頭来たって話。

 放課後になった。


 すでに時刻は三時半。下校の時間だ。


 いつも通りいっちゃんと駅まで帰り……といきたいところだったが、今朝に洗濯洗剤を切らしていたことを思い出し、僕はいっちゃんと別れて買いにいくことになった。


 家の周辺にある店へ買いに行くこともできたが、この辺の地理にはさほど明るくないので、買い物ついでにそれを見ていくのもいいかなと思ったのだ。


 そういうわけで、僕は校門を出ると同時にいっちゃんとお別れし、店へ向かった。


 その道中である——目の前のと対したのは。


「な、なんだコイツ!?」


「と、取り押さえろ! 動けなくしてフクロにして——ぐぼぉ!?」


 ケンカである。


 ブレザー制服を着た七人の男。そのブレザーは学生服だ。たしか、池越高校イケ高だったか。


 そのイケ高生だが、七人中すでに三人が倒れている。あ、四人目になった。


 それをやったのは、一人のヌマ高生だった。


 ささくれのある無造作な黒髪、その前髪の奥から覗く冷め切った眼差し。180センチほどの背丈を誇る、細身でありながらどことなく凝縮感を感じさせる体格。


樺山かばやま孝治こうじ……!」


 僕は思わず口にしていた。

 

 相手は七人いたはずだ。しかし樺山のあの冷めた眼差しには些細な変化も無く、汗の一つもかいていない。呼吸の乱れさえ無い。まるで羽虫の群れでも払っているかのような日常感。


「ごぼぁ!?」


 樺山の前蹴りをモロに喰らったイケ高男子が、大きく後方へ吹っ飛ばされた。


「うぉっとぉ!?」


 その男子は僕のところまで吹っ飛んできたので、思わずぴょいんと避けた。あ、あぶないなぁ。


 結構大きめに叫んだつもりだったが、樺山は僕に見向きもしない。ケンカに夢中であった。


「……逃げよう」


 あんなやばいヤンキーと同じ道端になんていられるか。僕は洗剤を買いに店に行く。


 そう思い、別ルートを通るべく背中を向けようとした時だった。


 視界の端っこに、ソレはいた。


 ——女の子っ?


 ランドセルを背負った小学生の女の子が、呆然と突っ立っていた。


 なんで逃げないんだ! と言いたいところだが、目の前で起こっている大の男同士の殴り合いは小学生にはいささか刺激が強すぎる。びっくりしすぎると、人は逃げるどころか硬直してしまうものだ。


 次の瞬間、恐れていた事態は起こった。


 樺山に蹴飛ばされた男が、その女の子めがけて飛んできた。


「ああ、もうっ!」


 僕はありったけの脚力で地を蹴り、女の子へと駆け寄った。














「う、嘘……だろ? 何人いると思ってんだ」


 最後の一人になったイケ高生は、蒼白になっていた。


 それを冷めた半眼気味の瞳で見ながら、孝治はゆっくりと歩み寄る。


「ひっ……!!」


 最後の一人は、まるで雷を見つめた小動物のような震え方をしていた。


 ——これが、「団子」の最後の一粒のお決まりパターンだ。


 寄りかかれる仲間がいなくなり、一人になった途端、「団子」の魔力で覆い隠していた「弱者」が剥き出しになる。


 現実を思い知った勘違い馬鹿を殴ることの、なんと気持ちの良いことか。


 自分がケンカをやめないのは、この惨めで矮小な「最後の一粒」を踏み潰す快感のためかもしれない。


 孝治はまた一歩近づく。


「うああああああ!?」


 その「最後の一粒」は、泣き叫ぶような声をあげて逃げ出した。


 孝治はそれを追いかけようとした。


 その時だった。




「——おい、待てよお前っ!!」




 幼さの残る少年の鋭い怒声が、孝治に静止を訴えた。


 止まる理由など無かったが、それでもあえて止まったのには理由があった。


 声の主が、月波幸人つきなみゆきとだったからだ。


「……あ?」


 孝治は後方に立つ幸人へ視線をくれてやる。


 怒っていた。


 表情と立ち姿すべてに、非難のニュアンスを感じる。


 そんな幸人の隣には、おかっぱ髪の女児が一人いた。ランドセルと背格好からして、小学校低学年ほどであると推定。不安そうな顔で、自分と幸人を交互に見ていた。


「この子に一言謝れよ! この子は君のケンカに巻き込まれたんだ! 君が蹴り飛ばした奴が、この子にぶつかりそうになったんだよ! ケンカするのは君らの勝手だけど、もっと周りを見てやれよっ!!」


 幸人は憤りを保ったまま、そのように孝治を批判した。


 ——幸人の言い分は、まったくもって正しかった。


 しかし、孝治は素直に謝罪をする気にはなれなかった。


 幸人こいつは今、臆することなく、たった一人で堂々と自分と向き合っている。


 そんなちっぽけな身のくせに。


 しかも先ほどの、自分の圧倒シーンを目撃していたはずだ。


 その上で、ああやって真っ向から意見している。


 ——はどこだ?


