第2話 喧嘩
無事明日のクエストの受注も出来たので、後はレイラーニと近くの安宿に帰るだけだ。
しかしながら、見た目が良い彼女はギルドでは人気者なので、すぐに他の冒険者たちに声を掛けられる。
お人好しのレイラーニは、善良な冒険者たちからの誘いを断る事が出来ない。
そんな彼女に、僕も一緒に付き合いたかったが、集会所に漂う酒の匂いで気分が悪くなり、僕は先に外に出て待っている事にした。16歳である僕は酒なんて呑んだ事はない。だが恐らく匂いだけで気分が悪くなるという事は、きっと強くはないのだろう。
外の空気は心地良い。
夜空には星々が瞬き、夜の闇を照らしている。
僕はギルドの入口の前の段差に腰掛けて、そんな綺麗な夜空をボーッと眺ていた。
ギルドの中から人々の話し声が微かに聴こえるだけで今日はとても静かな夜だ。
ところが、僕の耳に忌々しい声が飛び込んで来た。どうやらギルドの中から聞こえているものではなさそうだ。
「中々落ちないな、レイラーニの奴。どう思う?
ゲイブ」
それはヴィンセントの声だった。ギルドの脇の路地の方から聞こえる。
ヴィンセントは連れのゲイブと、レイラーニの話をしているようだ。
僕はヴィンセントが裏でどんな話をしているのか気になり、2人にバレないように壁に張り付いて話の続きを聴く事にした。
「魔法使いってのは俺たち人間の10倍は生きる。その分人生の経験値も違う。何百人という男に言い寄られてきたに違いない。俺たちのやろうとしている事に見当が付いてるんだろう。人間の女を落とすのとはわけが違う。正攻法じゃ無理だぜ、ヴィンセント」
ゲイブは煙草を吹かせながらサラサラの黒髪をかき上げて言った。
だが、ヴィンセントはゲイブの話を聞いて鼻で笑うと咥えていた短い煙草を吐き捨て靴で踏み潰して火を消す。
「それもあるだろうが、一番の障害は、やはりアントンだろう。レイラーニのアントンへの信頼っぷりは異常だ。あのFランクのガキのどこにそんな魅力があると思う?」
「さあな。男の俺には分からんよ。母が息子を思う気持ちとかじゃねーのか? 母性ってやつだ」
「母性? くだらねぇ。そんなくだらん感情のせいで、俺はレイラーニを仲間に引き込めないのか? 冗談じゃない。魔法使いは俺たちが成り上がる為には絶対必要なんだ」
「1つ、俺に考えがあるんだが……」
「待て、ゲイブ」
ゲイブの提案を遮ったかと思うと、ヴィンセントは急に静かになった。
僕は息を潜めて2人の会話の続きに耳を傾けたが、聞こえて来たのは話の続きではない。
「ネズミがいる」
ヴィンセントのその言葉にハッとした僕は、急いでその場から離れようとギルドの中へ逃げ込む為舵を切ったが、既に僕の襟首をヴィンセントが掴んでいた。
「Fランクなんかが気配を消してCランク様の話を盗み聞き出来ると思ったか? こっち来いや」
最悪だ。レイラーニがいない時にヴィンセントたちに捕まった。僕は逃げようとするが、ヴィンセントの力に敵う筈もなく、呆気なく路地裏へと引きずり込まれた。
「なぁ、アントン。俺はな、レイラーニをパーティーメンバーに誘いたい。何故か分かるか?」
壁に押し付けられた僕は恐怖のあまり声も出せずにただブンブンと首を横に振る。
「あいつはな、お前なんかと一緒にいるべきじゃない。俺たちのような冒険者としての素質のある人間と共にいるべきなんだ。それが、あいつの為だ。お前、レイラーニの事好きだろ? 女としてじゃなくてもいい、
「保護者……?」
