第9話 Eランク昇格審査
ポリティアの街の安宿。
僕は椅子の背もたれに肘を置き、そこに頬を付けてベッドで眠るレイラーニを眺めていた。
昨日の夕方頃、ポリティアに戻って来てからというもの、レイラーニはずっと眠ったまま起きず、とうとう朝を迎えてしまった。いや、正確に言えばもう昼近い。
あの後、メリッサやダミアンはそれぞれの宿に戻ってしまい、レイラーニの面倒を見るのはやはり僕の仕事になった。
まあ、レイラーニとパーティーを組んでから1年、ずっと僕と2人で過ごして来たから、僕がレイラーニの面倒を見るのは当然の事なのだが。
僕とレイラーニは、パーティーの仲間であると同時に姉弟のような仲であるとも言える。
だからレイラーニは、僕を1人の男としては見ておらず、弟のように可愛がり、寝る時も同じベッドで一緒に寝るくらいには信用されている。
出会った当初はお風呂に誘ってくる程だった。
流石にそれは僕の方から断ったが、今思うと、何で断ってしまったのだろうと、少しばかり後悔の念もある。
それにしても、美しい銀髪に、美しい白い肌だ。
僕がぼーっと見とれていると、眠っていたレイラーニが寝返りを打った。
「レイ?」
「ん……アントン……? 何ですか……?」
彼女は目を瞑ったまま返事だけしたが、すぐに起きようとしない。二度寝、三度寝は当たり前。いつものだらしないレイラーニだ。
「もう、レイ、お昼だから起きなよ。キミがもう回復しきってるのは昨日の夜の時点で『サブスクリプション』で確認済みだよ」
僕がそう言うと、また視界にサブスクリプションの画面が現れた。
「あぁ……これ、スキル名を言うとすぐ出てくるんだよな。今度からスキル使わない時はサブスクって略すか」
スキルが発動したついでにレイラーニのステータスをもう一度確認してみたが、やはり魔力は上限の1013ポイントまで回復している。
視界の文字を横に払い除けるように手を振ると、サブスクリプションの画面は消えた。
昨日の夜、レイラーニが寝ていてやる事がなかった時に色々試してようやくサブスクリプションの閉じ方が分かったのだ。
何の事はない。ただ手で画面を横に払えばいいだけだったのだ。
発動時は『サブスクリプション』と口にする。
そして閉じる時は視界に映る手で画面を横に払う。
物凄くシンプルで、いざと言う時でも使いやすい。
「ほらレイ、起きてよ。キミには伝えなきゃならない事があるんだ。ギルドがむちゃくちゃ怒ってるんだよ?」
「え!? ギルドが、怒ってる!?」
寝癖のついた髪のまま、レイラーニは飛び起きた。
「起きた? 話していい?」
「はい、大丈夫です」
レイラーニは姿勢を正すとベッドの上で正座をしてこちらを見た。寝癖は直っていない。
「実はね、今朝ギルドから言われて知ったんだけど、僕たち、イグロート湿原を燃やしちゃったでしょ? あれをギルドの監視員に見付かっちゃって怒られたんだよね」
「え……ごめんなさい……どうしよう……私何も考えずにあんなとんでもない事……それに、アントンたちにも迷惑を……、も、もしかして、賠償金とか請求されてます? されちゃってますよね?」
「お金の事に関しては……たぶん大丈夫。メリッサがご両親に相談してくれるって」
「え? メリッサが? ……あ、そうか、彼女、元老院議員の娘さんだから……」
「お金は一旦大丈夫なんだけど……」
僕がモジモジしながら言い淀むと、レイラーニは不安そうな瞳で僕を見つめてきた。
「『上級以上の魔法は使用禁止』だって」
「あぁ……」
レイラーニは元気なく返事をした。
「僕、魔法のランクとか全然詳しくないから教えて欲しいんだけど、上級って強い魔法なんだよね?」
「はい。魔法には『下級・中級・上級・特級』の4段階があり、特級の魔法が最も強力なものになります。そのあまりの破壊力と術者の大量の魔力消費による身体への悪影響を考慮し、特級魔法の多くは禁止されているくらいです」
「なるほどね……ちなみに、レイが昨日使った太陽の魔法は?」
「あれは……火の上級魔法ですね」
「あー……やっぱそうなんだ。凄まじい破壊力だったもんね。てか、スライムの幼生相手に上級の魔法とかオーバーキルにも程があるね」
「ごめんなさい……久しぶりにたくさん魔力を使えると思ったから……我慢出来なくて……」
苦笑する僕に、少し顔を赤らめてレイラーニは頭を下げた。
