第5話・わたしは勇者さまの娘! その5

 「お姉さまお姉さまお姉さまっ……!……レシュリスは一日千秋の思いでこの日をお待ちしておりました……ああ、どうか鐙に口づける栄誉をお与えください……」

 「ちょっ、ちょ……待って待ってレシュリス!危ないから馬から離れ……ルード!あんたの妹でしょ何とかしなさい!」

 「理不尽だぁっ!」


 実際、騎乗してる者の足に取り縋るなど危険極まりないのだが、アコルニアの騎馬は鬱陶しそうにしながらも暴れるようなこともなく、鞍上の騎手が慌てふためいているにも関わらず、のどかに口をもむもむとさせてじっとしていた。


 「わかった、分かったから!今降りるから離れてレシュ…」

 「お姉さまぁっ!!……あいたっ!」

 「母さまっ?!」


 とにかく怪我などさせてはいけないと、根負けしたアコルニアが馬を下りようとした時、アコルニアに取り付いていた少女の背後から現れたアプロニアが、少女の頭頂部にかなりキツめのものをお見舞いしていた。


 「……んっとにもう、お前は相変わらずだなレシュリス。ていうかマリスはどした。マイネルは?ルード、お前だけか?」

 「は、はい……」


 とりあえず馬を下りたアコルニアは、まだ足下にしゃがみ込んで悶絶している少女に「だ、大丈夫…?」と心配そうに声をかけていた。

 母のゲンコツは本気で打てば割と冗談で済まない威力になるのは身に染みて理解していたからだったのだが、少女の方はまだ頭を抱えて「うー、うー」と唸っていた。


 「もー、母さまいくらなんでも本気で叩きすぎ!レシュリスまだ小さいでしょ。マリス様にもくれぐれもよろしく、って言われてるのに、もう少し大事にしてあげようよ……」

 「あまりにも振る舞いが無軌道だったら修正しておいてください、とも言われてるけどな。あとアコルニアももう少し気をつけろ。大して力込めてねーのにこの態度は、何か企んでるぞ?」

 「え?わあっ!」

 「お姉さまぁん……すりすり」

 「……例えば同情を引いておいてくっつく機会をうかがうとかな」


 首にしがみつかれた挙げ句、頬をすり寄せられて硬直してる娘を見てアプロニアは、それはもう深い深いため息をついていた。




 「で、なんでお前たちがいる?今回は誰にも知らせないようにと陛下からも知らせがあったんだけどな」

 「愛ゆえに!……ですっ!」

 「お前『愛』ってつけとけば何でもかんでも通ると思ってないだろうな?」


 こうやって自分に代わって一つ一つツッコミをいれてくれるのも過保護のうちに入るんだろーか、と益体の無いことを思いながらアコルニアは水を飲み干した。

 ここ、アイネイヤの町はアレニア・ポルトマからは最初の宿場で、まだ王都の特徴的な建物が見えるような近くにある。そのため、王都を出た旅行者や商隊が実際に寝泊まりする町というよりは、何らかの理由で王都に入れず足止めを食らった時に待機する、あるいは王都の外で待ち合わせをするなどといった用途でよく利用される町だった。

 商人が商材のやり取りをする市場も一応ありはするが、どちらかといえば時間を潰すための場所であるため、飲食店は充実している一方、基本的には学術都市であるアレニア・ポルトマの近くということもあって、遊興関連の施設はそれほど多くはない。それもあってか猥雑な空気は無く、いかにもそういった雰囲気が苦手そうな、一行の中での唯一の男性であるところのルード少年は円卓のアコルニアの隣で疲れた顔をしていた。


