第5話―—―変化した生活の中にて。


 高校三年になり、僕はつかの間の健康な日々を過ごしていた。


 というのも、僕達は某感染症の影響で学校に通えない日々を過ごしていた。様々なことができずに、ほとんど毎日家にいる生活が続いた。僕は、時々行われる遠隔授業などに出席しつつも、その閉鎖された空間で受験勉強を開始し、家族と会話をし、どこか落ち着いた生活をしていた。

 学校生活では休まることのなかった僕は、友人や先生と会わないことで、少しだけ学校のことを忘れ、自分のことだけを考えて好きなことをすることができていた。それは僕にとって少しの休息で、必要な時間だった。


 体調にも、その変化は表れていた。市販薬に助けてもらうことはあったが、かなり精神的にも安定した生活を送ることができた。また、自分の習い事や、それまで趣味だったことにも打ち込み、進級した感覚はなくとも「変化した生活」を、僕は充実させていた。


 ついに学校に通い始めたのは、六月の上旬だった。中々長い自粛期間を経て、僕たちは高校三年生として初めて学校に登校し、そこからは学校に通い続ける日々が始まった。

 しかし、僕は通わなかった時期に健康になれたので、学校生活で体調不良になることは少なく、自分の不調の原因になっていた部活も活動を再開せずに、引退のミーティングを機に終わってしまった。青春とも言える部活がミーティングで終わってしまうのは悲しかった。が、それでも「これで自分のことに集中できる。」と思えば引退してもよかったのかと感じた。




 ただ、僕はその「変化した生活」の中で、とある考えが構築された。

 ―—―人は自分が頑張ったから協力してくれるとは限らないということ。

 ――—どうしても変えられないことがあること。

 ―—―願いを叶えたいと思うと、その反動も大きくなること。

 一度、人間は何かの苦さを感じてしまうと、それを恐れてしまうらしい。僕は、部活のことがあってから、どんな生活でも、ふと「苦さ」を思い出し、悲しさの感情に悩む時があった。そしてそれは、必ず体調に表れてしまった。

 また、当時気にならなかった小さい頃の小さい出来事も、段々と自分の中で大きくなり、いつしか忘れられない傷となってしまった。前向きに乗り越えられたと思っていた傷は、高校二年の部活の一つの出来事によって再度正体を現したと思った。


 どうしても悩み、体調不良になった時は、ずっと悩みを相談する場として活用していたサイトへ飛ぶことにしていた。そこには日々、悩む人たちが多くいて、それぞれが悩みを他の人と共有し、共感し、共鳴していた。僕はそこで自分の悩みを打ち明けることで、少し自分を解放して悲しさから抜け出した。ただ、そこでも、他の人に分かるように文章を見直し、訂正し、校正して、投稿していたので労力はかかった。そして、そんな長考して投稿した悩みに対してのコメントも、中には自分が欲しいと思っている言葉が来ないことがあった。そのため、そのサイトで悩みを打ち明けていくことが、確実に自分のためになるとは言えなかったのだ。


 大学生になった今でも、僕は時折そのサイトに飛んで悩みを打ち明けることがある。それが、一瞬だけ重荷が取れる効果があることだとしても。

 結局、僕は自分の悩みを本当に全て打ち明けることのできる人と出会えていないのではないかと、最近になってようやく気付いた。それは、今までの過去の出来事を乗り越えながら、どこかで「他の人に話を聞いてもらえても、それで解決するとは限らないし、最終的な決断は自分でするしかない。」と、分かっていたからだと思う。それを分からない振りをして、僕は人と関わり続けたとも思う。

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