第127話 森の都の宴にて 「み、耳はだめです……」
パーティ会場は大変な賑わいだった。
勇者とその御一行は、おおいに歓待を受けている。
「賑わっていますね」
グラスを片手に、モーリンが俺の近くにやってくる。
俺は何人目かに会話していた森の民に挨拶をしてから、モーリンに体を向けた。
「なかなか風情があるじゃないか」
グラスを持ちあげてそう言った。
パーティというよりも、宴という言葉が、ぴったりとくる雰囲気だ。
この魔大陸は、生物の強さはともかく、文化的には遅れているようだったが……。奥地のここの民族だけは、ひどく洗煉された文化を持っていた。
「彼らハイエルフは、長命ゆえに長い歴史を持っていますので」
「大賢者も知らない文明があったとはな」
俺たちを迎えた連中は、森の奥に住む古き種族だった。フィクションのファンタジーではおなじみの「ハイエルフ」というやつだった。
……で、あるのだが。
「他の大陸に渡ったハイエルフとは交流がありましたが、彼らが分家なのだとすれば、ここの氏族はいわば本家にあたりますね」
「しかし、惜しいな」
「はい?」
「惜しいんだ」
「なにがでしょう?」
あちらの大陸のほうに、エルフがいるのは知っていた。
だがそのエルフを目にしたことはない。いっぺんヤッて――もとい、見てみたいと、常々、思っていたのだが、機会がなかった。
聞けば、大変めずらしい種族らしい。冒険者界隈なら、すこしは存在率も高くはなるそうだが、それでも見かけたことはない。
「なにが残念なのかというと、だな……」
ちょうど近くを回遊していた王女を手招きする。
「勇者様。ごきげんよう」
「だーら勇者はあっちだっての」
この王女、出会ったときから、俺をロックオンしたっきり。
呼び間違えるのも、もはや確信犯である。
俺は王女を呼び寄せると、その左右の耳を、にゅーんと両側に引っぱった。
「あっ……、なにをなさるのでしょうか……、ふゎん」
王女は色っぽい声をあげるが、俺は構わず、耳をいじくり倒した。
「長さがだな」
彼女の耳は、ちょっと先っちょが尖っている。人間よりは長い。
しかし、よく見ればそうだというぐらいで、気にしていなければ見落としてしまう程度。
そんなに長いというわけではない。
エルフなのに。
密林の奥にある都に案内されてきて、そこに住む者たちが「ハイエルフ」と知ったときに、俺は複雑な気持ちだった。
エルフじゃないやーん。人間と変わらないやーん。
じつのところ、向こうの世界のフィクションでも、エルフという種族の耳は、本来はちょっと尖っている程度なのだそうだ。左右にアンテナみたいに張り出した長い耳は、日本ローカルなものだそうだ。
なんでも、日本で最初にエルフを描いたイラストレーターが、耳をロバみたいに長く描いたので、ロバ耳エルフが誕生してしまったんだそうだ。
しかしそっちのほうが〝あたりまえ〟であった俺にしてみると、気持ち尖っているかなー? ――なんていう半端な長さの耳は、どうにも物足りないのだった。
コレジャナイ感がつきまとう。
「あっ、あの、その……、耳は、そのぅ……」
王女はびくびくと身を震わせている。
完璧な造形の完璧な美貌なのだが。これで耳が長ければ完璧なエルフなのだが。
「まったく、俺のディードはどこへ行ったんだ……」
「ディード、ですか?」
モーリンが中空を見上げる。しばらくして、「ああ」とうなずいた。
いつも思うが。次元の向こうの世界にいる親戚は、ずいぶんと博識だな。どんなジャンルでも即座に答えが返ってくる。
「あの、耳はぁ……、だめです……」
王女がさっきからうるさい。
