第139話 正の字やってない 「正の字やってねえ!」

 ある日。ある時。あるところ。

 具体的には、いつもの昼すぎ、いつものリビングで――。


 俺は大変なことに思いあたって、大声で叫んでしまった。


「正の字やってない!」


 俺の大声に、駄犬は「ひゃん」と鳴き声をあげ、スケルティアはお昼寝から目覚めて目をこしこしとやり、ミーティアは食べていたクッキーを喉に詰まらせ胸をどんどんと叩き、クザクは天井裏から板を外して顔を出してきて、エイティは手入れしていた聖剣で指を切ってぎゃーぎゃー叫び、リムルはクッションを胸に抱えて怖がって、モーリンが、あらあらどうしました、と、言いながらリビングに入ってきた。


「俺は大変なことに気づいてしまった。〝正〟の字やってない」

「だ、だから……オリオン、その〝せいのじ〟って、なんなの?」

「バカめ。だからおまえは駄犬なのだ。〝正〟の字っていったら、あれだろう。回数を記録するためにつけるあれだ」

「回数?」


 アレイダは首を傾げている。

 俺は指先に魔力を込め、空間に図形を描いてやった。空間に魔法陣を描く動作をメモ書きに使う。


「こう、こう、こう、こう――こう、で、〝正〟の字だ。五回で一つだ」

「それって……、こーゆーやつ?」


 アレイダは俺と同じように、指先で空中に図形を描いた。

 なんだこいつ。いつのまに高等魔術の予備動作なんて覚えてんの?


 しかしアレイダの描いたものは、縦棒が四本に横棒が一本。


「ちがう。それだと〝正〟じゃない」

「でも数えられるでしょ? 五を数えるやりかたでしょ?」

「それ、私のほうだと横棒四本に縦棒一本でしたけど」


 クザクが言う。


「縦も横も同じだ。どっちも〝正〟じゃないな」

「もうしわけありません」


「ボクのところは、こんなふうに⚝って書いてましたけど」


 エイティも図形を描く。こいつは魔力でなくて聖気で描きやがった。さすが勇者。いや街勇者。


「それは五芒星だ。〝正〟じゃない。――それより誰かミーティアを介抱してやれ。そろそろ死ぬぞ」


 喉を詰まらせたままのミーティアが、ぴくんぴくんと痙攣している。

 リムルが、どかん――と、背中側から浸透勁を打ちこんで、ドレスの胸元がぼかんと弾ける。

 低レベルなら十回ぐらいは死んでるダメージと共に食道ごと破壊され、その後、皆からの治療魔法で回復して、ミーティアは窒息死を脱した。


「ミーティアってば、そそっかしい~」


 ケラケラと笑っているアレイダに、アイテムストレージから取り出した〝骨〟を投げてぶつけてやった。


「なに! なんなのっ!」


 だから常人なら十回は死んでるぞ。そこ笑ってるところか。……最近こいつらの感覚は、どんどんおかしくなってくるな。


「そんなこともよりも、いまは〝正〟の字だ」

「だからなんなのよ? 数えかたに何種類かあるのはわかったけど。それがどうしたっていうの?」

「だから回数を数えるんだって。一回ごとに棒を一本足して、〝正〟の字を書いてゆくんだ」

「だから普通、そう使うものでしょ? だいたい数えるって、なにを数えるのよ?」

「わからんか?」

「わかるわけないでしょ」


 当然のように言う駄犬から目を外して、俺は皆を見回した。


「……わかる者は?」


 誰の手もあがらない。

 ――かと思ったが、バニー師匠だけが、手をあげてくる。


「はーい。オリオンさんの言ってるのはー、アレのことですよねー?」

「無論。アレだ」

「うふふ。オリオンさん。お好きですねえ」

「無論。お好きだ」


 俺とバニー師匠が通じていると、アレイダは不満そうにかぶりを振った。


「わっかんないわよ」

「ほかにわかる者は?」


 俺は再びそう聞いた。


「……あっ。はぁ。そういうことですか」


 しばらく前から中空を見上げていたモーリンが、そんなつぶやきを洩らす。


「いつもの〝親戚〟に訊ねてみたか?」


 モーリンがああして中空を見上げて、ぼんやりしているときは、別次元にいる別の自分と交信しているときだった。


「いえ。いつもの世界じゃないほうの、べつのほうの〝森〟ですね。そちらでは知り合いに〝官能小説家〟がいらっしゃるようで、〝LINE〟で聞いてもらったところ、ようやくわかりました」

「お、おう……」


 LINEかー……。

 異世界感ぶちこわしの単語がいま聞こえてきたなー。

 聞かなかったことにしよう。


 その意味をモーリンも理解したようだ。心なしか、俺を見つめる目つきに色がついている。

 当然だな。

 〝正〟の字の意味を知ったなら、俺がなにをしようとしているのかも、理解したということだ。


「ちょ、ちょっ、ちょっ――。なに? なんなの? りゃ、りゃ……、りゃいん? その魔法かスキル覚えないと、だめなの? それって聖戦士クルセイダーで覚えられるものなの?」