 「……ルード、マウロ・リリス様には言ってきたの?」

 「そんなわけないよ……レシュがさ、アコ姉が来るってどこから聞きつけたのか、それですぐに飛び出したものだから、僕も止めようとしたんだけど……ごめん」

 「あはは、別に怒ってはいないから大丈夫だよ。その様子だとミアル様に言ってくる暇も無かったみたいだね」

 「父さんには出てくる時に言伝てして来たよ。でも父さんレシュには甘いからなあ……きっと僕が代わりに叱られるんだよ」

 「うん。がんばれ男の子」

 「……せめて弁護くらいはしてくれないかな」


 ぽんぽん、と背中をアコルニアに叩かれて、ルードは父親似の細い体を折るように卓に突っ伏していた。

 一方、元気印の妹、レシュリスの方はアプロニアに説教されて半分涙目になっている。とはいえ、これでも若干手加減はしているのだ。本気の本気で叱る時の様子を思い出して思わず首を竦めるアコルニアと、そちらに泣きそうな顔で救いを求めるレシュリス。ルードは顔を上げてその二人の顔を見比べて、やっぱりもう一度ため息をつくだけである。


 二人は、兄の方がルード・ネレクレティルス・イェブンチェカ、妹の方がレシーナ・リリス・ブルーネルという双子の兄妹だ。

 父母ともに「教会」の重鎮で且つ権威でもある。特に母のマウロ・リリス・ブルーネルは若かりし時は教義の全てを知悉すること聖女の如し、と讃えられた存在であり、父のミアル・ネレクレティルス・イェブンチェカも教会の政治に関してはアプロニアの協力者、と言ってもいい。

 またどちらもアプロニアの魔王討伐の事蹟においては多大なる力の寄与があり、特に今も親交が深く、二人の子供は王都よりもアウロ・ペルニカで過ごした時間の方が多いとさえ言える。

 ただ、その過ごした時間で育んだものが、アコルニアにとっては少なからず頭痛をもたらす原因にもなっているのだが。


 「お姉さまお姉さまっ!そろそろ助けに入ってくださらないとわたくしの愛も枯れ果ててしまいそうです……」

 「そっちは枯れ果てても普通に友情だけ残ればいいよ」

 「もうっ、お姉さまのいけず!レシュリスの愛は全てお姉さまに捧げたというのに……でもそんな涼やかな物腰にわたくしは、わたくしはもう……」

 「それはもういーから。おいこら、ルード。とりあえずお前達はマイネルの使いで来たということにしておいてやるから、妹をなんとかしろ」

 「えええ……そんなこと言われても…」

 「わたくしとお姉さまの仲を裂くようであれば、アプロニア様とて容赦はしませんわよっ!」

 「おもしれー。おめえが容赦しないとしたら、わたしに一体何をするんだ?ええ?言っておくがお前の母親はわたしの忠実な妹分だからな。親に言いつけても無駄だぞ」

 「え、えーと……えとその……あ、お姉さまわたくしを助け……お姉さまっ?!」


 付きあっていられなくなり、アコルニアは三人を放置してさっさと店の外に出て行った。勘定はルードが済ませておいてくれるだろう。こんな時でも支払いの心配をする辺り、お姫さまとしてはやや自覚の足りないアコルニアではあった。


 「ほんとにもー、あれさえ無ければ良い子なんだけどなあ……」


 レシュリスがまだ何やら喚いている店内を振り返り、アコルニアは肩を落とした。

 「あれ」というのは、レシュリスがアコルニアに対して度を超えた情愛を示している、平たく言えば同性の年上の少女に懸想している、という件だ。

 レシュリスとルードの兄妹は、アコルニアより二つ下の十三歳。この世界の常識に照らして恋だの愛だのをささやくような年齢かどうかはやや尚早とも言えるが、アコルニアが晩熟なだけであってあり得ない話ではない。

 加えて同性への恋情というものが妥当かどうか、という話になると、貴人が同性の愛人を囲うような話は珍しいものではない、という実態もあったから、若干引き気味ながらもレシュリスの猛烈な攻勢に、アコルニアとしても「あ、あはは……」と困り気味に笑いながらも年下の親戚みたいな少女を遠ざけるようなことも無かったのだ。


