謎の美人さんの正体って話。

「あ、あなたは……」


 見間違えようはずもない。


 華やかでありつつ鋭みのある顔立ち。

 アッシュグレーに染めたセミロングの髪。

 足が長く女性的曲線美に富んだ肢体をうっすら表した、黒のライダースーツ。


 彼女は、僕に『五輪書』をくれた張本人。


桔梗ききょうさんっ!?」


「あ、うん。こんちわー、幸人ゆきとくん」


 黒河桔梗くろかわききょうさんは、呑気な声で挨拶してきた。


 僕もいつもだったら気軽に挨拶を交わしたいところだが、今はそれどころではない。


「待てコラァァ!!」


 後方から怒りの乗った叫びをぶつけられ、ビクッと身を震わせた。


 そう。僕らは今、追われているのである。


 しかも、敵から距離を大して離していない状態で桔梗さんと出会い、立ち止まってしまった。そのせいで、すでに敵はすぐ近くまで達していた。


「はぁっ、はぁっ……この、クソガキがぁ…………! よくもあんな汚ねぇ手使いやがったなぁ……!?」

 

 息を切らせながら追いついてきた佐竹は、さっき以上の怒りで顔を真っ赤にしていた。今にも湯気が出そうだ。


 こうして追いつかれてしまった今、さっきの虫攻撃は火に油でしかなくなった。


「ぶち殺す……覚悟しろやぁ…………!!」


 ギラギラと殺気立つ佐竹。それに同調するように、後方のヤンキーもにじり寄ってくる。


 敵が寄ってくるのに合わせて、僕といっちゃんも退がった。


 しかし——桔梗さんは退がらなかった。


「ねーねー幸人くんさぁ、こいつら、敵なの?」


 おまけに、ヘラヘラ笑いながら佐竹たちを指差している。


 ……何をやっているんだ!!


「は、早く帰ってください桔梗さん! 危ないですよっ!?」


 僕は慌てて前へ戻り、桔梗さんの前に庇うように立った。


「ちょ、ちょっと幸人くんっ?」


 戸惑う桔梗さんの方へ視線だけ振り返らせ、僕は言った。


「これは、僕といっちゃんのケンカです。関係ない人を、まして女の人を巻き込むわけにはいきません。……ここは僕らが足止めします。その間に桔梗さんは逃げて。あなたには……僕がこの身に代えても、傷一つ負わせたりしません」


 この人は僕に『五輪書』をくれた人だ。もし桔梗さんとの出会いがなかったら、僕はいっちゃんを助けられなかったどころか、自分が誰かのパシリにされていた可能性が高いのだ。桔梗さんはいわば恩人。恩人を守るためなら、多少殴られるくらいなんてことはない。


「——っ」


 桔梗さんはというと、目を大きく見開きながら頬を朱に染めていた。


 いや、そこは「分かったわ、ありがとう」みたいなこと言ってとっとと逃げてほしいんだけど……


「イチャついてんじゃねぇぞコラァ!!」


 だが、そんなこと今はどうでもよかった! 一番近い位置にいるヌマ高生が、しびれを切らしたように殴りかかってきたのだ。


 やばい。反応が遅れた。これは避けられない——!



 だが、細い手が伸び、やってくる敵の拳にと柔らかく絡みついた。


 かと思えば、細い腕は一気に針のごとく張り詰め、ぱしぃん! と敵の拳を弾いたのだ。


「たっ……!?」


 拳を弾かれたヤンキーは、信じられないものを見るような目でこちらを……より正確には、僕の後方から伸びるを凝視していた。


 え? 今、何したの……?


 その手が僕の肩をすっと掴む。


「——かっこいいよ、幸人くん。でも、ここはウチにまかせて?」


 桔梗さんは僕の耳元でそうささやくと、僕の肩口をとんっ、と手で押した。


「うわ……?」


 軽く押されたはずだが、僕の体はまるで体重を失って微風そよかぜに流されるように、横へたたらを踏んだ。とすん、と電柱に優しくぶつかる。


 不思議な気分になりながら、僕は桔梗さんを見つめた。


 ——不思議だ。


 彼女は女の人だ。手足も細い。筋肉量の差など推して知るべしだ。


 けれど、その立ち姿勢からは、何やら不思議な感じがした。


 まるで、大地に広々と根を張る神木のように、盤石で、静謐せいひつな気配を持つ立ち姿。


 目の前に立つ男達は、彼女よりも全員体格が良い。


 しかし、なぜだか分からないが——桔梗さんが一方的にねじ伏せられるビジョンが全く思い浮かばないのだ。


「ねぇねぇ、あんた達さぁ、もう帰ってくれないかな? ウチ、幸人くんとちょっくらデートしたい気分なんだよねぇ。あんた達がいると邪魔なんで、お家に帰ってスマホゲーでもやってなよ」


 桔梗さんはまったく物怖じした態度を見せず、世間話みたいなノリで告げた。


 いや、デートって……そんな場合かな?


