第7話:悪党に同情してしまった



「蛇野郎、お前には思い出してもらう。お前が何者で、どんな形であったのかを。そして、お前が縛る無辜の魂を! 解放する!!」



 大蛇の呪い、こいつが元はどういった存在だったか、俺は知っている。俺は領主の倉庫で呪い汁を飲んだ。その中にあったこいつの、コアとなる魂の断片的な記憶、俺はそれを体内で分析、修復した。断片的だったそれを、パズルのピースを嵌めていくかのように。



 俺の体内は呪いと魔蟲によって空間を掘り進められ、拡張された結果、とんでもなく広い異空間が存在する。そんな異空間の一区画、ブレインズ・コロニーに住む、分析を役割とする魔蟲【ドクター・ローチ】の力を借りて記憶の分析と修復を行った。



 ドクター・ローチの仕事はそれだけじゃない、記憶の翻訳と大蛇のコアとなる魂に接続するためのゲートキーの構築までも行う。シャトルーニャによって逃走を封じられた大蛇は俺の魂への侵入に抵抗することができない。これは相手を無力化した状態でなければできないことだ。相手の魂に侵入を試みる時は、侵入に成功するまでは俺も無防備となるので、その隙に相手に逃げられてしまう。距離が離れるとこの侵入は中断される。そういった理由から無力化は必須だった。



 俺は大蛇の胴体に腕を突っ込む。シャトルーニャの檻から発せられる浄化のダメージでこいつは抵抗する力すら残っちゃいない。大蛇のコアである魂に繋がるゲートはこいつの内部にある。俺はドクター・ローチの構築したゲートキーを使用した。キーを使用した瞬間、大蛇の中の大量の呪いが俺の魂へと逆流してきた。逆に俺を食い殺そうってか? だがこんなものはただの発狂、恐怖からくる逃避行動の一つに過ぎない。



 俺がこいつのコアである魂を見つけそれを鷲掴みにした時、大蛇は動きを止めた。それまでが嘘だったかのように大人しくなった──いや、怯えている。もう理解しているんだ。こいつは、俺に勝てないと。



 コアとなる魂の輪郭を理解し、俺はさらに深部へと侵入する。こいつの弱さ、根源となる記憶へとアクセスする。記憶が、俺に流れ込んでくる。



──────



「はは、やめろだって? 父さん、父さんが僕の育て方を間違えたせいだろ? 僕はずっと、僕なりに父さんのために、頑張ったのに……認めてくれなかったんじゃないかぁ!」



「黙れ! 無能なだけなら存在することを許してやったものを! ワシの街を穢しおって、子供を攫って嬲り殺すなど……王都に知れたらワシの権力が……お前は! ワシに、ワシの権力によって生かされておったのだぞ!? ワシの力が弱まれば、お前も生きてはおれん、自殺志願に同じじゃ! そんなに死にたいなら今殺してやる!」



 領主とその息子の言い争い。大蛇のコア、呪い全体を支配するのは、領主の息子の魂だった。だからこの記憶は領主の息子のもの。



「ははは! 父さんならきっとそういうだろうって思ってたよ! だから対策するに決まってるでしょ? 大体さ! おかしいんだよ! 人さらい、人身売買、邪教徒との取り引き、あくどいこと全部やってるようなヤツが! なんで僕に説教なんてできるんだ? 僕さ、そういう証拠、ちゃんと調べて、手に入れたんだよ! 政治も社交も戦うのも苦手だけど、調べるのだけは得意だったんだ。父さんだって知ってるだろ? 父さんが今まで僕を見逃してたのだって、僕が父さんの愛人を突き止めちゃって、母さんに告げ口されるのを恐れたからだ!」



 狼狽える領主。無能と罵った息子に手球に取られていた。いや、舐めていたんだろう。気色の悪い息子とは関わりたくない、関わってこなかった。だから知らない。歪であったとしても、領主の息子は成長していた。世間とはズレた思考回路で空回りするばかり、パーティーでも交渉でも、失敗して領主である父に恥をかかせ続けてきた。その息子は、父の望む才能を一切成長させることはなかったが、それでも一つ、父と同じ才能を持っていた。



 それは力への執着、幼い頃から父の力、権力を見てきた。他人に理不尽を敷いても有無を言わさない。他人の軋轢や利権を利用して、自分の悪辣な行いを押し通した。



「ピエール……わからん、なぜ子供なんだ。子殺しは怒りを買う。そういう趣味なのか? やるなら、大人でやれ。死んでも誰も気にしないゴミ共など、いくらでもおる」



 領主の息子、ピエールが人を傷つけ、迷惑をかけても、領主は権力で処理した。金を握らせることすらしない、ただ脅した。命も職も、失いたくなければ、己が受けた不利益は忘れることだと。ピエールは分かっていた。自分が悪いことをしたと……けれども、それで酷い目に合うのは自分によって傷つけられた者だけ、ピエールは……そんな力が好きだった。憧れてしまった。



