第4話 Fランククエストへ

 街の外れでイグロート湿原まで行く馬車に乗り、僕たちはのんびりと目的地まで向かった。

 イグロート湿原は、僕たちのいたポリティアの街から馬車で3時間程の道のりだ。

 途中、林や殺風景な平原に伸びる街道を通ったが、特に何事もなく、あまりの平和な旅にメリッサとダミアンはすやすやと眠ってしまっていた。

 でも、僕は寝なかった。というか、寝られる状況ではなかったのだ。僕の投げ出した脚を枕に、馬車酔いをしているレイラーニが苦悶の表情を浮かべて横たわっているのだから。


「大丈夫? レイ? 馬車止めてもらって少し休む?」


「だ、大丈夫です……私のために時間を割いたら、あ、アントンのEランク昇格が遅れてしまいます……」


 いつも被っている紺色の三角の帽子をお腹の上に置いている為、レイラーニの額に浮かぶ冷や汗がよく見てとれる。可哀想に、青白い顔をして今にも吐いてしまいそうな程に具合が悪そうだ。


「1日くらい遅れても大丈夫だよ。僕、レイが苦しそうなの見てられない。やっぱり馬車はやめて少し休んだら歩いて行こう」


 そう提案したが、レイラーニは弱々しく左右に首を振る。


「駄目です、アントン……もう街を出て3時間くらい経つでしょ? もうじきイグロート湿原に着きますから、それまでの辛抱ですよ?」


「それは僕のセリフじゃない? 言わないけどさ」


「アントンて、ほんと優しいわよね」


 突然、眠っていた筈のメリッサが話に入って来たので、僕は彼女の方を見た。


「起きてたんだ、メリッサ」


「目的地に着いたみたいだからね」


 メリッサはすました顔で両腕を上げ、上半身をグッと伸ばした。


「え? どうして目的地に着いたって分かるの? 外の景色はまだ林道みたいだし、そもそもメリッサは今まで寝てたのに」


「雨も降ってないのに湿った土や草の香りがしたからねー」


 僕の質問に、メリッサは金色の綺麗な髪の毛を弄りながら答えた。森育ちのエルフ・メリッサは、自然界の香りの変化には人一倍敏感なのだろう。

 僕は言われて何となく分かった程度だ。


「それにしても、人間が皆アントンみたいな奴ならいいのに。キミの優しさを見てると、つくづくそう思うわ」


「ど、どうしたの? 急に」


「別に」


 メリッサは意味深にそう言うと、僕の問いには答えずにそっぽを向いてしまった。


 しばらくして、僕たちの揺られていた馬車が止まった。


「着いたよ。冒険者さんたち」


 御者の中年の男が言うと、レイラーニが真っ先に身体を起こし、三角帽子を被るとすぐに杖をつきながら馬車から降りていった。馬車という揺れる閉所が本当に嫌だったらしい。


「ダミアン起きなさい! 着いたわよ」


 いびきをかいて寝ていたドワーフのダミアンをメリッサが身体を揺すって起こす。


「おお、着いたか。すっかり眠ってしまったな」


 赤い髭を蓄えたダミアンが大きな欠伸をしながら起き上がると、先にメリッサが身軽に馬車から飛び降り、それに続いて体格のいいダミアンが大きいリュックを背負ってのっそりと馬車を降りた。


 僕は全員から預かっていたお金を御者の男に渡し、ペコりと頭を下げ礼を述べて馬車から降りた。そして、先に降りて待っていた仲間たちと合流すると、そこからは徒歩で現場へと向かった。


 日はもうかなり高い。


 目の前には灰色がかったイグロート湿原が雄大に広がっていた。




 ♢


「なるほど。確かにこれは凄まじい量だ」


 ダミアンは赤い顎髭を扱きながらヤレヤレと首を横に振った。


「きっしょ! 木道にまで溢れてるじゃない。何でこんなにいるのかしら?」


 想像を絶するスライムの幼生の数に、メリッサもドン引きして言う。


 確かに信じられない量だ。とても僕1人で倒せる量ではない。人の頭程の大きさのトロトロとした水の塊が、葦の生い茂る水溜まりや平原、そして歩行者用の木道にまでビッシリと占領して完全にスライムの巣と化していた。


 僕はスライムとは戦った事がないので詳しくはないが、ギルドの初心者研修の時に、スライムは打撃、斬撃が効きにくいモンスターだと習った。だが、それは成体の話であり、幼生の場合は打撃以外の攻撃なら斬撃でも一撃で倒せるらしい。