 対し、ヌマ高生らは敵意を強めた。


「おう、姉ちゃん。この詰襟見てもイモ引かねぇ度胸は買うがよ、身の程をちったぁ知った方がいいぜ。でねぇとよぉ……ヒネっちまうぞコラ」


「へぇ? どんな風に? ウチ興味あるなぁ」

 

 恫喝に対しても、桔梗さんは余裕を少しも崩さない。


 桔梗さんのライダースーツの胸ぐらを、ヌマ高生の無骨な手が掴み上げた。


「お? なかなかデカパイじゃねぇの姉ちゃんよ。もうちょっとよく見せ——」


「——

 

 桔梗さんの胸元をのぞいてスケベな笑みを浮かべていたヌマ高生の姿が、


 ずばぁん!! という風船の破裂じみた怪音が轟くのと同時に真横へ弾かれ、僕の近くにある電柱に顔面をぶつけたのだ。


「うわぁ!?」


 僕は思わず飛び退く。


 吹っ飛んできたヌマ高生は、電柱に顔面をへばりつかせたままズルズルと体勢を崩し、やがて力なくうつ伏せに倒れた。


「……え?」


 そんな呆然とした声を漏らしたのは僕だが、呆然としているのは僕だけでなく、その場にいるほぼ全員が同じだっただろう。全員黙りこくって硬直しているのだから。


 今、何が起こった?


 


 ……いや、実は何をしたのかはちゃんと見ている。覚えている。


 桔梗さんが、胸ぐらを掴んだ奴に向かって、を食らわせたのだ。


 しかし、自分の目で見て記憶したその光景を、僕は信じきることができなかった。


 だっておかしいだろう? ——たかだかビンタ一発で、大の男がこんなに派手にぶっ飛ぶなんて。しかも、女のビンタで。漫画じゃないんだぞ?


「ま、死んでないっしょ。本気じゃないし」


 だが当の桔梗さんは、それを当たり前のことのように平然としていた。


 そんな平然とした態度のまま、もう一歩踏み出した。


「こ……このアマぁぁ!!」


 それに怒りを触発されたのか、ヌマ高生がまた一人桔梗さんに踊りかかった。今度はちゃんと拳を振り上げて。



 しかし桔梗さんは少しも臆せずもう一歩前へ踏み出し、そのヌマ高生の横っ面を思いっきり平手打ちした。


 ばんっ!!


「ぶ——」


 またも一人、僕のいる方向へ吹っ飛んできた。そのままぶっ倒れ、動かなくなった。


 僕は今度こそ、今の攻撃をちゃんと凝視していた。


 やはり、ビンタだった。


 しかし、それは腕の力で振った平手打ちではないように見えた。ビンタを打つ直前に、桔梗さんの足腰に鋭い捻りが生まれていたからだ。


 腰のしっかり入った一撃。


 しかし、であんな馬鹿げた威力が出るのか?


 他に何か、法則が含まれているような気がする。僕の知らない法則が。


「と、取り囲め!! 囲んでフクロにしろ!! しょせん女一人だ!!」


 佐竹が命じるまま、ヌマ高生たちが残った全員で桔梗さん一人を取り囲んだ。


 数えると、十人いた。


 流石にこれは……マズイのでは。


「へぇ? いい判断じゃない。成功すればの話だけど」


 けれど、やはり桔梗さんは余裕を崩さない。それどころか、ウッキウキのように見えるのは気のせいか。


 そんな態度が癪に障ったようで、周囲のヌマ高生は一斉に桔梗さんへ群がった。


 その瞬間、

 

