同居する歳上の後輩が俺を揶揄ってくるのだが、俺が好きなのは妹の方なんですけど!!

鷺島 馨

同居する歳上の後輩が俺を揶揄ってくるのだが、俺が好きなのは妹の方なんですけど!!

「んふっ♪今日も先輩は可愛いですね〜♪」

 弾んだ声でそんな事を俺に告げてくるのは年上の後輩。

 いや、年上の後輩についてのツッコミは敢えて受け付けない。


「先輩早く、行きましょうよ」

 俺の手をグイグイと引っ張って行く彼女。なお、俺のことを『先輩』呼びするのは学校の中や周りに生徒がいるときだけ。普段は『あなた』や『旦那さま』と呼んで揶揄ってくる。


 四之宮しのみや 夏織かおり、フランス人の母・ソフィアと日本人の父・冬弥とうやを持つハーフ。日本生まれのため母国語は日本語、母親にフランス語は習っているようだが、まだ会話は難しいと夏織かおりは言っていた。

 母親譲りの金色の髪、碧い瞳。整った顔立ちにスラリと伸びた肢体。


 本人は『人並みの大きさの胸が気に入らないんだよね〜』と言って、いつも俺に胸を押しつけてくる。

 何かにつけて、それをしてきた後、夏織かおりは顔を真っ赤にしていたな。今回もそれは同じだった。

「どう?私の胸の感触は♪」

 それでも後に引けなくなって、両手で胸を寄せて俺に見せつけてくる。

「なんなら触ってみる?」

 俺を揶揄いすぎて、言わなくてもいい事を口にしたことに気がついたのか、後ろの方は尻すぼみになっていく。


 それじゃあ、遠慮なく。

 彼女の手に手を重ねるようにして、そっと下から胸を持ち上げる。

「ひゃう、んっ」

 弾む彼女の声は可愛らしくも恥じらいを帯びていて俺の耳朶をくすぐった。

 これが彼女と出会ってから今も時々続いている出来事。

 この積極性は母親譲りだろうか?


 そして今、俺は彼女に手を引かれながら我が母校『桜華高等学校』の正面入り口を出る。

 正門前の桜並木は新緑を湛えている。

 吹き渡る風は夏織かおりの金糸を靡かせる。

 綺麗だ。思っていることが口をついて出た。


「Je suis troublé même si tu dis que tu es belle. Non, je suis vraiment content.(綺麗だなんて、そんなことを言われても困るんだけど。いいえ、本当は凄く嬉しいわ。)」

 照れると母親に習っているフランス語で何事かを呟くのは夏織かおりの癖。

 幸いにも?俺はフランス語殆ど分からない。英語もなっ!

 でも、文明の利器が俺にはある。いや、みんな持ってるスマホアプリの音声翻訳機能を使えばどうにかなる。まあ、今回は手を引かれていて起動出来なかったんだけどね。


 夏織かおりに手を引かれて進んだ先は古めかしい調度品と落ち着いた雰囲気が評判で、煉瓦造りの建物が特徴の喫茶店。流行りのカフェではない昔ながらの喫茶店。


 訪れる客層も俺や夏織かおりのような若輩ではなく有閑マダムやロマンスグレーと言われる年齢層の方々が似合うお店。正直、場違い感が酷過ぎて落ち着かない。俺とかはもっと雑多なところとかファストフード店の方が落ち着く。


 それで、どうしてこんな場違いなところに俺を引っ張ってきたんだ?

 誰かと待ち合わせの予定もないんだが。

 夏織かおりに促されて一番奥の席に腰を下ろす。


 お冷やと一緒に持ってこられたメニューにチラリと視線を送る。

 今、俺のお財布の中にあるお金事情でここの店はキツイ。ケーキセット二人分で俺の財布は満身創痍になる事だろう。別に俺が二人分払う必要も無いけどね。

 だって、俺と夏織かおりは付き合っている訳じゃない。

 こいつは俺になついているだけの歳上の後輩。


 俺が好きなのは夏織かおりの妹、クラスメイトの秋李しゅりの方だ。

 秋李しゅりは父親譲りの艶やかな黒髪、黒曜のような輝きを秘めた憂いを帯びた瞳、顔立ちは夏織かおりと同じく母親譲りの整った顔立ち。だけどスタイルは秋李しゅりの方が豊満。

