肉を切らせて骨を断つ話。

 最近になって、僕は新しい自分を知った。


 僕は、自分で思っていたよりも、熱くなりやすい性格だったようだ。


 久里子さんとの一件でもそうだった。眼光の怖かった彼女を衝動のまま非難し、なおかつ皮肉をつらねて威嚇した。


 人は、自分だけでは「自分」の性質に気づけない。


 どんなに超がつく美人さんでも、誰もいない絶海の孤島にいたら自分以外に基準が無いので、美人かどうかもわからない。それと同じだ。


 樺山かばやまにいろいろ言われたことで、僕は完全に頭に血がのぼってしまい、思わず手を出してしまった。いや足か。


 僕の先制攻撃は、見事に効いたようだ。


 ……けれど、それでも現実というのは非情だ。


 僕はサイヤ人じゃない。怒りで強くなんてなれない。


 熱くなったところで、樺山との圧倒的な実力差を埋められるわけがない。さっきの攻撃は、不意打ちだからなんとかなったのだ。


 ——「万里一空」の大切さを説いていた武蔵ならば、激情に流されることを良しとはしないだろう。


 僕は今更ながら、樺山にケンカを売ったことを後悔した。


 しかし、もう始まってしまった。


 樺山はやる気満々だった。


 立ち上がった樺山は、噴き出さんばかりの怒気を宿していたが、すぐにそれは消えた。


 ……いや、違う。凝縮されたのだ。


 黒い前髪の奥に見える、半眼気味な瞳。一見冷めているように見えるが、その奥には殺気がくすぶっている。


 次の瞬間——樺山のその眼差しが、僕の視界の中で


「————っ」


 身構えるどころか、反応さえ出来なかった。


 僕の左頬に、墓石が高速でぶつかったかのごとき強烈な重みが衝突した。


 衝撃が頬を突き抜け、右側頭部に波及し、さらにそのはるか遠くにまで届いたかのごとき錯覚を覚えた。


 経験したことのないようなその重圧の衝突の正体は、樺山の拳だった。


 それを認めた瞬間、僕の六十キロの五体が


 ゆるやかなアーチを描いて滑空する我が身を他人事のように感じてから、地面に背中から落下。


 それからも数度転がり、ようやく止まった。


「…………あ、ああ……?」


 思い出したように、顔面にじんわりと鈍い激痛が広がった。しかし、その痛みがひどく他人事みたいに思える。


 鼻から口元に達するとした流れは、舐めてみると鉄の味。


 ——なんだ、今の……


 しかし僕の中では、痛みよりも驚愕の方が強かった。


 なんて衝撃だろう。


 あの佐竹の回し蹴りが、子供みたいに思えてくる。


 人間に、こんな力が出せるものなのか。


 ああ、痛い。痛すぎる。


 この激痛を自分の痛みと認めた途端、全身がかたかたと震えをきたした。


 立ち上がりたい。しかし、体が言うことを聞いてくれない。立ちたくないと駄々をこねている。


 精神と肉体を分断させるほどの一撃。


 こんなの、しらない……


 僕はぼんやりした思考のまま、樺山を見た。殴られた位置は結構遠い。ざっと目算して十メートルか。ふざけるな、どんなパンチだ。


 樺山はゆっくりと、重々しく歩み寄ってくる。


 僕の近くまで来ると、胸ぐらを右手で掴み上げ、強引に立たせた。


「おう、コラ、団子。ご立派な言葉吐き腐ってた割に随分とあっけねぇじゃねぇかよ? ちゃんとメシ食ってんのか、あぁ?」


 その悪態に、僕は言い返す言葉も余裕も無かった。ただ、か細いうめきをもらすのみ。


「無力だなぁ? 群れに依存してねぇと自分を保てねぇカスはよぉ?」


 樺山は笑っていた。


 嬉しそうに、何かを期待しているように、いびつにわらっていた。


「なぁ。いい加減認めろや。テメェは「団子」なんだよ。群れに依存してなきゃ主張も出来ねぇカスなんだよ。とっとと認めて楽になれ。んでもって呼べよ、テメェの頼れるお仲間連中をよぉ!!」


