かっこ悪くても、絶対勝とうって話。

「武蔵直伝、不意打ちアタァ——ック!!」


 変な技名を叫びながら、月波幸人つきなみゆきとの小柄な体は真っ直ぐ風を切って突き進み——


「ごぉぁ!?」


 曲がり角から飛び出してきた佐竹さたけに向かってしたたかに衝突した。


 小柄で華奢とはいえ、人間一人分の体重の衝突と、不意打ちという状況的優位によって、幸人よりずっと大柄である佐竹の体が宙に浮いた。


 さらに、吹っ飛んだ拍子に木の幹へ背中を打った。あれはいくら佐竹でも痛そうだ。


 ——そんな様子を、加藤かとういつきは他人事のように見ていた。


 巻き込まれたケンカ。


 自分が望んでいなかったケンカ。


 いや……本当はこんなふうに、佐竹たちに立ち向かうことを望んでいた。


 しかし、その望みを叶えることが、自分一人ではできなかった。


 自分は弱いから。いろんな意味で。


 そんな自分よりもっと弱いであろう目の前の少年は、不意打ちとはいえ、あの佐竹に一発かましてみせた。


 自分にできなかったことを、やってのけた。


 たとえこのケンカに勝てなかったとしても、自分はそんな幸人を尊敬こそすれ、殴ったりはしないだろう。




 そう——もう、




 自分達は勝てない。


 腕力の差だけではない。頭数も一人負けている。


 勝てる勝負ではない。


 だから、もうこの辺でいいではないか。


 佐竹に一矢報いることはできたのだ。それで満足しようぜ? 


 それから一緒に全力で詫びを入れよう。

 土下座もしよう。

 靴も舐めよう。

 頭も丸めよう。

 そうすれば、このまま立ち向かうことで受けるダメージよりも小さいダメージだけで済むはずだ。


 痛くない方がいい。痛みの少ない方がいい。


 自分は、自分達は弱いのだ。


 弱い奴は、戦ってはいけないのだ。


 弱い奴が戦ったところで、状況は変わらない。何も変えられない。苦痛を受けるだけ。

 弱い奴には、戦う権利すら無い。

 弱い奴は、踏みつけられる地位に甘んじないといけない。そうしないと、生きていけない。


 しかし。


 月波幸人という少年は、「欲張り」だった。


「うわ、テメェ!? 何しやがる!?」

 

 佐竹の取り巻きの一人である茶髪の男……飯田いいだが、驚いたような、鬱陶うっとうしげな声を上げた。


 見ると、その両足に——幸人が抱きついているではないか。


 飯田は必死に両足をよじるが、幸人は相当しっかり抱きついているのか、身動きがとれない様子。


「——今だっ!! やれ!! こいつを殴れ!!」

 

 その幸人は、あろうことか自分に向かって、そう言い出した。


 全身が凍りついた。


 こいつを殴れ、だって?


 なにいってんだよ。


 俺に、そんなこと……


「早く!!」


 幸人はなおもそう強く促す。


 隣にいた金髪の男——小野寺おのでらが、飯田に抱きついた幸人を引っぺがそうと手を伸ばすが、


「うわっぷ!? 目がっ!?」


 幸人は手を振り、その中に握っていた砂を小野寺の顔面にかけた。小野寺は目元を押さえながら退き、必死に目をこする。


 いつの間に砂なんか……いや、そういえば飯田に抱きつく前、幸人は一瞬だけ地面を引っ掻いてた。その時にすくったのだろう。こうなることを予想して。


 飯田は邪魔くさそうに幸人の顔や背中を叩く。しかし、幸人は歯を食いしばって離れようとしない。


 何がなんでも勝つ——幸人の並々ならぬ勝利への執念を、見せつけられた。


(——あいつ、)


 勝ちに行く気なんだ。本当に。


 どれだけみっともなくても、泥臭くても、勝とうとしている。


 勝つために戦っている。


 のだ。


 あんな弱そうなくせに。


 だが、そんな少年に比べて……自分はどうだ。


 勝とうとしないだけではない。


 


 理由をつけて正当化して、戦うべき時から逃げている。


 弟に勉強で勝てないからツッパる道へ逃げて、そのツッパる道の中でも別の逃げ道を探し、その逃げ道の中でもまた別の逃げ道を血眼で探している。


 その逃げの先に、きっと未来は無い。終わらない闇が延々と続くだけだ。


 あの少年よりも、今の自分の方が、よっぽど弱くて矮小わいしょうだ。


 ——ちくしょう……俺だって、俺だって……お前みてーに…………!