 二人が並ぶとその豊満なお胸のせいで秋李しゅりが姉と間違われる。

 学校では夏織かおりの方が一学年下であるため尚更勘違いされている。

 二人ともそれを訂正することをめんどくさがっているので学校では姉妹が逆転して認識されている。


 そしてその二人と一緒に暮らしている俺もその事を知っている。

 どうして俺がこの二人と一緒に暮らしているのかはまたの機会に話すとして、今はどうしてこんな場違いなところに連れてこられたのかだ。


 向かいの席に座る夏織かおりを見つめてその理由を促すのだが、

「そんなに見つめたら照れるじゃない、ばか」

 頬と耳をほんのりと紅潮させてチラチラと視線を合わせたり逸らせたりする。その仕草だけでも可愛い。俺が秋李しゅりの事を好きじゃなければ惚れていた。と思う。

「ねえ、そんなに見つめないでよぉ……、Une expression sérieuse est également bonne. Je ne peux pas m'empêcher de tomber amoureux de ça.(真剣な表情も良い。こんなの惚れないわけないじゃない。)」


 夏織かおりがモジモジとしている。このままにしておいてもしょうがないので店員さんを呼び注文をする。

 俺はクレマコーヒー、夏織かおりはマンゴーなんかが盛り付けられたトロピカルな感じのフルーツパフェを注文した。


 ここで、改めて夏織かおりに用件を尋ねる。

「En plus, je voulais juste aller à un rendez-vous...(別に、ただ、デートがしたかっただけだもん……)」

 俯きがちで小声で囁かれたその言葉を捉える事ができずに再度尋ねる。

「ここに、来たかったけど、一人だと気後れしたの!だから、一緒に来てもらったの!以上です!」

 ぷっくりと頬を膨らませて拗ねているその表情も可愛いな。

 途端に赤面したことからどうやら俺の心の声が漏れていたらしい。

「Mignon, mignon, hé, vraiment, quel genre de visage devrais-je avoir ? C'est embarrassant, alors ne me complimente pas si directement.(可愛い、可愛いって、ちょっと、本当に、どんな顔していれば良いのよ?恥ずかしいからそんなに真っ直ぐに褒めないで。)」

 

 夏織かおりが落ち着くまでの間、普段飲むことのできないクレマコーヒーを堪能した。きめの細かな泡で蓋をしたような見た目、両親と外食に行った際に父親が旨そうに飲んでいた生ビールが近い感じに思える。

 クリーミーな泡と苦味が抑えられていて今まで飲んだコーヒーよりも好みだ。


「ぷっ、……髭みたい」

 えっ、髭、ああ、泡がついてるのか?

「ふふ、可愛い、拭いてあげるね」

 自分で拭こうと行動に移す前に夏織かおりが手を伸ばしてきて、紙ナプキンで拭ってくれた。そこまではいい。問題は第二ボタンまで外されたシャツの襟元から中が覗けてしまっている事。そこにはパステルグリーンのブラジャーが覗いていた。思春期の男子としては『見ちゃダメだ!』と思うんだが目が離せない。自然とそこに視線が吸い寄せられる。


 そうなると当然気付かれる。弁解の余地が無いほどに見入ってしまっていた俺は夏織かおりの表情の変化に気づけなかった。

 羞恥の表情を浮かべ顔を紅潮させて、それでもなお左腕で胸を持ち上げるようにして強調する。


「ねぇ、そんなに見たいの」

 そう言って右手を襟元にかける。

 俺はごくりと唾を飲みそこに視線が吸い寄せられる。

「だめだよ、見せてあげない。私のことが好きなら見せてあげるけど……」

 上目遣いで俺を見てくる。ごめんなさい、俺が好きなのは秋李しゅりだけど、心が揺れた。本能には抗えないんだよ!


 こほんと咳払いをして取り繕う。

「ねえ、旦那さま」

 モジモジとしながら俺の手に手を重ねてくる。

 声には恥ずかしさが滲んでいる。

「こんな事をお願いするのは恥ずかしいのだけれど、今度、料理を教えてもらえないかしら」

 できるだけ済ました感じで夏織かおりが告げてきた。


 この姉妹は料理が全くできなかった。初めて会ったのは町内会での野外調理の時だった。うちの両親はキャンプを趣味としていたことから俺もそれなり以上には調理ができるように育てられていたから、その時も調理のできない者のサポート役として参加した。

 お米を研ぐことから説明しないといけなかったのは予想外で漫画のように『洗剤はないのですか?』と尋ねられた時には何の冗談かと思った。


 それが10歳の時だから、あれから7年が過ぎていた。

 彼女達と共に暮らすようになって2年が過ぎた今になって改めて料理を教えて欲しいってどういうこと?

