第010話 据え膳食えと言われてもな 「お、お金以外のもので……、借りを返します!」
夜、俺は大きなベッドの上で横になっていた。
モーリンはまだ仕事が残っているとかで、夜なべで作業をやっている。
屋敷中、ピカピカにするつもりのようだ。
俺は一人でベッドにいた。
寝ようと思うのだが、これが、なかなか寝付けない。
暖炉では、ぱちぱちと火が燃えている。
部屋の中はうっすらと火の赤で、照らしだされている。
このあたりは、大陸のなかでも、暮らしやすい温暖な地方であるが――夜はすこしだけ冷える。
暖炉があると、大変、快適だ。
もっとも暖炉なんて持っている豪邸は、金持ちの家でも、そうそうないだろうが……。
今日は、たくさん働いた。
屋敷を掃除するのは、モーリンと娘の仕事だった。
俺の仕事は、もっぱら、すぐにサボる娘の尻を蹴飛ばして、仕事につかせることだった。
娘に言わせれば、あれはサボっているんじゃなくてヘタりこんでいるのだと言うのだが。「すこし休ませてよ死んじゃう」とか「この鬼畜」とか、いろいろ、言っていたが……。
俺は細々とした家事については、一切、手伝わず――。
それ以外で、力のいる仕事を、すこしやった。
薪を割ったり、葡萄酒の樽を、丸ごと一個、街中で買い上げて、街中から担いで
きたりと――そうした仕事だ。
屋敷を買うために金を稼ぎに、ダンジョンに行った。
そのときに、ついでにレベルがだいぶ上がっていた。ステータスもだいぶ増えた。
レベルというのは、世界の仕組みに組み込まれた、高次の概念だが――。
単純な肉体的な「力」というものなども、ステータスの増加で変化する。
何十キロもあるような樽を、ひょいと担いで、軽々と運んでこられる。
いまの俺は、そのくらいのステータスを持っているというわけだ。
本来であれば、冒険から帰ってきたら、ギルドに行ってレベルアップの申請と測定をするものらしいが――。
まあ、そのうちでいいだろう。冒険をするのは「ついで」であって、それが「目的」ではない。
娘は夕食のときまでには、相当、へばっていた。
それでも食事には食らいついた。
一回、吐いていたが、そのあとでまた食った。いい根性をしている。
しかし……。そんな吐くほどの運動量か?
仕事の内容は違えども、仕事の「量」としては、俺のほうが、はるかにこなしている。
主人より働かない奴隷が、どこにいるというのだ。
やっぱ。解雇だな。解雇。
明日になったら、あの尻をドアから蹴り出して、クビだ、と言い渡してやろう。
そして好きなところに行けばいい。
せっかく自由になったのだから。
……とか。
そんなことを考えて、寝付けずにいたら――。
こんこん、と、控えめに、ノックの音が響いた。
「あいてるぞ」
俺は言った。
誰だ、とは聞かない。
きっとモーリンだ。
俺の無聊の相手をしに、顔を出してきたのだと――。
――と、思ったら、違った。
「あの。ご主人さま……? 起きてます……よね?」
「ああ」
娘だった。
燭台を手に、木綿の夜着一枚で、俺の部屋を訪れにきた理由は……。
考えるよりも、聞いてみるのが、早いだろう。
「なんの用だ?」
「話があって」
「なんの話だ?」
「そういう。威圧的な話しかた。やめてもらえます? いま不機嫌なのでしたら帰りますし。あとにしますし」
「……なんだ?」
俺はベッドの上に身を起こし、座り直すと――娘に向いた。
きちんと娘の目を見て、話をする。
「まず最初にお礼は言っておかなきゃと思って」
「なんの礼だ?」
「もう! だからそれやめて! ……やめていただけますか? 私と歳もそれほど変わらないのに……、なんでそんなエラそうに。……ご主人さまは、いくつなんですか?」
「17だな」
モーリンに聞いてみたところ、17歳ぐらいと言われた。
前世と前々世を数えると、ややこしいことになるので……。肉体の見かけの年齢で、通すことにしている。
「なによ一個下じゃないの」
娘はぼそぼそと口の中で文句を垂れた。――聞こえてるぞ。
ということは、娘は18か。
「私を買ってくれたことと、奴隷から解放してくれようとしたことには、まず、お礼を言います。どんな酔狂だったのかは知りませんけど」
