第3話 エルフとドワーフ
「絶対にギルドに報告します!」
そう言ったレイラーニは、少しお怒り気味で冒険者ギルドの入口の方へとズカズカと進んで行った。
「お願い、やめてよ、それじゃあ僕がアイツらとの約束を破ったみたいじゃないか」
そんなレイラーニを、僕は必死に紺色のローブの袖を掴んで止める。通行人の視線が刺さるのが恥ずかしい。
するとレイラーニは立ち止まり、振り返って僕を見た。
「あんな人たちとの約束など守る必要ないです。それに、私は実際に彼らがアントンに危害を加えていたところを見たのですから、私の意思で報告するのです。昨晩は私が動けなくなってしまったから報告できませんでしたが、私がこうして動けるようになった以上、ヴィンセントさんとゲイブさんの問題行動はちゃんとギルドに報告させてもらいます」
「そんな……
僕の言葉を聞いたレイラーニは、何故か悲しそうな顔をする。
そして僕の両肩に手を置き、僕の絆創膏だらけの顔を覗き込んだ。
美しい銀髪が風に揺れ、陽の光が反射してキラキラと光る。肌は真雪のように白く、瞳は綺麗な青色。あまりにも美しい容姿に、僕は思わず息を呑んだ。
「アントン。貴方は誰に対しても優し過ぎます。優しい事はいい事ですが、時には厳しさも必要です。私は、アントンがこんな目に遭わせられて、とても心が痛いのです。だから、あの2人には、それ相応の罰を受けて貰わないとなりません」
「で、でも……もう2人も懲りたでしょ? もしもまたやられたら、その時ギルドに報告すればいいんじゃないかな?」
「一度、チャンスを与えると?」
「うん」
僕が頷くと、レイラーニは小さく息を吐いた。
「分かりました。アントンがそう言うなら、今回だけは報告しないでおいてあげます」
「ありがとう、レイ」
僕がニコリと微笑むと、神妙な顔をしていたレイラーニにも微かに笑った。
「なーにやってんのよ。レイ」
背後から投げ掛けられた女性の声。僕とレイラーニはその声の主へと目をやった。
「あ、ごめん、メリッサ。お待たせしちゃって」
メリッサ。彼女は僕のパーティーのメンバーで、パーティー内最高ランクのBランク冒険者。エルフ族で長く尖った耳を持ち、金髪の長い髪とスラリとした長身。長弓と短弓の2種類の弓を背負い、腰には大量の矢の入った重そうな矢筒を括り付けている。
クールで物静かなレイラーニと違い、明るく活発な性格の頼れる仲間だ。
「あ、いいのよ、アントン。私はどーせまたレイが遅刻したと思ってるから……って、その顔何!? どーしたの!? モンスターにやられたの!?」
僕の顔の絆創膏を見るやいなや、メリッサは目の前に来て優しく頬を撫で始めた。
大きな緑色の綺麗な瞳が僕の顔を覗き込む。そして、温かい指先が僕の頬に触れる度、どこかこそばゆい気持ちになり鼻の下を伸ばし目を逸らしてしまった。
それに、エルフの香水だろうか、メリッサからはとても幸せな気分になる優しい香りが漂い僕の心を癒す。
メリッサの胸元に見える谷間には『B』と刻まれた銀色のプレートが輝いており、それはボールチェーンのネックレスと繋がっている。
これは別にメリッサの胸のサイズを表しているわけではない。表しているのだとしたら、僕が見たところD以上でないとおかしい。
このプレートは、冒険者全員が自分のランクを証明する為にギルドから与えられる身分証のようなものだ。プレートの裏にはギルドに登録してある本人の名前が刻まれる。
もちろん、Fランクである僕も持っているが、『F』と刻まれたプレートなど自慢できるものではないので、首にかけてはいるが、プレートは服の中に隠してある
「な、何でもないよ、ちょっと転んだだけ」
僕はメリッサの色気に悩殺されかけながらも適当に怪我の事を誤魔化した。
「ちょっと転んだだけで顔だけ怪我したのか?