「旦那さま、後二年もせずに卒業でしょ?秋李しゅりも。そうしたら私だけ高校に残って……、一人でいると思うと……、私、何もできないなと思ってね」

 ああ、一人暮らしに対する不安があったのかな?

 それくらいのことなら家で言えばいいのに。

「じゃあ、この後、買い物デートして、今日から教えてね♡」


 俺と夏織かおりは買い物を済ませて家に帰る。

 この家に住み出したのは中学三年の時、四之宮しのみやの両親が仕事のため海外に行くことになった時に日本語しか話せない娘を残す事を決め、小さい頃から交流のあった俺が世話役として任命された。

 あの時のことは忘れられない。俺が『俺は男だよ。娘がよその男と一緒に住んでいいの!?』と言っても『ヒロくんならいいわよ』と四之宮しのみや母に言われて絶句した。ちなみにヒロくんとは俺、笠井かさい 宏哉ひろやのこと。

 そこまで言われ、すでに俺の両親の了承もとっている状況となれば俺に拒否権はない。この時から夏織かおりは俺のことを旦那さまと呼ぶようになった。


「ただいま〜」

 二人揃って無人の家に入り返答がないのがわかっていながら声を上げる。

「おかえり、お姉ちゃん、ヒロ……」

「Ça aurait été mieux s'il n'y avait que ma sœur...(お姉ちゃんだけなら良かったのに……)」

「Ne dis pas ça, Shuri.(そんな事言わないの、秋李しゅり)」

 姉妹で何か言い合ってるけど、何度も言うが俺にフランス語は理解できない。


 買い物袋を持ちキッチンへ向かう。

 この家のキッチンは俺の使い勝手がいいようにレイアウトを変更している。

 今から使う物だけをカウンターの上に出し、残りは冷蔵庫等に片付ける。


「旦那さま、夕飯は何を作るの?」

「チッ」

 うん、いつもの事とはいえ夏織かおりが俺のことを『旦那さま』と呼ぶたびに秋李しゅりは舌打ちをする。よっぽど嫌なんだろうな。

 以前、俺と秋李しゅりの二人で夏織かおりに『旦那さま』呼びを止めるように説得したが聞き入れてもらえなかった。それ以来、秋李しゅりの舌打ちは続いていた。うん、平常運転だ。


 今日の献立はカレー。

「やった!」「私、他のがいい」

 カレーを喜ぶ夏織かおりと不満を告げる秋李しゅりが同時に声をあげた。

 別に秋李しゅりもカレーが嫌いなわけじゃない。

 俺と夏織かおりが仲良くしているのが面白くないだけ。

 以前、その理由を俺は勘違いした。秋李しゅりが俺に気があって、夏織かおりと仲良くしてる事が面白くないものだと。それで告白もして手酷くフラれた。

 それでもまだ秋李しゅりのことが好きなんだよなあ、俺。


 ちなみに俺が秋李しゅりに告白したのがきっかけになったわけじゃないと思いたいけど、そのあたりから夏織かおりは体調を崩し、学校を休学した。

 引きこもった挙句、先輩から後輩にジョブチェンジした。


 あの時の言葉は忘れられない。

『嘘、気づいたら後輩になってた!?』

 信じられるか?どうやったら一年以上も引きこもれるんだよって話だ。

 その間も結構自由に出かけてたからホントの意味での引きこもりじゃないだろうけど、対外的には自宅療養中だった。

 今年になって夏織かおりは登校を再開した。入学当時の同級生は三年生になり来年卒業する。そんな中、学校に来ることが夏織かおりの負担にならないかと心配ではあったが、『その時は中退して、高卒認定試験受けるよ〜』と言ってきた。