「ああ。その件だが。……おまえもう、明日、朝飯くったら、どこへでも行っちまっていいぞ。半日働いたくらいでへたりこんで、ひーひー死ぬ死ぬ言ってる根性なしのメイドは、うちにはいらん。解雇だ解雇。雇ったつもりもないが、クビだクビ。どこへなりとも行ってかまわない」
俺はさっき考えていたことを、娘に告げた。
「また言いあいしたいの? ……したいんですか?」
「おまえもうメンドウくさいから、タメ語でいいぞ?」
「そんなにわけにいかないでしょ! ……いきません」
「だからメンドウくさいって……」
俺は、つい、笑った。
娘も笑った。
「おまえ。名前はなんていうんだ?」
「やっと名前を聞いてくれた。――聞くまで、絶対、名乗らないって、私、思ってた」
「べつに名乗りたくなきゃ、名乗らなくていいんだぞ」
「おい」とか「娘」とか「あれ」とか「これ」でも、こちらは一向に構わない。
「アレイダよ。……カークツルス族の、アレイダ」
「アレイダ・カークツルスか」
「ちがう。カークツルス族の、アレイダ。カークツルスは、部族の名前。……もうないけど」
「ご主人様は? 名前。聞かせてくれない? ……くれませんか」
「あれ? 言ってなかったっけ?」
「きいてないわよ。モーリンさんも、〝マスター〟って呼ぶだけだし」
「ええと……、なんだったっけかな?」
「言いたくないなら、言わなくていいけど。……ご主人さまって呼ぶから」
「いや……、そうじゃないが。えーと」
冒険者ギルドで名前を書いた。
なんにしたっけかな……?
「ああ。……オリオンだった」
「なによそれ? 自分の名前を忘れてた? ……忘れてました?」
「色々あるんだよ」
転生者であること。元の名前は有名すぎて使えないこと。色々あったが。
娘に――いや、アレイダか。
彼女に話すべきことではないだろう。
向こうも、奴隷に身を落とした経緯も含めて、色々あるようだ。
族長の娘がどうだとか――前に口走っていた。その部族がもうないということは、滅びでもしたのだろう。
この50年は平和らしいから、どうだかわからないが……。その手のことは、俺が勇者をやっていた大戦期には、よくあったことだ。
「オリオンだけ? 下の名前とかは……、ないの?」
「ないな。ただの。オリオンだ」
「ふぅん……」
アレイダは、値踏みでもするように俺を見た。
この世界では、人は、ふつう、〝名字〟というものは持たない。
姓というものを持つのは、名家に生まれた者だけだ。守るべき〝家〟を持つものだけが、姓というものを持っている。
王、王族、貴族、騎士、あとは大商人や、学者の家系など。
「俺がそういう、いいとこの坊ちゃんに見えるのか?」
「ぜんぜん見えない」
「じゃあ、どういうふうに見えるんだ?」
「もっとこう……、ワルい人?」
「ははは……。ワルか。いいな」
俺はおかしくて、笑った。
これでも世界を救った勇者なんだが。
そうか。ワルか。
自由でよさそうだな。ワルは。
勇者をやっていたとき。魔王を倒し、世界を平和にする――決められた道を歩んでいたとき。
そしてまた、現代社会で社畜として、社会の歯車として組みこまれ、ブラックバイトやブラック企業で、すり減らされていたとき――。
俺が、ずっと、なりたかったものは、「ワル」だったのかもしれない。
「ああ。うん。そうだな。ワルだな」
俺は認めた。
「俺は好きなことをする。やりたいことをする。自重しない」
「そうそう。そんな感じ」
アレイダは笑った。
「それで……。そんなワルに買われてしまった私は、ああ、これはきっと、ヒドい目に遭わされてしまうんだろうなー、って、そう――」
「期待したのか?」
「だ――誰が! 期待なんて――!? ……ちがくて。覚悟していたの。……覚悟していたんです」
「ひどい目か。それは具体的にいうと、どういう目のことなんだ?」
「え? そ、それは……」
俺が聞くと、アレイダは口ごもる。
「そういや、昼間は、死ぬ死ぬ口走ってたな。――ああいう感じか?」
しょっちゅうへたりこんでサボっていたから、蹴飛ばして、仕事に戻させたが。 ――あれか? あれが「ヒドい仕打ち」か?
