第6話・わたしは勇者さまの娘! その6

 広くは無い街にも目抜き通りとも呼べる大通りはあり、人や馬車の往来も少なくはない。

 そんな場所を抜き身を携え血相変えて駆け抜ける者がいるとしたら、それが例え少女の姿であっても「何ごとか」と注目を浴び、その向かう先にある善良な人間なら慌てて避けることだろう。


 「どいて!」


 アコルニアはそれを幸いにただ最速で駆けるのみ。

 危険を考慮して人外とも評された疾駆は全力から抑えてはいたが、聞こえた声の発生源に辿り着くまではあっという間で、呼吸が苦しくなってきた、と思う頃には「その場所」から逃れてきた人々を避けるのも難しくなっていた。


 「…ッ、ええいもうっ!!」


 焦りからか、口に浮かぶ罵りの言葉は、育ちの良さよりも感情を真っ正直に反映したかのよう。

 それに気付いて一応は肩をすくめて反省したが、それを人混みの中全力疾走しながらやってのける辺りにまだ余裕が見えたとは言える。

 ただそんな余裕はすぐに尽き、次第に人と人の間の隙間に飛び込むのも難しくなってくる。やがていちいち進路を変えるのも面倒になり、焦れて踏み込んだ右足を大きく沈めると、その反動で高く跳ぶ。

 正面にいた、あやうくぶつかりかけていた商人らしき人には恐らく小柄な軽装の鎧姿が消えたように見えただろう。


 「ごめんっ!!」


 視界からかき消えた存在が実在したかどうかすらあやふやだっただろう中年男性には聞こえないだろう謝罪を口にして、跳ね飛んだアコルニアは地上を一瞥。

 先ほど覚えた悪寒の発生源と、人々が逃れようとしている対象が同じものであることは確認。

 跳んだときのバランスが悪く、体を捻る体勢になってしまったから、それが何であるかまでは分からなかった。

 けれどそれで十分。民草に仇なす害意がそこにあることを知れば、アコルニアのすべきことは明白。


 「魔獣……ッ、わたしが戦うべき相手っ!!」


 着地。通り沿いの、古い商家の屋根の上に。

 造りはしっかりしており、アコルニアが勢いよく足をつけても厚い板葺きの屋根は軋みもしなかった。

 そして低い体勢で立ち上がると、倒す敵の姿を見極めんと目を凝らす。

 ようやく街のひとの待避も済んだとみえ、逃げ遅れた者のいる様子もなく、だが大通りから脇に入ったと思われる小路に何がいるかはまだ分からない。

 だが、アコルニアの胸のところに燻るものは、変わらず「魔獣」への敵愾心を生み続けている。

 誰とも知れぬ、足下の商家の主に内心で詫び、アコルニアは軽く腰を落とし利き足を踏みしめた。反動により、体は高く跳ね上がる。軽く見える動作からは想像もつかない位置にまで飛び上がったアコルニアは、小路の奥にいる魔獣に狙いを定め、剣を素早く両手に持ち替え刺突の構えをとった……。




 後に魔獣と呼ばれることになる存在が歴史にあらわれたのは、千二百有余年も前になるという。それは人の歴史の記録が残る最初期と時期を同じくするというから、実際にはそれより遥か以前からこの大地と空に存在していたものなのだ、と教会の教義に記されてはいる。それによって生活が現実に脅かされている人々にとってはどうでもいいことなのだろうが。

 魔獣は、かねてより人の生活する領域に深く関わっていたものではない。遠くにあり、時折どこからともなくあらわれ、狩猟の対象と人にされはするも仕留めたところで骸も残さず、かといって人類の安寧に障りがあるわけでもなかったから、強い関心を払われてはいなかったと言える。