「それに、宏哉ひろやと一緒に高校に通いたかったんだもん」

 そんなことを言われると思ってなくて狼狽えたのは記憶に新しい。何よりその時の表情があまりにも可愛くて心が揺らいだ。


 夏織かおりにピーラーを渡し、馬鈴薯、人参の皮を剥いてもらう。俺はその間に玉ねぎを刻み、米を研いでご飯をしかける。

 いつの間にか、秋李しゅりは自分の部屋に戻っている。

 皮を剥き終えた馬鈴薯と人参を適当な大きさに切ってゆく。

「大きさの目安はあるの、旦那さま?」

 あんまり小さく切ると煮込んでるうちに溶けちゃうから、これぐらいを目安にして切ってみようかと手本を見せる。

 夏織かおりに包丁を渡す。少し緊張するけど実際にやらないと覚えないだろう。ハラハラしながら手元に注意を払う。

「ふう〜、緊張する〜」

 いや、緊張してるのは俺の方だけど。


 手つきを見ていると夏織かおりが多少は料理をしていることが窺えた。


 不揃いながらもカットが終わり次の行程に移る。

「隠し味〜」

 目を離した隙にキムチを入れようとする。コイツ、意外と辛いものが好きなんだよな。夏織かおりに合わせると辛さx10倍を平気で選んでくるからルーは俺が選んで普通に中辛。そうじゃないと秋李しゅりは食べられない。俺も辛口までなら食べられるけど、辛さx10倍は食べれない。

 当然、キムチの投入は阻止した。秋李しゅりには感謝して欲しいものだ。

 そう言う事をするから煮込む間も鍋から目を離せない。

 ホントなら任せてしまいたいが、俺と秋李しゅりが食べられないモノができてしまいそうな予感しかない。

「煮込む間くらい私一人でもいいのよ?」

 うん、一人にするとナニを入れられるかわからないからな。


 話題を逸らすのに秋李しゅりのことを持ち出してみた。

 二人の仲が良すぎないか?と話をふってみる。

 実際、夏織かおり秋李しゅりって仲がいい。たまに秋李しゅり夏織かおりの胸を揉んでたりして目のやり場に困る時がある。

 その時の秋李しゅりの表情に俺は一つの疑念を抱いている。それを夏織かおりに尋ねてみた。

 秋李しゅりって百合なの?

「あははは、そんなわけないじゃない。妹だよ、姉妹のふれあいだよ〜」

 俺の発言をあり得ないと笑い飛ばすとニヤニヤと笑って揶揄ってくる。

「それとも、秋李しゅりに妬いてる?私の想いに応える気になった?」

 俺の気のせいかなあ?

「そんなに気になるなら秋李しゅりに聞いてみようか?」

 うえっ!?俺が慌てると、それが面白かったのかニッコリと笑みを向けてくる。それより、鍋を見てろよと言うとさらに揶揄われた。

「うんうん、照れちゃって、可愛い、旦那さま♡」

 わかりやすく狼狽えてしまった。その隙に夏織かおりが近づいてきてチークキスをしてきた。


「Je souhaiterais être mort(死ねばいいのに)」

 リビングに入ってきた秋李しゅりが叫ぶように告げてくる。

「ダメよ秋李しゅり、そんなことを言ったら!!」

 夏織かおりも強い語調で秋李しゅりを窘める。

「嫌よ、宏哉ひろやと近づき過ぎないでよ!!」

「えっ!?秋李しゅり宏哉ひろやのことが好きなの!?」

「違う!、私が好きなのは夏織お姉ちゃんの方よ!!」

「「えっ!?」」「あっ!?」

 え〜と、つまり……、秋李しゅり夏織かおりが好きで、夏織かおりは俺が好き、それで俺は秋李しゅりが好きと……、リデュース、リユース、リサイクル綺麗に3Rロゴになってるな。いや、現実逃避をしている場合じゃない。


 秋李しゅりが真っ青になってプルプルと震えている。明らかに言わなくていい事まで言ってしまった事を後悔していそう。でも、俺にかけられる言葉はない。

 この場を夏織かおりに任せてカレーをかき混ぜる。


 その後、三人で夕飯のカレーを食べたのだが、非常に気まずい雰囲気で、少し焦げが混じったカレーに意識を向けて現実逃避をしていた。俺から二人に対してかけられる言葉が無い。


「ご馳走さま」

 そう言って秋李しゅりは自室に引っ込んだ。

 残された俺と夏織かおりは顔を見合わせて肩をすくめた。


秋李しゅり夏織のことを恋愛対象として好きだったとは思わなかったなあ……」

 そうだよな、俺も意外だった。そして、俺がフラれた理由もわかった。


夏織秋李しゅりと一緒に住んでていいのかなあ……」

 珍しく弱気な彼女、テーブルの上で不安げな彼女の手を握る。

「ねえ、宏哉ひろや……、秋李しゅりじゃなくて夏織をそばにおいてよ……」

 殆ど聞こえなかった夏織かおりの言葉、それを確認するために彼女の顔に目を向ける。そこには涙をこぼして幼子のように頼りなげな表情をむけてくる夏織かおりがいた。


 胸が締め付けられた。庇護欲が激しく揺さぶられた。学校では歳上の後輩、家の中では家事もできない頼りない同居人。そう思っていた、『旦那さま』と呼んでくるのも俺をからかっているんだろうと思っていた。

 それなのに、今、俺に向けられているこの想いは疑いようのないものに感じた。夏織かおりは俺のことが好きなんだろうか?本当に?


