第2話・わたしは勇者さまの娘! その2
アウロ・ペルニカには軍隊というものが無い。というよりこの国の大半の街では、平時より軍隊と呼ばれるものが置かれてはいない。
代わりに街にはそれぞれ、街の治安を守ったり、周囲の魔獣から街を守る役目のため、街の収入で賄われる衛兵隊が存在している。それは主に領主との間で個人的な契約を結ぶ、言葉は悪いが私兵に類するものだ。
もちろん領主が私兵団を指揮して国に反旗を翻す、などということの無いように様々な対策は講じられてはいるが、少なくともアプロニア・メイルン・グァバンティンの所領たるアウロ・ペルニカについてはそのような心配はなく、それ故、この街の衛兵隊は良くも悪くも自由闊達な運用がされていると言っていい。
「……ふうっ……」
「………」
そんなアウロ・ペルニカ衛兵隊が街中での活動の拠点としている土地の一角で、衛兵隊に倣った軽い鎧を着込んだアコルニアと、一人の巨漢がそれぞれ得物を握って対峙していた……いや、巨漢という表現は、嘘偽りではないけれど全てを表現しているわけでもない。
まずその巨体は、二本の足で大地に立ち、それによって支えられた胴体には、やはり二本の腕がある。人間ではあり得ないような巨軀ではあるが、形としてはヒトと変わりはない。
だが、腕を支える双肩の間にあるのは、明らかに人間のものと同じではない。この世界で例えるのは難しいが、あるいは彼の一族を言い慣わす名称を聞けば想像がつくというものだろうか。
その種族を獅子身族と称す、今アコルニアと向き合っている壮年の男性の名はゴゥリンという。
動物の如き容貌と、明らかにヒトよりも逞しい体を持ち、その種の寿命はおよそ人間の五倍から六倍ほど。一般に強く逞しい肉に覆われた体は、人間からはあるいは怖れられ、または崇められもするものの、彼ら自体は個体の数も多くはなく、世界の各地に小さな集落を作って慎ましく生活している。
性は全般的に穏やかであるため危険視はされてはいないものの、その怪異とさえ言える見かけから、時には忌避や差別ともされる扱われ方をしてきた歴史もありはするが。
「……ししょー、そろそろ疲れたので止めません?」
「………」
アコルニアの場合、このゴゥリンという巨漢には赤子の頃抱っこされた覚えすらあるので、今さらというものなのだった。
というより、猫科に近い風貌の持ち主だけあり、指の短い手の平には猫の肉球めいた器官があって、アコルニアはそれをもみもみさせてもらうのが至高の快感とすら思っているのだが。
「ねー、頑張ったご褒美にししょーの手の平思いっきり触らせてくれるって言ったじゃないですか。そろそろご褒美もらってもいいと思うんですよー」
「………」
馴れ馴れしくねだるような声。それをどうとったのか。表情の揺るぎの乏しい顔からそれをうかがい知るのは容易ではない……。
「隙ありっ!!」
と、思われた次の瞬間、後ろ頭に結わえた尻尾を翻しながら一足で踏み込む。気の抜けたような物言いからは想像もつかぬほど周到に重心を沈ませた体勢から、左足一本を低く鋭く突き出すように伸ばし、更にそこに腰の回転を乗せて、「隙あり」の「あ」の頃にはもう彼女が「師匠」と呼ぶ獅子身族の男性の眼前に木剣の切っ先が届こうとしていた。
「!………」
だが、これだけの動きを見せるアコルニアに師匠と呼ばれるだけのことはある。ゴゥリンも最小かつ最速の動きで、構えた木の棒を以て神速の冴えを見せた弟子の木剣を防いでみせた。
うそだろっ?!というのはこの師弟の対峙を最初から見ていた者の驚嘆だ。当の本人たちは、防いだのも防がれたのも当然のことのように、二手目、三手目を重ねていく。
「………」
「せっ!」
息をつく間はなくとも、裂帛の気合いは自然口をついて出てくる。だが、一手目から変幻の動きを続けるアコルニアの攻勢は、三足、四足と踏み込んで五足目に続くかと思われた瞬間、視界の端に揺らいだ「何か」によって妨げられた。
「きゃっ?!」
つい一瞬前まで、人の身の限界に達しようかとさえ思われた動きを見せていた少女は、最後の踏み込みをした足の着地際を払われ、腰を中心にして綺麗に半回転した。その際に漏れた悲鳴はこの年頃の少女のものとして妥当な愛らしさを含んでいたが、直後空いた手を地面について回転の方向をずらし、そのまま相手から離れる力に転じて再び二本の足を地面に着けていた。無論、再び油断なく再度の攻勢に備えて、だ。
