第009話 屋敷を掃除する 「ちょ……!? デッキブラシで女の子、洗わないわよ……ねっ?」
「ここが、俺たちの家か」
地図を見ながら歩いてきた俺たちは、屋敷の門の前で立ち止まっていた。
ふむ。
ここが俺たちの家か。悪くないな。
すこし古いが、立派な面構えの邸宅だった。2階建てで、窓が無数に並んでいる。
図面を見た限りでは、大きな広間があり、個室の数も充実している。地下室なんかも、たしかあったはずだ。
大きな厨房もあり、客を迎えて豪華すぎるほどのパーティを催すこともできる。
まあ。やらんが。
きっと貴族か大商人でも住んでいた屋敷なのだろう。
大きな庭まで備えるその屋敷は、個人で所有するには、少々、大きすぎるほどだった。
「大きな……、お城……」
娘が、ぽかんと口を半開きにして、つぶやいている。
俺は、くっくっく――と、つい笑い声を洩らしてしまった。
娘には、〝城〟に見えたらしい。
「いつまで眺めているんだ? ――入るぞ」
ぼんやりとしている娘に声を投げて、俺とは屋敷の敷地へと足を踏み入れた。
◇
ぎいい、と、扉を押し開いて行く。
長いこと使われていなかったのだろう。埃っぽい空気が充満していた。
床にも、うっすらと埃が積もっている。
モーリンが屋敷の奥へと進んでゆく。指先をあげ、ぽっ、ぽっ、と、魔法の小球を生み出して、壁の燭台に光を灯してゆく。
蝋燭の灯りじゃない。魔法の灯りだ。
「ま……ほう、だ……」
娘がまたぽかんと口をあけている。
今日は驚きっぱなしだな。
「さて。働いて貰おうか。俺は、さっき言ったな?」
「え……、ええ……、はい、わかってます」
娘は俺に顔を向けた。
「なにを……、すれば、いいんでしょう?」
「掃除だな」
「は、はは……、一人で?」
娘は引きつった笑いを浮かべた。
「だいじょうぶだ。モーリンがいる。あれの労働力は、ざっと数えて普通のメイド300人分はある」
モーリンは、いわゆるひとつの完璧超人というやつだ。
「じゃ、じゃあ……、私、いてもいなくても、一緒じゃあ……?」
「飯の分を返さずに食い逃げしたいなら、どうぞご自由に。俺は解放してやるって言ったのに、恩を返してないとか言って、勝手に残っているのはおまえだろう」
「恩じゃなくて、お金の話です。私が逃げたら、貴方、大損じゃないですか」
「だから逃げるんじゃなくて、解放したんだって言ってるだろうに……」
俺は後ろ頭をぽりぽりとかいた。
この言いあいを、また繰り返すつもりはないんだが……。
「……仕事をはじめます。掃除すればいいんですよね?」
「ああ……。そうだが……。待て」
掃除道具を探しに行こうとする娘を、俺は呼び止めた。
娘の歩いていった床に、足跡が残っている。
足跡は本当に裸足で歩いていたからだ。
娘の格好は、昨夜のまま。
俺のくれてやったマントに身をくるんではいるが、その下は、奴隷の木檻に入っていたときのままで――。半分、裸みたいな格好だ。
長かった奴隷生活のせいで、娘の体は、ひどく汚れていて――。
「ちょっと来い」
「え? ちょっと――なに? なんですか!? 離して!」
「いいから来い」
俺は娘の手を引くと、屋敷の中を歩いた。
たぶんこのあたりだろう、というところに、目的の場所――〝厨房〟はあった。
水瓶がある。
雨水が溜まる仕組みなのか。澄んだ水が、なみなみと湛えられている。
「あとは……、ああ……。あった――、あった――」
俺が見つけ出してきたのは、床用のブラシ。
長い柄がついていて、両手で構えて、ごしごしと力を入れて洗うためのブラシだった。
向こうの世界だと〝デッキブラシ〟という名前がついている、その先端のブラシの剛毛を、ずいっと――娘に向けた。
「屋敷の掃除をさせるまえに、まず、おまえの体を〝掃除〟しないとな。――そうでないと、綺麗にしているのか、汚しているのか、わからん」
「えっ? いえあのっ……、そ、その凶悪な感じの、ブラシはっ……?」