 ピエールが惚れた相手の女達は皆死んだ。ピエールが目をつけた者はみんなピエールを好きにならなかった。だからピエールは凌辱し、殺した。領主はそれを隠蔽した。街の娘達、それもなんの力もない家の子なら問題もなかった。



 しかし、ピエールはある商会の娘に惚れてしまった。美しく気の強い娘だった。歳は17、当時のピエールよりも年上だった。娘の父親が経営する商会は、地域でも力のある商会で、この娘に手を出すのはマズいとピエールは知っていた。でも止まれなかった。そして、この娘は他の者達とは違った。恐怖に怯えることもなく、権力に怖気づくこともなかった。娘を犯そうと襲いかかるピエールをナイフで突き刺し、足を滅多刺しにして生き延びた。商会はそれからすぐ、消えた。地域で築き上げた地盤を手放した。娘の命を守るために。このフロストペインから逃げた。



 ピエールはそれがトラウマになった。自分よりも強い存在が、怖くなった。娘の抵抗によって受けた傷で片足が不自由になり、以前よりも弱くなったピエールは、その歪みを大きくした。



「子供なんて趣味じゃないよ。今だってスタイルのいい子の方が興奮するよぉ。でもさぁ、駄目なんだぁ、僕よりも確実に弱いヤツじゃないとさぁ。勃たないんだよ! 僕に一方的に蹂躙されてくれる、か弱い存在じゃなきゃ駄目なんだよ!! だから、さ、アレは耐えられなかった。子供なのに発達させちゃってさぁ、理想的だよねぇ! へへ、へへへへ……」



 ピエールは自分よりも確実に弱い存在、子供に執着するようになった。こいつの記憶を見るのは気分が悪い、邪悪な行いか、周囲に馬鹿にされ、父親に叱咤される記憶しかない。他の兄弟と比較され、臭いものに蓋をするように、誰も触れない。いないようなモノとして扱われた。何一つ、楽しいことも、満たされることもない。



 周囲から受けるストレスを、力の劣る存在に振りまいた。ただそれだけの繰り返し。こいつがまともになれるチャンスはいくつかあった。だけど、それは難しい。こいつに強い意思はないからだ。だから父親と己が抱える業に抗うことができない。環境だけでなく、こいつの肉体、脳、精神構造は生まれながら異常だった。俺には魔蟲の分析によってそれが客観的に分かる。ほとんどの人間が、こいつとして、同じ能力、同じ肉体、同じ境遇で生まれ生きたとしたら、やはり似たような感じになると思う。



 俺だって、俺がこいつとして生まれたらどうなっていたか……正直、俺にも自信はない。まともな形で生きていなかったと思う。



 その運命を、宿命を、意思の力だけで覆せる強さを持つ人間など、そうはいない。結局それはどこに生まれようと大成してしまう人間ということで、そんなものは英雄だとか、聖人だとか賢者だとかそういう人種だ。だから、俺はこいつに期待しない。もっとまともに生きられたはずだとか、そんなことは思わない。



 ただ俺がこいつに望むこと、いや願うことは一つ。次はまともな所に生まれて、まともな人生が送れたらいいな。そんな、他人事な願いだけ。



 そして、お前が犯した罪はしっかりと償ってもらう。



『ようピエール。井戸を使って拷問をするつもりが、足を滑らせて井戸に落ちて死ぬなんて……間抜けな死に方だな。お前が死んで、呪いとなって10年、ここらで終わりにしようぜ』



『ひっ……!? なんなんだお前は!! なんなんだよ!!』



 俺はピエールの魂の中で、こいつと対話することにした。魂の、心象風景の中で、ピエールは現実と同じく、気色の悪い大蛇の形をしていた。



『お前と似たようなもんだ。俺も元人間で、邪神の野郎に呪いの肉人形にされた。お前は元人間で呪いの化け物にされた……お前は強い化け物となったはずだった。だけどピエール、今のお前の姿は、お前にはどう見える? 今のお前の形は』



『え……? 僕は、僕は大蛇だ、どんなやつも一方的に蹂躙できる』



『本当にそうか? 俺に怯えるお前が、そんな化け物みたいな存在に見えるか? お前を、よく見てみろ』



 俺がそういうと大蛇の形をしたピエールの輪郭が歪んだ。表面がビニールを引っ張ったみたいに薄く伸びた。



『パーティーで失敗した。社交の場の、あの雰囲気が苦手なお前は、任された祝辞の言葉をど忘れした。頭が真っ白になって、パニックになって、パーティーから逃げ出した』



『ぼ、僕を馬鹿にしてるのかっ!? 誰にだって苦手なことはあるだろ!!』



『いいや、馬鹿になんてしねぇよ。親父に段取りまでしっかり準備してもらった交渉を破談させたこともあったよな。確か、交渉相手のライバル商会の悪口を言ったら、そのライバル商会と交渉相手は親友だったんだよな』



