21話 領主別邸を目指して
ベティの話では、今ブラッドフォード家の連中は、領都の本邸にはいないということだった。
いるのは、別邸。俺が二年間を過ごした地。山を反対側に降りたから馬車で三日と言う時間がかかったが、領都から幾分には別邸は徒歩一日で済むような距離にある。
領都よりも不便だが、それも貴族の資金力があれば問題ない程度のもの。周囲には道と森があるばかりの静かな土地だ。
だから俺たちは、その別邸を目指して、徒歩で移動していた。
「いくつか、念のため要点を繰り返させていただきます」
ベティは山道を歩きながら言う。
「この道の途中、残る暗器の内、三人が襲ってきます。ワタクシがブレイズ様を山奥に誘い込んだ、と思い込んで、彼らは襲い掛かってくるでしょう」
「ブラッドフォード家を警戒させないため、か」
「はい。今回、ワタクシはブレイズ様に可能な限り罠に嵌めた状態に持っていく、と伝書鳩で伝えてあります。ブレイズ様が別邸に近づくのは、あくまで山に誘いこまれたため、です」
ベティは、完全に裏切り者の立場でそのように語った。偽の情報で屋敷のかつての仲間を釣りだし、しかる後に皆殺しにする、と話している。
俺たちの装備は軽装だ。俺は変装用の服を、俺の分とティルの分のみ。あとは剣になったティルヴィングを腰に帯びているくらいだ。ティルは一日中歩くのは嫌だったらしい。
俺たちは、無言のままに歩を進める。山とはいえ、軽い坂道だ。鍛えている俺もベティも、この程度なら息を切らすまでもない。
そう思いながら歩いていると、ベティは口を開いた。
「……ブレイズ様は、ワタクシを疑わないのですね」
「……? 疑って欲しいのか?」
「いえ、ただ、そう思って……」
ベティは、胸のあたりを押さえる。俺は言った。
「何か言いたいことがあるなら言え。俺が気にすることはない」
「……いえ、そのようなことは」
「そうか。だが、時間はある。丸一日も」
沈黙が下りる。しばらく歩く。その間、ずっとベティは考えていた。
不意に、ベティは言葉を紡ぐ。
「……本当は、斬って欲しかったのです。ワタクシが襲撃した、あの瞬間に」
俺は歩きながら、ベティに目を向ける。
「死にたいのか」
「ただ死にたい、というのとは、違います。ワタクシの所為で、ブレイズ様の生存が露見してしまった。その所為で、ブレイズ様はお命を狙われることになりました」
「罪悪感か」
「……はい」
歩く。歩く。ベティは、苦しそうな顔で歩を進める。
「苦しい、のです」
とつとつと、ベティは言う。
「ワタクシは、ブレイズ様のお付きのメイドになるのだ、と言われて育ちました。幼心ながらに、ブレイズ様のために生き、ブレイズ様のために死ぬのだと思っていました」
「そうだな。オヴィポスタ家で、俺もお前の母にそう説明された」
「それが、十年前のブレイズ様の出奔で、帳消しになりました。ワタクシの生まれた意味は、生きる意味は、その時になくなったのです」
俺は、ベティを見る。ベティは、うつろな目で口を動かす。
「ワタクシは生きた屍でした。辛うじてメイドをしているだけの、人形です。褒められても、叱られても、何とも思いませんでした。……ブレイズ様の、生存を知るまでは」
「魔法か」
「はい」
ベティは頷く。
「御屋形様の魔法です。数週間を費やした、入念な魔法だったと言われました。魔剣ティルヴィングの場所を、地図の駒に映し出す魔法」
そこで、ふふっとベティは微笑む。
「ビックリしました。ブレイズ様があの魔境山に向かったのは誰もが見ていましたから、全員が死んだものと思っていたのです。ですが、駒は動きました。その時の、皆様の驚き様!」
肩を揺らして、ベティは笑う。
「ワタクシは、それがおかしくて、おかしくて。叱責されましたが、気になりませんでした。ワタクシは、ブレイズ様が生きていることが嬉しかった」
いつの日かまた、ブレイズ様にお仕えすることを夢見ていたのです。
ベティは続ける。
「ですから、毎日魔法の地図を見ていました。御屋形様から、『異常があれば言うように』と係に命じられるほどに。……ですが」
「ああ」
俺が山を出た。そのことを知ってベティは動揺し、父上に露見。刺客が差し向けられるようになった。
「折檻を受け、ワタクシは刺客に差し向けられることを承諾せざるを得ませんでした。苦しくて、耐えきれませんでした。『ブレイズ様を殺します』と言わされ、ワタクシの心は」
ベティの手足が、震えている。思い出すのも、耐えがたい。そういう仕打ちを受けたのだろう。
「一度」
ベティは、涙をこぼす。
「たった一度とはいえ、ワタクシはブレイズ様を、心から裏切りました。それが、わたくし自身で、許せなかったです。ブレイズ様に裁かれたかった。斬って、殺してほしかった」
「そうか」
俺は、ただ相槌を打つ。ベティは、歩みを進めながら俺に問う。
「何故、斬ってくれなかったのですか? 戦いのさなかに、ワタクシと気づいたのでもないのに」
「偶然だ。女子供を斬るのは、気分が悪い。山の魔獣相手にもそうしていた。ならば、人間にもそうする」
「……ブレイズ様……」
ベティが眩しそうに言うから、俺は冗談めかして付け加えた。
「とはいえ、魔獣の雌雄は分からなかったから、恐らくは雌も斬ってしまっただろうが」
「……ふふっ。何ですか、それは」
「そんなものだ。一度決めたことでも、破ってしまう。そういう弱さも、人間だろう。俺とて、事情があれば女子供を斬るかもしれない」
「……ブレイズ様」
ベティは、俺に問うてくる。
「ワタクシを、ベティをお許しになりますか? ブレイズ様のことを、一度、心から裏切ってしまった、ベティのことを」
「許すとは、何だ」
俺が言うと、ベティは口ごもる。
「許すって、それは、その」
「俺は、敵襲に対して何も思っていない。俺にとって、アレは命の危機でも何でもない。怪我をする余地すらなかった。つまり、元より怒っていないのだ。ただ、敵は斬るというだけ」
「え、で、でも」
「だが、ベティ。俺がいくら怒っていない、と言っても、お前は恐らく飲み込めない。とするなら、この問題は俺の問題ではない。ベティ、お前自身の問題だ」
「……ワタクシ、自身の、問題」
思いつめるように考え込んで、ベティは俯いた。
俺は気配を感じ取り「襲撃が来るぞ」と剣に手をかける。
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