第52話:崩壊の始まり



「あの黒緑の力……どうして、あいつだけに発現したんだも?」


 マキは影糸を守るために立ち塞がったその家族を気絶させ、場所を移動していた。地下の下水道に逃げ込んだマキは状況を整理していた。影糸が発現させた黒緑の力、マキはそれがクロー由来のものであることに確信を得ていた。クローからも、自身の内からも感じたことのある感覚だったから。


 マキと影糸、どちらもクローの因子を持っているはずだが、力として発現させたのは影糸だけだった。


「お兄さんはあの力を無意識の内に使ってるのかも知れないけど、あいつみたいに分かりやすく表に出てきていないも……なんでだも、どうして……」


 力の源であるクローですら使いこなせず、今まで目に映らなかったそれを、自身が捨てた甘さである影糸が、顯現させた。マキはそれが気に入らない。


「けど、戦う準備をしておいてよかったも……前のままだったら死んでたも」


 ここは影糸の派閥の強いイセエビ、戦況的にマキの圧倒的不利。影糸の存在と自身の計画がクローにバレることを隠したいマキは、クロー達を頼ることはできない。最悪、影糸がクロー達と接触した場合、クロー達が影糸側につく可能性すらある。


 結局影糸もマキ自身であり、影糸はクローと親和性のある甘さを持っている。現状は影糸もクローと接触することを避けているため、救われているものの、短期決戦で状況を終わらせなければ影糸がクローを頼ることがありえた。


 逆に、マキは影糸を明確な敵であるとクローを説得、騙すのは不可能だと感じていた。影糸はあきらかに自身と関連性のある見た目で、少しでも不審に思われたらデルタストリークやマロンに感情を読み取られ、嘘を暴かれる。結局のところ、今まではできるだけデルタストリーク姉妹を刺激しないことでバレていなかっただけで、少しでも揺らぎがあれば簡単にバレてしまう、ギリギリの綱渡りだった。


「敵対してるわけじゃないけど、やっぱりみんな、とんでもなく厄介だも……敵の気持ちがわかった気がするも……戦いは避けられない……あたしとあいつの乖離は取り返しのつかないところまで来ているし、このままでは羽の風糸も二つに分裂してしまうも……だから、目的のためにはどちらか一人が生き残るべき……思い通りにならないも。何もかも、影糸も、お兄さんも……っ!! ……似ていないも! お兄さんとあいつは、似てなんかいないも!!」


 マキは癇癪を起こし、下水道のレンガの壁を殴った。戦闘訓練や拷問した存在のトドメを刺すことである程度戦闘力を上げていたが、肉体的にはやはり貧弱で、マキの拳は傷つき、出血した。


「何やってるんだも……あたしは……」


 マキは激情から冷静さを失った。マキは甘さを捨て去り、感情に振り回されることはないと思っていたが、醜さと怒り、憎しみの感情は強いままだった。


 自分の思い通りにならない影糸とクローが、マキには本当の親子のように見えてしまった。自分よりもそれらしく見えた。マキが手放した甘さは、クローとの繋がりで、それを捨てた自分はクローから離れてしまったと感じた。


 嫉妬、そして自身の愚かさへの怒り……繋がりを失った代わりに得た、予言と邪心。マキは後悔に震えていた。もうやってしまったことで、もう元には戻れない。


 仮に影糸を殺して、その力を取り込んだとしても、それは昔の自分とは違う。殺した影糸の魂は傷ついて、その感情の多くを落としてしまうから。殺さずに影糸と融合したとして、精神がアンバランスさに耐えられず、不調を起こすのは目に見えていた。


「読めないわけだも。お兄さんと同じで、予言を超える力を持っているなら、分かるわけがないんだも。あの力は橙の激流の外側を見通すあたしの予言でも、見通せない。あいつはあたしの劣化でしかないと思っていたけど……そうじゃなかったも」



──────



「クローくん、マキはいつ戻ってくるのかな? いつもより帰りが遅いみたいだけど」


「えぇ? 分かんねーな。あいつあんまし仕事のこととか話さないしな。報告とかはしてくるけどよ。でも確かにちょっと遅いか? ちょっと探してみるか。デルタストリーク、お前も行くか?」


「もちろん! マキとシャトルーニャに料理を教えてもらう約束をしてたからね。彼女がいないんじゃ、教えてもらえない」


 りょ、料理? デルタストリークが料理? なんかイメージわかないな。デルタストリークはそういう家庭的なアレコレは全部興味ないと思ってたわ。くそ~~、マキのやつ……俺とはあんま話さないし、遊ばないのに、他のやつならいいのかよ。


 俺を嫌ってるわけじゃないだろうけど、なんか疎外感だな。正直分からねぇんだよな。どこまであいつに踏み込んでいいのかが……本人が俺を避けたい気持ちがあるなら、それを尊重すべきか、それとも衝突してでも踏み込むべきなのか。


