逃げて逃げて逃げまくれって話。

 ※虫注意


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 駅を目指そう。

 それでもって電車でなるべく遠くの駅まで逃げて、時間が経ってから各自の自宅に帰ろう——




 僕もいっちゃんも、その意見は一致していた。


 だが、敵さんもそう甘くはなかった。


 最寄り駅で五人に待ち伏せされていた。


 僕らはやむなく引き返さざるを得なくなった。


 だが、引き返したところでまた佐竹さたけ一派と出くわし、逃走劇を繰り広げることとなった。


 僕は逃げ足には自信があった。いっちゃんも本気で走れば速い方だった。しかし、走り続ければ疲れてくるのが人間ってもんだ。


 なので僕ら二人は、逃げるのではなく、隠れることにした。


 最初はコンビニに隠れようと思い、コンビニに飛び込んだ。防犯カメラのあるここでなら連中も滅多なことはすまいと思っていたのだが、甘かった。


 コンビニに入ってもなお、連中の勢いは変わらなかった。品物を容赦なく蹴散らしながら、僕らに襲いかかってきたのだ。散らばる商品、奴らの怒号、そして女性店員の悲鳴を苦しい気持ちで聴きながら、僕らはコンビニを抜けて再び走り出した。しばらくここには来れないな……


 もうしばらく走ってから、良さげな隠れ場所を見つけた。


 ゴミステーションだ。しかも外側から中が見えないタイプ。


 正直隠れたくない場所だったが、幸運にも回収したばかりなためかゴミは入っていなかった。僕といっちゃんは誰も見てない隙にすんなり隠れられた。


 手の上をナニカが高速で這うのを感じた。ゴキブリだ。悲鳴を上げたくなるが、渾身の気合でぐっとこらえた。


 連中の足音が遠ざかるのを確認してから、僕といっちゃんはでっかいため息をついた。


「あ、あぶなかったぁ……」


「まったくだぜ……」


 僕は小声で話しかけた。


「ねぇ、いっちゃん……なんなの、あの佐竹って。あんなに頭数揃えられるなんてさ。もしかして……ヌマ高の番長的な奴なの?」


「番長、って呼び方今時しねーって。ダサいし。今は『アタマ』って呼ぶことが多いよ。あと、あいつは『アタマ』なんかじゃない。今のヌマ高の『アタマ』やってんのは関戸宣隆せきどのりたかっていう三年だよ。俺も一回しか見た事ねーけど、ハッキリ言って、佐竹なんかじゃないくらいオッカナそうな人だったぜ?」


「じゃあ、なんであんなに人集められるのさ? ハッキリ言って、人望があるタイプには見えないんだけど」


「俺も分からん。あいつと過ごしたのは、入学式の日から今日までの四日間だけだし。あいつについて俺が知ってんのはケンカの腕前に関することだけで、他の事は全然知らねー」


 二人して、ゴミステーションの中で考え込む。


 空気が悪い。生ゴミ臭い。でもまだ我慢。


「……もしかすっと、誰か素敵なが付いてんのかもしれねーな」


「バック?」


「後ろ盾のことだよ。学内で偉ぶったり、他人をアゴで使ったりする時に、そのための威光を借りる対象だよ。たとえば、自分の所属するゾクだとか、ギャングだとか、さ…………寄らば大樹の陰、ってやつさ」


「……掛け算九九は言えないのに、寄らば大樹の陰、とか難しい日本語は知ってるんだね」


「ほっとけ」


「でも、なんかカッコ悪いなぁ。自分の腕力一本で生きてる奴ばっかりかと思ったけど、割と人任せなんだね」 


「それも戦略のうちさ。あんな無法地帯みてーなガッコだけど、力のある奴にくみしてりゃ少なくとも学内でイジメられる心配は無い。いわゆる安全保障だよ。個の力だけで生き残れる奴なんざ、そういねーからな。むしろ、それが出来る奴が『アタマ』とかになったりするんだよ。で、そういう桁外れな奴が必ず毎年一人二人は入学してくるって話だぜ。んで、卒業後は大体ヤクザか半グレになる」