アントン」
今度はドワーフのダミアンが心配そうに僕の顔を覗き込んで言った。
ダミアンも僕のパーティーのメンバーで、こちらはDランクの冒険者だ。
赤い髪と繋がった綺麗に整えられた髭を口の周りに立派に蓄え、ギョロギョロとした目玉で睨まれたらそれだけで竦み上がってしまう程の威圧感のある顔をしている。
身長は僕よりも低いが、身体中に筋肉と脂肪を鎧のように纏っているので、手に持った斧での近接戦闘で彼が負けたところを見た事がない程に屈強な戦士だ。
ただ、その厳つい見た目とは裏腹に、ダミアンはとても温厚で争いが嫌いな平和主義者である。
「顔から転んだからね……、それより2人とも、待たせてごめん」
「何、全然待ってなどおらんよ。俺はアントンとクエストに行けるだけで楽しみなんだからな。見ろ、楽しみ過ぎてたくさん食材を買い込んでしまった」
ダミアンは背負っていたリュックを下ろすと中を見せてくれた。溢れんばかりの食材がこれでもかというくらいに詰め込まれている。
レイラーニもメリッサもその量を見て少し引いていた。流石に僕も苦笑する。
ダミアンがこんなに食材を持って来たのは、僕に料理をさせる為だ。
昔、良く料理が得意だった母の手伝いを一緒にやっていたから、ほとんどの料理は作れるし、掃除や洗濯、裁縫などの家庭的な仕事は一通り出来る。中性的な顔立ちの僕はよく母のお手伝いをする良い娘だと間違えられたものだ。
ダミアンは、僕の作る料理が好きなようで、いつも自分で食材を用意しては、クエストの休憩時間に僕に食べたい料理のリクエストをする。
それにしても、流石に今日の量は多過ぎる。一体何日分の食料なのだろうか。
「こ、こんなに……重くないの? ダミアン」
「この程度、どうって事ない! それより早く出発しよう! 今日でアントンのランクをEにする勢いで行くぞ!」
ダミアンはリュックの蓋を閉じると軽々と背負って歩き出したので、メリッサが慌ててダミアンのリュックを掴んだ。
「ちょっとダミアン! アンタまだ今日のクエストの内容も聞いてないのにどこ行こうとしてんのよ! アンタはアントンの料理が食べたいだけでしょ! この食いしん坊!」
「あ、そうだった! すまんすまん! まだ聞いてなかったな。レイラーニ、今日のクエスト内容を教えてくれ」
静かにメンバーのやり取りを聞いていたレイラーニは、懐から受注したクエストの詳細が記載された紙を取り出すとダミアンに渡した。
隣からメリッサが腰を曲げて覗き込む。
「Fランククエスト。イグロート湿原のスライム幼生討伐です」
「スライムの……」
「幼生討伐??」
メリッサとダミアンは眉間に皺を寄せてレイラーニを見た。
レイラーニは静かに頷いて見せる。
「この世界に存在するモンスターの中でも最弱のモンスターよ? スライムの幼生って」
「金にもならんし、数匹の討伐では経験値も稼げんぞ。害虫駆除と同等の仕事と言っても過言ではない。それこそ、アントン1人でこなせるクエストだ。何故このクエストを4人で受ける?」
メリッサもダミアンも困惑した様子でレイラーニにこの最弱クエストを受注した理由説明を求めた。
「もちろん、考えもなしにこのクエストを選んだわけではありません。ついて来たくないのですか?」
「いや、そうは言っておらん。だが、俺たちに出番がないのに、アントンの料理だけご馳走になるのは気が引けるというか……」
「アントンの料理目当てですか?」
「ち、違う! 決してそんな事は……」
「勿体ぶらないでちゃんと説明しなさいよ! レイ!」
モタモタと問答しているレイラーニとダミアンに、苛立った様子のメリッサが問う。
すると、レイラーニはクールな表情のまま口を開いた。
「今回のクエスト。討伐依頼数を見てください」
レイラーニがダミアンの持つ紙を指さして言った。
「討伐依頼数は……記載がないな。無限湧きか?」
「いいえ。無限ではありませんが、数え切れない程に多いそうです。いくら獲得経験値が少ないとは言え、数をこなせばいずれアントンのステータスもEランクに必要な数値に到達するでしょう。1つのクエストで、安全に、しかも大量に経験値を稼ぐ事が出来ます」
この世界では、モンスターを倒せば経験値が貰え、一定数貯まると自身のステータスが上がる仕組みになっている。そして、冒険者ギルド規定のステータスに達すれば、冒険者のランクが上がる。
ステータスは、冒険者ギルドに必ず1人以上設置される「鑑定官」という鑑定スキルを持つ職員に鑑定してもらう事で判明する。しかし、Cランク以上の昇格には筆記試験と適性検査が追加されるのでさらに難易度は上がる。
よくヴィンセントたちは適性検査に通ったものだとつくづく思う。
ちなみに、鑑定官が鑑定出来るのはステータスだけではなく、冒険者が1人につき1つ有する固有スキルの鑑定も可能だ。僕の『サブスクリプション』も鑑定官に鑑定してもらって判明した。まあ、サブスクリプションは、そのスキル自体が初めて発見された激レアスキルのようで、能力については分からないらしいのだが。
「それはアントンにとっては都合のいいクエストね。でもそれじゃあ私たちが同行する理由の説明にはなっていないわよ?」
いつの間にかダミアンから紙を取り上げて読み込んでいたメリッサが指摘する。
「近くのペディ平原に、
「
「それは万が一アントンのクエスト中に遭遇したらちとキツイな……なるほど、だから念の為に俺たちを呼んだのか」
メリッサもダミアンも一気に顔付きが変わった。
僕も大型の狼のようなモンスターである
だが、相変わらずレイラーニは顔色を変えずに淡々と話を進める。
「念の為確認しましたが、今回のクエストの現場にも、途中の経路にも
「備えあれば憂いなし……という事か」
ダミアンが赤い髭を撫でながら呟いた。
「分かったわ。別に元々文句があるわけじゃなくて、どうしてなのかな? って思っただけだから。あたしはダミアンと違って料理がなくてもアントンに付き従うって決めてるし」
「バカを言え、小娘! 俺だって料理がなくともついて行くとも! アントンには恩があるんだ! 俺の一生をかけてもその恩に報いる為にこの身を尽くすつもりだ!」
「小娘ですって?? 言っとくけど、アンタよりずっとあたしの方が歳上だからね? ドワーフ!」
「あー、分かった分かった。もうお前と言い争うのは勘弁だ。さっさと行こう!」
「口じゃあたしに勝てないものね」
「違う! 俺は平和主義者なんだ。口喧嘩もしない事にしている」
相変わらず騒がしい2人に、僕は苦笑を浮かべる。
「行きましょうか、アントン」
カツン、と僕の横でレイラーニは杖を付いて並んだ。
だから僕は、僕のやるべき事をやろう。
こんな弱いFランクの僕を見捨てずに一緒にいてくれる仲間たちの為に。
そう決意した僕は腰に挿したロングソードを少しだけ抜いてその刀身の輝きを確認すると、レイラーニと共に、先に歩き出したメリッサとダミアンの後を追うのだった。
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