第16話 ネモフィラの願い
「大地くんっ……この風の強さって……ここだと普通なのかな?」
「海風が強いのはいつも通りだ。今日は北風だから冷たく感じるかもしれない。もう少し走って角曲がると風向き変わる、がんばれ!」
家から飛び出したのはいいけど、ものすごい風でひっくり返りそうになっている。
ふわっと風がやんだと思った一秒後に、ドカンと横から岩みたいな風が来て、足がふらつく。
無理、怖い、もういや!
東京にいた時も台風の日とかあったけど学校は休みだった。
私は大地くんに借りた合羽を着てるけど、大地くんはTシャツ一枚だ。
だから私が弱音をはけないけど、前が見えなくてイヤで仕方がない。
「こっちだ!」
大地くんは同じ風に吹かれてるのに、全然体がブレない。
走っている姿も力があってすごい。
それに何度も私のほうを振り向いて、確認してくれる。
だからなんとか歩けるけど……!
その瞬間、ものすごく風が吹いて、走っている足ごとずるるるっと滑った。
うそっ! やだ、こんなのはじめて!
「きゃああ!」
「立夏!」
大地くんが私のほうに走ってきて手を出した。
私はふっとばされそうになり、迷わずその手を握った。
表面は氷みたいに冷たいのに、真ん中はホッカイロみたいに温かい手。
大地くんは私の手を引っ張ってぐんぐんと走りながら、
「菜乃花は……くそうるさくて、ウゼーけど……姉ちゃんみたいなもんなんだ」
「うん」
「あんなんだけど、すげー笑顔でバカで……誰よりも一番つらいはずなのにさあ……」
その言葉をきいて、私は顔をあげた。
「ちがうよ、一番とか、たぶんないよ!」
「!!」
「そんなのみんな一番だよ」
修一さんから話を聞いていたからわかる。
大地くんも菜乃花さんも、幸次郎おじさんも、きっと私が知らない人たちもみんな同じくらい悲しい。
悲しい気持ちに順番なんてないもん!
言えないけど、正直大地くんの横を浮いて移動してる修一さんもつらそうな顔をしてる。
みんな悲しいときは悲しいよ!!
大地くんは私から目をそらして、
「そうだな。とにかくあいつバカだから心配なんだ。ごめんな、こんな天気の中」
「うん、ちょっと……正直かなり怖いきゃあああ!!」
再び強風が吹いて、思わず歩道の手すりにつかまる。
海からくる風って、波からのしぶきも入っているのかな?
雨とまざって塩の味がしてまずい!
大地くんに手を引かれて再び走り始めた。
正直運動は得意じゃない。
家でゲームしたりネットしたりYouTube見てるほうが好き。
でも、私がいないと、修一さんの言葉を伝えられない。
そうしないと菜乃花さんを見つけられない。
私にしかできないこと。
「見えてきた。あれが俺も兄ちゃんも菜乃花も通った幼稚園で、裏庭から山に入れるんだ」
見えてきたのは赤い三角屋根が可愛い建物だった。
同じように三角屋根がついた滑り台が見えて、園庭の横に細い階段があった。
入口には柵があるけど、それは壊れているように見えた。
「あそこだ。あの丘の向こう」
修一さんと大地くんについて階段に向かうけど、どんどん海に近くなってるから、風が強くて前が見えない!
こんなの無理!!
足が止まりそうになると、大地くんが私の手をぐっと握った。
「立夏、俺の手だけ握ってろ。下を向け、足元の階段だけ見てろ」
「うん」
雨より風がすごくて、海の粒……しぶきが風にのって飛んでくる。
それが目に入るとすごく痛い!
いつもならもういやだって泣きながら逃げ出す。
でも、大地くんの手は強くて、温かい。
それに答えたい。
逃げたくない。
階段は雨で濡れていて、なによりぬるぬるしていて、足が滑る。
そして風に押されて、何度も落ちそうになったりする。
それでもゆっくり階段を上り続けた先……大地くんの足が止まった。
「……兄ちゃん、なにこれ!」
「こんなことになってたなんて……知らなかった。すごいな」
「えっ……?」
その声に、私は閉じていた目を開いた。
すると目の前に真っ青なじゅうたんが広がっていた。
これはあの栞の花……?
