22話 生きる意味を問う
森は、シンとしたままだった。
だが、気配があるとはっきり分かった。敵意の臭い。そういうのは、理屈ではなく分かる。あの山で、分かるようになった。
俺はベティに目配せする。ベティは周囲を見回して、小さく頷いた。
小走りで俺の前に躍り出て、演技を始める。
「―――ブレイズ様、騙されましたね」
ベティが言うや否や、三人の黒ローブが森の中から俺を囲うように現れた。全員がすでに杖を抜いていて、臨戦態勢であることが分かる。
その内の一人が、口を開いた。
「シャーベット、よくやった。流石はブレイズ様の、かつてのお付きだな」
「ああ、恐ろしい役者だ。見ろ、あの顔を。何が起こったか、分かっていないではないか」
三人は笑う。俺は剣に手をかけたまま、じっと黙っている。
「では、早々にやってしまお……うか……?」
俺に杖を向けた一人。その一人が言葉を言い終わる前に、ベティは杖に氷柱を纏わせて、ナイフのようにしてその一人を貫いていた。
「なっ!?」
「なっ、何をする、シャーベット! 気でも違ったか!」
「―――お黙りなさい。罠にかけられたのが自分たちであることが、まだ分からないのですか」
ベティは氷柱のナイフをぐりぐりと傷口をえぐり、抜いた。貫かれた一人は血を流して倒れ、顔色を真っ青にして呻いている。
「な、何だと……っ? しゃ、シャーベット! お前、御屋形様に拾っていただいたご恩を!」
「御屋形様にご恩などございません! ブレイズ様の誇りと信念を殺そうとした敵ですッ! ―――水よッ! 氷柱よッ!」
ベティが杖を振るうと、杖の先の氷柱が一息に水になって飛び、再び氷柱となって一人に刺さった。「ぎゃっ」と間抜けな声を上げて、もう一人が倒れる。
「クッ、このままではこの二人が別邸に……。っ! そうか、それが目的か! ならば、ここは逃げね」
ば、と言うよりも早く、俺の剣が走った。首が飛ぶ。血煙を上げ、地面を転がる。
「こちらは終わったぞ、ベティ」
俺がベティの方を向くと、ベティは黒ローブにまたがって、何度もその胸のあたりを氷柱で刺し貫いていた。俺はそれを、無言で見つめる。
多少の時間を経て、満足したのか、疲れたのか、ベティは黒ローブの上から退いた。汗をかき、荒く息をついている。
だが、それは運動故のものではないだろう。心理的なもの。かつて味方だった者を殺すという、緊張あってのものだろう。
しかし、だからといって労っておしまい、とはいかない。
「ベティ」
「ハァ、ハァ……んく、はい、何でしょうか、ブレイズ様」
「もう一人、いる」
「……は」
ベティは、俺を見る。考えもしなかった、という顔で。
「裏切りを疑ったのは、連中も同じだったようだ。もう一人、俺たちに姿を現さず、見ていただけの者が居た。そいつを捕えねば、この作戦は失敗だ」
「そん、な」
俺はベティに手を差し伸べる。掴み起こし、言う。
「方向は分かる。斬るぞ」
「―――ッ、はい!」
俺たちは二人、走り出す。
速度は、俺の方が幾分か速いようだった。肉体一辺倒で戦う俺の方が、肉体的に優れるのは当然か。そう思っていたが、段々とベティの速度が上がっていく。
「それは」
「氷よ、道を作れ。刃の足が辿るべき、道を作れ」
アイススケートの要領で、ベティは加速する。魔法とはこんな芸当も出来るのか、と感心しながら、俺は笑った。
「ならば、俺ももう少し速く走ろう」
「えっ、これ以上人の足で速く走れるんですか!?」
ベティが目を剥いて俺を見る。俺はそんなに驚くことだろうか、と思いながら、足を速めてベティの一歩先を進み続ける。
「ぶ、ブレイズ様。実は魔法使ってませんか? 人間の速度ではないと思うのですが」
「魔法は使っていないし、俺は人間だ」
「え、えぇー……? 魔法とは……人間とは……」
ベティは哲学的な問いに迷い込んでいる。俺たちはさらに駆け、監視者へと迫っていく。
監視者の黒ローブは、俺たちが追いついてきたことを知って、「クソッ!」と声を上げた。ベティがさらに速度を上げ、杖を振るう。
「凍れ。転べ」