「いやLINEはいまは関係ない。それよりも〝正〟の字だ」

「だからなんなのよぅ」


 まだわかっていないおバカなワンコが、ひゃんひゃん鳴いている。


「あっ……」


 クザクが短く声をあげた。

 皆の中でいちばん勘の良いのがクザクだ。ここまでのやりとりで、さっそく気づいたか。


 ほっぺたを赤くしてうつむいているから、たぶん、間違いないな。

 こーゆー村娘みたいな反応が、初々しくていいな。よし。〝正〟の字をいっぱい刻んでやろう。

 無論、前からのときと、背後からのときとでは、べつのカウントにするのだ。


「わかるやつー? わかるやつー? ほかにー? いないかー? いないかー?」


 俺はさらに聞いた。

 手のひらに正の字を何度も書いて、首を傾げていたエイティが、あっ、と気づいた顔になる。


「師匠……、えっちですぅ……」

「当然だ。俺だからな」


 俺は胸を張ってそう答えた。こいつもいい顔で恥じ入るよな。

 村娘出身どころか、娘でもないんだけどな。

 男だったときから、中身が乙女だったということだな。そしていまでは外見も乙女だから、まったく問題はないなっ!

 ようし。〝正〟の字をいっぱい刻んでやろう。


「えっ! なにそれ!? えっちなことなの!? えっちぃことだったの!?」

「なんだと思っていたんだ? おまえは?」

「なんかあたりまえのような顔して言ってるーっ!!」


 駄犬がひゃんひゃん鳴いてるあいだに、スケルティアとリムルの年少組が、同じ年少組のコモーリンと顔を寄せ合っていた。

 ひそひそと話をしている。


「ん。わかたよ。……いっぱいかいて。」


 スケルティアがそう言った。

 おおう……。

 〝いっぱい〟ときたか……。


 おおう! いっぱい書いてやるからなー! 〝正〟の字をっ!!


「我はよくわからなかったのだが……、交尾ならいつでもオッケーなのだ」


 おおう! よくわからなかったか。だがいっぱい〝正〟の字を書くからなーっ!!


「これでわかっていないのは、おまえだけだな。――アレイダ」

「ちょっといまのはズルでしょ!! ていうか! ミーティアだってわかってないじゃない!」


 その当のミーティアは、いま、クザクからこしょこしょと耳打ちされているところで……。


「あっ……。はいっ。お願いします♡」


 瞳の中に♡を浮かべて、俺にそうい言ってくる。


「だからそれズルでしょっ!? なんでみんなズルすんのっ!?」

「だってこれはクイズじゃないしなぁ」

「クイズじゃなかったの!? じゃあなんなの!?」

「そろそろ時間切れにしちまおうかなー」

「ちょっ! 待って待って待って! いま考えるから! ――ってクイズじゃないのになんで時間制限あるのよーっ!」

「はいあと三〇秒」

「せめてヒントちょうだい!」

「ヒントはもう出てるだろ。えっちぃやつだ」


 ほんと。こいつ。駄犬だなぁ。


「け……、けどっ、な、なんの関係があるのよ……? 数をかぞえることと、えっちいことと……」


 アレイダは考えている。考えている。考えている。


「だいたいオリオン、そんなの数えなくたって、いつもいつも、いっぱいしてくるじゃない……、いつもいつも、何度も何度も……、なかに……、いったいいまさら、なにを数えるって……」


 考えに夢中のアレイダは、すっごいことを口走ってる自覚がないようだ。


 ちょっとグッときた。

 いまちょっと押し倒したい。

 たくさん〝正〟の字を刻んでやろう。――正解したらな。正解しろよな?


「あっ……!」


 アレイダは、ついになにかに気がついた顔になる。


「あーっ! あーっ! ああーっ!!」


 指を突きつけて、俺を糾弾するかのように、叫びつづける。

 アレイダが大声をあげるたび、俺は仏の顔でうなずいてやった。

 繰り返し、何度も何度も……。


「よし! その反応を見ればわかるな。おまえも正解したようだ! なら――褒美をあげないとなっ!」


 俺は立ち上がった。

 べつな意味においても、立ち上がっていた。


「バカ! ヘンタイ! なんてこと考えるの!」


 とか言いながら、こいつ、しっかりついてくんのな。

 あと俺が考えたわけじゃなくて、向こうの世界の誰かが考えたんだがな。エロマンガとエロゲ業界じゃお馴染みの〝常識〟だしな。


「油性サインペン……、なんてものはこっちにはないな。インクと羽根ペンをもて!」


 さあ寝室にレッツのゴーだ。


 このあと滅茶苦茶セックスした。〝正〟の字もいっぱい書いた。

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