 「そういえば母さまも、昔そんな相手がいた……みたいな話を聞いたことあるけど。どうなんだろう?」


 店内でまだレシュリスを泣かしてる母の姿を見て、ふと思うアコルニアである。

 立場で言えばそんな相手がいても不思議ではなかろうが、それでも当たり前に結婚をして-側室という立場ではあったが-子供もいる、という身でそんな真似をするのだろうか。しかも一国の国王を相手にして。


 「ベルさん……は怪しいけどなんだか違う気がするし。うーん……といって誰かにそんな話を聞くわけにもいかないもんね」


 とうとうやり込められたレシュリスが悔し泣きをし始めた。流石にやり過ぎたとあわててそれを宥めるアプロニア、と、兄のルード。

 歳に似合わず万事したたかなレシュリスであれば、そんな様であっても相手のご機嫌とりを逆手にとって自分の要求をねじ込むくらいのことはしそうなものだが、「うー、うー」とうなって堪えきれない涙を堪えているところを見ると、本気で泣かされているのかもしれない。


 「お、おお……こら、泣くなっての。お前が無茶するとマリスもマイネルも心配するんだから聞き分けろって、な?」

 「レシュ……こないだ頂いたお土産が気に入らなかったなら交換してあげるから、泣き止んでくれよ、もう……」


 ほとんど幼子をあやすような空気になってる二人。特に、母がそんなことをしている様子は、自分の記憶の中でも遠くになってしまった光景の中にしか無かった。

 自分が産まれてからしばらくの間はこれから向かう王都で育てられた。

 けれどその後は、母の所領であるアウロ・ペルニカで暮らしている。

 どういう意図があってそうしたのか。新興貴族から押しつけられた正室との確執があって。魔王討伐の功を妬まれて。強い力を持つ勇者を遠ざけるために。

 いろいろと言われてはいるが、アコルニアにとってアウロ・ペルニカでの母との暮らしには暖かい記憶しか無かった。今は王都に暮らしているレシュリスとルードの兄妹がアウロ・ペルニカに居たときのことも、良い思い出ばかりだ。


 「…………しょーがないなあ、もう」


 だから、口の端に自然と浮かんだ微笑に気付いても収めることはせず、のんびりとした足取りで店の中に戻ろうとした、時だった。


 (…………ああああああっ、ああっ!!)


 「うん?」


 その場に居合わせた他の誰も、アコルニアの聞いた声に気がついていなかった。

 ただ、アコルニアが気がついたのは自分の耳が鋭敏なためではない。確かに耳は鋭い方だったが、声に気がついたというよりは、届いたものに自分の内にある何かが反応し、届いたものと一緒に聞こえてきたのがその叫び声だったといえる。


 ずくり。


 大きく心の臓が跳ね上がるような感触。苦しみや痛みはない。ただ、どこか懐かしき憎悪、とも呼べそうな複雑な感情が湧き起こっていることだけは分かった。


 (知ってる……)


 その情動を生み出した自分の胸の前で右手の拳を握り、アコルニアは思う。

 何度も味わった。そして何度味わっても慣れ親しむことはない。

 一つだけ確かに言えることがあるとしたら、こいつから逃れることが出来ないという運命がそこにある、ということのみ。

 それに抗うために剣を習い、母と同じ力を得ようとした。

 まだ答えはない。自分に何が出来るのか。自分は何を成すべきなのか。まだ見えてはいない。


 抜剣。


 「だけど……まだ見えないからって……逃げるわけにいかないでしょうがぁぁぁぁぁぁっっっ!!」


 そして吼えた。


 何度経験しても襲い来る怖れはそれだけで振り払い、異変に気付いた母や幼馴染みがようやく外に出てきたところを捨て置き、アコルニアは剽悍な動きが見せる背中だけをその場に残し、声の聞こえた方角に向かって駆け出していた。

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