26話 灯火を睨む
ベティが、ペラペラとページをめくりながら言う。
「御屋形様は、今日一日中狩りに出ていらしているようです。バーニアス様は、暗器を連れて訓練場で訓練、と書かれています」
「ならば、先にバーニアスだな」
俺が言うと、ベティは苦しい顔をする。
「ブレイズ、様。ご存じとは思いますが、バーニアス様は……」
「分かっている。ついて来なくていい」
「……ありがとうございます」
ベティは首を垂れる。それにティルが、首を傾げた。
「何で?」
「バーニアスは、父上の悪い性質を煮詰めたような奴だ。俺たちだけで戦った方がいい」
「ふーん……?」
「会えば分かる」
俺はベティを見た。
「俺がバーニアスとやり合っている間に父上が来た場合は、どうにか誤魔化しておいてくれ」
「畏まりました、ブレイズ様」
「では、行ってくる」
俺はティルの手を引いて、訓練場へと向かう。
歩きながら、ティルが袖を引いてきた。俺がティルを見ると、ちょっと不服そうにティルが言う。
「会えば分かるじゃヤダ。聞きたい」
「……本人のいないところで、あまり、他人を悪しざまに言うのは慣れていない。しいて言うなら、悪人だ」
「この家の人はみんな悪人」
「それだとベティが含まれるが」
「ベティもレイの命一回狙ったから悪人」
「厳しいな、ティルは」
「だから、これからに期待。頑張っていい子になってもらうの」
ふんす、と鼻息荒く、ティルは言う。
俺はしばし考えて、こう答えた。
「バーニアスは、他人の苦痛を喜ぶ男だ。嗜虐を好み、よく俺を焼いた」
「焼かれたの? レイ、大丈夫?」
「いくつかの傷は残っている。だが、魔境山での戦いの方が遥かに熾烈だった。俺の身体の傷は、ほとんどが魔境山でのものだ」
「そっか……。じゃあ、山の魔獣たちと同じように、懲らしめてやらなきゃ」
「ふ、そうだな」
訓練場に至る。ここまで近づくと、声が聞こえてくる。
「ばっ、バーニアス様、そこで、そこでご勘弁を」
「ぐるっ。ぐるじ、が、ガァアアアアア!」
「あっははははははははは! 何だい情けないなぁ。これは訓練だよ? もっと避けたり、こっちら攻撃したりして、僕の訓練台になってくれなきゃあ困るじゃないか」
俺は目を細める。相変わらずの残忍ぶりだ。ティルも明らかに顔をしかめている。
二人で進み、訓練場の中に入った。訓練場。訓練の余波が本館に及ばないように、館の裏口を出て、少し歩いた先にそれはあった。レンガ造りの壁だけで、地面はただの土だ。
するとすぐに訓練場の中で、「ん? 暗器か、父上でも帰ってきたかな」と声が上がる。勘のいいことだ。
俺は、素直に姿を現した。奴と、直接対面する。
バーニアス。髪も、顔も、まるで燃え尽きた灰のようなくすんだ白の青年。奴は白樺の真っ白な杖を持ち、俺を、目を丸くして見ている。
周囲には、二人の人影があった。全身やけどでまともに動けなくなった者と、それを涙目で抱える男。
黒のローブは、羽織っていない。アレはあくまで、襲撃用のものという事だろう。
「久しぶりだな、バーニアス。お前の残忍さは、さらに苛烈になったようだ」
俺が言うと、バーニアスは堪えきれなくなったように笑いだす。
「ぷっ、あっははははははは! これはこれは! びっくりしたよ! ブレイズ! なんてこった、本当に生きていたんだね!」
腹を抱えて笑い、涙を拭ってバーニアスは言う。
「いやしかし、まさか本当だとは! 驚いたよ! だって僕はてっきり、とっくにブレイズは死んでいて、剣がゴブリンの間で遣いまわされているものだと思っていたからね!」
ふくく、と腰を折って笑いながら、バーニアスは続ける。
「父上は血相を変え、ローズティアラはソワソワし始めて面白かったけれど。いや、間違っていたのは僕だったって訳だ! 暗器を使うなんて父上は心配症だと思っていたけれど」
いやはや、とバーニアスは笑みの雰囲気を変える。
