第005話 モーリンという女 「世界の精霊を所有するという意味」
「なんだよ?」
しばらく歩いて、顔を紅潮させたエリザの姿が見えなくなってから――俺は、モーリンに、そう聞いた。
「いえ。なにも」
「嫉妬でもしたか?」
「すいませんが。その質問には答えかねます」
「だよなー」
俺はそう言った。
モーリンという女は、不思議な女なのだ。
彼女に育てられた俺が言うのも、なんなのだが――およそ人間離れしている。
嫉妬だの、そういう人間的な感情に対して無縁なのだ。
そればかりでない。所有欲。虚栄心。およそあらゆる人間的な「欲」というものが、まったくないのだ。
彼女にあるのは、世界に対する義務感だけ。
世界を守護し、安定を保つ。そのために完全かつ完璧に、合理的な行動を選択する。そうした存在だ。
はじめは機械かと思った。
俺との二十年間の付き合いを通して、彼女はすこしずつ変わっていった。
いまでは〝恋人〟の関係をねだってくるほどに。
「笑顔」はレアなのは、そういう理由だ。「嫉妬」なんて見かけたこともない。いちど見てみたい気もする。
そんな彼女が、唯一持っている情念が――「誰かに所有されたい」という願望だった。
俺は彼女のことを、世界の〝精霊〟なんじゃないかと考えてみたことがある。世界が自分自身を守るために生み出した、人型の存在。肉体は備えて人の形をしているが、人間を超越した、なにか心霊的な存在。
仮に、もし、そうなのだとしたら――。
彼女を〝所有する〟ということは、世界を所有するに、等しいのではなかろうか……?
実際、隷従の紋を彼女の首筋に刻むのは、どえらく苦労した。
精霊王を支配したことも、(必要があって)、あったのだが――モーリンに紋を刻んだときと比べて、あっけなさすぎて、拍子抜けしたほどだった。
「どうしました?」
「いや。これから、どうしようかと思ってな……」
モーリンが聡く察して、俺に問いかける。
俺は彼女と共に歩きながら、そう言った。
「本日の予定は終わりましたので、マスターのご自由にして構いませんが」
「このままずっとおまえと並んで歩くのもいいな」
「この道をまっすぐに行きますと、メレルトの街に着きますね」
おお。覚えのある地名が出た。
滅びた街だったが――。俺が魔戦将軍率いる魔王第三軍を倒して、人間側に取り戻したんだっけ。
五十年前には、復興がはじまった。――と聞かされただけだが。
「いまは栄えていますよ。この地方でもっとも繁栄した商業都市になっています」
「へー」
「この道。まっすぐで、どのくらいで着くんだっけ?」
俺の頭にあるのは印象の強い記憶の断片ばかりなので――。地理とか、そのあたりの、どうでもいい情報は、すっかりと欠け落ちている。
あれって隣町だったっけ? 勇者の旅路の最終近かった気が?
「距離ですか? 徒歩なら四十二日ほどですね」
「おいおいおい」
俺は笑った。散歩には、ちょっとばかり遠かった。
「小屋に戻りますか? それともどこかで昼食でもとってゆきますか?」
「うーん」
モーリンの手料理を食べたい気もする。だがそうすると、きっとまた、彼女は給仕に徹してしまうのだろう。
店で食べれば、二人で食事ができるだろうか。
結局、店で食うことにした。
冒険者風の荒くれ者たちの集う店に、平然と入って、平然と食事した。
常連客のうち、何人かは、剣呑な目線を送ってきていたが――。俺もモーリンも、一切気にせず、酒と食事を楽しんだ。
見たことのない料理だったが――。(勇者の食いもんは常に携行食で干し肉と乾パンのローテーションだ)
どれもおいしかった。やはりこの世界は食い物がうまい。
うまい。うまい。うまい。
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