10話 銀の影が迫る

 買い物を済ませてマーチャの下に戻ると、「じゃあしばらく自由にしてていいぞ」と言われた。


「夕飯時までには宿に戻っておいてくれ。暗くなったら全員で取引に向かうからな」


「分かった」


「レイ、あっちも見たい」


「ああ。行こうか、ティル」


 ティルに連れられて、俺は再び市場を歩き始める。途中までは先ほどまでと同じく、ティルがあっち行ったりこっち行ったりしているのを、見失わない程度に追いかけていた。


 そうしているとティルが市場の外に出ていってしまって、俺は駆け足で追いかける。視界に緑が多くなって、木々の多い公園のような場所を突っ切って進んだ。


 その先にティルを見つけて、俺はゆっくりと近づいていく。


「捕まえた。急に走り出すと、見失って危ないぞ」


「危ない? でもティル、剣だよ」


「今は可愛い女の子だ」


「……」


 俺が言うと、ティルは目を丸くして、深い瞳をキラキラ輝かせて俺を見上げてくる。


「可愛い? 私?」


「そうだ」


「……」


 無言でティルは俺に抱き着いてくる。それから、小さな声で言った。


「もっと言って……?」


「可愛いぞ、ティル」


「う、うぅ……何か、変な気分。嬉しいのに、ソワソワする」


「恥ずかしいのか」


「恥ずかしい? ……かも。何か、何か、う~」


 顔を赤らめながら、ティルは俺の胸元にぐりぐりと顔を押し付けている。その髪を俺は撫で付けながら、周囲を見回した。


 周囲の木々は穏やかで、手入れされている雰囲気があった。魔境山とは違う。あそこの木々は、下手すれば魔獣が擬態したものであるような、油断の出来なさがあった。


 俺はそこに心地の良さを感じて、「少し歩くか」とティルの手を取って進む。「うん」と素直に俺の手を握り返して、ティルはついてくる。


 ティルの歩幅は小さい。だから、俺もそれに合わせて小さく進む。そうしていると、森の奥に教会があることに気付いた。


「綺麗」


 ティルが言う。木漏れ日を受けて、教会はそこに立っていた。


「レイ、私、中に入りたい」


「分かった」


 俺たちは玄関扉まで進み、押し開いて中の様子をうかがう。教会内には木製の長椅子が何個も整列している。奥には教壇と、光の差し込むステンドグラスがあった。


「わぁ……」


 うっとりとした声を漏らしながら、ティルは奥へと進む。教会内には、他に人がいないようだった。俺はティルの後ろについて進む。ステンドグラスの真下にたどり着く。


 そこで、扉が閉ざされた。


「……」


 振り返る。ティルの手を僅かに強く握ると、ティルも状況に気付いて玄関口を見た。


 そこには、黒いローブで全身を覆った男が立っていた。胸元には、昨日貰った冒険者証によく似た、しかし見たことのないアクセサリーが付いている。


 黒ローブは、そのアクセサリーの留め金を外して、中から刃を出した。銀色に輝く、暗器のようなアクセサリー。キィン……と妙に響く刃音が響く。


「ブレイズ・ロッドワンド・ブラッドフォードだな」


 俺はその確認に瞠目する。


「恨みはないが、消えてもらう。―――風よ、風よ、風よ」


 男は、一歩踏み出しながら、朗々と歌いだす。


「彼の者の悲鳴を、風の中に包み閉じ込めろ。我が身に疾風の素早さを。我が身につむじ風の刃を。我が身に竜巻の守りを授けたまえ」


 黒ローブは言いながら、短杖を取り出した。言いながら、ポンポンと足を叩き、手を叩き、胴体を叩く。するとどこからともなく風が吹き始め、奴の下でうねり出す。


「ティル」


「うん。―――ブレイズ」


 ティルは言う。俺の手を取る。


「私たちのデートを邪魔する無粋な人には、相応の報いを与えなきゃ」


