団子

 ——もうやめちまおうか、あんな学校。


 水曜の放課後。


 一人で帰り道を歩く樺山孝治かばやまこうじはふとそう思った。


 歩くたびに、周囲の人々が慌てて道を開ける。ヌマ高の制服に恐れをなしているのだ。


 どんなに弱い奴でも、この制服を着ているだけで実力の数倍以上は評価される。不良の世界では最高級ブランドなのだ。


 しかし、その内情は、他の学校と全く変わらない。


 一人で何もできない弱虫同士が「団子」となり、その「団子」と己を同一化して自分もすごくなったような即席の優越感を手に入れ、その「団子」が崩れれば途端にただの弱虫に戻る……他の学校の例に漏れず、そんなカスばかりである。


 いや、学校だけではない。この現代日本という社会そのものが、そんな「団子」で吹き溜まっている。


 孝治はそれを山ほど見てきた。


 そんな社会の中で「団子」を蔑視している自分。まるでこの社会の人間全てから孤立したような疎外感、生きづらさを感じる。


 しかし、どれほど孤独を感じたとしても、孝治は「団子」になることを良しとはしたくなかった。


 プライド? それもある。あんな情けない生き方は御免だ。




 だがそれ以上に——


 


 孝治が小学校四年生の頃に亡くなった、孝治の祖父。


 大正生まれで、元海軍幹部で、関東大震災も先の大戦も経験している。そんな年の功にあふれた、底抜けに優しい好々こうこうだった。


 孝治はそんな祖父が大好きな、超が付くおじいちゃんっ子だった。


 毎年の夏休み、東京にある祖父の家へ遊びにいくのが一番の楽しみだった。


 車でいろんな場所に連れて行ってもらうのが楽しかった。

 一緒に魚を釣るのが楽しかった。

 農作業の手伝いをするのが楽しかった。

 知らない草花の名前を教えてもらうのが楽しかった。

 祖父が行う薬丸自顕流やくまるじげんりゅうの鬼気迫る稽古を、側から眺めているのが楽しかった。


 さらに、祖父はいろんな話をしてくれた。


 人生経験の塊みたいな人だったので、いくら話しても話題は無尽蔵だった。


 けれど、そんな祖父は話をするたび、決まって出す話題が一つだけあった。




 それは——祖父が若い頃に経験した、だった。




 日本は昔、アメリカと戦争をしていた。

 

 初期の頃には比較的優勢だったが、しょせんは彼我ひがの戦力差もかえりみなかった無謀で無策な戦争だ。ほころびは来るべくして来た。


 日本はあっという間に、不可逆な劣勢に追いやられた。


 度重なる作戦の失敗、人命と兵站を軽視してでもメンツを保ちたがる参謀本部、軍人のクリティカルシンキングの欠如、捕虜になることを許さぬ戦陣訓せんじんくん、世間の同調圧力、どう転んでも取り返しのつかぬ悪夢の戦況——


 日本を「特攻」という狂気に盲進させる材料は、すべて揃っていた。


 海軍少佐であった当時の祖父は、日本中をとりまくその狂気に真っ向から「否」を唱えた。


 特攻などという、失う命に比して得るモノの少ない愚かな作戦はやめるべきだ——軍事的リアリズムに基づいてのその進言はしかしNOを告げられ、さらには罷免ひめんさせられた。


