第3話・わたしは勇者さまの娘! その3
「……しっかし、俺の見たところ既に十分人外の領域に達していると思うんだがなあ。お前さん、随分と贅沢が過ぎないか?」
昼食時ということで、宿舎で寝泊まりしている衛兵たちでごった返す食堂の一角にて、さっさと自分の皿を空にしていたベテラン衛兵は、半ば以上本気で感心した様子でアコルニアをそう褒めそやすが、称賛された方はどうにも居心地悪そうに、最後の一口を口に放りこんでいた。
「だって、母さまは自分の若い頃に比べればまだまだ、って言うし、師匠にだってまだ十本のうち一本とれればマシなだけだし……」
「人外ですら生ぬるいゴゥリンの旦那に一本でも取れりゃあ十分だろ。おう、ごっそさん。片付け頼むわ」
通りがかった給仕当番の新米に空になった皿を押しつけて、食卓の自分の前を空にすると、水差しを手元に引き寄せて自身のコップに水を注いだ。
男はグランデア・ルゥエンデという名で、アウロ・ペルニカで長く衛兵を務めている。粗雑に見えて実のところ年下や後輩の面倒見が良いため、新人教育を任されることが多い。だが槍を扱わせればアウロ・ペルニカの衛兵の中でも随一、という評判が高かった。
アコルニアにとっても、母のアプロニアとグランデアの間には契約を通じた関係、という以上のものもあるように思えて、頼りにはしつつもやや素直になれない、憎まれ口を好んで叩く対象、といったところだ。
「目標が高いってぇのは悪いこっちゃねえよ。ただ、何のための目標なのかは忘れないようにしとけ。強くなりたいなら、どうして強くなりたいのか考えながらでねえとな」
「グランデアのくせになまいきだーっ。……でもいいこと言うとは思う」
「なんだそりゃ」
特に気を悪くした風でもなく、グランデアは自分で注いだ水を飲み干した。
それを見るアコルニアの視線に気がつくと、グランデアは水差しを少し持ち上げて相席する二人に見せながら尋ねる。
「……お、悪い。要るか?」
「………いや、いい」
小さく頭を振るうゴゥリンとは違い、アコルニアは匙を咥えたまま水差しごと奪い、同じように自分のコップを水で満たしていた。行儀の悪いこと甚だしいが、同席してる誰もが特に咎める様子もなく、いつものことだとでも言わんばかりに自分のことに戻っていた。
もとよりアコルニア、王の娘などという生まれでありながら、母親の教育方針により、自分のことは自分でするように育てられている。それ故、誰かに命じて何かをさせるより自分で全部やった方が手っ取り早い、くらいのつもりでしかない。ある意味貧乏性とも言えなくもないが、母であるアプロニアの出生を知っている周囲にとっては、またなんとも彼女の娘らしい、と微苦笑で受け入れられているのが、現実なのだった。
「……さて、わざわざ衛兵隊の宿舎に来てあんなものを見せてくれたんだ。ここの粗末な昼食くらいじゃあ割に合わねえだろ。何か聞きたいことでもあるようだし、何でも聞いてみろや」
筋骨隆々というわけではないが、鍛え上げた肉体は年齢に裏切られない、を体現しているような精悍な体躯の持ち主は、先刻からこちらの様子をチラチラと伺っていた視線を見逃さず、指摘されて絶句してるアコルニアに真面目な顔を向けていた。
「……べ、別に聞きたいことなんか何もないよ?うん。じいしきかじょー、なんじゃない?」
言葉の意味も正しく解してないようなアコルニアの物言いに、グランデアはまだ水が半分ほど残っているカップを卓の上に置く。そして左手の肘をその隣に据え、同じ腕の手を拳に握ると、アコルニアから一切目線を切らずに顎をその上に乗せて一際目力を強くする。
「……なによぉ。グランデアが睨んだって別に怖かないよ!」
怖くない、と言いながら軽く仰け反って距離を置こうとする。ただそれは、怯えてのことと言うよりも見透かされることを避けるための、子供の浅知恵のようなものだ。
「お前がそれでいいってンならいいけどな。ま、あんまり親に心配かけるなや」
それが分かってしまう以上、それより強く説教する気にもなれず、グランデアは苦笑するに留めて圧を解いた。
なるほど、母親のアプロニアに聞かされた通りだ。今のアコルニアは、自分の内から隆起するコトの正体を掴みかねている、と。
そしてそれが自分を奔らせるものだということは分かって、正体が分からずともその衝動に従うように、との強迫観念に似た焦りに駆られているのだと。
だから剣を振るう。到達点が、何のためにということが分からないのだから、余人がいくら褒めそやし讃えても当人が納得していない。
