第3話 普通になりたい


 小学校に入るころにはお父さんは家に帰ってこなくなった。

 詳しいことはわからない。

 ただお母さんとお父さんが毎日けんかしていた。

 ふと目がさめると少しだけ開いたふすまの向こうから、お父さんの大声と、お母さんの叫び声が、たくさんも聞こえてきた。


「立夏を病院につれていけ」

「あいつは病気だ」

「あいつの言うことを信じるのか?! 俺がいうことは信じないのか?!」

「頼むから子どもを普通に育ててくれ。他の子はそんな事言わないだろ、俺は高望みしてるか?! みんなと同じ、普通でいいんだ!!」


 普通じゃない、普通じゃない。

 私は変な子、病気の子。

 言わなければよかった。

 なにも言わなければお父さんは優しかったのに。

 お風呂で水鉄砲するの楽しかったのに。

 公園で自転車の練習したかったのに。

 こっそり駅前でおかしを買ってもらうの大好きだったのに。

 全部なくなってしまった。

 私が悪い。言わなければよかった。

 ただ耳をふさいで、ひざを丸めて、ただその時間が終わるの待った。

 お父さんが会社に行ったあとお母さんに、


「私がおばけが見えるとか言ったから……ごめんなさい」


 と謝ったけど、お母さんは静かに首をふり、


「そのことは関係ないよ。ダメだね、お母さんももう少し落ち着いて話しないとね」


 と悲しそうに目を閉じた。

 二年生になるころには離婚すると話をされた。

 友達に親が離婚してる子は多かったからさみしくはなかった。

 でもやっぱり悲しくて自分が悪いのが分かっていたから、お母さんに申し訳なくて、たくさん泣いた。

 高学年になったら普通になれるかもしれない。

 おばけが見える力もなくなるかも知れない。

 そう期待したけど、私の『見える力』は弱まるどころか、強くなっていった。


 おばけにも種類があることに気が付き始めたのだ。


 ぴかぴかとキレイな光に包まれている人と、体全体が何色も使った絵具で描いたあとの筆洗みたいににごった色をしている人、ほんとうによく見ないと生きている人と見分けがつかないけど、半分だけ透けている人……何種類ものおばけがいることに気が付いた。

 そしてすごく集中すれば、生きている人とおばけの見分けがつくことに気が付いた。

 前は『私にしか見えてない人がいる』なんて考えたことなかったから、意識したことはなかった。

 でも意識してみると、生きている人は普通の肌色をしているんだ。


 それから私は『もう間違えないように』『普通になるように』頑張ることにした。


 おばけは色んなところにいた。

 家から一歩出たら道路にも、歩道にも……今まで疑問に思わなかったけど道路の真ん中にも。

 ずっとそう見えていたから、そういうものだと思っていた。

 

 私は歩いているときに疲れると、どこでも座っていた。

 それをお母さんもお父さんも、


「汚いからやめなさい」


 と言っていたけど、昔から道路に座ったり寝ている人が見えていたから、当たり前だと思っていた。

 でも意識してみると、それはおばけだと分かったし、普通の人は道路の真ん中で寝ていなかった。

 話しかけると普通に話してくれるから、ぜんぜん分からなかった。


 頭の中にピンといつも糸がはってあるような感じ。それは「こっからこっちと、あっち」を分けている。

 それを意識して毎日暮らしていると『普通の子』と同じように暮らせるようになった。

 

 でも今日はお母さんが再婚して、これから住むところに引っ越してきた初日。

 お母さんは中学校に入るタイミングでもう一度結婚してくれた。

 

 ずっと住んでいたのは東京で、ここは電車で二時間かけてきた遠い港町、美波街。

 お母さんと幸次郎おじさんは二年くらい付き合っていたけど、環境が大きく変わることを考えて、このタイミングにしてくれた。

 私はものすごく緊張していて……だから『久しぶりに間違えた』。




「こっちが立夏ちゃんの部屋なんだ。どうかな。家具はあまり買ってない。立夏ちゃんが選んだほうがいいかなと思って」


 幸次郎おじさんは、私を三階の奥の部屋に連れて行ってくれた。

 そこは屋根が斜めになっている長めの良い部屋で、大きな窓からは鏡のように光っているものが見えた。

 海だ!

 太陽の光を受けてキラキラしている。

 東京ではマンションに住んでいて、窓から景色を見たことなんてなかった。

 だから海が見えるところに住めるのはうれしい。

 思わず窓を開けて、


「すごくきれいです。こんなお部屋をありがとうございます」


 と頭を下げた。お母さんと幸次郎おじさんは「荷物はそこに置いてあるから」と部屋から出て行った。

 部屋には……修一さんと呼ばれた男のおばけと私が残された。

 私は椅子に座って、


「あの……改めて。立夏です。立つ、夏と書きます。お兄さんは……修一さん、ですか」

「ああ。五十嵐修一。死んだのは17才だから、永遠の17才かな」


 そういって修一さんは目を細めた。

 話しながら思う……この人は『すっごく気を付けて線を意識してないと人間と見分けがつかない人』だ、と。

 正直普通に生活してても見間違えたかも知れない。

 それくらい『人間に近い』。

 私は少し高い回転椅子を回転させながら、


「あの……転落死って……」

「ああ。通ってた高校の屋上から飛び降りたんだ。自殺ってやつ? まあ色々あってね」


 そういって修一さんは静かにベッドに座った。

 私は回転いすを止めて口を開いた。


「それ……嘘ですよね」

「えっ……」


 修一さんは私のほうを見た。

 キラキラとした茶色の髪の毛が太陽と半分こして光っている。

 ああ、本当にこの人は……『きれいなおばけ』だ。

 私はキュッと手をにぎって、


「私、死んでしまった人……おばけが見えるだけじゃなくて、自分で死んだかそうじゃないかだけ、分かるんです」

「えっ……」

「修一さんは『きれいなおばけ』つまり、体をキラキラとした光が包んでるんです。このタイプの人は自殺した人じゃありません。これは私が幼稚園の時からおばけさんにインタビューした結果で、答えは100パーセントです」