「ネモフィラ……こんなにあったか……? いや無かった。ていうか、これ手入れされてる、立夏、兄ちゃんはどこ?!」
そういって大地くんは私を見た。
探すと修一さんがネモフィラの森の奥のほうに飛んでいくのが見えた。
「あっち! 森の奥、あっち!!」
私は海水が入ったのか、目を開けると痛くて、手で顔を拭きながら叫んだ。
大地くんは私の手を引いてネモフィラのじゅうたんの上を歩く。
その瞬間、私を空に飛ばすような強い風がふいて、体が思いっきり吹き飛ばされそうになった。
「きゃあああ!!」
「立夏!!」
大地くんが私の手を引っ張って抱き寄せてくれた、その視界。
海の上にあった真っ黒な雲がぱああって裂けて、そこから光が見えた。
それは空から降りてくる手。
それが雲の隙間を広げて、見つけて、そこから海を見つけたみたいにふわりと広がる。
雨の終わり、風のしっぽ。
それが私の頬をなでてかけぬけていった。
雨が終わったのだと、風の一番さいごだと、世界が見せてくれたのははじめて。
「……すごい……雲が、われた……はじめてみた……」
「これで雨はやむ。でも吹き返しの風くるぞ、立夏、山側に来い」
「はい」
言われて立ち上がった瞬間に逆側、背中側から風が来て転んだ。
「えっ?!」
「こっちだ!!」
もうあちこち痛い。
何かなんだか分からない。
大地くんがいなかったら、こんなところまで来られなかった。
絶対絶対無理だった。
今度は風に背中を押されるように進むと大きな木の下に座っている人影……それは菜乃花さんだった。
その横に修一さんが立っているのが見えた。
大地くんは走り出した。
「菜乃花!! お前、大丈夫か!!」
「えっ、ちょっとまって。大地?! どうしてここに?!」
「だってお前、兄ちゃんに会いにいくって書いて姿消すから……!」
その言葉に菜乃花さんは目を丸くした。
「ちょっとまってそれ。それ私の日記でしょ?! お母さんまだ勝手に見てるの?! もう許せない!!」
「なあ菜乃花!!」
「……うん」
大地くんの真剣な声に、菜乃花さんの表情がくしゃくしゃになった。
それはピンと張りつめた糸が、くしゃりと切れて落ちていくように。
「……少し……来てほしいと、思ってた。もし来てくれたらうれしいなって、思ってた。だってそれは証明になるもん。ここは修一しか知らない場所だよ。本当にいるんだね、修一」
修一さんは横に立ったまま、静かに目を閉じて頷いた。
菜乃花さんは私のほうを見た。
「立夏ちゃんのせいじゃないの。立夏ちゃんに会うまえ……美波街を出た瞬間から後悔してたもん。私やっぱり修一がずっと好き。修一が死んだからって目の前に居ないからって、私の記憶が消えるわけじゃない。死んだって居なかったことにはならないの」
そう叫んで菜乃花さんは私の手を握った。
「立夏ちゃんはただそれを思い出させてくれただけ。そう思ったらここに来たくなったの」
その手が氷みたいに冷たくて驚いてしまう。
私の体もかなり冷えてると思うけど、これはぜったいにダメなやつだと思う。
私は菜乃花さんの手を強くにぎって、少しでも体温が移動するように祈った。
すると私の横に修一さんがきた。
修一さんの表情は、迷いがなくて、今から死ぬといっても、生きると言ってもおかしくないくらい、まっすぐな目をしていた。
「俺がいうことを、菜乃花に伝えてもらえるかな」
「……いいんですか?」
「菜乃花の中で、俺は生きてても死んでても同じなんだ。だったら幻だって嘘だって、菜乃花にとっては真実だろ」
「はい」
私はこくんと頷いた。
見えてない。
見えてないけれど、修一さんは菜乃花さんの目の前に座った。
「菜乃花……このネモフィラのじゅうたん、すごいな。頑張ったんだな」
それを私が伝えると菜乃花さんは弱弱しく微笑んで、それは何度も言葉を飲み込むように頷いて、
「……この花のこと、修一忘れちゃった? 四年生の時だよ。夏休みに教えてくれたんじゃん。ネモフィラの種はここに出来るって。私がネモフィラ好きだって言ったら『こいつツエーから植えたら無限に増えるぞ』って」
「ああ、そうだ、あの春の大会の後だ!」
そう伝えると菜乃花さんが目を輝かせた。
「そうよ、あの無残に修一が負けたあとね」
「なんだよその言い方。いやそうだ、その時の対戦表を箱に入れたんだ!!」
「そうよ。そう。もう俺は負けないって。こんな風に負けるの悔しいから、これを取っておくって言うから、箱に入れたのよね。ふたりで鍵をつけて」
そういって菜乃花さんは膝の上にある小さな金属製の宝箱を見せてくれた。
大きさは20センチ角くらいに見える。結構大きくて、でも土とサビがたくさんついるみたい。
箱の入口の所にふたつの鍵が付いているのが見えた。
菜乃花さんはそれをなでて、
「色々一緒に入れたじゃない。悪すぎたテストとか、先生に褒められたお手紙、それに小さなパズルとか、ぜんぶふたりであけて、中に入れた。ふたりの秘密が詰まってるわ。ぜんぶ順番に何かをしてきた私たちだけど、これは一緒に開けてた」
「中学に入る前に捨てたって言ったじゃないか」
「それは修一が、優香ちゃんに告白されたのを秘密にしてたのがムカついて」
「言っても怒っただろ、俺に怒るなよ」
そう伝えると菜乃花さんはキョトンとしてほほえんだ。
「そうね、言っても怒ったわ。でも全部知りたかったの。修一のことは全部知りたかった、だから怒って、この箱を捨てたって嘘ついた。ごめんね。捨ててなかった。ずっとここにあったの。ネモフィラ植えながら、たまにこの箱を取り出して見てた。修一の鍵がないと開けられないから、見てるだけだったけど。鍵持ってきた?」
「ああ。大地が持ってる」
そう伝えると、大地くんは鍵をもって菜乃花さんに近づいた。
「……お前、ほんとやめろよ、こういうの」
「あのね、実はここに来るときに足首ひねちゃって」
「またか!」
「だって階段滑るから。それで電話しようとしたら手から滑りおちてスマホが水没しちゃったの。だから雨がやんだら帰ろうと思って、本当よ。でも歩けないから、階段降りて幼稚園横の園長先生の家に行って、お母さんに電話してもらっていい? 病院行かないと」
「わかった!」
大地くんは階段を駆け下りていった。
足首にケガ?!
