23話 記憶の香り、薔薇園

 ベティの案内で、屋敷に忍び込んでいた。


「こちらです。レイ、ティル」


 怪しまれないように、ベティには呼び捨てしてもらう形で、俺たちは屋敷を進む。


 山登りの一夜を明かし、朝の早い時間だった。堂々として居れば、人数の多い屋敷なだけあって、ろくに疑われもしない。


 ―――黒ローブの監視は、残る銀等級の面々で内々に決めたことだという事だった。


 だから、放置すれば父にそれが伝わる。そうすれば警戒されるだろう。


 それで、朝早い時間から動くことになった。幸いにも家人はそう居らず、怪しまれることは少ない。


 しいて言うなら、ティルを見て「おや、可愛いメイドさんだね」と声をかけてもらうくらいのものだ。


「ふりふり。レイ、可愛い?」


 メイド見習いの姿をして、ティルは俺に抱き着いてそう言った。俺は答える代わりに、頭を撫でておく


 俺は従僕の、ティルはメイド見習いの格好をして、新人と言う体で動いていた。


 新人に関する人事は、養父や執事、メイド長など、役職のある人間しか掴んでいない。だから、そう言った少数の人間を避ければ、俺たちの素性は疑われることはないようだった。


「それで、どうするのですか」


 ベティは俺に問う。


「誰から、当たるおつもりなのでしょう」


「そうだな。まずは相手取っても、しばらく他二人に露見しない方がいいが―――」


 俺が言った時、少し離れた場所から声が上がった。


「あら、あなた新人?」


 俺に声をかけたのは、いかにもお嬢様という格好をした少女だった。クルクルと渦を巻くような形の髪。俺は帽子を目深に被りながら「はい」と答える。


 少女は言った。


「ふぅん……。パッと見の顔の造形は悪くないわね。従僕に、あら、小さなメイド見習いさんね。お名前は?」


「ティル」


「―――」


 ティルのその受け答えに、少女は目の色を変えた。ツカツカと歩み寄ってきて、ベティの頬を強かに打つ。


「躾はどうなっているの、シャーベット。メイド見習いとはいえ、敬語さえまともに使えない子を、アタクシの前に連れてくるなんて」


「っ……、申し訳ございません。こちらの監督不行き届きです」


「ベティっ?」


 ティルが慌ててベティを見上げるが、ベティは首を振ってそっとティルを諫める。


 少女は、ため息を吐いて続けた。


「はぁ……ねぇ、シャーベット。あなた、またブレイズお兄様の暗殺に失敗したそうね。まぁ他の二人みたいに死んで帰ってこないよりはましだけれど、おめおめ逃げ帰る、と言うのも情けない話ではなくて?」