 ソレに対し、僕はかすれた声で返した。


「…………呼ば、ないよ」


「んだと……!?」


 樺山は眉間のシワを増やしたが、すぐにクールダウンして落ち着いた顔に戻り、


「テメェ、馬鹿だろ? テメェ一人じゃ俺に絶対敵わねぇ。だったら素直に仲間呼んでみろって話なんだよ。その方が合理的だろうが」


「……やっぱり、よばない」


「……なぜだ?」


「だって、君——


 樺山は目を見開いた。


「僕の、師匠が……言ってた。「敵になれ」って。敵の気持ちに、なって、敵の嫌がること、しろって」


 僕は「んべ」と舌を出した。


「——だから僕は、。そうすれば、君が嫌がってくれる、から。ざまぁ、だよ」


「っ…………テメェェェェッ!!」


 樺山は左拳を振り上げた。


 胸ぐらを掴まれて逃げられない状態。


 けれど、この状況は割とチャンスだった。


 僕を右手で掴んでいる以上、攻撃に使う手はおのずと左手一本に限られてくる。さらに神経を逆撫でされたことで、もう殴ることしか考えられなくなっている。次の一手は必然的にパンチ一択だ。


 そして、僕は今、


 僕と樺山の腕のリーチ差は言うまでもない。


 まともな殴り合いになったら、僕の手が届く前に樺山のパンチが僕に当たる。近づくのは容易でなくなる。


 だが、今、あいつが自ら近づいてくれたおかげで、至近距離だ。


 とはいえ、当てられるのは一発のみ。その一発を当てた次の瞬間、樺山のパンチが僕の顔面に突き刺さるだろう。


 あんな重いのをもう一発食らって、ケンカを続行し続けられる自信は僕には無い。


 では、「最後の一発」は、何にしよう?


 ——ちょうど今、思いついた。







 「団子」など嫌いだ。


 あんな連中、集団自決でもして仲良くくたばればいい。


 こんな「団子」が跳梁跋扈ちょうりょうばっこしている、この世の中も嫌いだ。

 

 そんな世の中に対する苛立ちを、孝治こうじは暴力で晴らした。


 「団子」になって、その群れの力を自分の実力と勘違いしている奴を殴るのは楽しかった。


 数を減らされるにつれて、「団子」どもが弱気になっていくサマを見るのが楽しかった。


 最後の一人になって、泣いて許しを乞うてくる奴を全力で殴り倒すのは最高に気持ちが良かった。


 問題児、社会のダニ、腐ったミカン……そう陰口を叩いてくる教師どもをひと睨みで黙らせた時なんか、特権意識のようなものさえ覚えた。


 俺はあんなカスどもとは違う。

 俺は「団子」じゃない。

 俺は「樺山孝治」だ。

 俺は一人でも世界にモノが言える。

 俺は一人でも世界に立ち向かえる。

 俺は一人でも「団子」どもを殴り倒し尽くせる。

 

 「団子」にならなくても、生きていける。


 「団子」になるしか能の無いカスどもを踏みにじり、独峰どっぽうから見下してやる。


 「団子」なんか、一人じゃケンカも自己主張もできない。ただへつらうだけ。


 そのはずなのに——

 

(なんだ……こいつは?)