 今の説明を聞いて、僕の頭に真っ先に頭に浮かんだのは、同じクラスの樺山孝治かばやまこうじだった。


 ナイフの切っ先を向けられても動じず、刺されそうになっても自然な動きで回避と反撃を行う——あれは明らかに頭がおかしい部類だ。ランクが違いすぎる。


 現在の『アタマ』は三年生らしいけど、もし卒業したら樺山孝治が次の天下を取りそうだ。


「むしろ、俺らが今こんな状況に置かれてんのは、その寄るべき「大樹」が無いからなんだよ」


「なるほど……いっちゃん、どっかアテはある?」


「あったら学校でイジメられてねーよ」


 そりゃそっか……


「……そういえば、武蔵も『五輪書』で言ってたっけ。「底を抜け」って」


「は?」


「ああ、いや、こっちの話」


 そう適当に流してから、


「ねぇ……そろそろ出ても良くない? ここ臭くて嫌だよ。ゴキもいるし」


「ああ……もう足音も声もしねーし。俺もここから早く出たい」


「満場一致ね。……それじゃ、せーの、で」


「二人しかいねーけどな。……それじゃ、せーの、で」


 僕らは「せーの」で、ゴミステーションの蓋を同時に持ち上げた。





「——ばぁ♪」





 そして、佐竹の顔を間近で見た。


 さらに、数人のヌマ高生も。おそらく佐竹の一派だろう。


 そいつらが、僕らのいるゴミステーションを囲んでいた。


 一瞬、目の前の光景を理解するのを、脳が拒んだ。


 しかし、現実だった。


「な……なんで……」


 ここが分かったんだ? と僕が言う前に、佐竹はニヤついた顔で答えた。


「教えてやろうか? ……ただの当てずっぽうだよ。テメェらがいくら逃げ足速くても、走ってりゃ嫌でも疲れるだろ? だったら取るであろう選択肢は一つ……「隠れる」だ。んで、一番隠れやすくて、しかも街のいたるところにある隠れ場所はどこかと考えて最初に思いついたのが、このゴミ入れだよぉ。そうしたらあとは簡単だぁ、手分けしてそれらを確かめればいい。んで、俺らがビンゴを引いたってわけさ。分かったか、ボケナス?」


「……マッチョなのに、随分頭が回るんだね」


「だろぉ? うはははははははは————っじゃねぇぞコラァ!!」


 笑ったかと思いきや、いきなり豹変して、僕の胸ぐらを掴み上げてきた。


 なんて腕力。足が浮きそうだ。


「目の前の状況見ろやボケァ!! テメェ、今もそんな大口叩いていられる立場だと思ってんのかよぉ!? 俺のハンドシグナル一つで、テメェら二人とも半殺しにして駅前に裸吊りにすることだってできんだぞ!!」


 脅しではない。


 今、この場の優位は、完全に佐竹たちに傾いてしまっている。


 おまけに僕らは今、ゴミステーションの中に足を突っ込んでしまっている。出るには大きくまたいで出ないといけない。その動作はとても隙が大きい。その隙を見逃すほど佐竹もバカではない。


 どうする……?


「……あんた、クソ野郎のくせに、えらく人望あったんだな」


 そこで、いっちゃんが口を挟んだ。恐怖に耐えているような、引きつった笑みを交えて。


 ほんの数時間前までの彼の姿を考えると、えらい急成長だなぁと感慨深いものを感じる。


「テメェ随分上等な口叩くようになったじゃねぇか。脱皮でもしたんかぁ? まぁいいさ、すぐにまた犬根性すわった態度に戻ってくれるだろうしなぁ」


 佐竹はあざけるようにそう言うと、学ランの左腕の袖を持ち上げた。


 あらわになった二の腕には、円形の入れ墨タトゥーがあった。


 意匠デザインは、内側に向かってとぐろを巻く一匹の龍。

 

「知ってっか、これぇ?」


 知るか。僕は心の中で悪態をつく。


 しかし、いっちゃんだけは異なる反応を見せた。我が目を疑うような驚き顔。


「まさか……『傲天武陣会ゴウテンブジンカイ』か?」


「ご名答ぉ。俺、そこのメンバーなんだよねぇ」


 いっちゃんは表情を蒼白にした。


 「嘘、だろ……」と、震えた唇から呟きを漏らした。


 僕はそんないっちゃんに尋ねた。


「何、その『傲天武陣会』っていうのは? なんかのロックバンド?」


「違ぇよ!」


 余裕なさげに声を荒げたいっちゃんに、僕はビクリと肩を跳ねさせた。


 だが、すぐに冷静さを欠いていることを自覚したのか、いっちゃんは「……悪い」と一言謝って、説明した。震えた声で。


「……最近、この辺で鳴らしてるグループだよ。規模はさほどでもねーけど、とにかくやり口がエゲツない事で有名だ」


 いまいち凄さがわからない。どうエゲツないんだろうか?