 姿


「——ぉえ」


 かと思えば、ような呻き声。


 ヌマ高生のうちの一人の懐に、腰を深く落とした桔梗さんの姿があった。彼女の肘がそいつの腹にしっかりとメリ込んでおり、さらに吹っ飛ばした。


 敵の一人を弾き出したことで、包囲網に「穴」が生まれた。


「ぶっ!?」「ぼぁ!?」さらに殺人的な二連ビンタによって二人が瞬時に倒されたことで、包囲網は完全に崩壊。


 残り七人。


 それからも、桔梗さんは嵐のごとく、敵の集団を蹴散らしていく。


「こ、この——ごぁ!?」


 桔梗さんが風のような速さでヌマ高生の一人へ近寄り、深く踏み込むのと同時に肘を叩き込んだ。敵は勢いよく後方へ押し流された。


 残り六人。


「テメッ、あんま調子乗——ぼぉ!?」


 残り五人。


「がほぉ!?」


 残り四人。


「う、うわ——ごっ!?」


 残り三人。


「ま、待っ——てはぼぉ!?」


 残り二人。


「や、やめてぶぽぁ!?」


 残り一人。


「ゆ、許してくださ——いぶぼぉ!?」


 残りゼロ人。


 いや、まだ、


「——んで、あんたが大将首ってことでいいのかしら?」


 桔梗さんは、佐竹に向かってそう投げかける。


 ……今の僕には、桔梗さんが別の生き物に見えていた。


 女の人なのに、ケンカ慣れしたヌマ高生十人以上を、たった一人で全滅させてしまった。おまけに、呼吸の乱れが全く見られない。


 普通じゃない。まるで漫画の世界の話だ。別の生き物じゃないかとも思いたくなる。


 ——男と女じゃ、筋肉量に明らかに差がある。腕力において、女が男に勝つことは不可能。


 目の前の光景が、その定説を疑わしいものに変えていた。


 一方で、僕は違和感も感じていた。


 十数人を薙ぎ倒した、桔梗さんの動き……いや、技。


 彼女の技の中には、パンチとかキックとかといったはほとんど無かった。


 ビンタとか、肘打ちとか、他には崩し技や投げ技とか……そういう技ばっかり。


 さらに、取っ組み合いになったりなどといったは一度もしていなかった。


 力比べになるのを避け、自分の有利な立ち位置ややり方で戦っているような。


 その動きに、僕は「戦略的合理性」を感じていた。


 ——いや……待て。


 僕は記憶のどこかに、引っかかるものを感じた。


 たしか、僕は聞かされたはずだ。数時間前に。


 めちゃくちゃ強い女の人の話を、いっちゃんから。


 その女の人はえらい美人さんで、スタイル抜群で、「変な技」を使うという。


 まさか、このひとは——


「はっ……これから俺もぶちのめすって? へへっ、いいのかよぉ、んなことして。テメェ……二度とオテントサマの下を歩けなくなっちまうぜぇ?」


「負け惜しみタイムはもう終了?」


「ちげぇよ……これを見やがれぇ!」


 佐竹は得意げに左腕を捲り上げ、二の腕に刻まれた龍の刺青を見せつけた。


「俺は『傲天武陣会ゴウテンブジンカイ』のメンバーだぜぇ!? 俺に手ェ出したら最後、その他大勢の仲間がテメェに復讐に来るぜ!?」


 うそぶく佐竹に対し、桔梗さんは答えない。沈黙している。


 それを「恐れ」と取ったのであろう佐竹は、さらにまくしたてた。


「ちょっと護身術ができるからってシャシャってんじゃねぇよ。『傲天武陣会』の力を舐めんなよ? 俺らがその気になりゃ、テメェなんぞあっという間にズタボロだ。まず手足の骨折って、そのキレーなツラを風船みてぇになるまで殴りまくってやる。それからは俺らの下半身の世話をしてもらうぜ。自由になった頃にはツラと腹が膨れてっかもなぁ? オラ、詫び入れんなら今のうちだぜ? 素っ裸になって、土下座でもしてみせろや」

 

 ……こいつ!


「お前、いい加減に——」


 我慢ならなくなった僕は、声を荒げかけた。


 だが、それよりも早く、




「——ねぇ、あんた、親はナニじん?」




 桔梗さんは無感情な声と表情で、脈絡のない質問を投げかけた。


「は……いきなり何言ってんだ?」


 当然ながら、佐竹は怪訝な顔をした。


「言葉通りの意味よ。あんたの親の人種は何?」


「……両方とも日本人だよ。それがどうしたんだぁ?」


「あーはい、確定カクテー。——あんた、でしょ?」


「は?」


 訳が分からないといった表情の佐竹に対し、桔梗さんはたたみかけるように告げた。




「あのね、知らないの? 武陣会はね——正規メンバーになれないのよ」




 その言葉に、佐竹だけでなく、僕までも驚愕の表情を浮かべた。


 佐竹はその表情のまま一歩退き、うわずった声で、


「な……そんな、嘘、吐くんじゃ……」


「嘘じゃないわよ。『傲天武陣会』は、在日華人だけで構成されたグループだもの」


 一息間を置いてから、桔梗さんは説明した。


「——昨今の領土問題とかで、日本人の中国へのイメージが大幅に悪化した。その影響で、いじめや差別を受けた在日中国人の子供もいるわけ。そういう少年たちが寄り集まって、出来上がったグループが『傲天武陣会』。そういう設立経緯だから、連中は日本人を正規メンバーにするのを嫌がってる。……まぁ、境遇には同情するけど、暴力沙汰は起こすわ女襲うわカツアゲするわ、ハッキリ言ってクソ野郎の群れだわね。武陣会は最近名を上げつつあるけど、そういう部分ばっかり注目されがちで、そのグループの「本質」を見る奴は少ない。だからあんたみたいなペテンがたまに現れるってわけ。木を見て森を見ずとはこのことね」