 やがて人類の生活圏が広がるにつれてか、骸を残さぬ獣は人と対立するようになる。

 増えた人間はどこからともなく出没する魔獣と頻繁に接触するようになり、これまでは無視しておればよかったものもそうはいかなくなる。

 明らかに動物とは異なるその性質に、人は魔獣なる呼称を生み出しそれらの骸を残さぬ獣を呼び慣わすようになっていく。

 魔獣は、かつて人の苦にもならなかった頃とは違い、やがて人との接触が増えるにつれて人に危害を成すようになる。

 それは人の方から近付くこともあれば、人が忌避するにも関わらず魔獣の方より人を襲うこともあり、人はそれらへの対処の教えをまとめ、広く流布し、魔獣への対応を行うべく英知を集結させる。

 その執行を担う人々がやがて組織化され、規模の大きくなったものが今日「教会」と呼ばれるものになった。

 政治に関わり、人の生活をも時に導くべくあった教会ではあるが、組織は大きくなり古くなれば変容もするものだ。

 そしていつからか、魔獣という存在との闘争に疲れ倦んだ人々の中から、この危難を仕組んだ存在がいるはずだ、という一種の信仰が生まれた。

 それを教会が生み出し育てたのか、それとも自然発生的に生じて教会が乗じたのか、今となっては分からない。だが確かに言えたのは、魔獣を生み出し人々を苦しめる存在を称して「魔王」としたこと。

 そして、魔王を討ち果たす存在として待望された、「勇者」がいたこと。

 事態と歴史を俯瞰する者がいればあるいは、その両者の対立の構造に作為的なものを嗅ぎ取ったかもしれない。けれど魔王も勇者も、あるいは各国の指導者も教会も、いずれもそこに疑問を差し挟む、あるいは投げかけようとする者はいなかったのだ。

 結果として、勇者によって魔王は滅ぼされ、そしていくらか生態に変化が生じたものの、魔獣という存在は残った。

 苦しめられることこそ減ったとはいえ、明らかに魔獣と人間の対立する有り様は、かつて歴史の中に見られたものとよく似た形になった、あるいは戻ったのだ。




 「母さまが残してしまった戦い……わたしはそれを終わらせるっ!!」


 自らに課した戦いの意義を、アコルニアはそう叫ぶ。魔獣を倒す時、必ず。

 勇者の娘として生まれ、だから勇者がやり残したことを成すのは自分だと。


 「だから!魔獣なんか全部………滅んじゃえ────………え?」


 顕れた魔獣を打ち倒す最初の一撃を届けようと、地上を見下ろした時、アコルニアの心臓は再び高鳴った。


 「え…?え……?ええええええっっっ?!まっ、待って待ってちょっと待ってわたし────っっっ?!」


 どんなに高く跳ね上がったとしても、翼の無い身で降りる時は重力に逆らえない。みっともなくじたばたと足掻きながら、「そこ」からほんの少しでも幸せに導く離れようとはしてみたけれど、実際のところそれは全く無駄な行為だった。

 アコルニアがかろうじて足下から着地した場所。そのすぐ目の前にいたのは。


 「あ、あ……あ、ああ……だめ、ダメ………あたし……あた、し…………」


 敵を目の前にしてそれから目を逸らすなど自殺行為もいいところだと頭で分かってはいても、魂めいたものから溢れ出すものを拒めない。

 自分にそのつもりが無いとは分かっていても、屹立し蠢く肌色の丸太状の魔獣がそこにいると知ると、怖気と嫌悪が胸の内を覆っていくのが止められない。


 「………『みみず』だけは……みみずだけはいやぁぁぁぁぁぁぁぁぁっっ?!」


 「みみず」って何だっけ?……などと考える間も無い。とにかく嫌いで苦手で視界に入れるのもご免こうむるのは理屈に出来ない本心なのだから。

 魔獣?それがどうした。

 母さまの残した戦い?みみずに比べたら何のことがある。

 後で考えたら自己嫌悪で三日は落ち込むようなことを考え、アコルニアは着地……とも呼べない無様な体勢からそそくさと立ち上がり、衛兵隊で習った完璧な所作で回れ右をすると、後ろも見ないでそのまま駆け出したのだった。

