第2話 ずっとそこにいたから

 これは私が幼稚園だったころの話……。


 あの頃、私は草の匂いが大好きだった。

 せまい所にいても、その匂いをクンクンするだけで、広いところにいるみたいで気持ちがすっきりした。

 幼稚園が終わってバスの順番を待つとき庭に転がって、ぶちぶちと草をちぎっていた。

 みんなが走り回るからなのか、庭の真ん中に雑草は少なくて、園庭のふちにある大きな木の裏側にしか残ってなかった。

 だから私はいつもそこに転がっていた。


「こんにちは」


 そこにはいつもいる女の子がいた。

 背の高さは同じくらいで、まん丸な目をして、髪の毛がすごく長い女の子。

 私はいつも草をぶちぶちとちぎりながらその子と話をしていた。

 ほかの子はブランコや砂場、ジャングルジムで遊んでいて、誰も一緒に遊んでくれない。

 だけど私はその子がいるからさみしくなかった。

 バスの時間だよーと先生に言われるまで、私はいつもその子と話していた。


「ねえねえ、みゆきちゃんは給食たべられる?」


 私は草をぶちりと抜いて聞いた。

 幼稚園ではたまに給食の日というのがあり、幼稚園がつくった物をたべていた。

 それは小学校に入学したら毎日給食になるから、その練習……と先生は言っていたけど、私はものすごく給食がきらいだった。

 お母さんが作ってくれるお弁当には私が好きなものしか入っていない。

 ハンバーグ、コーンとベーコンをいためたもの、タコさんウインナーソーセージと塩味のおにぎり。

 でも給食はふなふなした大根とか、かむと口の中でぼろぼろとくずれていく豆とか、すっぱいウメ干しがのってピンク色に染まってしまったバサバサしたご飯とか!

 とにかくすべてがおいしくなくて、給食が大きらいだった。

 いつもの木の下にいるみゆきちゃんにそれを伝えると、


「たべられるものなら、なんでも好き」


 と言った。たべられるものなら何でも?!

 その言葉に私はびっくりしてしまった。


「ピーマンも? ニンジンも? ナスも?!」

「うん。大好き」


 とみゆきちゃんは頷いた。

 信じられない。

 さくら組の子たちはみんな野菜が嫌いだし、私はピーマンは小さくしてあっても気が付くし、ニンジンもナスも大嫌い!

 それなの全部好きなんて……! 

 あまりに驚いてバスからおりてお母さんに会ったとき、そのことを話した。

 お母さんは、


「へえ~。お母さんが料理上手なのかな。お野菜をおいしくしてるのかも」


 と笑った。そして仲が良い子がいるなら、幼稚園が終わったら一緒に公園遊びしましょうと言ってくれた。

 ほかの子はみんなそれをしていたのですごくうれしくて、次の日さっそくみゆきちゃんをさそってみた。

 するとみゆきちゃんは全く表情を変えず、


「わたしはここから動けないから」


 と言ったのだ。

 動けない? どういうことだろう。お母さんがダメって言うのかな?

 でもそれなら、私のお母さんに言ってもらおう!

 それをお母さんに伝えるとサアア……と顔を真っ青にした。

 そして数日後、


「りっちゃん……その子はね、幼稚園に『いない子』なの」


 と教えてくれた。


 幼稚園にいない子?

 私はお母さんが何を言っているのかぜんぜんわからなかった。

 だってバスを待っている間、私と遊んでくれるのはみゆきちゃんだけだ。

 私は、


「みゆきちゃんはいるもん!」


 と叫び、幼稚園の先生とお母さんを木の下につれて行った。

 みゆきちゃんはいつも通りすわっていたので、ゆびさして、


「ほら、みゆきちゃんだよ、ここにいるじゃん」


 と言ったけど、先生もお母さんも悲しそうな顔をするだけだった。

 私はその反応にムカついて、お母さんの手をぐいぐい引っ張ってみゆきちゃんの目の前につれていった。


「ほら、みゆきちゃんだよ。みゆきちゃんは草が大好きで、私もいっしょに草を食べてるの。友達だよ!!」

 