 軍を去った後も、非国民、奸賊かんぞく、不忠者……異音同義のそしりを世間から浴びせられた。さらには、家に放火もされた。


 やがて、日本は歴史的大敗を喫する。


 東京は瓦礫だらけとなり、隅田川は遺体で埋まり、給食のムニエルのような魚料理が高級料理扱いされるほどの食糧不足となり、日本は戦勝国アメリカの属国と成り下がった。


 だが、そんな悲惨な敗戦を引き起こしたのは、アメリカだけではない。


 思考を放棄して「団子だんご」となりたがる、日本人の従属的気質であった——そのことを、祖父は天寿をまっとうするまで何度も孝治に言い続けた。


 さらに祖父は言った。

 ——お前は「団子」になるな。

 ——他人に己の意志をゆだねるな。

 ——お前は、自分の意志をしっかりと持ち、ならぬことを「ならぬ」と言える大人になりなさい。


 孝治は、祖父が大好きだった。


 だから、そんな祖父の願う人間になりたいと思った。


 「団子」になることを良しとせず、「自分」を確立して、その「自分」を貫く……そんな人間に。


 ——しかし、それは戦時中だけでなく、数十年経った戦後現代においてもだったようだ。


 孝治は小学校五年の頃、いじめられていた同級生の男の子を助けるために、いじめっ子の主犯格を殴り飛ばした。


 もともと体が強い方だった孝治のパンチは、いじめっ子を一撃で戦意喪失させた。その光景に、いじめっ子の取り巻き達も完全に血の気を失っていた。


 ……だが、それで話は「めでたしめでたし」とは終わらなかった。


 カエルの子はカエルとはよく言ったものだ。殴られたいじめっ子の母親が学校に乗り込んできて、「ウチの子がイジメなんかするはずない。殴った子をウチの子の前で土下座させて」と言い出したのだ。


 前半部分は我が子を信じる涙ぐましい母性愛を感じさせるが、後半部分は明らかに理不尽な要求だった。子供のケンカに親が出てきて、なおかつ土下座というただならぬ行いを強要してきたのだから。


 何より、自分は正当な理由で拳を振るったのだ。むしろ、謝るのは相手の方だろう。


 しかし、教師というのは自分の想像をはるかに超える馬鹿だったようだ。


 孝治の担任であった若い女教師はヘラヘラと空疎くうそな笑みを浮かべ、猫撫でっぽい気持ち悪い声で「……謝って? そうすれば全部終わるから」などと言い腐った。


 孝治は謝らなかった。謝る理由が見当たらないのだ。そもそもイジメが起こったのは事実なのだ。まずはそっちを突っ込むべきであろう。


 しかし、誰もその言い分を信じなかった。


 主犯格らが口をつぐんでいるのは言うに及ばず。教師どもも、相手の親も自分の親も、孝治を信じるどころかまともに話すら聞いてくれなかった。その言葉しか知らないオウムのように「早く謝れ」とばかり。


 ……助けてやったいじめられっ子すらも、口を開こうとしなかった。


 腹にえかねた孝治は、主犯格のいじめっ子が一人になったところを狙い、捕まえた。


 イジメをした事実を親に白状するように要求——しようとした。


 いじめっ子は


 まるで化け物を前にしたように怯えた表情を浮かべ「ごめんなさい、ごめんなさい」と繰り返して謝るばかりだった。


 仲間とつるんでいる時や、保護者がそばにいる時のような強気の表情ではなかった。


 ……


 それを見た瞬間、孝治は全身の力が抜けるのを実感した。


 失望したのだ。


 あれだけ偉そうで傲慢で見下し精神にあふれていた奴が、自分より強い相手に一人で相対した瞬間、小動物のようにしおらしくなったのだ。イジメをするような汚い奴でも、そこは気概を見せてくれると孝治は思っていた。