 これが誰かの悲鳴などがまだ聞こえていれば、一瞬の三分の一くらいの時間責任感と嫌悪感の板挟みになって、気絶しそうになる自分を叱咤しつつも結局ガタガタ震えながら自身の言う「みみず」に立ち向かっていったであろうが、そういう心配も無いとなれば逃げの一手しかない。

 逃げたあとのことなど一切考えもせず、考えたとしてもきっと誰かがなんとかしてくれるはず。

 そして、その「誰か」がやってきた。


 「アホかお前は───────っ!!」

 「え?」


 下を向いたまま駆けてたアコルニアとすれ違い様にそう罵った人影は、逃げるアコルニアに倍する速度で丸太サイズの太さを持つ長い軟体動物に迫ると、振り返るよりも先にアコルニアの言う「みみず」を複数枚の肉の皿に変えてしまっていた。


 「え?え?え?」


 そして実際振り返って屹立していた肉質の丸太が色と存在感が薄まっていくのを見ると、ようやく自分がしたことを思い出し、それから自分に代わってそれを成したのが母だということに気がついて、慌ててその側に駆け寄ると、「か、母さま……?」と叱られるのを待つ子どもみたいな(実際その通りなのだが)態度で声をかえたのだが。


 「……話は後だ。まだ来るぞ」

 「まだ来るってどおいう……うえぇぇぇぇっ?!」


 まさかこんなキモチワルイものが二つも三つもいるんじゃ……なんて冗談じゃ無い、と思ったが。


 「うそうそうそぉっ?ヤダヤダヤダやめてもうイヤこんなの無理無理あたし帰る──────っ!!」


 むしろそれは冗談であって欲しかった、と思った。

 姿が透明になって消えていった先に見えたのは、同じような「みみず」が十重二十重。いや、二桁では足りない数が、その向こうに居並び蠢き、「うねうね」とかいう効果音さえ聞こえそうというか実際にギチギチ音を立てている光景だったりする。


 「アホ、自分のやることを思い出せ。お前のその剣とそれを扱うために重ねた努力は飾りか?ここで背をむけて守るべきものを守れなかった時、お前は自分を赦せるのか?」

 「う………」


 母の言い方は厳しい。

 だが、自身も剣を握りアコルニアに肩を並べているその姿は、お前だけにさせるつもりはねーよ、と語っているようでもある。

 そうだ、自分は母の背中を見たかったんじゃない。横に並んで一緒に戦いたかったわけでもない。

 母を追い越し、そのなし得なかったことを自分が成したかった。その為に剣をとったのだ、と。


 「……ふふ、落ち着いたな。いい顔だぞ、アコルニア」

 「う、うん……怖いけど、やってみる!」

 「そうだな」


 「みみず」から目を逸らさず言い切った。実際、見ているとまだ気が遠くなりかける。けれど、逃げない。逃げられない。

 そうあれかし、と願った世界への途は平坦では決してない。そのために握ろうとした力はまだ届く場所にない。

 だから、なんだというのだ。今の自分から逃げて何とする。ようやく見え始めたと思えたものを、自分から手放す馬鹿が何処にいる。


 「コイツら、二回ほどやり合ったことがある。数がやたらと多くて面倒だが、強さはそれほどでもない。こんな街中に現れるとは厄介極まりねーけどな、昔のヤツほど数も多くはないはずだ。だったら目に入るヤツは全部潰してしまえばいいさ。やるぞ、アコルニア」

 「わかった、母さま!」


 剣を大きく振り下ろし、駆け付けた母の背を追う。それだけで今し方まで抱いていた怖気は振り払われ、自らが望み求めた世界を現世に描く気概が、膂力として背中に降臨するかのようだった。

 今はまだ、その望む世界を正しく思い浮かべることも出来てはいなかったけれど。

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