「………ここまでにしよう」
すると、ゴゥリンは師匠らしく鷹揚な様子でそのように制止の合図をした。
「………」
だが弟子の方は、呼吸のリズムを本人にしか分からないくらいに小刻みに変え、油断なく構えを解かない。両手に剣を握り、防ぐも攻めるも自在の内に置くべく苦労をしているようだった。
それを見て、師の方はようやく満足そうな表情を浮かべて、右手に握っていた棒を手放した。
「………お終いだ、アコルニア」
「………はぁ~~~~~~………」
それを折りに、ようやくアコルニアは剣を両手で握ったまま、腰が抜けたようにお尻から地面に座りこんだのだった。
と、同時に、抑えていた呼吸を再開する。いきなり全力で喘ぎだしたものだから、喉がびっくりしてか咳き込むようになってしまう。
「げっほげほ……ハァハァ、げほほ………うぇぇ……きぼちわるい……」
剣を放し、四つん這いになって必死に息をつく。戦っている最中は気力と体の動きで抑えてはいても、それから解き放たれた瞬間に体は必死に呼吸を求める。肉体の求めるままにそれをしばし続けて、ようやくアコルニアは自分を見下ろしていた大きな影に気がついた。
「……ええと、どこが拙かったんでしょう?」
「………単調だ。遅くとも三歩目からずらせ」
「うええ……またかあ……あれ気にしてると今度は上半身がついていかないんですよぅ。どうすればいいんです?」
「………」
師は黙ってアコルニアの手放した木剣を握ると、弟子の動きをそのまま真似たように一歩目から再現してみせる。衆目の見たところ、構えこそ同一ではあったがアコルニアには自分の考える自分の動きと違うところ、同じところがそれだけでも二つ三つは見つかり、よくこれで四歩と半分まで進めたものだなあ、とため息の出る想いだった。
「………どうだ」
「………次、がんばります」
言い放って、大の字に転がった。
違いは分かった。でも、がんばる、と言ったからって次に自分が出来るかどうかは分からない。
それでもやるしかない、と思う。
「母さまは、もう今のわたしの歳でこれ以上のことが出来ていたんだろうなー……」
ぼやいて、泣きたくなる。
夜になれば娘を閨に引き込んで、抱き枕代わりにしていつも寝る母の、昔の武勇談を聞いて育った。
そして今でも気まぐれに剣を振るうところを見ると、自分なんかがそうそう追いつける存在ではないと痛感させられる。
「あーもー、いつになったら母さまの剣を担えるようになるんだろ、わたし!」
苛立って、仰向けに寝転んだまま両手両脚をじたばたと振り回す。乾いた土埃が舞って、ただでさえカビ臭い鎧が更に砂まみれになっていた。
「そう悲観したモンでもねえと思うんだがな。あと勝手に衛兵隊の装備を持ち出して汚すんじゃねえよ、アコルニア」
「グランデアかあ……」
「お前な、自分の親より年上の男を呼び捨てにすんじゃねえよ。ちゃんとグランデアさん、か、お兄ちゃんとでも呼びやがれ」
「おいすー、おじさん」
最早中年に差し掛かった歳で何が「お兄ちゃん」だ、図々しい。
苛立ちに腹立ちを上乗せした勢いで起き上がる。土まみれになった鎧を払って汚れを落とすと、まあ元の色くらいは分かるようになったと思う。
「……っていうか、わたし一応王女さまなんだけどっ。そしてグランデアの雇用主の娘なんだけどっ。敬うのに十分なんじゃない?」
「ナマ言ってんじゃねえ。お前に雇われたわけじゃねえし、それ以前におめえが王女ってガラかよ。順調に代替わりしたらアコルニアちゃん、とでも呼んでやらあ」
「………くくく」
「あーっ!師匠に笑われたぁっ!ひどーい!」
それは嘲ったというより懐かしむ気色の色濃い笑いだったのだが、余裕たっぷりにあしらわれてどう言い返そうかと思っていたアコルニアにとって、半人前扱いされるのが続いてるように思えるのだった。
「ま、午前の運動も終わったとこだろ?急ぐわけでもないだろうし、メシでも食っていけや、お二人さん」
ちょうど昼食時ということもあり、衛兵隊の宿舎の方からは昼餉の支度のものと思われる、食欲を喚起する匂いが漂ってきていた。
健康優良児のアコルニアとしては、自身の空腹に気付いてお腹を鳴らし、それに恥じ入っても当たり前というものだろう。
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