第4話

「あんた、本当にトナカイなんだな。さっきは随分と失礼なことを言って悪かった。許してくれ」


「いえいえ、気になさらないで下さい。すぐに信じてもらえないのは、当然のことですから」


 俺とじいさん……違った、トナカイさんは、ビジネスホテルの喫茶スペースに居た。このホテルの一階は、中に入ると正面の奥にフロントのカウンターがあり、右手のエレベーターの横の窓際に、申し訳程度に喫茶スペースが設けられている。そこには安普請の応接セットが置かれているのだが、そのすぐ後ろでは自動販売機がヴィーンと音を鳴らしていてうるさい。飲み物の類は自分で買って飲めということだろう。この雪の中で立ち話なんてしていたら凍えてしまうから、どこか喫茶店にでも入ろうと思ったが、生憎この雪でどの店も早めにシャッターを下ろしていた。二十四時間営業のファーストフードは大通りの向こう側だし、他に適当な店もない。


 かと言って、女所帯の吾が住居兼事務所に、いくらトナカイとは言え、出会ったばかりの得体の知れない「よそ者」を簡単に上がらせる訳にもいかない。


 で、仕方なく、ここに入ることにした。まあ、俺はこの商店街では馴染みの顔だから、例えお茶だけの利用だとしても中に入れてもらえるわけだが、このじいさん……違うな、トナカイさんは、このホテルに宿泊するわけでもないのに、実に堂々とした態度で中に入っていき、悪びれもせずその応接セットに腰を下ろした。フロントカウンターの向こうには誰もいない。あいつ、またバックヤードで居眠りでもしているのだろう。やれやれだ。


 窓の外で落ちる雪を眺めながら、俺はトナカイさんに言った。


「つまり、あれか。ソリで着地するってことは、あんた例の……」


「しー。彼女に聞かれますよ」


 俺はカウンターの方に再び顔を向けた。ああ、あいつだ。九官鳥の「ヒトミちゃん」。カウンターの端のところに吊るされた籠の中で、やっぱりコイツも居眠りをしている。が、一応コイツも九官鳥なので、俺は用心して小声で言った。


「サンタクロースのソリを引いている……」


「そう。そのトナカイです。こんな格好をしてはいますがね」


「なるほど」


いやいや、なるほどじゃないだろ、俺。驚け! と思ったが、そもそも、ビジネスホテルのフロントロビーにある喫茶スペースでコート着たトナカイと会話していること自体がおかしな話なわけで、それがサンタの相方だとしても、もう驚くはずもなかった。


俺はなぜか、そのまま会話を進めた。


「でも、あんた、それっぽくないな。だいたい、こんな所で何やってんだ。ソリを引くのが、本来のあんたの仕事だろ。それを何だか税務署の職員みたいな感じで、ウロウロと……」


 トナカイさんは笑いながら、手を一振りして言った。


「これだって立派な仕事ですよ。事前調査です。事前に、善良な子供がいる家を確認して回って、サンタクロースが効率よくプレゼントを配って回れるよう、最短ルートを決めておかねばならんのですよ。それに、日本は西洋と違って暖炉などがある家が少ないでしょ。だから、侵入経路も事前に検討する必要があって、そのための情報収集も兼ねています」


「なんか、泥棒の下見みたいだな。それに、『善良な子供』ってなんだよ。子供は大抵、いい子だろう」


「いえいえ、そうとも言えませんよ。近頃は残忍な殺人を犯す子供だっていますからね。刺殺、毒殺、放火殺人、バラバラ殺人。子供が犯人だったという事件は、過去にも結構あったでしょう。ついこの間も、子供がボーガンで老人を……」


「……」


「ま、これは失敬。少しばかり暗い話になりましたな。とにかく、そういう極端な例は別として、普通の『善良な子供』であるかどうか、一応のチェックをして回っているところです」


「どうやって。魔法かなんかで調べるのか」


「いえいえ、親御さんですよ。そちらを見た方が確かだ。あとは長年の経験と勘ですな」


「ふーん……」


 俺は窓から見える「ホッカリ弁当」の二階に目を遣った。明かりはまだ点いていた。


 トナカイさんが笑いながらブブーっと、赤い鼻から鼻水を飛ばした。き、汚いぞ。


 トナカイさんはハンカチで鼻の下の髭を拭きながら言った。


「失敬、失敬。いえいえ、あなたがあまりにも心配そうな顔をするものだから。そう、心配しなさんな。御宅の美歩ちゃんは大丈夫ですよ。ちゃんと審査はパスしています。問題ありません」


「当たり前だ。心配なんかするわけないだろう。ウチの美歩ちゃんが悪い子なら、あんたらは世界中のどこにもプレゼントを配る家がなくて、廃業だぞ!」


 トナカイさんはまた笑いながら、握ったハンカチを大きく振って、ソファーに身を倒した。


 俺はフロントに目を遣った。「ヒトミちゃん」は眠ったままだ。俺は再び声を落としてトナカイさんに尋ねた。


「で、どうやって入るつもりだ。ウチに煙突はないぞ」


「窓を割って入ります。体当たりで、ガシャンと」


「やめろ。特殊部隊の急襲作戦か」


「冗談ですよ。ご安心ください。方法はいろいろとあります。我々はプロですからね。サンタクロースさんの方で何か検討すると思いますよ。静かに誰にも気づかれずに、枕元にプレゼントを置く『特別な方法』をね」


