第12話 修一さんと菜乃花さん

「キス……されたんだよな」

「う、うひょっ!!」


 私は手に持っていた麦茶を落としてしまった。

 麦茶がどぼぼぼと地面に染みを作るので慌てて手に持った。

 体育館倉庫の裏にある、ふたり曰く24時間365日濡れない謎のスポットにシート敷いてお茶を飲もうとしていたら修一さんが突然ぷかぷか浮きながら言った。

 キス!!

 少女漫画では読んだことあるけど、実際した人から話を聞くのははじめてでイケない話を聞いているような、何か触ってはいけない海の生物に素手で触れてしまったような驚きがあって、言葉をなげすてる。

 修一さんは海の上に座って、


「あんた、私のこと何だと思ってるの、バカ男! って叫んで、キスされた」

「それは……怒って……? でもなんで怒ってキス……?」


 どうしてバカ男って叫んでからキスするのか分からない。

 悪いことを言ったから謝りたかったのだろうか。

 キスでなかったことに……できないと思う。

 むしろよく分からなくなりそうだ。

 修一さんは、


「いや……怒ってたんだと思う。俺は菜乃花との距離が最高に楽で。それにあいつが俺を好きなのもわかってた。だから絶対に離れて行かないと思って分かってて……それでも恋にするにはあまりに気が重いというか……。十年以上横に居て、今さら恋とか。言わなくたってって分かるだろ、それでいいじゃないか、それがカッコイイと思ってたんだ」

「はあ……」


 正直修一さんが何を言っているのか全然分からない。

 そもそも恋という感情が分からないのに、気が重い?

 ……ぜんぜん分からない。

 きょとんとしている私に気が付いたのか修一さんは、


「ごめんごめん。まあ要するに、キスされて、怒られた数日後に事故で落ちて死んだからさ、たぶん気にしてるんだ」


 あまりの言葉にぎょっとしてしまう。


「えっ……それって修一さん、かなりダメなんじゃないですか。それはさすがの私もびっくりです」

「そうだね、改めて口にすると、本当に最低なタイミングで落ちたな」

「死ぬ前にお祓いとかしてもらったほうがよかったのでは?」


 思わずそんなことを言ってしまった。

 修一さんは私の言った言葉に爆笑した。

 たしかにもう死んでしまっている人にお祓いはないけれど……それでもタイミングが悪すぎる。

 私はお茶を飲んで、


「怒られて、キスされて、修一さんはどう思ったんですか」

「あー……うーん、俺たちはさ、はじめてのことは交互にしようって約束してて」

「??」

「うーん。例えば……立夏ちゃんホタルイカ食べたことある?」

「?? なんですか。聞いたことも見たこともないです」

「小さなイカなんだけどね、ふたりとも食べてないものを食べるときは、どっちからから。俺か菜乃花、どっちが先に食べるって決めてたんだ。その後で、もう片方に紹介して食べさせる」

「うーん?」


 聞いていてもよく分からないルールだ。 

 修一さんは、


「だからさ、キスを先に菜乃花からされたから……俺から抱きしめないとな……と思ってた」

 

 私はその言葉に立ち止まった。


「……なんだかすてきです」

「いやもうできないんだけど」

「そうですね、お祓いしたほうがいいですよ」

「俺すこし立夏ちゃんが分かってきた。わりと意地悪だね? そうだね?」

「私おばけ見えるんだし、修行とかしたらお祓いできるようになりませんかね?」

「レベルアップ! みたいな」

「そうです」


 いいね、と修一さんは笑いながら、


「それでも……まだ死ねないな」


 と言った。だからもう死んでるのに。

 だから死ねないのかも知れないと、私は思った。

 すごく矛盾してるけど、迷いなくそう思ったんだ。

 菜乃花さんは両手に袋を持った状態で戻ってきて、


「ここに居たんだ~。ここでお弁当よく食べたんだよ~~」


 と袋をガサガサと開いた。

 中にはファミチキが三つ入っていた。良いにおい!

 うちはお父さんがいなくてお金があまりなかったから、コンビニで買い物しなかった。

 だってコンビニって全部高いんだもん。

 でもCMで見て「たべたい!」って言ったらお母さんが作ってくれた。

 美味しかったけど、それはやっぱりただの唐揚げで。

 やっぱりファミチキを食べてみたくておこづかいで買って食べたら、唐揚げと全然ちがう!

 味が濃い、うすくて食べやすい、油がすごい、美味しいー!

 あの頃からファミチキが大好き。

 それを菜乃花さんに言うと、けらけらと笑って、


「わかる。コンビニで売ってる食べ物って、すっごくおいしそうに見えるし、実際うまい。私も高校生になって自分でバイトするまで買えなかったなー。だって高いよ、200円以上するんだもんね。今は大人だから大丈夫」


 そういって菜乃花さんはファミチキを食べて、もうひとつをレジャーシートの真ん中になんとなく置いた。


「……修一も好きだったの。だってあいつ、ファミチキ好きすぎて、ファミマでバイトしてたのよ?」

「えっ……好きすぎませんか……?」


 私は我慢できなくなってぷかぷか浮かんでいる修一さんを見た。

 修一さんはパッと飛んできた。

 表情はなく、怒っているようで……?

 そしてまっすぐに私を見て、


「それはほんと。うらやましいから、もう俺は浮いて逃げてる」


 と言って戻って行った。

 そんなに好きだったんだ。

 あっ……だから三つ。

 私はレジャーシートに置かれたファミチキを見て気が付いた。

 菜乃花さんはファミチキをぱくりと食べて、


「サッカーの大会に負けたあとにはね、私がおごるって決まってたの。夏休み、修一とファミマ行って……修一はメガネをしてた時期があってね。外が暑くて店内が涼しいとメガネが曇るの。だからってメガネを私のセーラー服の襟で拭くの。なーにしてるんだろうね、あの人は。さっき買いに行ってね、それを思い出してた。引っ張られる襟の感覚とか、振り向いたら『良い所にハンカチがありますな』って笑う笑顔とか……全部忘れたくて、忘れたくないわ」


 そう言い切って、レジャーシートの真ん中に置いた三つめもぱくりと食べた。


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