「……申し開きもございません」


「フン。あんな魔法もろくに使えないグズ相手に、どうして殺されることがあるというのかしら。我がブラッドフォード家の家中ならば、全て完璧にこなして欲しいものだわ」


 一通り言って、少女は踵を返した。言いたいことは言った、と言う訳らしい。


 昨日の襲撃を言及されないのは、知らないからだ。叱責を恐れた銀の暗器たちは、独断行動的に昨日の作戦を企てた。そして見事に失敗した、と言う訳だ。


 だから、少女はそれ以上何も言わず、足早に去って行く。


 だが途中で振り返り、彼女は俺を見て言った。


「従僕の新人さん。まずはアタクシの下に挨拶においでなさい。庭園で待っているから」


 一見優しそうに言って、少女は去って行った。


 俺はベティに問う。


「奴は、ローズティアラだな」


 ローズティアラ。俺のかつての義妹。俺を嘲り笑った一人。あれから十年の月日が経ったが、その性格は随分とキツく育ったらしい。


 ベティは、頬を押さえながら頷いた。


「はい。いかがしますか?」


「ローズティアラは庭園で一日中過ごすことも、珍しくなかったはずだ。最初の標的にちょうどいいと思うが、どうだ」


「承知しました。では僅かに時間をおいて、ローズティアラ様の下へと向かいましょう」


「いや、いい。俺とティルだけで行こう。ベティは、その頬を冷やしておくといい」


「っ……。ありがとうございます、レイ」


 泣き笑いの表情で、ベティは去って行った。俺はティルの手を握る。


 ティルはちょっと泣きそうな顔でむすーっとしていた。


「私、あのお嬢様嫌い」


「そうだな。どうしたい?」


「……」


 俺はティルの答えを待つ。ティルは言った。


「ぶったら、ぶたれちゃうんだよって、教えなきゃ」


「そうだな。因果応報というものを分からせてやろう」


 俺たちは、庭園へと足を進める。






 何となく間取りを思い出しながら、少し遠回りしつつ、俺たちは庭園へと向かった。


「お屋敷、広いね」


「ああ、これほどの広さが必要なのかと、昔は不思議に思ったものだ」


 そんな風に会話していると、庭園の扉に着く。庭園。正しくは、室内庭園だ。高価なガラスで覆われた、植物の園。


 俺が扉を開くと、庭園の中央の椅子に、奴は座っていた。ローズティアラ・ロッドワンド・ブラッドフォード。他には誰も居らず、一人真っ白な椅子に座った紅茶を啜っている。


「来たのね。あら、小さなメイド見習いさんも。ふぅん……。あまり教育によろしくないと思うけれど、別に構わないかしら」


 その物言いに、ティルは首を傾げた。ローズは微笑んで「いいえ、何でもないわ。さ、こちらにおいでなさい」と言う。


 俺たちは静かに前に進み、ローズの前に並んだ。ひとまず、成り行きを見よう。隙を晒すのならば、そこを突いてしまえばいい。


 だが、ローズは予想だにしない要求をしてきた。


「では、従僕さん。そこに跪き、アタクシの足を舐めなさい」


「……はい?」


「聞こえなかったかしら。そこに跪き、アタクシの足を舐めなさい、と言ったのよ」


 クスクスと笑いながら、ローズは言う。ティルは理解ができないものに直面したという顔で、しきりにまばたきしている。


「足……? 舐め……?」


「フフフッ。小さなメイド見習いさんには、分からないわよね。アタクシの趣味なの。年頃の従僕は、可愛がってあげたいのよ」


 クスクスと嗜虐的に、ローズは笑う。


「ねぇ、早くしてくれるかしら? それとも、嫌だと言うの? だとすれば、あなたは不幸ね。あなたに、拒否権はないのだから」


 詠唱らしい詠唱もしていないのに、周囲の植物がシュルシュルと俺に迫ってくる。ローズの魔力が浸透している、と言うのは本当のことらしい。


 ならば、隙を突くというのはおおよそ不可能となるだろう。俺は嘆息して、帽子を取り払った。


「あら、帽子を外してどうかしたの? ……んん、あなた、どこかで見たような顔をしているわ。まるで―――」


「見ない内に、悪趣味になったようだな、ローズティアラ」


 俺が言うと、ローズは目を丸くした。それから、ぷっ、と吹き出す。


「ふっ、フフッ。ああ、まさか、まさか……ッ! あなたなの? ブレイズお兄様。ああ、なんてお懐かしいお顔。この十年で、随分と精悍な顔つきにおなりになって」


「この十年間は、充実していたぞ。ずっと、剣を振るっていられた」


「フフッ、アハハッ! 剣術なんて棒振りを、あれからずっと続けていたというの!? ああ、バカバカしい。あなたは筋金入りの愚か者でしたのね、フフフフフッ……!」


 クスクスと、ローズは顔を紅潮させて嘲笑する。見ない内に、怪しい色香を纏うようになったと思う。男をねじ伏せ、嗤う。そういう女の顔だ。


「それで? ブレイズお兄様は、アタクシのことを殺しにいらしたの? 子供の頃の復讐に?」


 まるで心底嬉しいことのように、ローズは言う。俺は淡々と答えた。


「父上を、ブラッドフォード候を殺しに来た」


「ああ、何だ。暗殺者の件のこと。でも、それは真の目的ではないでしょう? だって、アレだけイジメて差しあげたのですもの。本当は、アタクシに執着してらっしゃるのでしょう?」


 クスクスと、ローズティアラは笑う。それから、とうとうと奴は話し始める。


「お懐かしいですわ。ブレイズお兄様にぶたれたと嘘を吐いて罰にあわせたり、そういう脅しをかけて好き勝手したりしました。ねぇ、覚えていらして? 全裸で廊下を―――」


 俺は、言う。


「お前は、マシだった」


「……は?」


 俺の言葉に、ローズティアラは初めて不快感をあらわにした。


「痛みやケガというものを伴わない分、随分と楽だった。バーニアスは俺の身体を焼いたし、父上は杖だけを持たせて俺を魔獣に襲わせた」


 その傷は未だに残っている。逃れた以上、恨みというものはない。ないが、それは味方である時に初めて作用する要素だ。


「敵である今、あの二人は生かす理由がない。だが、お前は迷っている。女子供を殺すのは気分が悪いし、無力化さえできればいい」


「……」


 ローズは目を剥いて、わなわなと震えていた。


「な……なに、それ。アタクシが、マシだったって、どういうこと? アタクシ、アレだけイジメ抜いてあげたでしょう? 辱めて、尊厳を奪って」


 俺は冷静に返す。


「あの程度で、俺の尊厳は奪えない」


「なっ、なら! 何でアタクシのところに最初にいらしたの!? アタクシの下に一番に来たのは、そう言うことじゃないのッ? ねぇ、ブレイズお兄様」


 俺は、ゆっくりとまばたきした。その時間で、考える。それから、告げた。


「決めた。お前は殺さないでおこう、ローズティアラ。お前は邪悪だが、殺すほどではない」


「――――ッ! ふざけないでッ! アタクシがあなたの一番なのよ、ブレイズお兄様! ブレイズお兄様の実のお父様でもなく、シャーベットでもなく、あの魔剣でもない! アタクシなのよッ! ブレイズお兄様!」


 ローズは叫んで、手袋を解き放った。そこには木製の指輪が付けられている。薔薇の文様の描かれた指輪をかざし、ローズは言う。


「薔薇よ! 美しき植物たちよ! その者たちは庭園に足を踏み入れし外敵! あなたたちの力で、ねじ伏せ、心の底まで屈服させなさい!」


「ティル」


「うん」


 ティルは、俺の手を握る。そして言うのだ。


「ひねくれお嬢様に、適度なお仕置きしちゃお」


「そうだな、ティル。お前の望みを叶えよう」


 ティルが魔剣に変貌する。俺は剣を構える。まずはこのバラ園を、伐採して回ろうか。

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