 俺は何も言えずに思考の沼に囚われた。

「ううん、私も部屋に戻るね……、宏哉ひろや……」

 涙を拭うこともせずに夏織かおりは席を立ち、駆け出していった。

 俺だけが取り残された。


 その日を境に俺たちの関係はぎこちないものになった。

 食事は俺が作っているけど、一緒に食べる事は殆どなくなった。

 俺と秋李しゅりは家では殆ど顔を合わせることもなくなり、夏織かおりとすら顔を合わせない日が増えていった。


 俺はある決断をする。四之宮しのみやの両親にもこの想いを伝えた。




 そして、夏休みになり数日が過ぎた今日、四之宮しのみや母が帰ってきた。父親は仕事を片付けて来週帰ってくるそうだ。

「ただいま〜、三人とも、元気にしてた〜」

「お帰りなさい」

「おかえり、ママン」

「おかえり」

 女性三人が抱き合う、俺は一歩下がった位置でそれを見ている。

 リビングで一頻り談笑する。その間も俺は緊張した面持ちでいた。


「それで宏哉ひろやくん、コレはどういうことかしら?」

 そこに表示されていたのは、この間俺が送信したメッセージ。

 それを見た夏織かおりが顔を青ざめ、イヤイヤと首を振る。

 秋李しゅりは冷めた表情でそれを見た。


 彼女ソフィアさんのスマホに表示されていた俺のメッセージ。

『これ以上、二人のそばに俺がいると姉妹の関係が悪くなります。俺はココを出て家に帰ろうと思います。つきましては、家政婦さんを雇って下さい』

 俺はこの家を出る事を考えていた。


「どうして!どうして、宏哉ひろやが出ていくの……、イヤだよ……」

 夏織かおりは俺に縋りついて引きとめてくる。でも、俺がここにいると二人は気まずくなるんだろ。

秋李しゅり宏哉ひろやくんが出ていくことをどう思う?」

「私?私は宏哉ひろやがそう決めたのならそれでいいと思うよ。家政婦さんがきてくれるなら今と変わらないし」


 秋李しゅりにとって俺ってその程度なんだな。悲しくなってきた。

 俺を必要としていたのは夏織かおりだけだったのか……


「それじゃあ、秋李しゅり宏哉ひろやくんが出ていっていいのね?」

 秋李しゅりはコクリと頷いた。

「私は嫌よ!!」

 夏織かおりの否定をソフィアさんは手をあげて遮る。

「でも、家政婦は雇わないわよ」

「どうして!?」

「一年半年もしたら秋李しゅりも卒業でしょう?どちらにしても自活できないとダメでしょ?だから、自分でやりなさい」

 秋李しゅりがひどく嫌そうな表情を浮かべている。

「元々、宏哉ひろやくんにお世話を頼んだのは、あなた達が将来困らないくらい自活できるように家事を習って欲しかったんだけど、彼に全部任せていたみたいね」

「う、ぐっ」

 秋李しゅりは特に調理に参加する事もなかったから、多分、出会った時から進歩は無いだろう。夏織かおりは手際は悪いし、余計なものを入れようとするけど多分、一人でも料理はできると思う。失敗はするだろうけどな。


夏織かおりもそんなに宏哉ひろやくんが出ていくのが嫌ならどうして彼を避けていたの?」

「それは……」

 それは俺も知りたい。

 因みに四之宮しのみや母がこの辺りのことを知っている理由は、俺が毎日報告しているから。コレは俺が四之宮しのみや家で暮らす上での約束事。おっと、それより夏織かおりが俺を避けていた理由が気になる。


宏哉ひろやのことを……、Je déborde de sentiments que j'aime, et je ne sais pas comment le traiter...(好きな気持ちが溢れて、どう接したらいいのか分からなくて……)」