「ああ。お前の望みを叶えよう、ティル」


 ティルが魔剣ティルヴィングと化す。俺は魔剣を振るい、構えた。


 黒ローブが、ずんと、一歩を踏み出す。その足元に、風が集まる。


「風纏」


 黒ローブが、一気に俺に距離を詰めてきた。


 それはまるで、黒ローブがその場から射出されたかのようだった。速い。そう思う。人間とは、ここまで速く移動できるものだったか。


 そのまま、黒ローブは俺に向けて腕を振るう。その先には、まるで爪のように鋭い風が走っているのが分かった。手に触れてもいない教会の長椅子を、細切れにしながら奴は迫る。


 俺は、言った。


「なるほど。確かに魔法は、強くなるのに手っ取り早いのだろうな」


 俺もまた、一歩前に踏み込む。


「十年と修行して、俺もそんなことが出来ればよかったのだが」


 ティルヴィングを、逆袈裟に斬り上げる。黒ローブの腕が、宙を舞った。


「ガァッ!」


 黒ローブがそれでバランスを崩して、教壇に突っ込んだ。教壇は黒ローブの身を投げだした衝撃に、粉々の木屑にまで砕けてしまう。


「ぐっ、な、何、だ? 今、何が」


 黒ローブは肩を押さえて、自分の腕がなくなっていることに悲鳴を上げた。押さえる手の隙間から、大量の血が流れ出る。


 俺はそれに、剣先を向けた。


「悲鳴は困るな。誰かがお前を助けに来ては敵わない」


「ぐ……! バカにしやがって! ―――風よ! つむじ風を走らせろ!」


 気配。俺は剣を振るって、奴の攻撃らしき気配を斬った。風鳴りの音が響いて、俺の左右の椅子が壊れる。黒ローブは歯を食いしばって叫んだ。


「もっと! もっとだ! つむじ風は渦巻き、竜巻となる。竜巻は建物を食らい、台風となるだろう! 風は雲を呼び、雲は雨を呼ぶ。雨は豪雨となり、冷えて―――」


 俺は息を落として、黒ローブに肉薄した。


「敵の前で、長々と詠唱する余裕があるのか」


 一振り。黒ローブの首が飛ぶ。血煙を上げて、黒ローブの身体は倒れた。


 俺は服が血で汚れないように、残心で距離を取った。首を刎ねた以上、立ち上がることはないとは思うが、魔法というものは侮れない。


「……レイ、警戒しすぎ」


「ティル」


 ティルが、気付けば少女の姿に戻っている。黒ローブのもとに歩いていき、その首飾りを拾った。


「格好いい。銀色。銀って、銅よりも上?」


「冒険者証においてならば、そうと聞いたな」


「なら、責任をもって私が持っておく」


「分かった」


 ティルはネックレスを他の冒険者証に合わせて首にかけ、襟首から服の内側にしまい込んだ。上機嫌で、俺の手を取る。


「でも、不思議」


「何がだ?」


「街では、山と違って襲われないのかと思った。みんな言葉が通じるし」


「ああ、そうだな。しかし、他の生き物が居る以上、戦闘はあるものなのかもしれない」


「そっか」


 それに、気になることはないでもなかった。黒ローブが俺を確認するときに言った言葉。それは冒険種登録に用いた名ではなく、俺の正確な名前だ。


 それを知る者は、山から出てきて接するものの中には居ない。ならばひとまずは、ギルドの受付嬢や、マーチャは容疑者から外れることになるだろう。


 だが、だとすれば。


「……」


「レイ。教会、汚くなっちゃった。他のところ、いこ?」


「そうだな」


 この事は、マーチャには黙っていよう。彼は恐らく無関係だ。話して巻き込んでしまうのは心苦しい。


 俺はティルに手を引かれて、教会を後にした。何かが起こりつつある。その事を感じながら。

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