そんな風に思われていたのか、という事実に、僕はショックを受けた。確かに、年齢的にはレイラーニは魔法使いという種族故に人間である僕よりずっと歳上だ。しかし、見た目はさほど変わらない、少し歳上のお姉さん。だから保護者だなんて思った事はない。むしろ、れっきとした仲間だと思っている。
それなのに、他人から見たらレイラーニは僕の保護者に見えるのか。
「保護者だろ? どう見ても。なあ、ゲイブ」
「ああ。いつもお前はレイラーニの後ろに隠れているだけのクソガキ。1人でクエストの受注も出来ないヘタレだ。レイラーニママがいないと何も出来ないじゃないか、カス」
ゲイブは煙草を咥えたまま僕の顔の前で見下すように嗤う。煙草の煙で僕はゲホゲホと咳き込んだ。
「ゲイブ、言い過ぎだ。アントン泣いちまうぞ」
ヴィンセントは僕が咳き込んでいるのを見て楽しそうに言った。
「いいか、アントン。お前がレイラーニを大切に思うなら、お前の口からパーティー解消を言い出せ」
「え……」
「それがあの女の為になるんだよ。男ならあの女を自由にしてやれ。きっとレイラーニはだらしないお前の子守りをしなきゃという想いで俺たちの誘いを断ってるんだ。だけどな、冒険者になったからには上のランクを目指したいはずだ。でなけりゃ、一生貧しい生活を強いられるんだぞ?
そろでもいいのか?」
ヴィンセントは諭すように僕に言う。
レイラーニの真意を僕は聞いた事がない。もし、レイラーニがヴィンセントの言う通り、僕の子守りの為に僕とずっと一緒にいてくれるのだとしたら、確かに自由にしてあげたいと思う。……けど……
「どうだ? ハッキリしろよ、アントン。レイラーニの為にパーティー解消を言い出してくれるな?」
優しい言葉で威圧的に言うヴィンセント。
その隣で僕を睨み付けるゲイブ。
「はい」と言えばここから逃げられるだろう。でも僕はまた首を横に振った。
「嫌だ……僕がレイとパーティーを解消したら、貴方たちがレイをパーティーに入れる。僕はレイを貴方たちと一緒にいさせたくない」
「何だとクソガキ!!」
怒号を上げ拳を振り上げるゲイブの腕をヴィンセントは掴んで止めた。
「何すんだよヴィンセント!?」
「待てよ、ゲイブ。冒険者同士の暴力行為は規則で禁じられている。破れば最悪冒険者の資格を剥奪されちまう」
「だけどよ、このガキ、生意気な事ほざきやがったんだぜ? Fランクの癖に! スキルもないくせによぉ!」
激昂するゲイブをヴィンセントはさらに宥める。
「分かってる。俺もぶちのめしてやりたいさ。だからよ、アントン。取引しようぜ」
「……と、取引?」
「そうだ。お前はレイラーニと別れたくないんだろ?」
僕はコクリと頷く。
「お前が今ここで、大人しく俺たちのサンドバッグになるんなら、俺はレイラーニを諦めよう。もちろん、その暴力行為はお前の同意のもとに行われるんだから、ギルドは介入出来ない。どうだ?」
あまにもふざけた条件に、僕は返事も出来ずに固まった。鬼の形相だったゲイブは満足そうにケラケラと笑い出した。
「答えは? アントン」
首に押し付けられたヴィンセントの太い腕に力が入る。
レイラーニの事を考えたら、僕の答えは1つだった。
「分かりました。それで……いいです」
すると、ヴィンセントとゲイブは目を丸くして僕を見た。僕の返事は予想外の答えだったらしい。
「コイツ、頭おかしいのか? レイラーニを諦めるか、どっちも嫌だとか言い出すと思ったんだが……」
「俺もだ」