 分からない。大人のようでもあるし、前は子供みたいに泣いていた。あいつが、俺の子でないなら、もっと適当にずかずか踏み込んでいった気もする。自分の子供のような存在だと思うと、触れ合うのが怖くなる。


 何か間違えて、壊してしまったらどうしよう。そんな気持ちが俺を支配する。あいつはそんなヤワじゃないかもだけどさ。大事にするつっても、どうするのか一番なのか分からない。俺がしたいようにするのが一番だとは思えない。結局俺の都合だからな。


 俺が押し付けた結果、あいつを歪めてしまったら……ッチ……俺が親のマネごとなんてできるわけねぇだろ。


 この世界で300年以上生きてるのに情緒はまるで進歩せず、ガキのまま。人間らしさもいくつか抜け落ちた。心も体も……


「悩むのは後だな。まずはあいつを見つけてからだ」


 俺とデルタストリークはマキを探すために動き出した。しかし、イセエビの住人達に聞き込みをしても誰もマキを見ていないと言う。あいつどこにいんだよ……


「いやぁ、今日は見かけていませんね」


「待ってください。いくらなんでもおかしいんじゃ? あなた、ここで働いているのでしょう? だったら、今日マキを見ているはずです。マキは遺跡の遺物研究室に行くと言っていましたよ? 何か隠していますね?」


「そ、そんな! 隠し事なんて……!」


「問答無用です! あなたの心と記憶を見ます!」


 デルタストリークが遺跡遺物の研究員の記憶を読み出した。俺はそこまですることかと疑問だったが、デルタストリークの顔は俺の予想とは裏腹に険しくなっていった。


「クローくん。どうやらマキは私達が思っていたより、危険な存在だったようです」


「は? それってどういう……」


「マキは影糸という存在と敵対し狙われているようです」


「影糸って誰だよ……いきなり新キャラ出てきても分からねぇよ!!」


「影糸はマキです」


「はぁ? 影糸がマキなの? でもマキは影糸に狙われてるんだろ?」


「すみません説明が下手で……えーっと、あれです! 影糸はマキの分体というか、クローくんが分裂するみたいに増えた感じ、それが殺し合いを……」


 分裂した自分同士で殺し合ってる? ドッペルゲンガーが出会ったら殺し合う的なあれか? まぁ、俺の場合は分裂しても意識は繋がってるし、統一されてるが、マキの場合はそれぞれの意思や自我を持ってたってことか……


「問題はそれだけではありませんよ。どうやらマキもこの街の人々も、相当悪辣な、外道な行いをしていたようです。邪教勢力だとか、敵対勢力のみが対象のようですが、やっていることは邪教や邪神と大差ありません。大義があったとしても……私が許せるか危ういラインです」


「相当外道って、マジか? そんなのマキから一言も聞いたことない……」


「マキは私にもクローくんにも秘匿していたのでしょう。クローくん、あなたが受けたような拷問を、マキ達が行っていたとして、そこに正義があると思いますか? あなたの魔蟲の一部を寄生させ、痛みの呪いを体の内に入れる。魂を、自我を破壊し、化け物を作る材料にしている。敵対者相手とはいえ、あなたはそれを許せますか?」


 お、俺がファーカラルにやられたみたいなことを……マキが? そんな、嘘だろ? なんでだよ……あいつだって邪神の被害者だろ、大蛇の中で苦しんでたはずだろ。なのに……あいつらと同じことをするのか? ああ、そうか……きっとそれがベストだったんだ。マキはその方が効率がいいと思って……だから、仕方なく……


 だ、駄目だ……感情を飲み込めない……腕が震える……俺は、納得できない。無理やり納得しようとしたけど……駄目だ……


 効率がいい? 仕方がない? 敵だから苦しめても問題ない? そうかもな、そうかもしれない、でもな……それはな……お前の魂を犠牲にして行われるんだぞ? 人の心を殺して行われる。俺が、許すと思うのか? マキ……


 なんで俺に秘密にした。なんで相談しない……俺のためだからか? 俺、あいつに……ありがとうって言った……そしたらあいつは違うって言った。


 勝手にやったって……俺の意思とは無関係にやったからって言いたいのか?


 あいつが泣いていた意味が、なんとなく分かった気がする。


 ちゃんと分かってた。自分が悪いことをしてて、俺が認めないことも……そして、それは……俺のためなんだ……


「犠牲になってくれてありがとう。そういう意味になっちまうよな……馬鹿野郎!! 俺のために、心を痛めつけて……そんなの、俺が死んだ方がマシだ。俺のために生きるな、俺のために苦しむな……俺もお前も、馬鹿野郎だ!!」


「はぁ、気持ちはわかりますが、クローくんが言えたことではないのでは? あなたは誰かのために自分が傷つくことを厭わないではないですか。マキが同じことをしたとして、怒る権利はないのでは?」


