3-9 鐘の音
「大変だ……もう時間がない!」
「落ち着け!」
焦るエドワードをホワードがなだめるが、「……肝心の止め方が分からんな」と、頭を捻っていた。他の警官たちも焦りの色を隠せない。
「なす術なしか……しかし、ここで爆発すれば大変なことになります。せめて、どこか広くて人のいない場所はないのですか?」
夏目が辺りを見回しながら言う。
「広くて、人のいない……」
エドワードも辺りを見回し、思案する。
「あっ、そうか!」
彼の目に飛び込んだのは――
「テムズ川だ!」
大声でそう叫ぶと、カンテラを置き、爆弾を手に慌てて走り出した。
エドワードの置いたカンテラを、代わりにジェームズが持ち、他の警官たちとともに前方を照らし出す。
「マイヤー! 間に合うのか?」と、心配するホワード。
「教授の特技は、動体視力の良さと逃げ足の速いことだ。きっと間に合う」
自信満々に真顔で答える夏目。こう言われては、エドワードの立場がない。
「……それを言わないでくれ、夏目」
苦笑いを浮かべるエドワードの後を、ホワード、夏目、ジェームズの順で追う。
「テムズ川だ! 近くに人はいない、船もいない……これなら」
と、安堵した時、時計の針は一分を切っていた。
「あっ、もう時間が……」
恐怖のあまり、声が裏返る。
「マイヤー! 川に向かって爆弾を投げ込め!」
ホワードの声に頷き、エドワードは川に向かって爆弾を投げようとする。
だが、不覚にも通りに落ちていた石につまずき、転倒した。
「うっ……」
痛みに悶える暇もなく、その声は悲鳴へと変わる。
「ああああ! 爆弾が‼」
エドワードの手から離れた爆弾は、空中で大きく弧を描いた。
「私に任せろ!」
夏目が持っていたこうもり傘で爆弾を思いきり弾き飛ばす。
「テムズ川まで、ぶっ飛べ‼」
「爆風が来るぞ! 全員伏せろ!」
すかさず叫ぶホワード。
これを聞いた皆が地面に伏せる中、
「……何の騒ぎですの?」
事情の知らないクリスが馬車から出ていた。
ホワードは瞠目した。
「おい、何でここにいる⁉ 誰も見ていなかったのか?」
「爆弾を探すのに全員出払いまして……」
と答えた警官に対し、
「何をやっているんだ!」
と、怒鳴り散らす。
「クリス!」
驚いたエドワードが慌てて彼女のそばに駆け寄ろうとした時には、
「クリス嬢、伏せろ!」
と、ジェームズが彼女を地面に伏せさせていた。
直後、爆発音とともに、強烈な水しぶきが「ザバァッ」と、大きな音を立てる。まるで集中豪雨のように一同に容赦なく降り注ぐ川の水。
その中をぼうっと立っていたエドワードは、
「……間に、合ったんだ」
全身から力が抜けたように、その場に座り込んだ。
それと同時に、先程まで爆弾を持っていた手の震えがどうにも止まらない。手の震えを止めようと、懸命にもう片方の手で押さえる。
だが、次の瞬間――
「ジェームズ様! 怖かったですわ!」
クリスが目に大粒の涙を浮かべ、ぎゅっとジェームズに抱きついていた。
その光景を目の当たりにし、「ク、クリス……」と小声で一言発したのち、なす術なく、ただただ茫然としていた。
落ち込むエドワードの肩を、夏目が軽く叩く。
エドワードはゆっくりと顔を上げた。
「怪我はありませんか? 教授。それにしても、服がずぶ濡れになってしまった。おまけに、
テムズ川の放つ悪臭で、夏目は思いっきり顔をしかめた。
だが、今のエドワードにとっては、川の臭いなどどうでも良かった。クリスを救出し、爆弾の処理を完了したことに対する安堵の気持ちの方が、彼にとっては大きい。もっとも、当のクリスはここぞと言わんばかりにジェームズへ猛アピールをお見舞い中なわけだが。
「ありがとう、夏目。また君に助けられてしまったね」
クリスへの未練はあるものの、夏目に向けた彼の表情は、安堵と感謝から来る自然体の笑顔だった。
夏目もつられるように口角を上げた。
「そんなことはありません。最初にテムズ川と言ったのは教授の方ですから」
夏目はエドワードの手を握り、ゆっくり彼を立たせる。
エドワードも笑顔で夏目の手を握り返した。
こうした二人のやりとりを、ジェームズは微笑ましそうに見つめていた。
「ふっ……エドワードは良き異国の友人を手に入れたようだ。なかなかお目にかかれるものではない。羨ましい限りだ」
「あら、ジェームズ様の口から『羨ましい』という言葉が出るなんて。伯爵家の長男で、頭が良くて、男らしくて、エドワード様よりも優れたあなたが……」
クリスからの褒め言葉に何ら反応もせず、ジェームズは無言になっていた。
「……ジェームズ、様?」
「いずれは君にも話す必要があるのかもしれない。だが、すまない。今はまだ……」
ジェームズの声は少し震えていた。
事情の分からないクリスは、首を傾げていたが、ややあって頷いた。
「待ちますわ。いくらでも」
クリスは精いっぱいの笑顔をジェームズに向けて見せる。
だが、ジェームズの視線はエドワードに向けられたままで、どこか上の空である。
そのことを知る由もないエドワードは、辺りに響くビッグベンの鐘の
「ウェストミンスター宮殿を見学した時の、教授の兄上の言葉を思い出しました。あの鐘の音を、この先も守っていきたいものです」
――ウエストミンスター宮殿は、一八三四年の火災で大部分を失った。焼失を免れたのは、ここウエストミンスター・ホールと、聖スティーヴン礼拝堂の地下室、回廊などの一部のみだ。
夏目とともに、かつてウェストミンスター宮殿が火災に見舞われていたことを思い出すエドワード。彼の口角は自然と上がっていた。
「夏目がいてくれて、とても心強かったよ。君は英雄さ。僕の大切なともだ……」
直後、「ゴホン」と、咳払いが聞こえ、二人の視線は多くの警官を引き連れたホワードへと向く。
「二人とも本当にご苦労だった。後日、感謝状を手渡すこととしたい」
「微力ながらも、お役に立てて光栄です」
エドワードは笑顔で答えた。
「この度の一連の捜査協力、エドワード・マイヤー、夏目総十郎――二人には大いに感謝する。
ホワードをはじめ、警官たちの突然の敬礼に対し、エドワードと夏目は瞬時戸惑いの表情を浮かべながらも、笑顔で応じた。
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