 分かりきっている。『雷夫ライオット』という、頼れる頼れる後ろ盾だ。


 その後ろ盾ありきの勇敢さ。


 すなわち——「団子」。


 味方がいないと何も出来ない団子の発言など、肯定する気になれなかった。一考の価値すら無い。


 孝治は鼻を鳴らして冷笑した。


「知らねぇよ。俺がどこでだれ殴ろうが、俺の勝手だろうが。巻き込まれたくないならとっとと逃げりゃいいだけじゃねぇか。自分の安全を他人に委ねてんじゃねぇぞ、団子が。死ね」


 幸人は、気圧されたように表情を緊張させた。


 しかし、すぐに気迫を取り戻し、再度言った。


「そんな態度ばっかりとってると、みんなに嫌われるよ。君は一人になりたいのか?」


 孝治は「ぶっ!!」と吹き出した。ことさらに。あからさまに。相手を煽るように。


「——ああ、なりたいねぇ!! なりたくて仕方ねぇよ!! 群れて調子こくしか能が無ぇ、一人じゃ何もできねぇ、そんなカスだらけの世の中から孤立できるならしてぇよ!! 大喜びでなぁ!!」


 呆気にとられた様子の幸人に、孝治はさらにたたみかけるように発した。


「いいか? テメェらは「団子」だ。一人じゃ何も取り柄がねぇ、何も主張できねぇ、その勇気がねぇ、だから誰かに寄りかかって依存して、その群れに対するチンケな帰属意識でモノを語ってるどうしようもねぇカス共だ。俺を糾弾すんのも結構だが、まずはテメェ自身が団子である身の程を知りやがれ」


 幸人はうつむいて、押し黙る。


 そんな幸人に踏み込み、その胸ぐらを掴み上げた。


 怯えで揺れるその瞳を刺すようにして、孝治は至近距離から睨みを向けた。


「言っとくがよ、俺は今テメェをぶん殴っても、一ミリも後悔なんかしねぇぞ。『雷夫ライオット』? それがどうしたよ? 群れて排ガス吹かして迷惑撒き散らしてヘラヘラ笑ってるようなカスどもなんざ、俺が一人残らずぶっ殺してやんよ。どうせあのリーダーの女も「団子」だろ? 群れの価値ありきで評価されてるに過ぎねぇ。群れを潰して、一人になったあの女の細腕をへし折って、気絶するまで蹴りまくってやる。泣いて喚いても許さねぇ。黙るまで延々とな」


 ここまで言えば、さすがに怖気付くはずだ。


 「団子」は、自分の属する群れの価値を否定された途端に勢いを無くす。次の瞬間、即席の自信は弱まるだろう。


 しかし、次の瞬間訪れたのは——向こうずねの鋭い激痛だった。


「だ——!?」


 突発的にやってきたその痛みによって、孝治の思考が一瞬真っ白になった。……幸人の胸ぐらから我知らず手が離れる。


 その正体は、幸人のローファーの硬い爪先だった。


 さらに幸人は右肩を先にして、寄りかかるような体当たりをしかけた。


 小柄で軽い体だが、それでも人間というのは数十キロある重い物体だ。それが勢いよくぶちあたれば、体格差など関係無しに

 

 痛みでひるんで足から力が抜けていたこともあり、孝治の体は大きく後ろへ投げ出された。


「ぐぅっ……!」


 孝治はぶっ倒れる。


 大した痛みではない。


 しかし、あんな弱そうな少年にという事実に、衝撃を隠せなかった。


 初めての体験だった。


 幸人は、そんなまごつく自分を見下ろしていた。


 静かな怒りをたたえた瞳で。


「——呼ばないよ」


「んだと……?」


「『雷夫ライオット』は呼ばない、って言ったんだ。……君みたいなチンケな奴を殴らせたら、彼らの経歴に傷がつく」


 孝治は大きく目を見開いた。


 ざっ、と一歩進む幸人。


「……僕は桔梗ききょうさんのおかげで、あんな地獄みたいな学校でもマトモに生きられるようになったんだ。その桔梗さんをへし折るだって? ……そんなこと、


「テメェ……!」

 

「何してんの? さっさと立ちなよ。そのまま顔面蹴ってほしいなら別にいいけど」


 その言葉を聞いた途端、尾骶骨びていこつから脳天に向かって激情が突き上がった。


 ——ぶち殺す。


 激情のもたらす熱のおもむくまま、孝治は勢いよく立ち上がった。




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 ユキちゃん、そこはわざわざ警告せずに、問答無用で顔面蹴った方が戦略的でしたね。

 日に日に姑息になってますが、まだ甘さが残っています。

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