 樹の手が、拳を形作る。


 しかし、飯田がこちらへ睨みを飛ばしてくる。


 ったら後で覚えてろよ——そんな恫喝を感じる。


 樹の拳が緩みかけた、その時。


「——僕達は「二刀流」だ!! 今の君は剣!! こいつを殴ること以外考えるな!!」

 

 幸人の発した言葉に、樹は目が覚める思いをした。


 拳に、力が戻る。


 怖い、逃げたい、おもねりたい、殴られたくない——




「うるせぇぇぇ————!!」




 心にとめどなく湧き出してくる逃げ腰な感情を、樹は叫んで吹き飛ばした。


 地を蹴って走り出す。


 飯田の顔を真っ直ぐ見据え、真っ直ぐ走る。


 奴の表情は驚きに移行したが、


 殴れる位置に、飯田の顔がある。


 それだけで十分だ。


 樹のリーチ内まで、飯田の姿をとらえた。


 飯田は返り討ちにする素振りを見せたが、その足元を抱きしめている幸人が激しく揺さぶってくれたお陰で、飯田はバランスを整えるのに精一杯となって迎え打つ余裕を失っていた。


 バランスを整えた時には、すでに樹の拳は飯田のすぐ目の前まで迫っていた。


「ぶほぉ!?」


 樹の右拳が、飯田の顔面に炸裂した。


 文句無しのクリーンヒット。人の顔面を殴るのは存外拳が痛むものだが、それでも肉と骨をしたたかに叩く感触を己の骨肉で実感できた。


 飯田は苦痛に顔を歪めながらそっぽを向いていたが、顔面を占める苦痛の割合が一気に「怒り」で上書きされた。殺気で光る眼差しに射抜かれる。


 一瞬、すくみ上がる。


 しかし、もう自分は手を出してしまったのだ!!

 

「っ——くそったれがぁぁぁぁっ!!」


 樹は捨て鉢気味に叫びながら、今度は左拳を顔面へ叩き込んだ。


 もう一度右拳。またも左拳。右拳。左拳。


「くそっ、くそっ、くそっ、くそぉぉぉぉっ!!」


 樹はとにかくめちゃくちゃに殴りかかった。


 洗練されていない。もう本当にめちゃくちゃで、粗雑な殴打。


 けれど、樹は今、殴っている。


 人の助けを借りてはいるが、自分の手で、自分を苦しめていた奴を殴っているのだ。


 飯田は着実に樹のパンチを食らっていた。顔にはひるみが現れ、鼻血が小さく垂れていた。


「調子こいてんなよぉ!! 犬野郎風情がよぉぉぉ!!」


 だが、忘れてはならない。これは三対二なのだ。飯田一人を集中攻撃していても意味がない。小野寺もいる。


 その小野寺が、今まさに樹に掴みかかろうとしていた。幸人の砂かけ攻撃から回復していたのだ。


 樹は思わず身構えるが、


「させるかっ!」


 幸人が、抱きついていた飯田の両脚へ思いっきりもたれかかった。


 そのもたれた重みに足を取られた飯田は横倒しとなり、


「「ごぼっ!?」」


 小野寺と、顔面同士を思いっきりぶつけ合わせた。


「ってぇ……!」


 数歩退き、顔面を押さえてうつむく小野寺。そのすぐ近くに飯田も倒れた。


 樹にも分かった。……今が攻め時であると。


 そして自分は、幸人に「攻撃を頼む」と言われているのだ。


 樹は地を蹴った。


「うあああああああっ!!」


 もう報復なんて恐れない。真っ直ぐ突き進み、下を向いた小野寺の顔面をアッパーカットの要領でぶん殴った。


「ぐぶぉ!?」


 勢いよく上を向かされる小野寺。効果は抜群だ。しかし、まだ心もとない。


「おらぁっ!!」


「がぁっ……」

 

 続けざまに放ったフックが、ピンポイントで小野寺の頬骨を強烈に叩いた。


 迷いが無く、しっかりと腰の入ったその一撃は、小野寺の顔面を体ごと横へ打ち飛ばした。


 どしゃっ、と小野寺が倒れた。全身から力が抜けているのが分かる、重々しい音だった。


 飯田も、倒れたまま起き上がらない。さんざん殴られたあげく、顔面を思いっきり打ち付けたせいで、戦意を失っているようだった。


 これで、勝ったのか?


 ——いや。まだだ。


 この二人はともかく、は、そう簡単には終わらない。


 不意打ちは見事に効果を発揮したが、その程度で大人しくなるようなヤワい奴じゃない——!


「テメェらぁぁ……よくもやってくれたなぁぁぁっ……!!」 


 凄みのある憤怒の形相となった佐竹が、地獄の底から響いたような低い声で怨嗟を吐き出した。

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