その、アコルニアの内なる衝動の正体をおぼろげながら汲み取れているという自覚のあるグランデアには、いくらか後ろ向きの情を抱かざるを得ない事情があった。それを明かすのは、例えアコルニア本人はもとよりその母にさえも叶わぬのだったが。
「じゃあな。俺は仕事に戻る。急いでいないならゆっくりしていけや」
結わえた髪を揺さぶるように左右に首を傾ける行為には何か意味があるのだろうか。
そんな真似をしてるアコルニアの表情を見ていられなったかのようにグランデアは慌てて立ち上がり、返事を待つこともなく給仕の者に後片付けを命じて食堂を出て行った。後に残された形のアコルニアとゴゥリンは、一方の不思議そうな表情ともう一方の気まずそうな表情をしばし向かい合わせる。
「……何か変なこと言いましたか?あたし」
「………さあな」
それはグランデアの焦慮を微かに嗅ぎ取っての疑問だったのだが、若いというより幼さの抜けきらないアコルニアは自分のことしか見えておらず、そして師の方もそんな弟子の内面を諭す言葉も見つからず、曖昧に首を振るうだけだったのだ。
・・・・・
それから数日を経てのこと。
アウロ・ペルニカから馬に乗って二日ほどの距離にある、ゴゥリンの実家の集落から帰ってくると、アコルニアはアウロ・ペルニカ政庁を兼ねた屋敷の、母の執務室に来るよう告げられた。
「母さまお仕事中なんじゃないの?」
領主としての仕事、母親としての役割、王族としての立場。母はそれらを厳格に使い分ける。娘に甘々な態度で領主の仕事をすることはないし、王族の立場で在る時には謹厳な母親として娘に接する。その分、閨では砂糖を食むような甘えっぷりを娘に求めるが。
だから、屋敷の内庭で手綱を渡した時にそう告げられて、どんな顔で「ただいま、母さま」と言えばいいのか考えこんでしまったのだ。
「王族の務めとしてアコルニア様をお呼びです。既に戻られたことはお伝えしました。旅装のままで良いから、すぐに来るように、との御諚です」
「……お腹空いたんだケド」
「どうせ街に入ったら買い食いしてくるだろうから、有無を言わさず連れて来い、とのことでした。どうもお荷物から良い香りがしておりますね」
少しくらい時間稼ぎをしてやろうという意図をあっさり挫かれて、アコルニアは母の執事であるフェネルを睨み付けた。
もっとも睨まれた方は素知らぬ態で、お預かりします、と馬を連れてさっさと行ってしまったのだから、迫力の不足していること夥しいのだったけれど。
「……うー、もう!べぇぇぇぇぇ、だっ!」
思い切りしかめっ面になって舌を出して見せたが、フェネルはやっぱり気にもとめずに馬を連れて厩舎に向かう角の向こうに姿を消していた。
あのどうにもつかみ所の無い執事は年の頃は幾つだったか。確か母とは十も違わないと思ったが、それにしては妙に若々しく、だがそれ以上に、アコルニアに注ぐ視線が例えようもなく深いものを見るような時があり、それがためにどうにも苦手……という言い方が適切でなければ、踏み込むのを躊躇うことが少なくないのだ。
それを母に相談したことも一応はあるのだが、決まってアプロニアは「あいつは昔っからそうだ。こっちが逆らえないように根回ししてから正論で出し抜くのが大変だったんだぞ?」と、これは心の底から、という様子でぼやくのだったが。もっともフェネルの方でも、いかにも奔放極まり無い上司に振り回されてきた歴史をアコルニアに披露したこともあったから、ひいき目も肩入れも無しに見れば、これはこれで上手いこといってる主従なんじゃないだろうか、と結論づけるアコルニアではある。
「……で、それはそれとして。母さまが王女としてうんぬん言い始めると大抵ろくな話じゃないしなあ……」
そう。母とその執事の関係について思いを致してる場合ではない。
日頃、立場についてあれやこれや言われることは少なく、ただ「出るところ」に出た時の振る舞いについては妙にツボを抑えた教育を受けているお陰で、年に二度ほどの登城の際も完璧な王女の振る舞いを披露して古い貴族からは人気のあるアコルニアではあるが、それを大喜びでやっているわけではない。
「そういえばそろそろお城に行く時期だもんなあ。父さまにはお会いしたいけれど、こお、行く前に改まって何か話とかされると、なんかなあ…………」
と思った辺りで、母の執務室前に到着した。よほどあれやこれやと考え事をしていたのだろうか。ゆっくり歩いていた割にはいつの間に、とため息が出る。