「……なるほど」

「自殺した人は顔色がすごく悪いんです。あと、キラキラしてない。このキラキラは種類も多くてよく分からないんですけど、とにかく体が半分透けてて、違うんです」

「俺は……?」

「キラッキラの半透明。それに……すいません、ちょっと……触れてもいいですか?」

「えっ?!」


 戸惑う修一さんに私は回転いすごと近づいた。

 今まできっと100人以上のおばけに会ったけど、こんなにキラキラしているおばけははじめてなのだ。

 たとえると体がガラスのビンで、その中に砂場の一番上にあるサラサラとした砂が入っているような感じ。

 そう……太陽にすかしてみている砂時計みたいな。

 修一さんに触れると私の指先から、その砂がサワリと光って輝いた。

 まるで砂場の砂を高い場所から風に乗せて泳がせたような美しさ。

 砂のカーテンが夕日にそよぐ。

 私はあまりに美しさに見とれながら、


「……何も感じない、んですか? くすぐったいとか」

「ああ。とくには。そうか……嘘はつけないのか」


 そういって修一さんは苦笑した。

 そのどうしようもなく悲しそうな表情が目の前にあって、私は回転いすごと遠ざかった。

 少し古いのか、いすがギギッときしんだ。

 私は唇をなめて言葉を探す。


「……自殺じゃないのに、どうして自殺したって私に言ったんですか」

「色々聞かれるのが面倒だと思ったんだ。自殺って言えば何も言ってこないかなと思った」


 修一さんは苦笑した。

 たしかに見えるだけじゃなくて、自殺か、そうじゃないか分かる人がくるなんて思いもしないだろう。

 でも……。私は再び回転いすを少し動かしながら、


「幸次郎おじさんに修一さんのこと、すっごく聞かれると思います」

「そうだな」


 さっきの幸次郎おじさんを思い出す。

 目から大粒の涙を落して……すごく辛そうだった。

 転落死って言うってことは、落ちて死んだってことしか知らないってことだ。

 私は回転いすを回しながら、


「死んだ理由とかは、もし聞かれたら……そういうのは答えないって言います」


 と言った。


 実はお父さんとお母さんが別れたあと、私におばけが見える力があると知り、お父さんの知り合いだという人が訪ねてきた。

 そして「死んだ人が見えるんだろ?! 死んだじいさんが金を隠してるから、場所をきいてくれ!」と言われた。

 夏休みでお母さんはいなくて、私は、

「この人を助けたらお父さんが帰ってくるかもしれない」

 そう思ってその人に家に行った。

 家に行ったらおじいさんは居たけど……真っ黒な顔をして静かに首をふるだけだった。

 見た瞬間にお話ししてくれないなあとわかった。

 私がそう言っても、お父さんの知り合いは怒るだけたった。

 「お前は金のありかを知ってて、黙ってるんだろう!! あとで盗む気だな」

 って私に怒った。

 私はただ首をふって「違います」ということしかできなかった。



 あの時は何もわかってなかった。

 ただこの人によくしたら、笑顔のお父さんが帰ってくるかもしれない、そう思った。

 お母さんはおじさんについて行った私に怒らず抱きしめて、


「見えない人が何を言っているかなんて、嘘を言っても、本当のことを伝えても、聞いてる人には分からないよね? 私は立夏を信じてるから、全部信じるけど、はじめて会った人はそうじゃないよね? やっぱり証明できないことを信じてもらうのは難しいよ」


 と。

 その通りだと思った。

 お父さんが連れてきた人だから、知り合いだと言うから、私はありのままを伝えたけど……本当か嘘かなんて、私にしか分からないんだ。

 私はそれをゆっくりと修一さんに話した。

 修一さんは、


「そうか、つらい目にあったね。でも立夏ちゃんにお願いしてしまう気持ち……わかるな……」


 と目を伏せた。

 その目の細めた時の眉毛の形とか、幸次郎おじさんにすごく似てるなあと思った。

 見ていると修一さんの身体が薄くなっていって、そのまま消えて行った。

 おばけにはその場から動けるタイプと動けないタイプがいるけど、修一さんは動けるタイプのようだ。

 部屋から窓の外をみると、真っ青な海が太陽の光をうけて輝いていた。

 すてきな部屋。

 新しい日々が始まる。

 私は新鮮な空気を思いっきり胸に吸い込んだ。

 すると後ろのドアがガンと開いて、私と同じくらいの年の男の子が立っていた。


「お前、父さんに何を言ったんだ」


 そういって私をにらんだ。

 

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