「俺が一階の玄関ドアを開けといてやろうか」


「いえいえ、それはいけません。ウチとしては、それはルール違反になります。それに、サンタクロースのプライドが、きっとそれを許さないでしょう。彼の機嫌を損なうといけませんから、そういうことはしないでください。お気持ちだけで結構です」


 俺は首を一傾げしてから、再度トナカイさんに尋ねた。


「ところで、そのサンタクロースさんは何処にいるんだよ。もし会えるのなら、俺も挨拶をしておきたいし、それに、ちょっと相談したい事もあるんだが」


「さあ……」


 トナカイさんは両肩の位置に両手を上げて、肩と手を同時に上げた。


「さあって、一緒じゃないのかよ。普通、あんたらはワンセットだろうが」


「そのはずなのですがね。今年担当になったサンタは、気位ばかりが高くて……」


 トナカイさんは、今度は肩を落として短く溜め息を吐いた。


「私もこの仕事を長くやっていますがね。近頃のサンタときたら、仕事の仕方も随分と今風でしてね。やれサンタにもITが必要だとか、やれ効率の追求がどうだとか、いろいろと小難しいことを言うのです。仕舞には、ワークライフインテグレーションだなんて言い出す始末で。インテリ気取りでね。こんなサンタたちの下で働く身分の我々としては、たまったものではないですよ。ほら、我々トナカイたちは、彼らの補助も業務の範疇でしょ」


「知らんがな」


「範疇なのですよ。ですから、雑事の大半は押し付けられてしまいます。こういう事前チェックも」


 トナカイさんはコートの内ポケットから出した例の白い書類を俺に見せると、またそれを仕舞いながら続けた。


「とにかく、トナカイ使いが荒いのですよ。その上、態度が横柄なサンタもいましてね。いろいろと大変です」


 トナカイさんはまた小さく溜息を漏らした。俺は訊いてみた。


「あんたとコンビを組んでいるサンタもそうなのか」


 トナカイさんは口ごもりながら


「ええ……まあ……」と顔を横に向けると、少し不機嫌そうな顔で続けた。


「今だって、こっちにチェック作業を任せて、自分は呑気に飲みに行っているのですよ」


「そりゃあ、いかんなあ……」


 大通りを少し北に進むと小さな歓楽街がある。北にあるから「北坂場」。この町の人たちは、そう呼んでいる。この町で飲むと言ったら、たぶんそこだろう。それにしても、部下に仕事を押し付けて自分は歓楽街で羽目を外しているとは、とんでもない上司だ。けしからん。


 トナカイさんはポンと膝を叩くと、背もたれから背を離した。


「まあ、私にもトナカイとしてのプライドがありますからね。仕事を放り出して早々に冬眠の準備というわけには参りません。ちゃんとやらないと。それに、今宵こそはと悦んでこの世界に飛び込んだ身である以上、軽々しく文句も口にできませんからね。やるしかありませんよ」


「なんだか、あんたらも、いろいろと大変なんだなあ。だけど、頑張ってくれよ。子供たちのために」


「もちろんですとも。美歩ちゃんのためにもね。ただでさえ少子化で子供の数が少ないのです。この地域だって、御宅の美歩ちゃんの他には、大通り沿いの新居浜さんのところと、その向かいの鳥丸さんところの御子さんたちくらいしかいませんからね。それでなまけていたら、トナカイの名が廃ります」


 と、彼は胸を張った。


「大通り沿いの新居浜さんって、『ウェルビー保険』の新居浜さんか。あそこにも子供がいるのか」


「ええ。三人も」


「三人も。『まんぷく亭』の鳥丸さんところに子供がいるのは知っているが、それは知らなかったなあ。じゃあ、新居浜さんも大変なんだ。越してきたばかりだしな」


「そのようですな。一件でも多く契約を取ろうと、日々奮闘しておられます」


「そうだったんだ……」


「いえいえ、彼だけではないですよ。子を持つ親は皆、そうです。大変なんですよ。それでも、頑張っています。だから、そういった親御さんのためにも、我々はよりいっそう頑張っているのです」


「……」


 子供のいない俺としては、親の苦労など分かるはずもない。が、陽子さん美歩ちゃん親子と同居している俺には、親の陽子さんの苦労を少しは分かっていると思う。少なくとも、毎日彼女がどれほど頑張っているかは知っている。サンタたちは、その親たちのために頑張っているのか。サンタクロースは子供を喜ばせて回っている変なおじさんだと思っていたが、親のためにって、どういうことだ。


 俺がまた首を傾げていると、トナカイさんが顔を出してきた。彼は小声で耳打ちするように言ってきた。


「ところで、ウチのサンタに何か相談事とか。差支えなければ、私の方でお伺いして、伝えておきましょうか」


「じゃあ、日頃のお礼の気持ちも込めて、陽子さんにエプロンの一枚でも買ってやりたいんだが……いや、やめとく。部下に仕事を押し付けて歓楽街で飲み歩くサンタなんかに相談なんてできるか」


「まあ、そう言わずに。サンタはサンタですから。何かとお役に立てるかもしれませんよ」


 と言われても、サンタクロースにプレゼントの宅配以外で他に何ができるのか俺は知らんし、そもそもサンタに悩み事の相談をするなんて話は聞いたことがないから、俺は返事もせずに窓の外に顔を向けた。


 その時、俺の視界に驚くべきものが映った。俺は目を見開き、思わず窓に顔を近づけた。白い雪の中を、白いランニングシャツ姿の讃岐さんが走っていた。


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