2人は自分を犠牲にしてまでレイラーニを庇った僕の選択を頭がおかしいと言った。僕は頭がおかしいのか? いや、そんな事ない。レイラーニをコイツらに渡すくらいなら、僕が殴られるのを我慢すればいいだけの話なのだから。
「決まりだな」
そう呟いたヴィンセントは、いきなり僕の頬を殴り飛ばした。
華奢な僕の身体は軽々と吹っ飛ばされて地面を転がった。
「反吐が出るくらいに貧弱だな、身体も思考も!! お前なんかのせいであの魔法使いを手に入れられないと考えるだけで腹が立つ!!」
ヴィンセントは転がった僕を追い掛けて腹に蹴りを入れた。
「ぐぅっ……!!」
「俺にもやらせろよヴィンセント!」
続けてゲイブが腹を押さえて苦しむ僕の顔を蹴り飛ばした。
「っ……!!」
激痛のあまり、僕は悲鳴も上げられない。
僕の軽い身体はギルドの壁に激突した。
「起きろFランク!」
ヴィンセントに胸ぐらを掴まれて引き起こされ壁に叩き付けられる。僕の鼻や口からはトロトロと真っ赤な血が流れている。
3発食らっただけでもう身体が動かない。
意識が朦朧とする。
ヴィンセントはまだ殴る気だ。これ以上は耐えられる気がしない。「ごめんなさい」と言ったらやめてくれるかもしれない。でも、そんな事したら、またコイツらはレイラーニをしつこく誘うだろう。
あんなに優しいレイラーニ、僕なんかを庇ってくれるレイラーニ。僕の恩返しはここで殴り殺される事……
「オラァ! 眠ってる場合じゃねぇぞ! アントン!!」
ヴィンセントの怒号。振り上げた拳が僕の顔へと狙いを定める。
「やめなさい」
どこからともなく聞こえた声に、目を瞑り掛けた僕は目を見開いて声のした方を見る。
すると、ギルドの壁をすり抜けてグレーの衣装を見に纏った魔法使い、レイラーニが現れた。
「レイ……」
「か、壁を……??」
「魔法か?? 壁抜けなんて見た事ねー……」
ヴィンセントもゲイブもレイラーニの突然の登場には驚いたようで口をポカンと開けて目を奪われていた。
そして、こちらを見たレイラーニの瞳を目の当たりにしたヴィンセントは僕の胸ぐらを掴んでいた手を離したので僕は地面に尻もちを着いた。
「あ、『
「……やべえよ、ヴィンセント、ずらかろうぜ」
狼狽える2人に、レイラーニは杖の先の白く輝く魔法石を向ける。
レイラーニの綺麗な碧眼は、まるで怒りに燃え上がるような真っ赤な色になっていた。僕がその瞳を見るのは二度目だ。
「じょ、冗談だろ、魔法使いが、人間相手に魔法なんて」
「無抵抗のアントンを大人2人が一方的に痛め付けるなんて……冗談では済ましません」
怒りに震えるレイラーニの魔法杖からは緑色に輝く魔法陣のようなものが現れた。
「わ、分かった分かった! 行くぞ、ゲイブ!」
慌ててヴィンセントはゲイブを連れてその場から走り去った。
「あ、ありがとう、レイ……」
僕はすぐに礼を言ったが、レイラーニはその場に崩れるように倒れた。
「ちょ……! レイ!? ああ、魔力少ないのに
僕はボロボロの身体に鞭打って、レイラーニのもとへ駆け付けるとすぐに抱き起こした。
レイラーニは倒れてしまっただけで意識はある。瞳の色はいつもの綺麗な青色へと戻っていた。
「アントン……無事で良かった……無事……ですよね?」
眉をひそめ、レイラーニは血塗れの僕の顔を見て尋ねる。
「うん、無事だよ、レイ。ありがとう」
僕がそう答えると、レイラーニは優しく微笑んだ。
何とか危機を免れた僕だったが、この後宿で事情を話してレイラーニにこっぴどく叱られるのだった。
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