「ず、ずっと狭い木箱に閉じ込められていたのよ? 体力が落ちていて……」
「モーリンはおまえの10倍は働いて、顔色の一つも変えてないがな」
「あ……、ああいう仕事は……、慣れてなかったから……、そのうち、慣れてくれば――、もっと上手くできるわよ」
アレイダは言いわけばかりしている。
「しばらくすれば、体力だって戻るし。体だって仕事に慣れてくると思うし」
「なんだ。ずっと居着くつもりか?」
「貴方への借りをお返しするまでは」
アレイダは、毅然とした顔で、そう言った。
「なにか貸しなどあったっけ?」
「私を買うときのお金が――」
ああ。あれか。
「じゃあ返せ」
「す――、すぐに返せるわけないでしょう! あんな大金!」
俺が半日で稼いできた額の、さらにその5分の1だったんだがな。
「す、すぐに……って言うなら。そ、その……、お金はないけど……、ほ、ほかのものでっ……」
アレイダはうつむいてそう言った。
自分の二の腕を、ぎゅっと抱く。
「あ、貴方は、たぶん……、そういうつもりもあって……、私を、買ったんだと思うし……」
ああ。なんか変な誤解をされているようだな。
「いや。ノーサンキューだ」
「へ?」
アレイダは、きょとんとしている。
「え? ……だってそういうことを……、したいんでしょ?」
「悪いがそこまで不自由していない」
「え? でも?」
この年頃の娘というのは、自分の身体の価値を、どうして高く見積もるのだろうか。
「いや。だっておまえ。汚いし」
「あ――洗ったわよ! 洗ったでしょ! 洗われたわよね!?」
「敬語は?」
「あ……、洗いましたから。……その、だいじょうぶかと」
なにが大丈夫なのかわからないが、俺は首を横に振った。
いらんものはいらん。
だいたいこの手合いはきっと処女だ。メンドウくさいこと、この上ない。
「いまのおまえには、抱いてやるほどの価値もないな」
俺はそう言い渡した。
「なっ――!?」
アレイダは顔色を変えた。
まず赤くなり、怒って、無言で俺を睨みつけ――。
俺がまったく動じずにいると――。
しばらくしたら、青くなった。
自分の身体に異様な高値を付けていたことに、気づいたのだろう。
「そう……、ですか」
がっくりと意気消沈して、帰っていこうとする。
あーあ。……くそう。
こんなメスガキの一人が、自惚れていようが意気消沈していようが、どうでもいいのだが――。
ほっときゃいいのに――と、自分でも思いながら、俺はその、とぼとぼとした背中に、声をかけた。
「あー、もしおまえが〝一人前〟になったら、そのときには――抱いてやる」
「――頼んでないし!」
ばたん! ――と、ドアを力一杯閉じて、アレイダは出ていってしまった。
俺は、くっくっく、と、含み笑いをもらしていた。
あいつ? 抱かれに来たんじゃなかったのか?
そういや――。
もう金がなかったな。
屋敷を買って、奴隷娘を一人、解放してやったから、すっかり一文無しだ。
今日、街に行って、酒と食料を買ってきたが、あれは、モーリンの「へそくり」だ。
ヒモ生活も悪くはないが、アレイダを「一人前」にしてやると言ったこともあるし、明日はダンジョンへ、繰り出すか。
俺は一人でベッドに入った。
モーリンが夜這いしてこないかとwktkして待っていたが、結局、朝まで、なにもなかった。
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