 僕のそんな気持ちを察したのか、いっちゃんは説明してくれた。


「メンツを傷つけられたら、傷つけられた以上にやり返すんだよ。あくまでこれは噂だけど……メンバーの誰か一人が、ある奴にケンカで負けて半殺しにされたことがあってさ。そしたら武陣会の奴ら、数集めてそいつをフクロにして、両足の骨折った挙句、そいつの女を連れてきて目の前でって……」


 吐き気を催すにはクオリティ十分な説明だった。


「どうして警察は動かないのさ?」


「本人らが被害届出さんかったらしい。噂じゃ、その女の動画をネットにアップするって脅したとか」


 マジでエゲツない……


 なるほど。そりゃ、この連中だって、佐竹に協力するわけだな。


 実際には佐竹ではなく、その背後にいる『傲天武陣会』の威光に従ってるだけだろうけど。


 ——どぉん! 

 

 突然、すごい音とともに、ゴミステーションの側面が内側にへこんだ。


 佐竹の蹴りだ。


「そういうことだぜ。分かったかぁ? 世間知らずの坊ちゃんよぉ。俺らとテメェじゃあ、ランクが違うんだよぉ」


 僕は息を呑んだ。


 このゴミステーションは薄いため、それなりに力を入れて蹴れば案外誰でもへこませられる。こいつがへこませたことは、さほどすごいことではない。


 けれど、佐竹こいつのバックに控える凶悪なグループの存在が、「すごくないこと」を「すごいこと」に補正していた。


「最後通牒だ。——テメェら二人、俺の犬になれや。そうすりゃ、ぶちのめすのは勘弁してやってもいいぜ?」


 佐竹はニヤリと笑いつつそう告げた。


 己の優位を少しも疑っていない表情。


 それに対し、僕は、




「——そうさせていただきますー! 僕、よろこんで佐竹さんの忠犬になりますです、わんわんお!」




 手揉みしながら、媚び媚びの笑顔と声でそう言った。


 隣のいっちゃんが、信じられないといった表情で、


「なっ……!? お、お前、ナニ言ってんだよ!? なんでそんな心にも無いこと——」


「僕達二人、いや二匹とも、佐竹の旦那に尽くす所存でありんす! ゆえに、どうかこの無力で哀れな二匹のイッヌになにとぞお慈悲を、わんわんお!」


 いっちゃんを無視して、僕はフルパワーで媚びを売る。


 はニンマリ笑った。


「うははは、利口だなオマエ。そうだろう、武陣会に逆らうなんて無謀すぎるもんなぁ」


「ですよねー! この状況で逆らうなんてアホそのものですよねぇ! 僕は自分の安全が惜しい坊ちゃんなんでぇ! その代わりと言ってはなんですが……どうかお近づきの握手をば」


「へへっ、いいぜ?」


 すっかり気を良くした佐竹さんは、片手を差し出してきた。


 僕もその手に、自分の手を差し出して握手した。


 一秒程度の握手を終え、手を離す。


「よしよし、いい子だ。……んじゃ早速だけどこれからマキシマムコーヒーを——ん?」


 ふと、は急に言葉を止めて、握手した手を見た。


 その手から制服の袖へ向かって——





「ぎゃあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!?」






 佐竹はこの世の終わりのような絶叫を上げ、服を大急ぎで脱ぎだした。


 その叫びにつられて、周囲の手下も大きく驚き動揺した。


「——いっちゃん、


 僕が小声で呼びかけると、一瞬驚きを表し、その次の一瞬には嬉しそうな顔をして「オウ!」と返事を返した。


 できるだけ早くゴミステーションから飛び出し、佐竹たちから全速力で抜けた。


「っ……くそぉぉぉぉ!! おい、何突っ立ってんだぁ!? 早くあのガキどもを捕まえろぉ!! 半殺しにして裸にしてから駅前に吊るせぇ!!」


 佐竹はそう強く命じた。……その怒号には涙声が混じっていた。ご愁傷様。


 僕といっちゃんはひたすらに走った。


 正直、逃げ場所候補とか思いつかない。


 でも、あの場にいるより、こうして走っている方がずっと安全だ。


 再び逃走劇を繰り広げながら、僕はこれからどうするべきか模索していると、




「——あれー? 幸人くんじゃん。元気してたー?」




 見知った顔とぶつかった。

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