 と言ったら悲しい顔をくるりと変えて、お母さんが走りよってきた。


「立夏、園庭の草をたべてるの?! どれを?!」


 あまりに怖い表情で怒られるのが怖くて泣いてしまったけど、落ち着いてから食べた草を指さした。

 それはよもぎという葉で、食べても問題はないみたいだったけど、食べたら死んでしまう草も生えてるから、むやみに食べないように言われた。

 そして、


「みゆきちゃんと話さないの!」


 と強く言われた。

 どうしてそんなことをいうのか分からなくて、幼稚園に行くのがイヤになった。

 だって遊んでくれる友達は他にいなくて、他の子がしている鬼ごっこもかくれんぼも嫌いだった。

 ただみゆきちゃんとゴロゴロして草を食べているのが好きだったのに。

 毎日行くのをいやがっていたら、お母さんがお話をしてくれた。


 お父さんのお母さん……私のおばあちゃんは小さな島の出身で、神さまのようなことをしていたみたい。

 早くに死んじゃっていて、私は会ったことがなかったけれど。

 神さま?

 それはお正月にお金を投げ入れにいく所と同じ? と聞いたら、同じようなものだけど、違うのだと言われた。

 やっぱり全然わからない。

 とにかくおばあちゃんは『死んでしまっている人とお話できた』らしい。

 その人と話して気持ちをゆっくりにしてあげて、天国に行かせてあげるのが、おばあちゃんの仕事だったようだ。

 女の人だけが、その力をもらう。

 お父さんにその力はなかったけど、どうやら孫の私にはその力があるのでは……と。


 私はこの話が、自分にどう関係してるのか分からなかった。

 そうお母さんに聞くと、

「……そうだよね、立夏にはみゆきちゃんが見えてるんだもんね」

 と言ってくれた。

 


 お父さんはいつも遊んでくれる優しい人で、私は大好きだった。

 お仕事からいつも早く帰ってきて、一緒にお風呂に入って水鉄砲で遊んでくれた。

 でも私が幼稚園に行かなくなった理由を聞いて一変した。


「立夏。嘘つきは捕まるんだ、警察に逮捕されてもうお父さんに会えない。立夏はお父さんに会えなくていいのか? 刑務所に入るんだぞ。刑務所は怖いところだぞ、怖いひとがたくさんいるんだ。毎日ひとりぼっちになるぞ」


 と言った。

 私は泣きながら嘘じゃない、警察は怖い、お父さんに会えなくなるのも、怖そうなところもイヤだと泣いた。

 お父さんは、


「じゃあもう、普通の人が見えないものを見えるとか言わないでくれ。父さんの母さんはそれを言うから、大変だったんだ。父さんはやっと逃げてきて普通の生活を手に入れたのに、立夏がそんなこというなんて困るよ」


 と私の肩をつかんでいった。

 私は『普通の人が見ているものと、見えていないものの違い』が分からなかった。

 だってみゆきちゃんは普通にいたから。

 そう言うとお父さんは突然、


「お前もあのばばあみたいに嘘つくのか?! そんなの誰も見えないんだよ、何嘘ばっかり言ってるんだ!!」


 そう叫んだ。

 私は嘘つきなの? じゃあ私が見ているものは何なの?

 誰も私が見ているものが見えないの?

 じゃあ私が見ているものはなんなの?

 それにいつもにこにこしていたお父さんが突然鬼みたいな顔で怒って、ふるえるほど怖かった。

 でもお母さんだけは、


「りっちゃんの言うことを全部信じるよ」


 と言ってくれた。

 でも外に生えているものは毒もあるから、何でも口に入れちゃダメだよ、と言われたけれど。

 そしてみゆきちゃんが20年以上前に死んでしまった子だと教えてくれた。



 みゆきちゃんは幼稚園にも通えず、お母さんも家にいなかった。

 お父さんとふたりで住んでたけど食べるものがなくて、夜にこっそり幼稚園の庭に忍び込んで、植えてある野菜を盗み、食べていたようだ。

 その結果みゆきちゃんは庭の毒の草を食べて、あの木の下で死んでしまったらしい。 



 噂には聞いてたけど……本当なのね……と先生たちは木の下にひまわりの種をまいた。

 少しでも明るくなるように。そこが華やかになるように。

 あれがはじめての『ゆうれいとの出会い』だ。

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