『やっぱりお前僕を馬鹿にしてるだろ!! 笑いたきゃわらえよ!!』



『お前は破談になっちまった、あの時のようなことが二度とないように、お前は物事を事前にしっかり調べるようになった。そして、自分は調べるのは得意なんだって気づいた。人付き合いが苦手で、調べ物が得意な人間』



『……え?』



『調べ物が得意でも、空気読めないし、ズレた人間だから、鬼のように空回りばかりした。余計なことしてばっかり、無駄に優秀でイラつく兄弟達にも親父にもそう言われた。どうすれば空回りしないのか、どうすればよかったのか、お前に教えることもないのにさ』



『お前、何が言いたいんだよ……僕に、同情してるのか?』



『同情? そうだな。運が悪かったなと思うぜ。だけど、お前にも罪はある。お前の抱えた業は、お前にはどうしようもできないことだったかもしれないけど……それでもお前は深く、重い、多くの罪を犯し続けてきた。それは、許されんことだ……ピエール、お前は人間だ。裁くもクソもない、ただの現象、呪いなんかじゃない。ロクでもないことをしまくった普通の、弱い人間だ。だいそれた災害のような、大蛇の呪いなんかじゃない』



『あ、ああああ……普通? 僕が? そんな馬鹿な……』



『ああ、だってそうだろ。得意なことがあって、苦手なことがあって、己の弱さと向き合えず、痛みへの怒りを他人へ向けた、ただの普通の弱い人間。己の境遇を跳ね返せる英雄だとか聖人なんかじゃない、ただの弱者。それが普通の人間でなくてなんて言うんだ。お前、自分がそんな大した人間だと思うのかよ? 俺がさっきお前の経験したことをいくつか思い出させてやっただろ?』



『あ……はは……まぁそうか、大した人間じゃない……そんなの最初から分かってたはずなのになぁ……父さんの……力に憧れたのは……僕にないものだって……思ったからだ』



 ピエールの形が大きく歪んだ。滅茶苦茶にぐちゃぐちゃに、己の人生を振り返り、咀嚼でもしているかのようだった。



『そうだ。お前は人間、弱く、罪を犯した、ただの人間。さぁ、どう見えるよピエール。今のお前の姿は』



『ああ……そうか、僕は、こんな形の──人間だった』



 そこには人の形をしたピエールがいた。色白で、片足を庇うように杖をつく、痩せた男。



『もうお前は呪いじゃない。お前の呪いは俺がもらう。俺は呪いの処分業者だからな。地獄でお前の罪を贖え、そんで、生まれ変わったら、今度はまともな人生を歩めよ。あー、それはそれとして、お前が苦しめた他の魂から復讐されるだろうからよろしくな! 別に庇う気も起きないし、当然だろそんなもん』



『──え!?』



 ピエールによって呪いに取り込まれた魂達は解放された。呪いを構成した邪気は俺が吸収したから、もう呪いの要素は一部も残っていない。だけど……この無辜の魂達は、ピエールから受けた苦痛、呪いの影響によって、自我を破壊され、ぐちゃぐちゃに混ざり合ってしまっていた。それは集合体で、おぼろげな一つの自我を構成しかけていた。そして、俺が呪いから解放した影響で自我の確立に成功した。



 元の多くは子供達、子供達は呪いに取り込まれて、助けを、救いを求めた。その結果、その子供達の親や、仲の良かった大人達が子供達の魂によって、呪いに引きずり込まれた。不幸の連鎖、俺はこの魂達を見捨てることができなかった。だからこそ、ピエールと対話し、ピエールを呪いから人の魂へと戻した。呪いの支配権をピエールから俺へ移し、俺が彼らの魂を解放するために、呪いの影響を全く受けない、無垢な状態へ戻すために。



 ともかく、こうして解放された彼らは怒りから、ピエールの魂をボコボコにした。といっても、まともな人間の集合体であったからか、やりすぎることはなかった。しばらくボコボコにすると満足した。そしてこう言った。



『もう、死んでるし……あたしもあんたも……弱っちいあんたと同じになりたくないし、これぐらいにしといてあげるも』



 あっさりだった。彼らはあっさりとピエールを許した。残されたこいつらの家族は絶対許さないであろうピエールを、こいつらはあっさりと許した。いや、完全に許してなんかいないか、ただこれ以上ピエールを痛めつけた所で無駄だと悟ったんだ。もしかしたら俺が呪いの部分を引き取った時に、こいつらの怒りの部分だとかも持っていってしまったのか? とにかく予想外だった。



『助けてくれたお兄さんが地獄で裁くことにしたなら、あたしはそれでいいも。お兄さんに感謝するも!』



 どうやら俺に義理を通すために納得したみたいだ。まぁ、とりあえず、これで一段落か。



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