1-3
*
「ひいおじいちゃんってさ」
夏休みだった。帰省で、父の実家に向かう新幹線。母は仕事でこられないので、おれと父だけだった。ちょうどいい。
「たとえば、行方不明になってて、きちんとお葬式をあげられていないとか」
「なんだなんだ」
「お墓が崩れているだとか……そんなこと、起こってない?」
「どうしてそんなこと?」
父は間の抜けた顔で言った。おれは前のめりになって、
「お化け、出るって言ったでしょ。そのお化けの顔が、ひいおじいちゃんに似てるんだよ」
父はぴくりと眉を動かした。なにか知っているのだろうか、とおれは期待した。けれども一方で、それは自分の祖父をお化けだ、と言われた人間が、言った相手を非難するための、そういう表情であるようにも見えた。どっちだろう。じりじりしていると、父はフッと笑みを浮かべ、おれをさとすように、
「そんなことはない。じっちゃんは大往生して、みんなで葬式をあげたよ。ほら、明日、丘の上のお寺の霊園にみんなで墓参りに行くだろ。墓石が三個あったの、覚えてない? じいちゃんは本家の人間だから、真ん中の墓、あの中に眠ってるよ」
「でも、ひいおじいちゃんが……」
父を見る。嘘を言っているようには見えなかった。もうその話はいいんじゃないか、というような表情で、「柿の種、食べるか」と言う。だめだ。もうこうなってしまうと、おれの話は聞いてくれない。
すっきりしないものを抱えたまま、父の実家に帰り、あいさつ回りを済ませ、墓参りに行った。草取りを手伝い、下の水道から桶に水をくんで持ってきて、墓にかける。丁寧にかけ、手を合わせた。
なにか言いたいことがあるのでしょうか。でしたら、おれに教えてください。丁寧に、墓石を磨いた。お父さんを説得してみせます。お願いですから、おどかすようなことはやめてください。お願いします。お願い……。
油蝉が、隣の墓石の卒塔婆に止まって、急に鳴きはじめた。
*
「引っ越したい」
と言った。もちろん、あんな事件のあったあとだ、できることならば両親も引っ越しをしたかったはずだ。けれども、購入したばっかりで、ローンもまだまだ残っているであろう分譲マンションを引き払うということは、なかなかできない決断だったのだろう。
おれたちは仕方なく住み続けた。
雑木林はますます薄気味が悪くなっていった。木を伐採して更地にしてしまう、という話も出たようだったけれども、いつまで経っても実現することはなかった。献花や供物の乗ったテーブルもしばらく置かれていたけれども、暗闇にぼんやりと浮かんで見える献花の鮮やかな色は、亨くんや殺された男の人の人魂のようでかえって恐ろしかった。
事件以来、不審者もますます目撃されるようになっていった。包丁を持った男がうろうろしている、あるいは、「殺してやる」とつぶやいている不審者がいるという噂が流れて、パトカーが出動したことも一度や二度ではなかった。
裕福な家に生まれた子供たちは早々とほかの場所へ引っ越していった。けれども、おれのように裕福ではない子供はマンションに住み続けるしかなく、遅い時間に外に出ることを禁止されるようになった。
なにかがおかしくなっていて、そのためにマンション全体がぎすぎすしはじめていった。
とうとう、そんな雰囲気が形になって現れたように、上層階からの飛び降り自殺があって、その半年後、別の人間がまたしても飛び降り自殺をしてしまうと、さすがに両親もここはなにかおかしいのではないか、と焦りはじめたらしかった。
「なにかあるよ、このマンション、まいったなあ、なんでかなあ。こういうの、運なのかなあ」と父は芝居がかったように言う。
「あなたがここがいいって言ったんじゃない」と責めるように母。
「おれのせいかよ。おまえ、壁紙の色がいいねって言っただろう」
「壁紙なんて、はあ?」
「ねえ、そんなこといいから、引っ越そうよ」
「おまえは黙ってなさい」
けれども結局、おれたちは退去することになった。
おれは引っ越せることを喜んだけれども、一方で、結局、また同じことが起こるのじゃないだろうかとも思った。
どこへ行っても助からないんじゃないかって。どこへ行っても、おれはずっと、お化けに苛まれるんじゃないかって。
*
そして事実、そうなった。
次に住んだ借家の一戸建てでも、おれはお化けに遭遇した。大なり小なり、いろいろな怪奇現象に見舞われた。殺されるのではないかと死を覚悟したこともある。不眠症はひどくなっていき、医者に行って眠るための薬をもらう頻度は
そのうち、おれの家はお化け屋敷と言われるようになっていった。窓の外を通る近所の子供たちがそんなふうに噂しているのを、部屋の中から聞いたこともある。ショックだった。なにも家の目の前で言わなくたっていいだろう。けれども、間違っていないのだから仕方がない。笑うしかなかった。
聞こえてくる話は次のような塩梅だ。誰もいない家に明かりが灯る。悲鳴が聞こえる。家の敷地内で子供が消えた。庭の片隅に四つん這いで歩くなにかがいて、夜な夜な鬼門の方角に消えていく……本当のこともあれば、膨らんでいることもあった。けれども、おおむね、本当だった。
引っ越そう、と何度も両親に言った。母も、最初こそ信じていなかったけれども、近所のママ友達からじかに「お化け屋敷だ」というような噂を聞いてしまっては、再度の引っ越しを考えざるを得なくなってしまったようだったし、その上、母も最近になって、お化けが見えてきたようなのだった。