「マスター。ハイエルフにとって、耳に触れるのは性行為にあたります」
「おお。そうか。まったく構わないぞ」
本物の性行為のほうも、どうせそのうちする予定だしな。前戲みたいなもんだな。
「……ところで? 性行為といったか?」
「はい。AないしはB相当かと」
「……古いな」
「そうですか? 森に教わったのですが」
なんだっけ。向こうの親戚の名前だったっけ。いったいいつのおバアちゃんだよ。
「その性行為相当なんだが。……あそこのロンゲが、エイティにやってくれているのが、それじゃないのか?」
「ロンゲ、ですか? ……ああ第二王子ですね」
「俺に見えているものが現実であるならば……だ。エイティを口説いているように見えるのだが?」
「彼女を勇者として扱っているだけですよ」
「それで性行為相当をするのか?」
「ハイエルフにおいては、多種族の耳に触れるのは、最上級の敬意の表現とされています」
「けっ」
俺は吐き捨てた。
敬意というのは、その通りなのだろうが……。その敬意の裏側には、多種族に対する基本的な侮蔑が横たわっているわけだ。
こんなにも下等なおまえらの耳を、この高貴なハイエルフが触ってやったのだよ。光栄に思え。――みたいな。
「――で、あいつはなぜ笑顔なのだ」
耳に触れられているエイティは、ロンゲに笑顔を向けている。
「愛嬌を振りまいておけという、マスターの指示を忠実に守っているからではないでしょうか」
そういや、そんな指示も出したっけな。
勇者様、勇者様、と、森の民たちが群がってくるので、勇者らしく振る舞えと。具体的には常に笑顔で嫌そうな顔は一瞬も見せず、礼儀をわきまえ清廉潔白で、聖人君子たれと。
もともとお坊ちゃん育ちで、そんなふうに育てられていたエイティは、苦もなくこなしている。
俺のときには、えらい苦労した覚えがあるのだが……。
育ての親であり、姉であり、師匠であった誰かさんのカリキュラムが、戦闘面に偏りすぎだったせいだが。
最初の頃なんて、ナイフもフォークも使わず、手づかみで食べようとして、赤っ恥かいたな。テーブルマナーとまでは言わないが、せめて〝常識〟くらいは教えておいてほしかった。
「ああ……、もっと……」
俺の腕にとらまっている王女が、なんか言ってる。俺は関心を払わず、ただその耳をいじりつづけた。
森の民が勇者にやらせたがっているのは、四天王退治だ。
ハイエルフたちの森に隣接する荒野に、四天王を名乗る者が現れたらしい。
五〇年前にすべて倒したはずの、かつての四天王が復活したのか、それとも別な魔物が四天王を名乗っているのか、どちらなのか、それはわからないが……。
その始末をつけさせようとしているのだ。
「マスター。怒っていらっしゃいますか?」
「ん? ああ、いや……」
モーリンに言われて、気がついた。
ハイエルフの王女(の耳)をいたぶる手が、一瞬だけ止まる。
「……もっとぉ」
止まったのだが、再開させる。
だめです、から、もっと、に変わってきているしな。
「以前もこうだったって、思ってな……」
以前の勇者行においても、その場所その土地の、有力者や支配者にとっては、勇者というのはそういった存在だった。
全面的な協力は受けられる。歓迎もしてもらえる。しかし為政者にとって、勇者というのは、脅威を排除するための道具なのだ。
ヤクザやマフィアにとっての殺し屋と同じだ。
俺のときには、上司が特にひどかった。人間的な感情に乏しく、職場環境はブラック極まりないときた。
俺がこうしてエイティの勇者道のプロデュースをしているのも、過酷すぎた昔の旅の記憶を、上書きしようとしているのかも……?