「そっか。ま、そういう事もあるよ、気にしないで。でも、次はちゃんと我慢しなきゃだよ?」
「はい。我慢します……」
「とはいえ、そもそも僕がサブスクで勝手にレイの魔力を上げちゃったからいけなかったんだけどね……ごめん」
僕が謝ると、レイラーニは慌てて首をブンブンと横に振った。
「アントンは悪くないです! あの時アントンが私の魔力を上げておいてくれたから
確かにそれはそうだ。もしサブスクリプションでレイラーニの魔力を上げていなければ、僕たちは全滅していたかもしれない。そう考えるとゾッとする。
「ん? そう言えば、イグロート湿原の近くで
「ありましたね。だから念の為、メリッサとダミアンに護衛を頼んだのです。……でも確かクエストは受注済でしたよね?」
「そのクエスト受注した冒険者たちってどうしたんだろ?」
僕とレイラーニは不意にそんな疑問を抱いた。
討伐に失敗して逃げたか、はたまた死んだか。上位のクエストでは良くある事だ。現場に行ってみて、勝てないと思えば棄権するし、無謀にも戦いを挑めば返り討ちにされて殺される。
まだ僕は冒険者歴は1年しかないが、そんな上位の冒険者たちがいたのを知っている。
「入るわよー!」
扉の向こうから突然声が聞こえたかと思うと、こちらが何も反応していないのに、声の主は無遠慮に部屋に入って来た。
「ノックくらいしてください、メリッサ」
「はぁ? いやらしい事してないなら別にいいでしょ? それより、湿原の修繕費は何とかなったわよ」
「あ……メリッサ、ご迷惑をお掛けして本当に申し訳ございません。ご両親にもご迷惑をお掛けしてしまって……」
「まあ、父上のお金だからあたしは痛くも痒くもないけど……貸しね! あたしに」
「ありがとうございます。はい、私に出来る事なら何でもしますので言ってください」
「えー、今『何でもする』って言った? ホントにいいのかしらー?」
「おい、メリッサ! そんな話は後にしろ!」
レイラーニを揶揄うメリッサの後ろから、紙切れを持ったダミアンが現れた。
「今は次のクエストの話だ。アントン、今日もクエストが取れたからよ、これからすぐに出発だ! 来るよな?」
「もちろん!」
僕は意気揚々と立ち上がる。
「レイも行ける?」
「私も一緒に行ってもいいのですか?」
「当たり前だろ、パーティーじゃないか、俺たちは」
「そうよ、まあ来ないなら代わりにアントンの面倒はあたしが見るけどね」
「行きます! 行きます! メリッサにアントンを任せたら何されるか分からないですから」
「あたしを何だと思ってるのよ!」
メリッサがムッとすると、ダミアンが笑い声を上げた。釣られて僕とレイラーニも笑う。
メリッサだけは不服そうに口をとがらせているが、すぐに彼女も笑顔になった。
誰もレイラーニの失態を責める者はいない。
皆それぞれ種族は違っても、お互いがお互いを尊敬し合っている。だから一度の失敗など誰も気にしないのだ。
僕はそんなパーティーが大好きだ。
「アントン、クエストに行く前に、ギルドの鑑定士のところに行ってこいよ。
「あ、うん。そうだね、ダミアン。行ってくるよ」
「そうしろ。俺とメリッサは食料の調達と交通手段を確保しておく。2時間後にまたギルド前で集合な」
「うん!」
僕は念願のEランク昇格の可能性に胸踊らせながら元気良く頷いた。
♢
僕はレイラーニと一緒に冒険者ギルドにやって来た。
昼も遅い時間だったので、ロビーのテーブルで飲み食いしている者はほとんどいない。いるのはクエストを受注に来た冒険者たちだけだ。
受付のカウンターには3つの窓口がある。
1番右端が冒険者がクエストを受注や結果報告をする窓口。この窓口にはギルドの看板娘である赤髪ショートのアン=マリーが。
真ん中には報酬支払いの窓口。ここではアン=マリーが処理したクエストの結果報告を受け、茶髪のお下げ髪のブルーナによって報酬の支払いが行われる。
そして、1番左端の窓口では、冒険者ランクの審査が行われ、一定レベルに達していれば冒険者ランクを上げてもらう事が出来る。
ギルド専属の鑑定官が行うので、ランクアップ審査以外にも、所持スキルの鑑定などもやってもらえる。僕の『サブスクリプション』も、ここで鑑定してもらったのだ。
アン=マリーとブルーナの窓口には何人か並んでいるが、幸い審査の窓口には誰も並んでいなかったので、僕はレイラーニと共に窓口を覗いた。
