第2章:生ける伝説

 ここは、騎士団が管理している街と街の境界線。この草原には、しっかりと整備されている長い道がある。その道のちょうど中心の位置に一つの掲示板が設置されていた。

 この掲示板は騎士団の経由によるもので、旅人や商人といった人間が、街で起きていることを共有するために作られたものである。



「はぁ...」



 そんな掲示板の前で1人、ため息をこぼす者が1人。

 ぼろぼろのローブの中から真紅の瞳を覗かせる人物。例の青年———アルバトルであった。



(まさか、こんなに早く記事にされるとはな)



 実際に事件が起きてから、ほんの数時間しか経っていない。やはり、騎士団の対応の早さには目を見張るものがある。



 記事にはこんな内容が書かれていた。

曰く、

『騎士団の調査隊が、魔の森林地帯で複数のマンティコアの死骸を発見。この件に騎士団は一切関与しておらず、外部の者の犯行と思われる。

 犯人は相当な力を持っており、付近に潜伏していると予想される。それ以外の詳しいことは一切不明。よって、調査はしばらく続行される予定。

 なお、目撃者の証言によると———』



(“伝説の罪人”アルバトルによる犯行...か)



 圧倒的な戦闘力、真紅の瞳に特徴的な白い髪。確かに、これらはアルバトルの特徴と一致する。あの老婆もきっとそんな風に考えたのだろう。

 そして老婆は、そのまま騎士団に報告したに違いない。


 そんな推測をしていたところ、近くを2人の通行人が通り、こんな会話が聞こえてくる。



「ねぇ見て、伝説の罪人の再来だってさ」


「え、伝説の罪人ってあの?でもあれって都市伝説みたいなものなんでしょ?」


「いやでも、あのマンティコアの死体が5体も見つかったらしいよ?」


「どうせ騎士団長様が、修行とか言ってやったんじゃないの?」


「えぇ〜、いくら騎士団長様と言えども、そんなことできるのかなぁ...」


「気にしすぎだって。“伝説の罪人”も“切り裂きチェイサー”も、所詮は噂なんだから、大丈夫大丈夫」



 そんなことを言いながら過ぎ去って行く通行人。幸いながら、あまりこの記事に信憑性はないようだ。そのことに、そっと胸を撫で下ろす。



(まあ、無理もないか。まさかそんな存在が、目の前にいるとは思わないだろうし)



 4年前に起きたあの事件以降、アルバトルはずっと潜伏生活を送っていた。人目を避けながら放浪の旅を続け、ひっそりと生き続けた。

 しかし、今回のような騒ぎが起こることも何度かあった。そのせいで、この国ではアルバトルの存在は都市伝説のようなものになってしまっていた。

 ましてや、一部では英雄のような扱いすら受けている。そんなことを望んでいないアルバトルにとっては、いい迷惑である。しかも、無駄に話が広まってしまっているのがタチが悪い。




(全く、あそこは結構居心地のいい場所だったんだがな)



 いくら都市伝説のような存在とは言っても、実際に事件を起こしてしまっているため、騎士団に見つかるのだけは何としても避けたい。返り討ちにもできるだろうが、もう無駄な戦いをしたくはなかった。

 そしてようやく見つけたのが、あの森林だったのだ。魔の森林には、まず人間はやってこない。たまに騎士団の調査隊がやって来るが、あの程度の人数ならば隠れることは造作もない。

 魔獣も、彼にとっては全く脅威にならない。人目を避けて潜伏するには絶好のスポットだった。

 しかし、そんな彼にも想定外の事態が起きる。



(なんで、なんでよりにもよって騎士団以外の人間が来るんだよ!)



 そう、あの老婆が訪れてしまったのである。

助ける過程で計5体のマンティコアを切り裂き、挙げ句の果てには老婆に素顔まで見られ、そのまま騎士団に報告される。

 騎士団の監視が厳しくなるのは当然だった。もうあの場所には潜伏できない。

 まさに、彼にとっては踏んだり蹴ったりだった。



「あぁ〜、どうすっかなぁ」



 もうこの草原に、身を隠せるような場所はない。というか、魔の森林地帯周辺であるこの場所も監視が以前よりも厳しくなるだろう。

 結局のところは———



「街に行くしかない、か」



 アルバトルはそう呟いた後に、掲示板に目をやる。そこには、この大陸の地図が書かれている。

 この掲示板には、街の情報の隣に大陸の地図があるのだ。初めてこの地を訪れる者への配慮であろう。



「ん、なるほどな」



 街で身を隠すにしても、また境界線のエリアで潜伏先を見つけるにしても、どちらかの街には行かなくてはならない。


 地図によると、現在地から北に行けば2番街、

南に行けば3番街に辿り着く。

 しかし、2番街の先は王都だ。潜伏先が見つかるか分からない以上、お尋ね者の行く場所ではない。

 よって、必然的に選択肢は1つになる。



「よし、ということはこっちか」



 アルバトルは南に向かって歩き出す。目的地が決まった以上、こんな危険な場所に留まる必要もない。


 ...おそらく先ほどのように、何人かの人間とすれ違うだろうが、騎士団に捕まるよりはよっぽどマシだ。そんなことを自分に言い聞かせながら、アルバトルは歩みを進めることとなる。










