した。
間近で自分を見下ろす母の視線には、どこか辛そうな色があって、アコルニアはそんな母の様子に既視感が……いや、これまでも何度か、そんな目で見られたことがあった。
そんなとき、時にアコルニアは自分の中に衝動が走るのを覚える。それはアコルニアをかき立てる。求めよ、捧げよ、と。
(何を?わたし、どうすればいいんだろう……こんな母さまは……ちょっと、怖い……)
「それは、お前の……ものなのか?」
「え?」
「その怖いという感覚に、覚えはあるのか?アコ……」
「アコ?違うよ、母さま。わたしはアコルニア。母さまが付けた名前だよ?アコルニア、って……」
「…………」
唐突に脳裏に浮かんだ光景があった。
自分が産まれたばかりの時のこと。
そんなもの、覚えているはずがないのに、長い隧道を一人で抜けて戻ってきた光の下、母はこう言ったはず。
『いいえ、あなたは、アコルニア』
そう、だからわたしはアコルニア。
それ以外の何者でもないのだから。
「母さ……」
「………?…なんだ、この音?」
「え?」
石造りの家屋が中心のアイネイヤでの立ち回りということで、魔獣の出没騒ぎがあった、という痕跡も対して残らない路地の足下から、地響きとも呼べそうな低い音が聞こえてきた。
この地には地震も無いため、地面ごと揺れるような現象に馴染みのある者はほとんどいない。だがアプロニアはこの音の原因に心当たりがあるようで、即座にアコルニアを抱えたまま手近な家屋の屋根の上に飛び上がった。
「母さま、何ごと?」
「……ちょっとマズいな。アコルニア、目を瞑ってろ」
「目を瞑ってって…こんな時に何を言って……きゃあっ?!」
それは唐突だった。一際大きくグラリと揺れたかと思うと、今ほど立っていた路地の地面が陥没していく。娘を抱えたまま屋根の上に立っていたアプロニアは、その娘を下ろして姿勢を低くするように言うと、次第に広がっていく陥没部分から逃れるように、アコルニアの手を引いて下がり始めた。
「え……?あの何が起こるの、母さま」
「いいから見るな。このまま遠ざかるぞ」
「ええっ、そんなことしたら町の人たちが……あれ?」
言っても無駄だろうとは思っていたのだろう、陥没した場所から姿を現した「それ」を見て硬直する娘にアプロニアは舌打ちする。何もこんな時に現れなくてもいいだろう、と。
「あ、ああ、ああ…………」
見るなと言われたのに、それにはどうしても目が向いてしまった。
陥没して出来た穴に、気絶しそうになりながらどうにか戦ってきた、肌色の屹立する魔獣が、それこそ絨毯のように並んで立って、蠢いていたのだから。
「アコルニア……まあ多分、おめーにはキツいと思うから……」
「き……」
「…………やっぱそうなるかあ」
諦めたような、けれどどこか楽しそうでもあるアプロニア。
こりゃ無理だろうな、と娘を誰とも知れぬ者の家の屋根に下ろし、耳を塞いだ。その後にやってくるものに心当たりがあったから。
そして、アコルニア。
硬直した体と表情を一瞬緩めると、わざとらしささえ覚える慎重な動作で大きく息を吸い、それから……
「き……きゃぁぁぁぁぁぁぁっっっ!!もういや絶対いやアレだけはいやぁぁぁぁぁ────────っっっ!!」
……母の準備を裏切らない大絶叫を上げながら、生まれてこの方見せたことのないような神速で、一人で逃げたのだった。
そして、置いて行かれた格好の母の方は。
「ま、しゃあねえか。一人でなんとかするしかねーな」
と、全く悲壮感を覚えさせない口調で独りごちると、新たに現れた魔獣を殲滅する作業に戻っていった。
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