 真っ赤になって顔を背ける。

 母親はニヨニヨとした表情を浮かべ、秋李しゅりはうんざりという表情を俺に向けてきた。

 俺だけが夏織かおりの言葉を理解できていない。そして、誰も俺に伝えるつもりがないのが見てとれる。


「どうするの秋李しゅり?自分で料理できるの?」

「するわよ!すればいいんでしょ!!」

夏織かおりもそれでいい?」

 俺の服をキュッと握りしめる。

「イヤ!私は宏哉ひろやと一緒に、いたい……」


宏哉ひろやくんの気持ちは変わらない?」

 俺の気持ち……、どうなんだろう、俺は仲の良かった二人の関係が壊れていくところを見たくないんだと思う。

 秋李しゅりに向けていた俺の想いはもう諦めている。あれだけ拒絶されて好意が姉に向いているのを突きつけられたら流石に心が折れた。

 それでも俺は、夏織かおりの気持ちに応えることはできそうにない。

 俺はこの家を出て行く事を改めて伝えた。

 夏織かおりは嗚咽をこぼして俺に抱きついてきた。俺に夏織かおりを抱きしめ返す事はできない。


「そう……、気持ちは変わらないのね……」

 首肯すると、四之宮しのみや母は、はぁっとため息をついて肩を落とした。


 笠井の両親には四之宮しのみやの家を出て戻ることを伝えている。理由を聞かれることもなく俺の両親は『そうか』とだけ答えた。

 実家の近くの高校への転入試験も夏休み中に受けられるようになっている。

 俺は彼女達の前から去る事を選んだのだ。

 その事をこの場で告げた。


「……もうなにを言っても気持ちは変わらないのね。……今まで娘がお世話になりました。二人に代わってお礼を言わせてもらいます」

 今までと少しだけ距離を感じる声でソフィアさんは俺に礼を告げてきた。


 礼を言われなくてもいいんだけど、俺は二人の世話をすることで少なくないお金をもらっていた。言うなれば、住み込みでバイトをしていたようなもの。そこに秋李しゅりへの恋慕があっただけ。

 俺の私物も学校関係のものを除いては服以外、スマホにタブレットくらいなもの。家事に時間を割くため趣味らしい趣味も作ってない。

 実家に戻ったらもう少しやりたい事をしよう。


 それに夏織かおりくらい美人なら俺に拘らなくてもすぐに彼氏くらいできるだろう。悲しくても俺がいなくなれば、その想いも過去のものとなるだろう。だからこんなに泣かないで欲しい。


 ソフィアさんのすすめで父親が帰ってくるまではこの家に残るように言われた。

 最後の務めと、俺は二人に料理を教えようとした。けれど、二人とも自室から出てくる事はなく気まずいまま数日を過ごし、帰ってきた父親にお礼を伝えて四之宮しのみやの家を後にした。


 四之宮しのみや夫妻に見送られたけれど、二人は姿を現さなかった。

 少し寂しくはあったが仕方がない。


 荷物は宅配便を手配していたからボディバッグ一つだけと身軽だ。

 駅へと歩き自宅方面の電車を待つ。

 多分、コレで良かったんだろう。この歳の恋が将来まで続いていく事は少ないだろうし、俺も秋李しゅりともしも付き合えていたとしても卒業した後も続いていたかは分からない。




 転入試験は滞りなく終わった。

 二学期からの転入、それなりに仲の良い友人もできた。

 今まではできなかった放課後友人と遊びに行くという事もできた。

 多分、楽しいんだと思う。けど、なにか物足りないと感じる。

 ありふれた日常、その中であの二人の事を思い出すことは少なくなっていた。その内、二人の事を思い出さなくなってしまうんだろうな。


 そんな折、夏織かおりからメッセージが届いた。

宏哉ひろやに逢いたい』


 俺はそのメッセージに返信を返すことができずにいた。

 そのメッセージは俺の心に棘のように残った。


 あのメッセージ以降、夏織かおりからの連絡はない。

 それでいい。そう思っているのに、夏織かおりが泣いている姿が思い浮かんで頭から離れなくなった。ふと、時間が空いた時なんかに頭に浮かぶ。

 それでも、俺は連絡を取ることをせずに日々を過ごした。


 周りからは進路の話が聞こえ始めてくる。

笠井かさいは進路どうするんだ?」

 声をかけてきたのは転校して最初に仲良くなった男子、大宮おおみや 春樹はるき

 大宮おおみやの父親は地元で建設会社を営んでいる。彼は後を継ぐべく建築を学ぶために大学への進学を決めていると言っていた。

 俺は進学するつもりもないし、継ぐべき家業もないから就職を考えている事を告げた。

 そんな話をしていると周りのクラスメイトも集まってきてその話題で盛り上がった。進学、就職の割合で言うとうちの高校は進学・三割、就職・七割と就職するものが多い。まあ、俺を含んだ就職組はまだ呑気に構えているけど。