 そこまで言うと、桔梗さんは残像が残るほどのスピードで佐竹へ詰め寄った。


 瞬く間に佐竹の左腕の関節を極めて、地面にうつ伏せに組み敷いた。


「テメッ、離せ、俺を誰だと——いててててて!?」


「はーい、大人しくして。でないと関節ぶっ千切るよ?」


 その言葉で大人しくさせてから、桔梗さんは空いた手でポケットから黒いグローブ——バイク用だ——を取り出し、それを雑巾代わりにして佐竹の刺青を拭った。


 拭っても落ちないはずの刺青が、


 シールだったのだ。


「はい、術式終了。ちなみに武陣会の連中は必ずに刺青入れるんで、今度人騙す時は間違えないようにねー」


 桔梗さんはそういって佐竹から離れた。


 解放された佐竹は慌てて立ち上がると、バツが悪そうな顔で周囲をキョロキョロと見回す。


 ……佐竹を『傲天武陣会』だと信じて従ったヌマ高生たちは、一様に疑念の眼差しで見つめていた。


 桔梗さんはイタズラ小僧みたいな笑顔で、わざとらしく指を鳴らす。


「んで? まだやる? ウチは全然構わないよ?」


「こ…………このアマがぁぁぁぁぁぁ!!」


 捨て鉢になったように、佐竹は拳を振り上げて桔梗さんへ向かってきた。



 だが彼女はその鋭いパンチを頭の動きだけでスレスレに避けつつ、すれ違いざまに佐竹の顎を平手で打った。


 その平手打ちは、さっきまでの強烈なものとは違う、優しい威力のものだったが、


「——えぁ?」


 佐竹はそんな優しい一撃に、まるで支えを失ったように崩れ落ちた。


 尻餅をついた状態から、立とうとする。


 しかし失敗し、また尻餅をつく。

 

 何度やっても、その数だけ失敗する。


 立たない。いや——


 佐竹は呆然とした表情と声で、


「た、立てねぇ……ど、どうして……」


「当たり前じゃん、。しばらくしたら治るんで、モウマンタイ」


 桔梗さんは、軽い調子でそう告げた。


 ……全滅。あっという間の、全滅だった。


 たった一人の女の登場で、事態は一気に収束してしまった。


 周囲のヌマ高生や、いっちゃんは、それを成した張本人である桔梗さんのことを呆然と見つめていた。


 


「あの、桔梗さん……」


「なぁに?」


 僕の呼びかけに、桔梗さんはにんまりと笑って応じてくれた。


 緊張で唾を一飲みしてから、意を決して、僕は問うた。


 ほぼ確信に等しい質問を。




「もしかして、あなたは——『雷夫ライオット』のリーダー、じゃありませんか?」




「うん。そだよ?」


 僕の腹をくくった質問に対し、桔梗さんはあっさりと肯定した。


 一瞬、水を打ったような沈黙が訪れ、


 次の瞬間。






 ————えええええええええええええええええええええええええええええええ!?






 一気に、驚きの声が沸き立ったのだった。










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※ユキちゃんは、男女の「距離感」が少しバグっています。精神的にも、肉体的にも。

 性差を意識する年代である小学校時代をずっと寝たきりで過ごしていたこと、その後にも勉強漬けでロクに人と交流してこなかったこと……それらのせいで、性別的な「距離感」の取り方が、同年代のソレと比べて若干ズレています。

 なので、女性と距離を詰めることに抵抗が無かったり、スケコマシじみた台詞を言ったりも平気でやります。

 よく言えば物怖じしない。悪く言えば無神経。

 けれど、赤ちゃんの作り方や、女性に対してやっちゃいけないことなどといった最低限の知識は持っています。母親が教えてくれたからです。

 それに、いくら性差への意識が薄いと言っても、女性の裸を見たら流石に真っ赤になります。その後、どうしていいか分からず逃げ出します。







 またしばらく書き溜めてから連投します。

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