中学二年生の、ある秋の日のことだった。最低限の出席日数を満たすため、珍しく学校へ行った帰りのこと。
居間のソファに母が座っていた。今日は仕事が休みの日だったので、家にずっといたのだろう。「ただいま」と近づいていくと、母の顔は真っ白で、目は真っ赤になっていた。びくりとする。なにか怖いものを見て、すがる人のいないときの、おれ自身の顔によく似ていたからだった。
「な、なにかあったの?」
「軒人、いつもあれ見えてたの?」
「あれって?」
「お化けよ、お化け!」
そんな言葉が母の口から出てくるとは思わなかった。驚くのと同時に信じられない。違うお化け、漫画や映画に出てくるようなフィクションのお化けの話をしているのではないかとも思った。けれども、母の表情から、そんなことではないのだということがわかる。
「いないって、いつも、言ってたじゃん!」
「部屋にいたのよ。椅子に座ってて、あれ、お父さん、帰ってきてるのかなって思って、でも見たら、顔がなくて、真っ黒で」
母はそこで口をつぐんだ。お化けについて、まだそのへんにいるかもしれないという場所で言及することが恐ろしいのだ。その気持ちはよくわかった。母は顔を覆う。震えていた。
「言ったじゃん、おれずっと見てたんだって」
「うん、見てたんだね、ごめんね……」
「そうだよぉ。おれさあ、あんなのずっと、誰も信じてくれなくてさあ……」
泣きたいような気分だった。ああ、母さんもお化けが見えて、おれの言ってること、理解してくれるようになったのか。よかったな。かわいそうだったけれども、自分の仲間ができてよかったなって。
それから二人でスーパーへ行って、お化けに効くかもしれない粗塩を買ってきた。家に帰って、お皿に盛って、お化けの座っていたという椅子の上に置く。父さんの座っている椅子だから、父さんの帰ってくる前にはどかそうねって言いながら。
はじめての盛り塩だった。効果があるのかどうかはわからない。でも、そうしてお皿を置いたことは、小さいころから、誰にもお化けのことを信じてもらえないという、おれの負の気持ちの象徴を崩すみたいでよかった。大きなお皿に、ばかみたいに一袋分、なみなみと注がれた塩の白さが、居間の昼光色の蛍光灯に
「これー、何?」
帰ってきた父が、自分の椅子に乗った盛り塩について聞いた。おれたちを疑うような目をしている。なーにしてくれちゃってんの、これ、みたいな。
寝室で寝てる母に代わって、「母さんがお化けを見たんだよ」と言ったとき、少し、興奮した。父さん、おれ以外の、新しい証言が出てきたんだ。おれの言うことを信じてよって。
父は、
「うえっ!」
と言った。それから、心底いやそうな顔をしながら、塩をシンクへ流しはじめた。
ぽかんとした。父のすることがわからなかった。
「ちょっ……」
父が水を流す。キュッという水栓の音。シンクにぶちまけられた大量の塩が、水を吸って
「あー、こういうの、流しちゃいけないんだっけー」
とんちんかんなことを言いながら、ごまかすようにおれに笑いかけた。
「なっ……なにが?」
「ラーメンのスープとかもさ、流しちゃいけないんだよ、本当は。環境に悪いからね。塩もいけないのかなあ」
ジャーッという、刺々しい水の音。
「母さんは疲れてるんだよ。最近、新人の教育とかでさ……」
それだけ? 聞き返しそうになるのを、ぐっとこらえた。それだけしか、おれたちには、言うことはないの?
塩の流れていくのを見ていた。お化けに効いていたかもしれない塩が、あとかたもなくなっていくところを。
この人にとっては。結局、父にとっては、これがあたりまえの処遇、あたりまえの対応なんだっていうことを、改めて実感した。けっして、おれたちのところにまで降りてこようとしない。
「母さん、こういうの、はじめちゃうかあ……はあ、やんなるなー……」
困ったなあ、という顔をいつまでも、した。
母はどんどん痩せていき、仕事も休みがちになり、とうとう床に臥せってしまった。せっかく一緒につらい目にあってくれる人ができたのに、と心細くなる。元気になってほしかった。
少しずつ、両親は不仲になっていった。お化けを見ることのできない父には、きっとこの恐ろしさはわからないのだ。塩を置いてもすぐに捨てられてしまって、お札を貼っても、「こういうの、来客がみたら、『あー、宗教やってんだー』みたいに思われるだろ。恥ずかしいじゃないか」って。いいじゃないか。思われたって。それでお化けが出なくなるのだったら。
父は、暴力を振るったりだとか横柄な口を利いたりだとか、そういうことは一切ない。ただ、お化けが見えないという一点のみで、おれたちとは話が合わなかっただけなのだ。
「ねえこの塩さ、再利用とか、しちゃいけないのかな? もったいなくないか」
たまに父に隠れて盛り塩をしても、見つかってしまうと、そんなことを言ってくる。自分が、息子たちの気分を害しているということはわかっているけれども、でもそれをごまかすように、笑いながら言うのだった。本当に、なにを言っているのだろう。おれはわざとらしくため息をつく。父はそんな息子の態度にむっとするけれども、父は父で、どうしておれがそんな態度を取るのか、わかろうとすらしてくれなかった。
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