 三年になってしばらく経った頃、秋李しゅりからメッセージが来た。

『お姉ちゃん、そっちに行ってない?』

 どういう事だと訝しく思って秋李しゅりに電話をかけた。

 電話に出た秋李しゅりは嫌そうな気持ちを滲ませた声で通話に出た。

『なに?』

 ムッとしたけどそれよりもメッセージの内容はどういう事かを確認する。

『お姉ちゃんがいないのよ』

 時間はまだ18:00。普通ならそんなに気にする時間じゃないけど夏織かおりがこんな時間に帰ってこない事は今までなかった。

『それで、そっちに連絡はないの?』

 こっちに連絡がない事を伝えると通話は切れた。

 秋李しゅりと久しぶりに話したけれど、あの頃のような恋慕の気持ちはなかった。それよりも夏織かおりのことが気になって仕方がない。

 秋李しゅりがこっちに連絡するくらいだからスマホに連絡がつかないんだろうと思いながら夏織かおりに電話をかける。予想通りに『電源が入ってない———』という音声が返ってくる。


 モヤモヤした気持ちを抱え家に戻る。

 家に帰り玄関を開ける。

 リビングに入るとそこには———

「お帰りなさい、旦那さま♡」

 メイド服に身を包んだ夏織かおりがカテーシーで俺を出迎えた。意味が分からない。なんでここに夏織かおりが。


「おかえり、宏哉ひろや

 母さんはこの状況をどう捉えてるの!?平常運転すぎる、正気を疑うよ!?

「綺麗になったわよねぇ〜」

 うっとりとした表情で夏織かおりを見ている。


 混乱している俺をよそに、

「娘も欲しかったのよねぇ〜、夏織かおりちゃん、宏哉ひろやと一緒にならない?」

 とんでもない事を言い放ちやがった!


「喜んで!!お義母さま」

 えっ!?夏織かおりさん、即答!?


 俺を置き去りにして、二人が盛り上がっている。

 連絡が取れなくなっていた理由は単純にバッテリー切れ。なにもなくて良かったけど、心配している秋李しゅりへ俺のスマホから連絡をさせた。

 かなり揉めてるような感じだったけど、なんとか話はついたらしい。

 それで、もう夕飯の時間なんだけどまだいるの?

 そんな俺の思いをよそに母さんからの問題発言再び!

夏織かおりちゃん、泊まっていくでしょ?」


 なにを言い出すんだこの母親は!?

「はい!部屋は宏哉ひろやと一緒でいいです!」

 コイツもなんで了承してるの!?


 一先ず落ち着こう。

 夏織かおりの事は母さんに任せて四之宮母ソフィアさんに連絡を取る。

 うちに夏織かおりが来ている事を伝えたうえで、夏織かおりの現状について知っている事を教えて欲しいと告げる。

「貴方が四之宮しのみやの家を出て行った後、夏織かおりは思い悩んでいました。以前のように引きこもり始め、高校を辞めました。その後、高卒認定試験を受けたいと言ってきました。そちらは問題なく合格したようですけど、それからも引きこもっていたようでしたけど、やっと動き出したんですね」

 夏織かおりのヤツ、高校辞めてたのか……

 いや、それよりも夏織かおりを泊めることについてだ。親としてどう思ってるんだろうか?

「それでしたら、宏哉ひろやくんの所ならかまいませんよ。私の方からも後でお願いしておきます」

 俺は狼狽えて変な声をあげてしまった。

「あの子が宏哉ひろやくんの事を好きな事は知っています。暫く、そばに置いてあげてくれませんか?」

 ダメだ、この人もどっかおかしいよ!!


 現実が受け止められなくなった俺は母親にスマホを渡し四之宮母ソフィアさんとの通話を引き継いだ。


 通話を終えた母親に俺たち二人はリビングに集められた。

夏織かおりちゃんのお母さんともお話ししました」

 なんで、ドヤ顔なの?