 たったパンチ一発でもうグロッキーなのに、目の前のちっぽけな少年の瞳には、怯えの色が無かった。


 それどころか、こちらを品定めしているような意志が底光りしていた。


 ——こんな奴は、初めてだ。 


 気持ちが悪い。


「テメェ、馬鹿だろ? テメェ一人じゃ俺に絶対敵わねぇ。だったら素直に仲間呼んでみろって話なんだよ。その方が合理的だろうが」


 至極当然の提案を、しかしその少年は拒否した。


「だって、君——すごく呼んで欲しそうな顔、してるもの」


「僕の、師匠が……言ってた。「敵になれ」って。敵の気持ちに、なって、敵の嫌がること、しろって」


「——だから僕は、ぜぇったい呼んでやらない。そうすれば、君が嫌がってくれる、から。ざまぁ、だよ」


 少年はそれらの発言を重ねてから、こちらをおちょくるように舌を出した。


 ——孝治の全身に、電流が走った気がした。


 確信したのだ。


 この少年の「正体」を。


 こいつは、「団子」なんかじゃない。


 「ねずみ」だ。


 ひと踏みで殺せるほどの、矮小で貧弱な存在。秀でているのは逃げ足のみ。


 しかし、


 たった一人になったとしても、知恵を振り絞り、這いずって泥水をすすってでも生き長らえようとする類の人間。


 決して強い存在とはいえない。


 けれど、「団子」よりもはるかに高潔な存在だ。


 だが、孝治の胸中に生まれたのは——だった。


 こんな、いかにもチョロそうな奴が「団子」ではない……そんな「意外性」が許せない。


 そんな奴に、敬意を感じてしまっている自分が許せない。


 「団子ではない奴」が、自分以外にもいたという事実が許せない。


 今すぐこいつの存在を、目の前から抹消したい。


 抹消して、なかったことにしたい。


 また「自分だけが自分らしく生きている」という優越感に浸りたかった。


 そのために、こいつは邪魔だ!!


「っ…………テメェェェェッ!!」


 空いた左手を固く握り、少年の顔面めがけて放った。


 対し、少年が行った攻撃は——ビンタだった。


 鞭のように柔らかく、鋭いビンタ。しかし、それでは自分を倒すに足りない。


 おまけに狙いもいい加減で、だ。


 孝治の放った左拳は、少年の左頬に強烈に衝突した。


 天を仰ぎながら吹っ飛ぶ小柄な五体。倒れてもなお続く勢いで地面に背中を擦り、やがて五メートルほど先で止まった。


 少年は、そのまま立ち上がらない。


 勝った。


 そう思った時だった。


「————えぁ?」


 


 バランス感覚が崩れ、孝治は否応なしに尻餅を付いた。


 立ち上がろうとしても、立てない。手足を付いている地面がぐるぐると回転しているような感覚のせいで、自重の置き所が定まらない。


 孝治はその原因をすぐに確信した。


 倒れた少年を、苦しげな眼差しで睨んだ。


「テメェ……やりやがったなぁっ……!?」









 


 痛い。二発目も容赦無し。超痛い。


 意識がどっか飛んでいきそうなほど強烈なパンチだ。


 もう一発食らったら、さすがに気絶必至かもしれない。


 けれど、肉を切らせて骨を断つ。


 痛いのを食らった見返りは、ちゃんとあったみたいだ。


 ——座ったきり立てずにいる樺山を見ながら、僕は自分の勝利を確信していた。


 樺山にぶん殴られる寸前、僕の頭に浮かんだのは、だった。


 桔梗ききょうさんは、その驚嘆すべき腕前で、大の男をすべて一人で倒してのけた。あんな戦い方、僕にはとうてい真似できそうにない。彼女の努力と鍛錬の成果だ。


 しかし、僕にも一つだけ、があった。


 ——佐竹の頭を揺らして平衡感覚を狂わせた、あのビンタだ。


 あれは鍛錬のもたらした特殊な能力とかではない。力学的なものだ。頭の下部末端である顎に衝撃を与えることで、テコの原理で頭頂部を揺さぶる。


 結果、脳震盪のうしんとうを起こしたというわけだ。——


 あんな怪物じみた強さを誇っても、やはり僕と同じ人間だ。


 ああなってしまった以上、樺山はしばらくまともに動くこともできないだろう。


 僕はなけなしの力で、ゆっくりと樺山へ歩んでいく。


 近づくたび、樺山の顔から余裕がなくなっていく。


 僕の顔には、ニヤリと笑みが浮かぶ。


 ——形勢逆転。


 動けぬ樺山。まだ動ける僕。


 倒れた状態では満足に殴れまい。マウントをとって、動けないうちに殴れるだけ殴っておく。


 殴り返してくるようなら、今絶賛垂れ流し中の鼻血で目潰しだ。血というのはなかなか落ちにくい。良い材料となるはずだ。


 ああ、そういえば僕、人をグーで殴るのって初めてだな。どういう感触か知っておくのも後学のためか。風之巻でも「あらゆる武器の特性を知れ」って書いてあったし——

 



「————二人とももうやめてぇっ!!」




 悲痛な叫びが、僕のバイオレンスな思考を吹き飛ばした。

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