黒ローブの足元が凍り付く。黒ローブが転倒し、転がって木に体を打ち付ける。
「ガァアッ! 顔っ! クソ、クソクソク、ごはぁッ!?」
そのどてっ腹に、俺は蹴りをぶち当てた。男は吹っ飛び、うずくまる。
「ブレイズ様? 殺さないのですか」
「意図にない行動を敵がしてきたのなら、吐かせるべきだろう」
「なるほど。では、ワタクシにお任せください。この手のことに関しては、暗殺者として育てられたワタクシの方が、得意と存じます」
「任せよう」
ベティは痛みに悶絶する黒ローブを押さえつけ、杖の先を氷柱で尖らせていく。黒ローブはそれを見て僅かに怯え、それから目を吊り上がらせて怒鳴りつけてきた。
「シャーベット・ヘイル! 貴様! 何故裏切った!」
「……何故?」
ベティは不快そうに目を細め、氷柱を黒ローブの肩に振り下ろす。
「ガァアア!」
「決まっています。ワタクシは最初からブレイズ様のメイドであったはずなのに、この環境が、御屋形様が、それを裏切らせたからです。裏切りには裏切りを。当然のことです」
「クッ……! そんな、そんなことだから、貴様は御屋形様から嫌われるのだ……!」
黒ローブが、唸るように言った。気にせず、ベティはぐりぐりと傷をえぐる。黒ローブは呻く。
「ぐぁああ……! き、聞け……! シャーベット、元々ダート様に雇われていた使用人が、お前だけだと思うのか……!」
黒ローブの言葉に、ベティは肩を跳ねさせた。黒ローブが、ふ、と笑う。
「……あなた、も……?」
「そう……ぐ、……だ。俺も、元はダート様に雇われていた使用人だった。その頃から、銀の暗器だった」
「……?」
ベティは、理解できない、という顔で黒ローブを見下ろしている。
「何故、ですか? 何故、あなたは、ブレイズ様を」
「今の雇い主が、御屋形様だからだ。決まっているだろう。むしろ、いまだにかつての主人を、ブレイズ様をそこまで尊重するのかが、俺には分からん」
ベティの手が止まる。嫌悪すべきものを見る目で、黒ローブを見下ろしている。
「よくも、人に何故裏切った、などと言えましたね。あなたこそ、真の裏切り者ではありませんか」
「何を言っている? 常に雇い主の命に従い動く。それこそが使用人の本懐だ。雇い主でない人間に尽くす忠義など、ある訳がないだろう」
お互いが、理解できないという会話をしている。俺は元の話に戻そうかと考えたが、先ほどのベティとの話を思い出し、静観を決め込むことにした。
ベティは、問う。
「あなたは、ダート様に忠義を捧げるために生まれたのではないのですか? 何故ダート様が死んでなお、生きているのですか」
「何をバカなことを。忠義とは、仕事とその給金に捧げるものだ。責任を持ち、果たし、そして対価を得る。それを忠実に行う。それこそが忠義だろう」
「……? ? り、理解が出来ません。そんな、軽薄な忠義が」
「軽薄だと……? それをいうならば、お前こそ妄信だ、シャーベット! ブレイズ様がお前に何をしてくれた! 精々が気まぐれに殺さなかった程度のものではないのか!」
ベティは、すがるような目で俺を見る。俺は何も言わず、ただ成り行きを見守る。
「十年前だぞ! 十年前の主従関係に、いまだに縋り付いているお前が異常なのだ、シャーベット! お前の人生はそれだけのためか!? ブレイズ様が死んだらお前も死ぬのか!」
「……ブレイズ様が山に入った時、死んだと噂された時、ワタクシは、いっそ死んでしまおうと」
「バカバカしい! お前の人生はそんなことのためにあったのか! 誰かがそうだと言ったのなら、それこそ洗脳だ!」
ベティは、黒ローブの言葉で揺らぎ始める。このくらいでいいだろう。俺はベティを押しのけ、黒ローブに問う。
「何故監視した。誰かが命じたのか。それとも独断か。答えろ」
「……ぅ、く、シャーベット! お前はもっと自由で」
俺は、黒ローブを殴る。
「もうその話はいい。その話は、戦況には利用させない。ベティが一人で考えるべきことだ。お前の命には関係ない」
「が、は……。しゃー」「くどい」