「今日から暫く夏織かおりちゃんはうちで暮らします」

 驚き狼狽える俺とは対照的に夏織かおりは喜び抱きついてきた。

「heureux. Maintenant, je peux devenir la femme d'Hiroya.(嬉しい。これで宏哉のお嫁さんになれる)」

 嬉し涙をこぼす夏織かおりが俺の唇を奪った。

「あらあら」

 驚き、目を見開く俺と唇を重ねて嬉しそうにしている夏織かおりを見て母さんは嬉しそうに俺たちを見ている。


 あの〜、母さんどいう話になったの?

「それは、お父さんが帰ってきてからね」

 結局、はぐらかされた様な気がする。


 その後、俺たちはリビングから追い出されて部屋に行くことになった。

「これを持って行きなさい」

 そう言って渡されたのは男女の必需品。って、なに考えてんの!?

「避妊はしばさいよ」

 すっごい、男前な感じで言ってるけど!!


宏哉ひろや、これから、よろしく、ね」

 モジモジしながら上目遣いで俺に訴えてくる。どことなく潤んだその瞳にどきりと心臓が跳ねる。


 俺は夏織かおりのことは気になってるけど、この感情は恋なのか?

 やっぱり俺は困惑して、目を左右に泳がせる。

 そっと俺の頬に手を添えて顔の向きを合わされる。

 チークキスをするように夏織かおりの顔が近づいてくる。

「私、宏哉ひろやが好き」

 改めて告げられ、ハッとして夏織かおりの顔を見る。

 そこには真剣な表情を俺に向ける彼女がいた。

 俺にはまだこの思いに応える覚悟ができていない。あの時、俺たちの未来は分たれたと思っていた。それなのに夏織かおりは俺の事を思い続けていたのか?


「Maître, je resterai à tes côtés jusqu'à ce que tu tombes amoureux de moi.(旦那さま、私は貴方が私のことを好きになってくれるまで側にいるわ)」

 その顔が俺に近づいてくる。潤んだ碧眼に吸い込まれる。

 目が離せない。

「旦那さま、Je t'aime.(愛してる)」

 その言葉は俺も知っている。愛を告げる言葉。


 ごめん、夏織かおり、俺にはまだその思いに応える事ができない。気持ちの整理がつかないんだ。




 結局、夏織かおりは俺の家に居着いた。何度も秋李しゅりがむかえにきたけど、その全てを断って今に至っている。


 俺と夏織かおりはまだ付き合ってない。ヘタレとでもなんとでも言ってくれ。実際、うちに来た友人達からはヘタレと言われている。


 俺は無事に高校を卒業した。

 将来を見据えた結果、大学進学を決意して、結構危なかったけどなんとか合格する事ができた。夏織かおりと共に。彼女も俺と同じ大学を受験していた。

 俺だけ落ちるとかいう事にならなくて良かった〜。


 この春から俺たちは二人で暮らすことになった。

 両家の両親同意の上で部屋も用意された。完全に外堀が埋められている。このまま、流されている訳にはいかない。俺の意志を彼女に伝えたい。


夏織かおり、俺もお前の事が好きだ」

 恥ずかしさに顔を背けそうになったが堪える。

 初めて俺は夏織かおりに気持ちを伝えた。

「うん……、嬉しい……、私も宏哉ひろやの事が、好き……、愛してる」

 唇を重ね、気持ちを伝え合う。何度も、何度も唇を重ねる。


 落ち着いたところで彼女は一枚の紙を俺に差し出してきた。

 そこには両親達と夏織かおりの署名がされていた。

 婚姻届。


 俺たち、まだ大学の入学式も迎えてないのに婚姻届ってマジ!?

「結婚式は後でもいいから、先に届けてもいいよね」

 ニッコリと笑うその笑顔が愛おしいと感じてしまっているあたり俺はいつの間にか夏織かおりから離れられなくなっていたみたいだ。


 こうして俺と夏織かおりはお互いの気持ちを確かめ合った。

 好きだと気持ちを伝えたら婚姻届が出て来た事には両親達に対する呆れしかないけど、それでも夏織かおりがそれを望んでいるのなら叶えてやりたい。そう思ってしまったんだから、俺も救いようがないな。


「絶対、幸せにしてあげるね。旦那さま♡ Je t'aime.(愛してる)」

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同居する歳上の後輩が俺を揶揄ってくるのだが、俺が好きなのは妹の方なんですけど!! 鷺島 馨 @melshea

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