「マントを脱げ。そうしたら、そこの水瓶から、水を汲んで、自分で体に浴びろ」
俺はそう命じた。
「ちょ……、ま、まさか……、そ、そんな凶悪なブラシで……、女の子――洗わないわよね?」
「敬語を忘れてるぞ」
「あ、洗いません……よねっ?」
「いいから裸になれ。それとも、俺に裸にひん剥かれたいのか?」
「ひ、ひん剥くって……」
「面倒くさいやつだな」
俺は手を伸ばしかけた。ひん剥いてやろうと伸ばした手から、娘は逃れて――。
「ぬぎます! ぬぎますっ! ぬぎますからっ! さ――さわらないで!」
触りたくないから、ブラシを探してきたんだが……。
娘はしぶしぶ、マントを脱いだ。
わずかにまとっていた、ボロ切れ状態の服も、すっかり脱いで、完全な全裸となる。
胸と股間を手で隠して、顔を赤らめて、厨房のタイルの床に立つ。
「あ……、洗うからっ……、自分で、やるからっ……」
「敬語を忘れているぞ」
「あ、洗いますから……、あっちへ行っててくださればぁ……、自分でしますからっ」
ええい。もう面倒くさい。
俺は水瓶から汲んだ水を、娘の裸に、ぶつけるようにして――ぶっかけた。
「つめたい!」
「水が冷たいのはあたりまえだ」
娘は、いちいちと、うるさかった。俺はさっさと〝作業〟を終わらせることにした。
「まずは背中からだ」
デッキブラシを、娘の背中に――ごしごしとかける。
「いたい! いたい! ――いたいっ!」
「これでも加減してやっている。このくらいの力を入れないと、おまえの垢が落ちんだろう」
娘が暴れて洗いにくいので――。
背中を蹴ってうつ伏せにさせる。足で踏みつけて、逃げないようにする。
「逃げる! 逃げます! もう逃げてやるうぅ!」
「だから最初から逃げろと言っている」
「――やめて! 残るなんて言わないからぁ! もう逃げ出させてええぇ!」
俺は一切耳を貸さず――。娘の体を、ごしごしと洗った。
◇
「うっ……、うっうっ……」
「ほら。綺麗になったじゃないか」
べそをかいている娘の髪を、タオルで拭いてやりながら、俺は言った。
ちょっと埃っぽいタオルだが、ほかに見あたらなかったので、しかたがない。
洗う前の娘は、ちょっとばっちい感じで、触るのは、はばかられたものだが――。
洗ったあとの娘になら触れられる。
てゆうか。むしろ触れたい。
髪と体を拭ってやるついでに、あちこちタッチしてしまおうかとも思ったが……。
そこは、自粛しておく。
この世界に転生して、自重はしないことに決めている。
だが自粛はする。
洗うだけ、と、自分で言っていたのに、他のことをはじめてしまったら、カッコが悪い。
さっきまで「死ぬ」だの「いっそ殺して」だの口走っていた娘は、観念したのか、すっかりおとなしくなって、俺の手に髪を任せている。
はじめ見たときには、目の光以外は、ただの小汚い奴隷娘としか思っていなかった。
綺麗に洗ってやって、第二の皮膚となってしまっている垢を、削り落としてやりさえすれば――。
ずいぶんと、美しい娘だった。
やべえ。ちょっと欲情した。
ちょっとしか、欲情していないが……。
具体的には35度くらいだ。
「彼女の服が入り用ですね」
声がかかる。
「ああ。……そうだな」
俺は余裕を持って、背後を振り返った。
モーリンが立っていた。
「あんまり汚かったからな。洗ってやった」
俺はそう言った。
単なる事実をモーリンに説明する。
ちょっと、どっきりしていた。
ちょっとしか、どっきりしていないが……。
あー。びっくりしたー。びっくりしたー。
「それは? おまえとお揃いだな」
モーリンの持っている服に、俺は目を留めた。
「いま予備はこれだけでして」
モーリンの持っているのは、メイド服だ。
彼女の手から、その服を受け取り――。
俺はそれを、しゃがみこんだままの娘の背中に、ばさっと、投げ落とした。
「ほら。着ろ」
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