「私のときには、メガヌテ戦法は、さすがに取りませんでしたが」
「うっ……」
「あと王子を
「そ、それはだな……」
「しょっちゅう王女と恋に落ちていたりしていましたけど、私、王女を堕とせとか、そこまで非道ではなかったですよね」
エイティがいま王子と仲良くやっているのは、あれはべつに特別に指示したわけではなく……。
俺はただ、「王族と仲良くしておいて損はないぞ」と言い含めただけであって……。
「それに自由恋愛は認めていましたよね」
「む、むぅ……」
王女との逢瀬に一分三七秒しかくれなかったがな。あのときせめて一晩もらえていたら、童貞捨てられたんだがな。
「なにかご不満でも?」
「い、いや……」
「それに御自分で指示を出しておいて、嫉妬とか……」
だからあれはだな。俺が指示したわけではなくてな。エイティが
「ときに、モーリン」
「なんでしょう?」
「なぜ俺をいじめる?」
「虐めているわけではないですよ。葛藤しているマスターを愛でているだけです」
「愛でられているのか。俺は」
「はい。愛らしいです」
俺の腕の中で耳を愛でられている王女が、みじろぎをした。
「あっ……。勇者様やめないで……」
「だから勇者はあっちだっつーの」
この王女も不憫だなぁ。
耳を触られまくって、ハイエルフ的には性行為に該当することをされまくっているというのに、周囲の者たちは見て見ぬ振り。
つまり彼女は、勇者様御一行に与えられた〝餌〟なわけだ。
「勇者様……、我が国の国宝に、聖剣レヴァンティン、神装鎧アイギスがあります……、宝物庫の鍵は、兄が……」
俺の腕の中で、王女が言う。
おお。あれか。知ってる。トリコロールカラーのやつだな。女性向けの鎧なので、以前の勇者行では縁がなかったが。
エイティのほうに目を向けると、口説かれているところだった。
しきりに俺に目を向けてきていたようだが、俺がそっちを向いたので、ようやく目が合った。
俺はエイティに目線で合図を出した。
なにを話しているのかはわからないが、王子のあの顔は、男が女に自慢話をしているときのそれだ。例の聖剣と神装鎧の話をしているに違いない。
その国宝勇者セットをおねだりしろと。プレゼントしてもらえ――と。
エイティは
「そんなぁ~!」というお馴染みの顔になっているから、うん、伝わった。
さて。こちらはこちらで、残る疑問を片付けるか。
「託宣を受けたと言ったな」
「は、はい」
腕の中の王女は、俺が聞くと、身じろぎをした。
「精霊様というのは……、あれか?」
俺は顎をしゃくった。
パーティをしているこのホールは、巨大な樹木の
壁には小さな葉っぱなんかが出ていたりして、会場全体が〝生きて〟いるのだとわかる。
生きたままの木を建造物として利用するのが、ハイエルフたちの文化らしい。
その生きているホールの壁の上部には、一つの大きな〝実〟が生っている。
どこかで見たことのあるような実だ。半透明のその実の内側には液体が満ちていて、中には、なにか人型の物体が浮かんでいる。
実の周囲には不思議な光が洩れだしている。濃密な魔力が自然発光しているだけだが、ちょうどそれが神々しいエフェクトになっている。
「俺たちの到着を告げたのは、あれだな」
「精霊様は、私たちハイエルフの国をずっと昔から守ってくださっております」
王女が言う。
「あれは世界樹の枝だな」
実のなっている枝は、樹木を突き破って、もっとずっと下のほうから伸びてきている。
俺が目を向けると、モーリンは、ついっと視線を逸らした。
「守り神になってるし」
「……」
「チクってるし」
「……」
そっぽを向いた――その首筋に問いかける。
「……知っていたわけではないんです。以前、お話しをしました通りに、体の端々で起きていることまで、すべて知覚できるわけではありませんから……」
「その知覚できない体の末端のニキビが、ここでは〝精霊様〟とかいって、崇め奉られているわけだが」
「私を通して情報が伝わったのかもしれませんね」
モーリンの〝本体〟は、その四天王とやらを〝脅威〟と判断したわけだ。そしてその脅威を〝処置〟できる存在として、俺たちを選んだ。
「その四天王とやらは、倒してやろう。だがお前たちハイエルフを救うためじゃない」
俺は腕の中の王女に言った。
「はい。勇者様」
王女は耳を委ねながら、そう言った。
「俺の女のためだ」
モーリンが――世界の精霊が脅威と判断したわけだ。世界にとっての脅威とは、つまり、俺の女――モーリンの脅威ということになる。
「ところでマスター。耳の長いエルフが所望でしたよね?」
「そうだが? 唐突に、どうした?」
「耳。そのくらいなのでは?」
モーリンに言われて、俺は腕の中の王女を見た。
ずっといじりつづけていた耳が……。
長い。大きくなっている。
「エルフの耳は発情すると大きくなります」
「おおぅ」
なるほど。その仕組みは知ってる。
「あ、あの……、勇者様。あちらに行くと別室が……」
王女が言う。そっと伏し目でホールから伸びる通路の一本を示す。
なんかちょっと違う感を持ちつつも――。
耳が長くなって、非常にエルフっぽくなった王女を――とりあえず俺は、お持ち帰りした。
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