第10話―—―楽しいこと。


 自律神経失調症と言われる前、僕はもう自分の体が何かで壊れている気がしていた。その自覚は、実際に診断された時の驚きの軽減になった。また、自分のことを改めて見つめるキッカケにもなっている。




 最近、僕は夏休みでほとんど予定のない日々を過ごしながら、自分が楽しいと思う出来事について考えることが多くなった。

 僕は、体調不良でも色んなことをして過ごしていた。スマホでゲームをしたり、SNSで友人の夏休みの予定を知ったり、小説を書いたり、動画を撮影したり、何か発信したり、他の人から「好きなこと沢山してるね。」と言われるぐらい色んなことをしている。

 だけど、ある時ふと、それが自分にとって「やりたいこと」から「やらないといけないこと」に変化していると気づいた。

 ―——「毎日ご褒美をもらわないと」と思い、行うゲーム。

 ―—―「書かないと」と思い、執筆する小説。

 ―—―「撮影しないと」と思い、始める動画撮影。

 ―—―「返信しないと」と思い、見始めるSNS。

 自分の行う活動全てが、いつの間にかタスクのように義務化され、僕は常に「追われている」と思ってしまった。


 元々は、自分の「好き」という感情で、どれも始めていた。それがいつしか習慣化していると思った時、僕は、自分の「好き」が生活の中で定着できたのだと、嬉しくなった。どんどん活動したい、自分の「好き」を伝えたい、という感情は、僕のとても大切な感情で、貴重なことだった。

 だけど、それらをする前に辛いと思ってしまうことがあった。なんとなくやりたくない、できない、興味がない、という日々が続こうとしていることに気づき、僕はなるべく行動に起こしてやめない選択をしてきた。しかし、その行動は、どこか「やめられない」こととして僕の中で存在していることになってしまった。そして、楽しいと思えていたことも、「楽しくない」ということに変化してしまった。


 つまり、僕は今、自分の好きなことをしているだけでも、楽しいと感じることが少なくなったのだ。




 ただ、今でも唯一「これをしていると、何も考えずに安心できる」と思えるようなことが、僕にはある。それは、読書だ。

 読書は、ただただ読むことに集中して、その話の中にいられる。手元で繰り広げられる世界観は大好きだし、手でページをパラパラと捲る動作も、個人的には「自分の時間を進めている」と感じて、少し安心することができる。その時は、あまり体調不良に意識が向くことも少ない。

 もしかしたら、僕は読書をすることで、自分の感じることが少なくなってしまった楽しさという感情に気づくことができるのかもしれないと思う。




 ただ、もちろんそれで「人生楽しい」と感じるには、まだまだ時間が必要なのかもしれない。もう一度、自分が楽しいと思えることを探し、あまりタスク化しなくてもいいと自分に言い聞かせることも十分必要だと思う。そして、いつか自分の楽しいことを優先して、とにかく自分主体で生活できるようになれたら、それ以上楽しいことはないなと、僕は思えるようになった。

 自律神経失調症となることで、自分の「好き」に注目して考えられるようになるとは、考えていなかったので、そこだけは、今の自分に対して感謝できると思う。でも、やっぱり大切なことは、この期間で、いかに自分を休ませて、十分に生活リズムも整えて、ストレスを掛けずに、やりたいことを優先できるかだと思う。

 まだまだ先は長いなと、僕は思う。

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