「すみません、Eランクの申請に……あれ?」
僕はそこに座っていた鑑定官を見て首を傾げた。
「いらっしゃい。Eランクの申請だね。どれ、ちょっと見てみようかね」
窓口にはいつも若い男性職員がいるのだが、今回は白髪頭に白い口髭と顎髭を生やした年配の男性だった。丸い眼鏡をクイッと上げて僕の顔を見ている。
「今日はいつもの方じゃないのですね。初めまして。アントン・アルヴァレズと申します」
「ああ、いつもの若いのは辞めちまったよ。何でも田舎の母親の具合が悪いとかでな。ギルドから依頼されて代わりに儂が来たんじゃよ。テオドールじゃ、宜しくな、アントン」
テオドールと名乗った老人は、気さくに手を差し出して来たので、僕はその手を握った。
「宜しくお願いします」
「テオドール……様」
挨拶をした僕の隣で、レイラーニが驚いた様子で呟いた。
「え? レイ、知り合い?」
僕がレイラーニに訊ねると、テオドールは人差し指を自分の鼻先に付けてレイラーニに口止めをする。
レイラーニも無言でペコペコと頷いている。
「さてと、アントン・アルヴァレズ。キミのレベルを見させてもらった。現在のレベルは22。Eランク昇格基準のレベル20を超えている。文句無しに昇格だな。おめでとう」
「あ、ありがとうございます!!」
今まで全然昇格出来なかった冒険者ランク。それがようやく初めての昇格を成し遂げた。これで冒険者をクビになる心配がなくなったと思うと緊張の糸が切れ、隣のレイラーニにもたれ掛かってしまった。
「良かったです! 本当に良かった……おめでとう! アントン! これで私たち、これからも冒険者として一緒に活動出来ます!」
もたれ掛かった僕を、レイラーニはぎゅっと抱き締めてくれた。
「ありがとう、レイ。皆のお陰だよ。僕を見捨てないでくれたから」
僕の声は震えていた。感極まり、今にも泣きそうだったが、堪えた。レイラーニには泣いている姿は見せたくない。泣いている姿なんてかっこ悪いから。
「それにしても、アントン。キミ最近Cランク相当の魔物を倒したね? 経験値の伸び率がとんでもない事になっている。それまではずっとFランクの中でも低レベルの魔物しか倒してこなかったから経験値の伸びも悪い。だからEランクになれなかったんだね」
「え! そんな事まで分かるんですか??」
「ああ。儂のスキル『鑑定 レベル10』は全てのステータスが見える。故にキミの討伐した魔物の履歴は全部見えるんだよ。それと、キミは珍しいスキルを持っているんだね。『サブスクリプション』か」
「テオドールさん! サブスクについて何か知ってるんですか!?」
僕は興奮してカウンターから身を乗り出した。
謎多きサブスクリプションの事について知っている事があるのなら聞いておきたい。
しかし、テオドールの答えは僕の期待を裏切るものだった。
「いや、知らん。サブスクリプションなんてスキルは初めて見た。儂の目に映るキミのステータスにそう書いてあるから口にしただけ。キミ自信が知っている事以上の事は儂にも見えない」
「なるほど……そうですか」
肩を落とす僕を、レイラーニが頭を撫でて優しく慰める。
「落ち込まないでアントン。サブスクリプションはこれから貴方自身が、いえ、私たちでどういうものなのか解明していきましょう。鑑定レベル10のテオドール様が知らない激レアスキルなのだから、きっと物凄く強いスキルに違いないわ」
優しい言葉をくれるレイラーニ。僕は彼女がたまらなく愛おしく感じた。
彼女はいつだって僕の味方でいてくれる。
「仲が良いね、キミたち。それじゃあ、アントンくん。Fランクのタグを返却して。この新しいタグと交換しなさい」
僕はテオドールに言われるままに首に掛けていたFランクのタグを外し、彼のシワシワの手に置いた。そして新たにシルバーのプレートに「E」と刻まれたタグを受け取る。
いつの間に作ったのだろう。すでに用意されていたかのように、受け取ったEランクのタグの裏面には僕のフルネーム「アントン・アルヴァレズ」の文字が刻まれていた。
「おめでとう。アントンくん。今日からキミはEランク冒険者だ」
柔らかな声で、テオドールは微笑んだ。
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