3-7 顛末
エドワードは、緊張した面持ちでその名を呼ぶ。
「スチュアート・ヘーゼルダイン君」
エドワードの口から不意に名が告げられ、その場にいた夏目とホワードは瞠目する。
「行方不明になった男爵の息子が? では、差出人の“H”というのは、ファーストネームではなく、ファミリーネーム?」
「その通りだよ、夏目」
「おい、ちょっと待て! どう見たって女の格好をしているだろう。だいたい、形見って……」
ホワードからは呆気にとられたような声が漏れたが、エドワードは構わず、自身の見解を述べる。
「彼は女装をすることで被害者たちの警戒心を解き、大胆にも正面から犯行に及ぶことができました。それが先に起きた四つの刺殺事件と、イーストエンドでの事件。それから、宮殿で起きた毒殺事件――あらかじめ大学の薬品庫から入手しておいたシアン化カリウムをワインに混入し、父親の賭博仲間である被害者に飲ませた。最初の四件だけを見れば、女性を狙った通り魔にも見えますが、第四の事件と第五の事件――二つの予告状が存在することで、宮殿での毒殺事件との関連性を想起させることができます。彼の部屋にあった写真。そこに写っていた人物は、十年前の今日亡くなった――彼の母親です。目元、そして色素の薄い髪の色……彼は母親の特徴をよく受け継いでいます」
夏目とホワードは言葉を失った。
「血文字の手紙にあった『復讐を終えるまで、我が命の
「となると、動機は父親に対する復讐か? 毒殺事件の被害者が父親の賭博仲間だってことは分かっているが、残りの被害者たちの関係――ヘーゼルダインの言っていた『身の回りの人間』というのは、まさか……」
ホワードの言葉にエドワードは首肯する。
「ええ、恐らくは彼の父親の愛人。もしくは、過去に声をかけた経験のある女性たち。彼がクリスを誘拐したのは、宮殿で父親が声をかけていたところを目撃していたからだと思います」
「だが、ミランダの姿を見た途端、死んだ女房と一瞬見間違え、怯えた――死んだ妻に対し、何か後ろめたい気持ちがある。浮気を重ねたことに対する罪悪感……ということか。そうは言っても、わざわざ呼び出した理由が分かりかねる」
「ミランダさんとスチュアート君の母親が似ていたことが大きいとは思います。過去に舞踏会などで顔を合わせる機会もあったでしょう。ヘーゼルダイン卿が見間違えるぐらいですから、スチュアート君も印象に残ったに違いありません。目的は恐らく、僕たちの注意をヘーゼルダイン卿の方へ向け、ジェンキンス卿の殺害を
「ちょっと待て、マイヤー。予定が狂った?」
「はい。ここで、先程ホワード警部が気にされていた手紙の内容に繋がります」
「例の六番目の謎のことか? だが、ヘーゼルダインの息子が犯人だとして、どうやってシアン化カリウムを手に入れたというのだ?」
ホワードの提示した疑問に対し、夏目も首肯する。
「ここからは推測になりますが、提示された二つの疑問は、ある人物に結びついていると考えています――エルマー・ジェンキンス卿と息子のヘンリー君です」
「ジェンキンスって、宮殿で殺害された被害者の?」
夏目の頭の中では、依然として疑問符が飛び交っているが、彼なりに分かっている情報を一つずつ整理していく。
「確か、ヘンリーはエヴァンズ教授の教え子で、薬品庫の在庫確認をしていたと聞いた。ん? スチュアートも教授の教え子と言っていたな」
「そのとおりだよ、夏目。ヘーゼルダイン卿は賭博で得た多額の金銭を寄付したことで男爵の地位を賜った。仮にジェンキンス卿もそうだとしたらどうだろう。ミランダさんに執拗に言い寄っていることからも、女性関係に問題があっても不思議な話ではない。父親に対して良い感情を持っていないスチュアート君は、ヘンリー君とその感情を共有し、彼からの依頼でジェンキンス卿を毒殺することにした。ヘンリー君にシアン化カリウムを入手させることを条件にね。つまり、宮殿での事件はスチュアート君にとって予定外のことだった。本来の計画は、ヘーゼルダイン卿と関わりのあった五人の女性を刺殺し、最後に父親であるヘーゼルダイン卿を殺害すること。舞踏会の招待状が届く前にヘーゼルダイン卿へ手紙を送っていることからも、可能性は十分高い」
「だが、それならそうと予告状なんか初めから送り付けなければ良い。自ら手を汚す必要などないだろう。ヘンリー本人にやらせれば良い」
ホワードの指摘に対し、夏目も頷いた。
