3-8 残された時間

「クリス、兄さん!」


 エドワードが無我夢中で駆け出すと、夏目も彼の後を追う。

 すると、背後でその様子を見守っていたケリーを含む約二十人の警官たちが、ホワードを囲んだ。


「犯人確保……と言いたいところだが、コイツはもう……」


 彼らが視線を向けた先――スチュアートは、今や虫の息だった。


「仮に奴が持ち直したとして、成り上がりとはいえ貴族で現行犯ではない以上、これ以上は望めねぇ。ジェンキンスの息子もそうだ。お前らはコイツを連れてすぐに病院へ向かえ。残りは俺と一緒に来い。マイヤーたちと嬢さん探しの後、国会へ向かう。人命が優先だ。頼んだぞ!」

「承知!」


 警官たちは一斉に敬礼し、ホワードの指示に従って、それぞれの持ち場についた。


「クリス! クリス!」


 エドワードが大声を上げ、クリスを探し回るが、返事はない。

 スチュアートの言っていることに偽りがあるのか。

 だが、嘘をついたところで彼に何の得があるだろうか。まさか、他の人物に連れ去られてしまったのか……などと、最悪の事態ばかりを想像し、嘆息した時、

「いたぞ!」

 夏目の大きな声が辺り一帯に響き渡る。

 エドワードが慌てて夏目の元に向かうと、ベンチの上に横たわる女性――クリスの姿があった。


「クリス、目をあけてくれ! クリス!」


 エドワードは何度も彼女の肩を揺さぶった。

 すると、寝息とともに彼女の唇がわずかに揺れる。


「……ジェームズ、様――」


 エドワードは言葉を失い、その場に崩れるように座り込んだ。


「……教授?」


 夏目が心配そうに彼の顔をのぞきこむが、まもなくエドワードは安堵の声を漏らす。


「……良かった。眠っているだけだ」

「いたのか?」


 ホワードが警官たちを引き連れ、こちらへやって来る。


「はい、どうやら眠っているようです」

「嬢さんが無事で何よりだ。国会まで急行するぞ」


 エドワードは眠っているクリスを抱きかかえ、夏目やホワードたちとともに警察の馬車に乗り込んだ。


「ひとつ疑問だったのですが、『レースについていた血痕は被害者の物とは一致しなかった』――あの情報はどこから? それとも、ホワード警部から?」


 夏目の疑問に対し、ホワードは、

「いや、俺はそんなことを言った覚えはない」

 と、強く否定する。


 エドワードは憂いの表情を浮かべ、首を横に振った。


「はったりだよ」


 車内に沈黙の時間が流れる。

 エドワードは窓の外を見つめた。


「千切れたレースの話だけだと、彼に言い逃れをされる可能性もあると踏んでいたからね。血痕が誰の物か、残念だけど今の科学では証明することができない。けれど、彼は潔く認めた。死期が近いからこその犯行だったのかもしれないね」






 その頃、国会議事堂には数十人の貴族が集まっていたが、一向に始まる気配のない貴族院の議場で、彼らは苛立いらだちを隠すことができないでいた。


「おい、いつになったら始まるんだ!」

「議長はどこだ! 俺たちを呼び出しておいて、本人がいないというのはどういう了見だ!」


 多くの貴族たちが騒ぎ立てる中、ジェームズは懐から懐中時計を出して時間を確かめる。


「八時を回ったか。約束の時間はとっくに過ぎているが……」

「おかしいとは思いませぬか? この時間に議長から呼び出されるなど、私が議員になったのはまだ最近の話だが、伯爵殿は議員になられて長いのでは?」


 ヘーゼルダイン卿が肩をびくびく震えさせながら、ジェームズに尋ねる。


「私も男爵よりは……といったところだが。全員が呼ばれたわけでもない。ここにいるのはほんの一部。しかし男爵、その肩の震えは尋常ではありますまい。舞踏会の時におびえていたことと、何か関係があるのでは?」

「うっ……私は、別に……」


 ヘーゼルダイン卿は、自分に向けられたジェームズの目をまっすぐ見ることができずにその場で俯いた。


「まあ、ここでとやかく言ったところで、目の前のことが解決されるわけではない。議長に連絡を取って……」と、ジェームズが言いかけたところで議場の扉が開く。


「良かった……間に合った」


 エドワードが息を切らしながら立っているのを見て、ジェームズは瞠目する。


「エドワード、どうしてここへ?」


 すると、ホワードが代わりに答える。


ロンドン警視庁スコットランド・ヤードのホワードだ。全員、落ち着いて聞いてくれ。何者かによって、国会に爆弾が仕掛けられた」

「何だって!」

「早く逃げなければ!」


 どよめきの声が上がり、入り口を目がけて一目散で駆け出す者がいたが、警官たちがこれを制止した。


「落ち着いて行動してください! 走らないで、順番に!」


 警官たちが誘導する中、ホワードはヘーゼルダイン卿の姿を見つけ、声をかける。


「男爵、アンタは馬車に乗ってくれ」

「警察の馬車に? まさか、まだ私を疑っているのか?」


 とてつもない剣幕でヘーゼルダイン卿は詰め寄ったが、

「そうじゃない、とにかく時間がねぇんだ! さっさと乗れって言ってんだよ!」と、ホワードがまくし立てる。


「細かいことは馬車の中で話しますから、まずは我々と一緒に来てください」


 半ば不服そうではあるものの、ケリーに促され、ヘーゼルダイン卿は議場を後にした。


「向こうで何があったのか聞きたいところだが、今はそんなことを聞いている場合ではなさそうだな。クリス嬢は無事だったか?」


 ジェームズの問いに、エドワードは頷いた。


「馬車の中で眠っています。今はとにかく爆弾を探し当てなければ……」


 警官たちはカンテラを傾け、注意深く国会議事堂の中を捜索する。


「見つかったか?」


 ホワードが苛立たし気に他の警官たちに聞いて回るが、いまだに見つけることができないでいた。


「クソッ! なんだってこうも次から次へと……あのクソ親子め!」

「彼の場合、ここでは部外者――となれば、警備の目を盗んで議場に入ることはそれなりに危険を伴うし、郵便物として爆弾を送り付けた場合、誰かに開けられる可能性も高い。そうすると、可能性として高いのは――」

 エドワードが思案していたところに、

「彼らは結構な時間、待ちぼうけを食らっていたに違いない。私なら、三十分も経って人が来なければ帰ってしまうだろう。連絡先が分かれば直接出向くだろうが……」と、夏目が自身の考えを述べると、

「そうか! ……カンテラを貸してください!」


 エドワードは近くにいた警官からカンテラを借り、建物の入り口に向かって突然走り出した。

 その後を夏目とジェームズも追う。


「教授! 急にどうされたのです?」


 エドワードの背に向かって大声で話しかける夏目とは対照的に、無言で追いかけるジェームズ。

 エドワードは息を切らしながら答える。


「夏目のおかげで、分かったかもしれない。中に仕掛けているなら、もっと早い時間――集合時間に合わせないと意味がない。逆に建物の入り口なら――帰りを狙ったとしたら……」


 三人で入り口の付近を捜索していると、ホワードをはじめ警官たちがやって来た。


「マイヤー、建物の中じゃないのか?」

「恐らく、この辺に……あった!」

「時間は、あと何分だ?」


 エドワードが恐る恐るカンテラで照らすと、爆発まで残り十分を切っていた。

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