 幸い、僕は剣を持っているのでこれで斬りまくれば負ける事はない。

 しかも、スライムの幼生は、自ら攻撃をして来ないらしいので、この作業は雑草を刈り取るのと大差ない。


「見たところ、数千匹はいますね。とても不快な光景……鳥肌が止まらないです」


 腕を擦りながらレイラーニが言った。先ほどまで完全にグロッキー状態だったのに、馬車を降りたらもうピンピンしているようだ。


「それじゃあ早速始めようかな。1日じゃ無理そうだけど」


 僕が剣をスラッと抜くと、レイラーニが心配そうな眼差しを向けてくる。


「アントン。このスライムの幼生を全部倒す必要はありません。貴方の目的はレベルアップして、スキル『サブスクリプション』を発動させる事。サブスクリプションが発動したら、きっと今より上位のクエストにも行けるようになるし、冒険者 ランクだって上がります」


「え……でも、残った幼生が成体になったらめちゃくちゃ厄介じゃない?」


「そうです。なので、残りは私が魔法で駆除します。お気になさらず」


「いやいや、駄目だよ、レイ。キミは魔力が少ないんだから。さすがに敵が雑魚でも、この量を一気に消すのには相当の魔力を消費するんじゃないの?」


 すると、レイラーニは口元を袖で隠して不敵に笑った。


「私が倒れたらアントンに介抱してもらうので問題ありません」


「またそんな事……」


 ヴィンセントにはレイラーニは僕の保護者だと言われたが、本当にあれは本質を見ない発言だったと思う。

 馬車の中での事、そして今の僕を頼る発言。

 お互いがお互いを支え合ってこれまでやって来たのだ。

 僕はレイラーニを母親だと思った事は一度もない。


「じゃあさっさと始めちゃいな。アントン。魔狼ワーグが来ないかちゃんと見張っといたげるから」


 腕を組んだメリッサが僕の後ろで監督官然とした態度で言った。

 頷いて僕は腰のロングソードを引き抜く。

 そして、足もとの木道を塞ぐ小さなスライムに思い切り剣を振り下ろした。



 ♢


 2時間程剣を一心不乱に振り回し、スライムを斬りまくっていたが、流石にこれ以上は腕が上がらなくなり、僕はその場に両膝を突いた。


「お! アントン、へばったか! ならそろそろ飯にしよう!」


 僕が力尽きたのを見るやいなや、メリッサと辺りを警戒しながらこちらを見守っていたダミアンが言った。


「ダミアン、アンタ馬鹿なの!? あんなにヘトヘトのアントンに料理させようだなんて! 干し肉でもかじってなさいよ!」


 メリッサは図々しいダミアンをガミガミと叱り付ける。


「す、すまん、アントン。そうだな、お前は少し休むといい。俺は干し肉を食ってる。お前も腹が減ったなら食うか?」


 メリッサの叱責を素直に聞いたダミアンは、座り込んだ僕にリュックから取り出した干し肉を差し出した。


「ありがとう、ダミアン。ごめんね、せっかく僕の料理を楽しみにしていてくれたのに。今夜はちゃんと作るから」


 額の汗を拭いながら、僕はそう言ってダミアンから干し肉を受け取った。


「まあ、こういう事もある。晩飯に期待してるぞ! アントン」


「それなら、お昼はあたしが作ってあげようかしら? アントン程じゃないけど、それなりに料理は作れるわよ?」


「エルフのメシは味が薄すぎて口に合わん。俺は肉が食いたいのだ。エルフは肉料理は作れんだろ。トロトロで味の濃いビーフシチューとか」


「このあたしに喧嘩を売るとはいい度胸ね? ドワーフ」


「あ、いや、喧嘩を売ったわけでは……」


 目付きを変えてズカズカと近付いて来るメリッサの迫力にダミアンは怖気付いて肩を竦める。

 そこへレイラーニが静かに割り込む。


「2人共、やめてください。ここは間をとって私が作りま──」


「「いらない!!」」


 レイラーニの気を遣った言葉を皆まで聞かずに、ダミアンとメリッサは目を見開いて全力で拒否した。

 寂しそうな目をして俯くレイラーニ。可哀想だが、彼女が料理など作れない事は、最も彼女と長くいるこの僕が一番知っている。



 結局、各々がダミアンの持って来た即席で食べられるものを食べて遅い昼食となった。

 一体2時間で何匹のスライムを倒しただろう。とりあえず木道を塞いでいたスライムは一掃した。数百匹は倒しただろうが、湿原に発生しているスライムの幼生はまだまだいる。


「後どれくらい倒したらレベルアップするかな……」


 湿原の入口の大木に寄りかかって、僕は1人で呟きながらウトウトとして目を瞑った。


「『サブスクリプション』って、一体どんなスキルなんだろう」


 と、その時、僕は閉じていた筈の瞳に一瞬強い光を感じ慌てて目を開いた。


 目に飛び込んできたのは、先程まで見ていたスライムがたくさん蔓延る湿原。だが、視界の上の方に『サブスクリプション』という文字が見える気がする。いや、気のせいじゃない、この文字は僕が首を振ってもずっと視界に残り続けている。


「まさか、スキルが発動した??」


 僕は驚いて何度も瞬きをした。

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