この扉の向こうに、仕事中は娘ながら見惚れるようなキリリとした母がいる。そう思うと自分でも意識せずに熱い吐息が洩れ出る。それは英雄の名に相応しい存在へ向けられた憧憬であり、尊敬する母親に対するひたむきな想いであり、そして……と、考えたところで、そこから先に進むのが躊躇われて、思考を停止した。
最近、こういうことがよくある。母の、快活で、豪快で、繊細な笑顔に接すると、きゅぅっと胸が締め付けられるような思いがして、けれどそれ以上はいけない、と自分で自分を押し止める。
そんな逡巡と、王都に向かうことに伴い起こることが予想される、いろいろな出来事が面倒になって、思わず、逃げちゃおっか、と呟く。
そうしたら、アウロ・ペルニカでは珍しい木造の屋敷の奥まった部屋の前で、まるでアコルニアがそうしていることを見透かしていたようなタイミングで、中から声をかけられた。
「おかえり、アコルニア。入りなさい」
「………はぁい」
峻厳な声。これは王女でいる時だなあ、と観念し、言われた通りに扉を開けて、静かに中に入った。なんとなく、仕事中の母の周りでは大きな音を立てられない気が、子供の頃から抜けないアコルニアだった。
だが……。
「……母さま?」
正面の執務用の大きな机には母の姿はなく、後ろ手に扉を閉めてそっと一歩を、続けて二歩、三歩とそこに近付いていった時だった。
「アコ!」
「きゃんっ?!」
後ろからいきなり抱きしめられた。
頭半分以上、自分より背の高い母に二の腕ごとギュッとされ、後ろ頭のしっぽに顔を埋めた母はなんだか興奮したような息づかいで深呼吸。アコルニアの脳裏には何故だか「くんかくんか」という奇妙な擬音が思い浮かんでいたが、それで気分が害されるようなこともなく、むしろ落ち着くような、あるいは胸が高鳴るような、妙な気分になっていた。
そうしてされるがままになってたら、最後に一度、深く息を吸った母はアコルニアを抱きしめる腕を僅かに緩め、吸った息をため息に換えると、そのまま動きを止める。
「あ、あの……母さま?何をして……」
「……わり。ちょっとこのまま、な?」
「…………う、うん……」
自分のうちにある切なさにもにた心持ちを持て余すアコルニア。
なんだろう。母はきっと、いつものように自分を甘やかしてるだけ。一人娘かわいがりも最近度が過ぎている、とベルさんも苦笑してたけど、わたしはそんな母さまを大好きだ。大好き。好き。
……うん、好き。それだけ。
それだけ、なのに。
「…よし。おかえり、アコルニア」
いつもは「ダメだ」って思うことを、無視してその先を考えようとした時、母は自分を抱きしめる腕を解き、肩のところを押して半回転させて自分に顔を向けさせた。
母の顔に浮かんでいたのは、いつもと変わらない不敵な笑み。なんとなく、予想していた……そうであって欲しいと思ってたものと違った表情に戸惑いながら、アコルニアは返事をする。
「あ……うん、……ただいま、母さま」
いつも通り。ではなかったと思う。戸惑いがあった、というよりは、自分がこんなに不思議な気分になってるのになんで自分だけすっきりしてるんだこの困った母は、という不満から、ふくれっ面になる。
「相変わらずおめーはかわいいなー。よしよし、小遣いいるか?」
「子供扱いすんな!もう、いいから話があるんでしょ!早くして!」
だというのに、母はいつものように母のままだ。
よしよし、と頭を撫でて離れていくと、ふと残り香のようなものが自分を取り巻いているように思えて、アコルニアは不意に懐かしさにもにた思いで母の背中を見てしまった。
それでなんだか呆けていると、さっさと自分の席についた母に「どした?泣きそうな顔して」などと言われてしまう。そしてそれが嫌だったわけではなく、そうか自分は泣きそうだったのか、と妙に納得のいく思いがした。
「ううん、なんでもない」
務めて快活を装い、口にしたのはそれだけだったのだが。
「ん、まあ元気ならいいよ。それで呼んだ理由だけどな」
「うん」
つつ、と机の前に歩んでいき、王女の顔になった母を見下ろす。多分自分の抱く不確かなものの存在など気がついているだろうけれど、それをおくびにも出さないのは母としての気遣いか、王族としての心遣いか。それとも執政者としての腹芸か、などと愚にも付かないことを思ったアコルニアに、意外なことが告げられた。
「アレニア・ポルトマに行く。そこでおめーに……剣を継がせる」
「……えっ?」
きっとそれは望んでいたはずの言葉なのに、アコルニアはひどく動揺していた。
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