殴る。まだ黒ローブがベティに希望を見出していたから、それが折れるまで繰り返し殴った。黒ローブが気絶する。
「ベティ、水を出せるか。こいつを起こす」
「……ブレイズ様」
ベティが、不安に揺れた顔をしていた。俺は繰り返す。
「水を」
「……はい」
ベティは詠唱し、空中に水を浮かせた。俺はその中に黒ローブの顔を突っ込む。黒ローブは窒息して暴れ出す。
「起きたな。言え」
「ハッハッ、ハッ……?」
俺はまた、無言で黒ローブの顔を水につっこむ。黒ローブが悶える。十数秒待って、また黒ローブを水から出す。
「言うか」
「こ、ここは」
黒ローブを水に沈める。
そうしながら、俺は背後からの視線に気付いていた。ベティは、揺らいでいる。迷っている。
俺は、ベティに言う。
「生まれてくる意味も、生きる意味も、本来存在しない」
「……え……?」
「意味とは、意義だ。価値と言い換えてもいい。つまりは、誰かのもの、ということだ」
「……」
ベティは、黙して俺の話を聞いている。俺は黒ローブを水から出し、まだ心が折れてないと判断して水に入れ直す。ただ、すでに状況は思い出していそうだ。
「例えば、剣は敵を斬るという意味を有して生まれた。逆に言えば、敵などいない世界には、剣もまたないのだろう。意味とは、そういうことだ」
しかし、と俺は繋ぐ。
「俺が存在しなければ、ベティ、お前は生まれなかったか? そんなことはないだろう。俺がオヴィポスタ家に生まれずとも、ベティは母の下に生まれたはずだ」
「……それは、そうですが。でも、お母様はワタクシの生きる意味は、ブレイズ様のため、と」
「言っただけだ。子供の躾だろう。ベティの人生をここまで強く縛りつける意図などなく、主に忠実にせよと言いたかっただけだ」
「で、でも」
ベティはそれでも言い募る。
「何の意味もない人生は、虚しいものではありませんか? 何の意味にもならなかったと、そう思いながら死ぬのですか? ワタクシは、ワタクシはそんなのには耐えられません」
俺は振り返り、ベティに言う。
「人生に意味はない。だが、時間に意味を見出すことはできる」
「……え……」
「人生は、丸ごと一つではくくれない。だが、時間は小分けにしてくくれる。今の俺たちの拷問には、俺たちの生存率を高める意味がある。時間を、そのために使っている」
「あ……」
ベティの中に、気付きが宿った。俺はまた黒ローブに向かって、水攻めを繰り返す。
「こいつは、ベティに『もっと自由に生きろ』と言いかけたな。俺も、同感だ。今この瞬間にでも、気が変わったなら俺の首を狙ってもいい」
「え、そ、そんな」
「無論俺も抵抗するがな。そうすればベティは今度こそ死ぬだろう。自由とはその程度のものだ。そう旨いものでもない。好き勝手にすれば責任が伴う。考え物だ」
一拍おいて、言った。
「しかし、考えることすらできないのは、辛かろう」
俺は、結論を出す。
「人生の意味など、求めるな。そんなものは無用の長物だ。だが、時間の意味くらいなら、考えるのも悪くない。今は何のために動くのか。人間は移り気だから、その方が、一貫性が出る」
「……なら、ブレイズ様。一つ、聞いてもよろしいですか」
「何だ」
ベティは、俺にこう聞いてきた。
「ブレイズ様は、今、何のためにこうしているのですか。拷問と言うのではなく、つまり……」
上手い表現が思いつかなかったのか、ベティはそう口ごもった。だが、言わんとすることは分かる。
俺は言った。
「ティルのためだ」
「……え」
俺は口端を吊り上げ、続ける。
「この魔剣は、ワガママでな。アレが食べたい。これをやりたい。それを成し遂げるために、こんな事をしている」
「―――ふ、ふふっ、ふふふっ。そうなのですか。まだ少ししか共にできていませんが、そんなお転婆さんなのですね」
「ああ」
「ごぽごぼごっ」
俺たちは笑い合いながら、黒ローブを水に突っ込む。奴が口を割ったのは、それから数時間後のことだった。
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