 結局、そいつにイジメを無理やり自白させたことで、事件は解決。孝治の潔白は証明された。


 ——しかし、その事件の後も、孝治は「そういう人間」を山ほど見てきた。


 集団になった途端強気になる人間、

 集団から離れると弱気になる人間、

 自らをおとしめてまで「集団」に加わりたがる人間、

 明らかに間違ったことに「ノー」と言えず、「集団」のルールを優先する人間。


 吐き気がした。


 孝治は確信する。


 ——今の社会は、祖父が嫌っていた戦時中から


 自らの意見を持たない言えない有象無象が「団子」になっただけの烏合うごうの衆。


 「団子」の力を、自分の力だと錯覚した衆愚。


 今も昔も同じだ。


 この現代も、馬鹿と屑の百鬼夜行だ。


 そんな連中の評価など気にもならなかった。だから、勉強をまったくせずに図書室に入り浸り、最底辺の沼黒ぬまくろ高校に入ったとしても、何の負い目も感じなかった。


 むしろ、安い学費で済むのだから得だと思ったくらいだ。それにヌマ高だって高校だ。大学に行こうと思えば行ける。それを考えれば、なんと慈愛に満ちた高校であろうか。


 不良だらけな普通じゃない学校だったとしても、それは見方を変えれば、他の学校では見えない「別の風景」が見えるかもしれないということだ。


 しかし、やはりここも「同じ」だった。


 ここにも「団子」しかいなかった。


 そんな苛立ちをくすぶらせながら、孝治は下校していた。


「……ちっ」


 ちょうど足元にあった空き缶を、その苛立ちに任せて蹴っ飛ばした。


 空き缶は大きくアーチを描き、自販機横のゴミ箱に入る——と思ったら、通りがかった制服姿の男子の頭にかつん、と当たった。


「てっ……誰だコラァ!?」


 その男子はカッとなって叫んだ。茶色く染色された髪やピアスといった要素がって感じのその男とその周囲の男子らは、この辺にある池越いけごし高校のブレザー制服を着ていた。


 通称は「イケ高」。ヌマ高ほど酷くはないが、偏差値が低くて不良がそこそこ多い学校だ。


「悪かった。ゴミ箱に入れようとしたんだがな」


 孝治は素直にそう謝罪した。


 それから缶を拾ってゴミ箱へ今度こそ投げ入れ、立ち去ろうとした時だった。


「——おぅ、待てやコラ。ただで帰れると思ってんのか?」


 イケ高生たちが、孝治の周りを囲ってきた。


 孝治は淡々と言った。


「謝ったろ。それでいいだろうが」


「テメェが良いってだけだろうが。こっちの気はおさまってねぇんだよクソカスが」


 缶をぶつけられた男に次ぎ、他のイケ高生も刺々しく言う。


「ヌマ高の奴だろ、お前? その詰襟ツメエリ着てるからって、強くなった気になってんじゃねぇぞ」


「ハナクソ以下の雑魚野郎でも、その制服通せば強キャラバフだもんなぁ? ざけんじゃねぇぜタコが」


「テメェらのそういうところが、前々からムカついてたんだよ」


「その詰襟が無きゃ、テメェなんざただのチンカスだって思い知らせてやんよ、ああぁ!?」


 口々にすごんでくる連中の数は、全部で七人。


 孝治が黙っていると、そのうちの一人が胸ぐらをいきなり掴んできた。


「おいコラなんか言えやこのゴミィ!! ナメてっとぶっ殺——」


 孝治の拳がそのイケ高生の頬に炸裂。


 ド派手にぶっ飛び、缶ゴミ箱に頭から突っ込んだ。


「ゴミはテメェだろ。ゴミはゴミらしく入ってろや」


 孝治のその言葉とともに、残り六人からさぁっと殺気が吹き上がる。


 今のワンパンでゴングはすでに鳴っている。


「——団子どもが」


 孝治もそう呟き、「心構え」をした。


 ぶちのめす時は「ぶちのめす」以外何も考えない。


 「ぶちのめす」を中心に、冷静かつ合理的に、何人いようと相手を「ぶちのめす」。……一太刀に全てを賭ける、祖父の薬丸自顕流の稽古から学んだ精神だった。


 結局、薬丸自顕流を学ぶことはついぞ無かったが、その「精神性」は学んだ。


 孝治が思うに、自顕流は「殺しの禅」だ。


 目の前の敵を初太刀しょたちで斬り殺す——それ以外の雑念を全て捨てて、全身全霊の初太刀を発するその実直な剣術は、余計な考えを削ぎ落とす「禅」を思わせる。

 

 ————ぶちのめす。


 次の瞬間、孝治の思考からそれ以外の全てが消えた。


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