快活な笑いから、ニタリと嫌らしいそれに。
「君がこうしてここに立っているのを考えると、存外的外れではなかったみたいだね」
クスクスと肩を揺らしながら、バーニアスは俺を見る。
「ブレイズ。出来損ないの義弟くん。君は、復讐のためにここに立っているのかな。そんなに焼かれたの、痛かった? それとも、もう一度焼かれに来たのかな」
「お前を無力化しに来た。父上との戦いで、邪魔にならないように」
「ふぅん……。そういうなら、僕は騒いじゃおうかな。そうすればローズティアラも駆けつけてくる。そうすれば二対一で、有利になってしまうね?」
ニタ、とバーニアスは嗤う。ティルは「この人やだ~」と小声で言いながら、俺の後ろに隠れる。昔からこの、常に足元を見てくる感じは変わらない。
俺は言った。
「ローズティアラは、もう下した」
「え?」
「薔薇の魔法を破り、木の指輪のついた指を切り落とした。奴の心は、確実にへし折った。もう、ローズは戦えない」
「……ローズ、負けたの? へぇ……」
バーニアスは、鼻で笑う。
「ハッ、ダサ。ま、昔から別にできる子じゃなかったし、そんなもんか」
「……」
「じゃ、一応魔法使いと戦える程度の実力は、身に着けたわけだ? まぁ魔境山に居たわけだもんね。しかも……十年くらい。ふはっ! 十年も山で武者修行って、バカまっしぐら!」
ケラケラと、バーニアスは笑う。
「その情熱、欠片でも魔法に注げれば良かったのにねぇ。ブレイズ、本当に君は、バカで、グズで、生きているだけで世の中の無駄同然だ。こういうのを、何て言うか知ってるかい?」
「……」
「豚だよ。餌を貪り食う、豚さ。子供の頃に見たけど、実に醜くってねぇ。思わず焼いたら、いい匂いがしてきたんだから笑ってしまったよ」
言って、バーニアスは白樺の杖を俺に向けてきた。
「お前も同じく、豚の丸焼きにしてあげるよ、ブレイズ。ああ、もちろん僕がじゃないよ? 豚に触れるのは嫌だからね。君が相手をするのは、彼らさ」
「はっ? バーニアス様っ?」
バーニアスは、嗜虐心たっぷりに笑った。杖の石突で、地面を突く。
「ファラリスの魔人」
暗器の二人の身体が、傾いだ。
直後、二人は高らかに燃え上がった。「あっははははははははは!」とバーニアスは哄笑を上げる。
「いやぁ、火はいいね! どんな醜い生き物でも、全て美しい炎で上書きされる!」
バーニアスは、手を広げて朗々と語り始めた。
「ふふふ、この二人は、魔法によってお前しか見えないよ、ブレイズ。そして、助けを求めるようにお前に近寄っていく。触れたが最後、お前まで燃え上がるのだけどね」
「……」
「さらにさらに、これは魔人のモチーフだから、炎の性能にも優れている! 何と何と、殺せないのさ! 不死の火の魔人と言う訳だ。お前を殺すのにぴったりだと思わないか?」
バーニアスは、俺に目を見開いてくる。俺は、口を開いた。
「お前は多弁だな、バーニアス。聞くに堪えない話を、ベラベラと。お前相手に手加減をする必要は、なさそうだ」
「……つーかさぁ、何で呼び捨てなの? バーニアス、お兄様じゃない?」
バーニアスは、機嫌悪そうに顔をしかめる。俺はもはや会話の必要性を感じず、ティルに目を向けた。
「ティル」
「うん。ブレイズ」
ティルは言う。
「私、血が飲みたい。あの、悪人の血が」
「ああ。お前の願いを叶えよう、ティル」
手を取る。ティルが魔剣へと変貌する。それを見て、「ふぅん? 誰だと思っていたけど、そうか、あの剣だったんだね」とバーニアスは杖を肩に担ぐ。
「しかし、幼女に変化させるなんて、ブレイズ、お前こそ悪趣味じゃないか」
「言っていろ」
俺は柄を掴む手を絞る。バーニアスは、「ハハハ」と意地悪く嗤った。
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