        ◇


「な、なんとか、着いた」



 あれから数刻。

 アルバトルは息も絶え絶えになりながら、どうにか街のゲート前までたどり着いていた。

 途中、何人かの人間とすれ違ったが、やはり顔さえ見られてなければ大丈夫なのだろうか、特に騒がれることもなかった。

 正直、アルバトルは1番それが怖かった。潜伏生活が長かった故に、こんなに精神をすり減らしたのは久しぶりだ。マンティコアを討伐する方がよほど簡単である。

 しかし、問題はここからであった。



「ふぅ...、よし」



 そう、今からこのゲートを通らなければいけないのだ。見張りもいるだろうし、見つかればその時点で終わりだ。

 しかも、王都ほど多くはないのだろうが、人の流れが決して少ないわけではない。先ほどの人数とは比べ物にならない。見つかる危険はさらに高まる一方だ。


 とはいえ、これは逆に好都合でもあった。これだけの人数がいれば、その中に紛れ込んでしまえばいい。顔さえ見られなければ、むしろ最高の壁となる。上手く利用すれば、チャンスでもある。



「後は、あれか」



 予想通り、ゲートの前には見張りがいた。服装からして、騎士団員であることは間違いない。


 見張りは2人。1人はやる気のなさそうな小太りの男だ。ゲートの壁に寄りかかり、寝不足なのかこくりこくりと船を漕いでいる。

 そしてもう1人は、柄の悪い細身の男だ。

鋭い目つきで周りを睨めつけるようにしながら、ダルそうな仕草で頭をかいている。よほど虫の居所が悪いのだろうか。


  ...正直言って、2人とも騎士団とは思えないような仕事ぶりである。だがアルバトルからすればちょうどよかった。今の見張りが交代されないうちに、通り抜けるしかない。

 


 人の流れに紛れ込み、ローブを深く被ったアルバトルがゲートを通り抜ける。


 ................。

 数秒の静寂。アルバトルは振り向かないまま、静かに耳を澄ませる。

 そして、



(ッはぁ〜〜〜!息が止まるかと思ったぁ〜〜〜)



 何事もなかったことに心の底から安堵し、思わずガッツポーズをしてしまいそうになるアルバトル。

 危ない、危ない。ここでそんなことをすれば全ての苦労が水の泡だ。

 そんな風に、内心喜んでいた矢先 ———



「おい!、ゴラァァ!!!!」


「!」



 後方より響く男の怒声。周囲の人々も肩をビクリとさせる。

 まさか、気づかれた!?

 それとも無意識のうちにガッツポーズをしてしまっていたのだろうか。

 アルバトルはそんな焦りととともに振り返る。



「おい!ゴラ、テメェ!!何とか言ったらどうだ!!」


「ッ!」



 後方に広がっていたのは、男の怒声とともに1人の少女が地面に叩きつけられるという光景だった。

 少女が身体を起こし、顔を上げる。美しい少女だ。年の頃は16といったところだろうか。絹糸のような美しく長いブロンドの髪に、綺麗な空色の瞳。その人形のように整った顔立ちは、どこか気品のようなものを感じさせる。

 しかしそんな雰囲気とは裏腹に、汚れが目立つ旅人用の服に、その小柄な体躯を包んでいる。


 少女は今ので足を挫いてしまったのか、その場で男を睨みつけながら動かないでいる。

 そんな騒ぎを聞きつけ、近くにいた小太りの男が駆けてくる。



「あ、兄貴ぃ、一体何があったんですか?」


「あぁ、聞いてくれよ。このクソガキがよぉ、俺の肩に体をぶつけてきやがったんだ」



 男が話したのは、そんな気にしても仕方ないようなしょうもない事だった。

 しかし、男は地面に横たわる少女の胸ぐらを掴みながら続ける。



「ふざけてると思わねぇか?最近のガキは、どうも教育ってもんを受けていないんだなぁ?あぁん?どうなんだ、答えろやクソガキ」


「......ッ!あ、あれは...あなたの...方から...」


「んなこと、聞ぃてんじゃねぇんだよ!!!」




 苛立ちに任せ、今まで以上の怒声を響かせる男。答えろと言われて答えたら、これである。男の言っていることは明らかに無茶苦茶だ。

 再び地面に少女が叩きつけられ、2人の男が迫る。



「こいつぁ、大人として俺らが教育してやんねぇとダメだなぁ。なぁ、そうだよなぁ?」


「は、はい!兄貴。その通りでございやす」


「だよなぁ!?うっし、じゃあ少し歯ぁ食い縛ってもらうとすっかなぁ?おら、立てやクソガキ」


「ッ!」



(おいおい、さすがにまずくねーか?)



 ますますエスカレートしていく男。しかし、こんな状況にも関わらず、通り過ぎる人々は目も合わせようとしない。

 おそらく、騎士団と面倒事を起こしたくないのだろう。そもそも普通の人間が勝てる相手でもない。皆それを分かっているのだ。



(くっそ、やるしかないのか?だが...)



 この場で彼らに勝てるのはアルバトルだけだ。

 だが、脳裏にチラつく、あの老婆の顔。そもそも、彼女を助けたが故にこんな場面に出くわしてしまったのだ。この少女を助けたとしても、また同じことになりかねない。

 しかも相手は騎士団だ。ますます面倒なことになるのは明らかだった。

 たが————



「よっしゃ!んじゃ、お楽しみタイムと行こうか、クソガキ!歯ぁ食いしばって...、なッ!?」



 男の前方に、一陣の風が入り込んでくる。

 次の瞬間、男の前に、何者かが立ちはだかっていた。



「なっ!?なんなんだテメェは!!!!」



それは、その白い髪を揺らし、少女を庇うようにして現れたアルバトルだった。



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