第4話・わたしは勇者さまの娘! その4

 大陸で最も古い国家、という謳い文句が、誇れるものであるか謗るべきものであるかは、その名を背負う者の立場によると言える。

 少なくとも今上の王にとっては軽々しく扱える文言でないことだけは確かだろう。


 「……全く。父も難しいものを残してくれたものだ。俺にそんな器量があるかどうかの見極め、親の欲目に曇らされた結果ではあるまいな」

 「あら。先王陛下のお見立てに瑕疵かしなど一切無かった、とは諸卿も囃すように言い立ててはおりますけれど」

 「そう言っているのはアプロニアの呑み友達ばかりであろうが。無意味とは言わぬが、身内びいきにも程がある」


 そういって杯を呷り、苦笑を弱い酒で呑み流したのはテラリア・アムソニアの現王、ヴルルスカ・グァバンティンその人である。

 つまりアコルニアの父であり、王室に養子に入ったアプロニアを娶って共に子を成した、アプロニアにとっては夫とも呼べる存在なのだが、政治的な駆け引きを経て結果としてはアプロニアは側室という身分を得、自分が名を戴いた所領にて比較的好き勝手に子育てをすることになっている。

 ただ、関係者全てがそれに対して満足を抱いているため、特に問題が顕在化することも今のところはなかったのだが。


 「それにマウロ・リリス殿。あなたも無関係を装ってはいるが……アプロニアを使嗾している身で言えたことではないだろう。双子をアプロニアのもとに送り込んで、中興の連中にいろいろと思惑を疑われているのではないか?」

 「それこそ過大評価というものですわ、陛下。二人ともアコルニアの良い友達として彼の地で過ごしたいと思っているだけですもの。きっと今回の件でアウロ・ペルニカに戻ってしばらくは帰って来ないのでしょうけれど」

 「止してくれ……そんなことになったらまた俺が痛くもない腹を疑われる」

 「ご身分と能力に見合った処遇とお諦めなさいませ。それでわたくしを呼び出した理由を聞かせて頂けますでしょうか」

 「ふ、そうだな。腹の黒い者同士、腹の探り合いは気疲れが過ぎる。手札を隠すのも億劫であるから、今日は素直に話すとしよう」

 「まあ、腹黒いとはご挨拶ですわね。わたくし、天下に清廉潔白を誇る聖女の名を長く負った身ですわよ」

 「正体がばれて聖女呼ばわりされなくなったとせいせいした顔でいたのは、どこのどなたかな?」

 「あら、身に覚えがありませんわねえ。わたくし、その二つ名を失ってひどく悲しんだものですけれど」


 先ほどとは気色の異なる苦笑を浮かべたヴルルスカは、今度はその苦味を楽しむように口中で何ごとか呟くと、王城の最奥にある私室の応接間に迎えた客人の、しれっとした顔を一瞥した。

 マウロ・リリス・ブルーネル。本名はもっと長く、本人以外覚えられるような長さではないが、それはこの世界を広く覆う組織である「教会」の重鎮であることに拠る。

 年の頃はアプロニアより幾つか下で、幼き頃から妹分として姉貴分には粗雑極まり無い扱いを受けてきたものだが、長じては政治に深く携わり、聖女扱いも虎狼扱いもされたものだが前者は返納して長く経つのは、本人の述懐した通りである。

 「教会」の有り様としては世俗の権力とは付かず離れず、が望ましいとはされるものの、本人はいたって平気な顔で、ヴルルスカ・グァバンティンの支持を明言し、特に王国貴族のうち比較的最近取り立てられた派閥には煙たがられているのだが、その点に感しては姉貴分と軌を一にして平然としている辺り、政治家としても胆が据わっていると言えよう。