「知ってるよ!! そんなこと……理屈じゃねぇんだよ。傲慢だと言われようと、俺は認めねぇ……おい、ドクターローチ! 出てこいよ!! もう話せるんだろ!?」


 俺は腹を開き、ドクターローチを呼んだ。


「やれやれ……お怒りですな。宿主どの、何用ですかな?」


 ドクターローチは呼び出しにすぐに応じ、俺の腹から出てきた。ドクターローチは、人型のゴキブリのような見た目をしていた。昔は、小さいゴキブリみたいな感じだったが、今はほとんど歯車巨人だ。


「しらばっくれやがって! お前見てたんだろ?」


「なんなら、見ていただけでもありませんな。わしは彼女に協力を持ちかけた側ですから。その責任の一端はわしにもある」


「なんだと!? マキもお前も……俺に黙ってやりたい放題やりやがって!」


「仕方ないでしょう? 宿主どのも頭の出来はそう悪くないですが、直情的で戦略的に動くのも苦手、それを支える者が必要でした。あなたがここまでたどり着けたのは彼女の力あってこそです。組織もワシャルドも、その運営の殆どはマキが行っていたのですから。さらに言えば、ファーカラル対策、情報集めも彼女依存、戦場とするポイントを指定し、戦争による死傷者を減らし、多くの命を救った。殺すだけ殺して、解放してやったと自惚れるあなたとは違う」


「っぐ……」


「耳が痛いでしょう? わしも、あなたの力は認めているんですよ? 実際、あなたがいなければ、この戦争は長期化し、多くの被害者が出ていたでしょうし。けどそれもどこであなたの力を使えば効率的に潰せるかを彼女が計算したからです。彼女を裁くと言うのなら、先にあなたの頭と他の無能共を裁いてからにしていただきたいものですな」


「お、お前……そんな口悪かったんだな……いやなんとなくキツそうだとは思ってたけどよ……」


「っぐ……む、無能共……すみません! 私の頭が弱くて……! そうです、他人を責める以前に……そもそも私がアラバイルに操られたのが悪い……ううううう、このままでは他者を裁くことができなくなってしまう! 私にはもう、裁く権利がないのかな?」


 俺もデルタストリークもドクターローチの説教で多大な精神的ダメージを負った。理想ではなく現実、そんな正論で俺達はボコボコにされていた。


「はぁ……彼女はファーカラルも、アラバイルも、創世神も叩き潰すつもりです。宿主どのが彼らに喧嘩を売りましたから、宿主どのもそのお仲間も、マキも……もう引き返すことはできないでしょうな。強大な敵対者に敗北するということは、それ即ち死です。わしもマキも、ファーカラルの対策が必要だと感じていたのです。ヤツは狡猾です、個人的にはアラバイルよりも厄介に思っています。アラバイルのやることはスケールが大きいですが、やつは雑ですから。細かい部分を見るのが得意ではない、しかし……」


「ファーカラルは細かい所まで丁寧ってことか……セトラドーズもワーム・ドレイク達はただの戦力じゃないとか言ってたしな。まだ隠し玉があったんだろう……まぁ俺が全滅させちゃったから、それも無駄になってしまっただろうが……だけど、ドクターローチ、お前の言いたいことは分かる。ファーカラルは二重三重の策を平気で用意してくるってことだろ?」


「そうです。そして、ヤツに対抗するには、綺麗事では済まない事も必要でした。マキの力があってもです。マキは暗闇を見る、あなたの目だった。あなたがやらなければならないこと、あなたがやりたがらないことを……彼女はやっていた。だから頼みます! デルタストリーク……彼女を裁かないでくれ!」


 ドクターローチはデルタストリークに土下座した。ドクターローチは人型のゴキブリの形だけど、土下座すると超巨大なゴキブリに見えた。


 デルタストリークはドクターローチとしばらく見つめ、その後目を瞑り、悩んでいるようだった。


「許しません。しかし、セトラドーズと同じです。情状酌量の余地はある。良かったですよ……私もクローくん達と行動をするようになって、いくらかそういう柔軟さを手に入れられたみたいです。昔だったら、絶対にマキを許さず、見つけ次第殺していた。きっと、セトラドーズも……これは私の役割から外れた行いだ。創世神への反逆と言えるかもしれないね。だけど、私はタダヒトと敵対する超越者と戦うことも役目ですから。それほど逸脱していないのかな?」


 デルタストリークは笑顔でそう言った。


「ただ、しばらくこの衝動が収まるまでは、マキと会わない方がいいでしょうね。私はクローくんの中で寝ます。心を落ち着かせるにはやはり睡眠が一番。ドクターローチ、感謝しますよ。私を止めてくれて」


 デルタストリークはナチュラルに俺の腹を自分で開こうとする。開かないと千切れてしまうので、俺は素直に腹を開けた。


「ドクターローチ、マキが魔蟲を使って、手伝いをさせてたなら。あいつの場所分かるだろ? 教えろよ」


「ふむ……マキの場所はわかりかねますな。しかし、影糸の居場所ならわかります。マキの居場所についても、影糸の方が詳しいかと」


「分かった。じゃあ頼むぜ、影糸の場所を教えてくれ」



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