「大丈夫ですか?」
私が近づくと、菜乃花さんはポケットから鍵を出した。
「これでふたつ揃った。ほら、今のうちにこれで鍵を結びましょう」
「!!」
菜乃花さんが鍵と一緒に取り出してきたのは修一さんが落としたミサンガだった。
私は見て叫ぶ。
「菜乃花さんこれ……!!」
「修一が死んだ次の日に見つけたの。これ……大地がずっと付けてたやつよね。切った所までは話を聞いてたけど。修一、直したのね。これを追って落ちたのが真実?」
「……そうです」
私は頷いた。
菜乃花さんは鍵を私に渡した。
「立夏ちゃんが探してるのはこれかなって思ってた。でも違ったら立夏ちゃんに不必要なことを背負わせちゃう。それが怖くて黙ってたの。これを捨てたいのね」
「はい」
「鍵をこのミサンガで結びましょう」
「はい!」
菜乃花さんはふたつの鍵をミサンガで結んだ。
「立たせて」
「大丈夫ですか?」
「大丈夫。肩を貸してくれたら、歩けるわ」
私はなんとか菜乃花さんを立たせた。
左足を浮かして、ゆっくりと……ネモフィラのじゅうたんの上を私と菜乃花さんは歩いた。
歩くたびにネモフィラのじゅうたんからきらりとしずくが落ちて光る。
菜乃花さんはもう全てを決めている意思の強さで、ゆっくり、ゆっくり、海のほうに歩いた。
風はさっきより弱くなっていて、雲の隙間から太陽が見え始めている。
菜乃花さんは、右手を大きくあげた。
服の裾が海の風をふくんでマントのように大きく広がる。
心を、時間を、涙を投げすてるように、菜乃花さんはふたつの鍵が結ばれたミサンガを、思いっきり海に向かって投げ捨てた。
「!!」
風にのって、そのままふたつの鍵が、海を渡る鳥のようにふわああ……と海の星みたいに輝いて、ぽちゃんと海に落ちて消えた。
菜乃花さんは力なく、ネモフィラのじゅうたんの上に座り込んだ。
そして私のほうを見た。
「これで全部私のものよ。すっきりした」
そういって満面の笑みを見せた。
私はその言い方に笑ってしまう。
「すごく好きなんですね、修一さんのこと」
「……うれしい。そうなの、好きだった……じゃないの。好きなのよ、ずっとね。もう、そう決めたのよ。ごめんね、立夏ちゃん、こんな所まで来させちゃって。怖かったでしょう」
「はいっ……もうイヤです、怖かったです」
私も横に座り込んだ。
怖くて怖くて仕方なかった。
いやでいやで、もうすぐに家に帰りたかった。
そうしなかったのは、大地くんの手の温かさと、修一さんの気持ちが分かったから。
それに菜乃花さんの気持ちも。
脱力して座り込むと真下にキラキラと咲く真っ青な花、ネモフィラ。
私はそれを見て、
「すごい、お花、きれいです。すごいです、こんな山の斜面全部、花畑。菜乃花さんが植えたんですか?」
「そう。全部、ずっと……四年かけてね。手入れの方法は修一が教えてくれたから」
そういって菜乃花さんは優しく花に触れて、一本ちぎって目の前に持った。
真っ黒でまん丸な瞳。
そこに青色の花が咲いた。
菜乃花さんが口を開く。
「ねえ、知ってる? ネモフィラの花言葉」
菜乃花さんが手に持っていた一輪のネモフィラが風に揺れた。
揺れたと思ったけど、それは菜乃花さんに抱き着く修一さんだった。
ううん、体を重ねるように、抱きしめていた。
修一さんの身体が菜乃花さんを包み込むように光っていてキレイ……。
菜乃花さんは見えてないのに、それにこたえるように自分を抱きしめて、
「ネモフィラの花言葉はあなたを許す。修一、バカでドジであほみたいな事故で死んだあなたを、私は許すわ」
「菜乃花ごめん……」
あなたを許す。
菜乃花さんは続ける。
「だから死んでても好きでいいかな。いいともーー! やったー!」
そういって菜乃花さんはネモフィラのじゅうたんに倒れこんだ。
大地くんの叫び声が聞こえる。他の人の話声も聞こえる。
そして大地くんが私と菜乃花さんを抱き寄せてくれる。
人の温度、そして気持ちが流れ込んでくるみたいで温かい。
私は安心して目を閉じた。
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