 そんな、ある意味物騒な存在との人目を避けた会談となると、それは大層物々しい内容になるだろうとは思われるのだが。


 「……いい天気ですね」


 教会の「元聖女」殿は、この城の中でもこの部屋からしか眺めることが出来ない、と言われるオウボウの木が花を付けた様子を呑気に眺めているのだった。


 「ここしばらくは平和であったからな。そろそろ庭の手入れもしてやらねばなるまい」

 「庭師がいるのに陛下御自ら?」

 「ああ。遺されたものがあってな。他の者の手には任せたくない」

 「…そうですか」


 その「遺されたもの」の正体に心当たりのあったマウロ・リリスは、先ほど王が抱いた苦いものともまた異なる苦さを胸に覚え、既に空になっていた茶器を忌々しく睨むと、仕方なくため息をつくことでそれを呑み込む助けとした。


 「……あまり気に病むな。これからする話とも無関係ではないのだしな」

 「ええ。それで、剣をアコ…アコルニアに継がせるおつもりとのことでしたが。陛下は反対でいらしたのでは?」

 「いや、あれについてはアプロニアの反対だ。俺は、アコルニアが剣を継ぐ意味をあいつなりに見出したのであれば、反対などする必要は無いと思っていたのだが」

 「ということは、アプロニア様の心境の変化が?」

 「というより、ベルニーザに勧められて、だな」


 共通の知人の名に、ヴルルスカはふと懐かしそうに、マウロ・リリスの顔はいかにも苦々しくなる。


 「……相変わらず苦手か、あいつが」

 「いえ、そういうわけでは。わたくしの方では親しくするつもりはあるのですけれど、彼女は相変わらず教会に隔意を抱いているようですし」

 「余人の面は己が心根を映す鏡とも言う。あいつがそのように振る舞うのであれば、それは教会の側にも何かしらあるのではないかな」


 わざと説教くさくそう申し述べたのはマウロ・リリスをからかうつもりでもあったのだろう。二人ともベルニーザが教会を避ける理由は知っているのだから、そんなことで空気が険悪になることもなく、「そんなことありませんわ」と年甲斐も無くふくれっ面にこそなりはしたがそれだけで、すぐにくすりとした笑みを交わして元の姿勢になおる。


 「それにしても、ベルニーザもどういうつもりで?」

 「さてな。アプロニアがアコルニアにやや過剰な愛情を注ぎ込んでいるのが面白くない様子であったから、嫉妬でもしてたのかもしれん」

 「石の剣を譲る理由としてはとんでもない話ですわね。それで本当のところは」


 酒ではなく、とっくに冷めた茶を一口すすると、マウロ・リリスは素気なく話の先を促す。


 「いや、正直なところ分からん。ただ苛立ちはしていたからな。その苛立ちがどちらに向いていたのかは分からんし、それが分かったからといって俺にはその内容までは理解が及ばんよ」


 あいつらの付き合いの長さと内容には想像も及ばぬところがあるからな、というのは少しばかり寂しげな愚痴ではあったが、マウロ・リリスはその気持ちが分からないでもなかった。

 互いに家族としての愛情は抱いてはおろうが、かといって男女の仲の深まりによって結ばれた、とも言えない二人だ。直接対面すれば気遣う様子も見せるし、冗談だって言い合う。娘のアコルニアを挟んだ時も、本当に仲の良い一家以外の、何物にも見えない。


 アプロニアは、公的にはヴルルスカ・グァバンティンの第一の側室ということになっている。

 王家に養子に入った王女への扱いとしては難しいところがあるのだが、テラリア・アムソニアを支える貴族の派閥の支持ということを考えると、国母の立場に押し上げるのも難しいのだった。

 もっともアプロニア自身は特にそういった野心も無く、ただ娘と一緒に平穏に暮らせれば今はそれでいい、というつもりのようであるから、ヴルルスカの言う「呑み友達」である、建国当時からの古い貴族からの要請があっても神輿になるつもりはないようだった。

 代わりにヴルルスカには、それら古い貴族と対立する新興の貴族から押しつけられた正室がいるのだが、幸い気立ては良く、正室の方でもややこしい立場にいる第一側室を立てる姿勢を崩さないため、今のところは波風立つ気配もないのは、ヴルルスカにとっては頭痛の種が減って重畳というところなのだが。

 それでも、王の隣にいるそれぞれの女性を押し立てて何ごとかを果たそうという動きの絶えることはない。そういった新旧の貴族の間の対立はずっと続いているとはいえ、家族を題材に騒がれて快かろうはずのない、王なのだった。


 「ただ、その勧めに従ってアコルニアを呼び寄せたのは別の意図もある」

 「と、仰いますと?」


 マウロ・リリスが王の慨嘆に少し思いを致していると、当の本人は前屈みになり、更に握った両手で拳を作るとそれでアゴを支え、更に思慮深い顔をしてみせた。そういったところは本当に聡明な王だ、と思って顔に出さないように苦労しつつ、マウロ・リリスは話の先に聞き入る。


 「……あやつも自分で言い出したことだ。そろそろ動き出した方がいいのではないかと思ってな。いつまで休んでいるつもりなのかと叱り飛ばそうかとも思ったが、困ったことにあいつは俺の娘でもある。そうそう厳しい顔にもなれん」

 「あらあら、陛下も娘にかかっては普通の親のようですわね。御正室と王子に悪いのではないですか?」

 「茶化すな。とにかく、アプロニアがアウロ・ペルニカに赴いたのと同じ年頃だ。あやつもそろそろ何ごとかを成すに相応しい年齢だろう」


 ヴルルスカはさほど酒は強い方ではない。だが嫌いではないから、自分用に弱く作らせた酒を呑む。この点、アプロニアとは全く話が合わず、結局酒は強ければ強いほどいい、みたいな思想の持ち主に下戸の気持ちなど分からないのだろう。


 「わかりましたわ。そういうことでしたらわたくしも息子と娘に、アコルニアの邪魔をしないよう言い含めておく必要がありそうですわね」

 「ふ、元気か?双子は」

 「それはもう。特にレシュリスはアコルニアに隙あらばくっつこうとするものですから、アプロニア様の目が年々厳しくなってきております」


 それは違う意味で心配なのだが、とでも言いたげな視線をヴルルスカはマウロ・リリスに向けていたが、ともかく一両日中には、公的には第一正室と第一王女の入城を迎えることになる。

 公私共々にやるべきことが増えていく両者は、しばらく互いの飲み物について忌憚の内意見を交換すると、休息の時間を惜しみつつ、それぞれの仕事に戻っていった。




 一方その頃。

 あと一日もすれば王都アレニア・ポルトマに辿り着くという街道の途中で、アコルニアとアプロニアは珍客を迎えていた。


 「な、なんで二人がいるの…?」


 大した共も連れずに所領と王都を往復する二人のことだから、今回も目立たない格好で馬にのっていた。

 まだ王都とも距離はあるものの、もう街道を往来する商隊も増えてくる時期であるから、速度は出さずに流れに乗ったのんびりとした旅路だったのである。

 そんな中、王都の方角からやってきた馬車とすれ違うかと思われた時に、いきなりその馬車が止まり中から飛び出してきた人影が、親娘のうち間違いなく娘の方が乗る馬目がけて飛びついてきたのだ。

 ゆっくり歩いているとはいえ、大きな動物目がけてである。アコルニアが巧みに乗馬を操って止めなかったら、びっくりした馬が棹立ちになって怪我をさせたり落馬してもおかしくはなかった。

 だからそれが誰なのかも確かめず、「あぶないでしょ!」と文句を言いかけたアコルニアだったのだが。


 「お姉さまっ!!」


 馬上にいたのがアコルニアだと確認すると、とびかかってきた人影は目深に被っていた頭巾を下ろして今度は馬にではなく、アコルニアに飛びついてきたのだった。


 「レシュ!あぶないからいきなり飛び出すなよ!……アコルニアさまが止めて下さらなかったら君が大けがをして……いてぇっ?!」

 「兄さんうるさいっ!折角のお姉さまとの久しぶりの対面なんだから黙ってて!」


 そして、それに続いたもう一人にそう怒鳴ると、ようやく落ち着いたアコルニアの馬の鐙に取り縋るような格好になって、うっとりと呟いたのである。


 「……お姉さま……ようやくお会い出来ました……」


 それを受けて、ようやくアコルニアが呟いたのが。


 「な、なんで二人がいるの……?」


 だったのだ。

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