エドワードは、先程名指しをした人物の方へ体を向ける。
「彼の分も君が請け負うつもりだったんだろう? 自分に残された時間がわずかなことを知っていて、彼の手まで汚させまいと。僕の言ったことが本当だとしても、証拠はどこにもない。したがって、警察は彼を逮捕することはできない」
「……うむ」
ホワードは悔しそうに顔をしかめ、肩をすくめた。
「確かにそうだ。悔しいが……」
直後、エドワードに名指しをされた青年は、ベールのついた帽子をおもむろにとった。
「さすがはマイヤー教授。酒場での出来事は、決してまぐれではなかったということですね」
「酒場での出来事って……あの時から目を付けられていたということか!」
夏目が驚きの表情を浮かべる。
「僕も正直、エヴァンズ教授の言葉を聞くまでは予想できていなかったよ」
――スチュアート君の身にいったい何が……。
「その時の教授の言葉で思い出したんだ。ヘーゼルダイン卿が釈放された時に、君が僕に『マイヤー教授』と言っていたことを……」
「教授と呼ぶのは普通、生徒が使う言葉……まあ、例外もあるだろうが。法学部と理学部では、教授が知らないのも無理がありませんね」と、夏目が頷く。
「父上のイカサマを見抜くだけではなく、爵位のことまで……教授の動体視力の良さと推理力には感服しましたので。ですが、そこまで見抜いているのなら、ぜひ教えていただきたいものですね――僕が犯人だという証拠を」
日が沈み、徐々に闇に染まっていく景色の中で、スチュアートは目を光らせながらエドワードの返答を待つ。
その様子を、夏目とホワードは固唾をのんで見守るしかなかった。
辺りを吹き抜ける一陣の風にひるむことなく、エドワードは憂いの表情を浮かべながらも、力強く頷く。
「イーストエンドで被害者が握っていたレースだよ。君の部屋に置いてあった写真を見た時に合点がいった。君の着ているドレスの胸元部分にある千切れたレースと合うはずだ。もし、似たようなレースなら幾らでもあると言うのなら、君の胸部を見れば分かる」
「胸?」
夏目が問う。
「レースについていた血痕は被害者の物とは一致しなかった。裏を返せば、それは犯人の物だということ。それに、被害者の爪が折れていたぐらいだ。もみ合いになった時についたはずだよ――被害者の爪痕がね」
スチュアートは無言になった後、乾いた笑いを浮かべる。
「言い逃れをするつもりは、毛頭ありませんよ。能無しのヤードと違って、あなたならきっと見抜いてくれると思っていましたから」
「何だと⁉ コイツ‼」
「落ち着いてください。まったく、大人げないぞ!」
今にもスチュアートに殴り掛かりそうなホワードを、夏目がどうにか押さえる。
「母上が亡くなってから、今日でちょうど十年。賭け事と浮気の絶えない父上に日々悩まされていた母上は、自ら命を絶った。父上と関わりを持った女たち、父上と賭け事を楽しんでいた者たち……どいつも憎くて、憎くてたまらなかった! だから、ヘンリーが同じ悩みを抱えていることを知った時、彼の代わりに彼の父を殺すことを決心した。余命わずかな僕と違って、彼には将来がある。そして何より、僕は……金と女に溺れる父上たちを、どうしても許せなかった‼」
そう叫ぶと、スチュアートはその場で咳き込んだ。
「スチュアート君!」
スチュアートの元へ駆け寄ろうとするエドワードをホワードが制止する。
「やめておけ。奴は殺人犯だぞ」
「そこにいる……ヤードの、言う、とおりだ……僕に対する、同情なら……一切、いり、ませんよ……」
「本当は、そこに立っているのもやっとなんだろう? そろそろ教えてくれないかな? クリスの居場所を――彼女は僕にとって、とても大切な人なんだ」
「……まだ、終わっていない」
「えっ?」
スチュアートは胸を押さえ、荒くなった呼吸をゆっくり整える。
「僕がわざわざ……ここで、あなたを迎え撃つことにしたのは、墓参りだけが目的ではありませんよ。父上、いや――あのクソ親父を亡きものにするためだ‼」
「初めから僕たちを足止めするために――兄さんの言っていた議会の招集というのは、まさか君が?」
「あのお嬢さんなら……近くのベンチで、眠ってもらって、いますよ……あなたをおびき出すための、口実として利用したまで、のこと……まあ、あなたのお兄さんの命……までは、保証でき……ませんがね。僕の、送った手紙に……まんまと、乗ってくれたようで……感謝しますよ」
「兄さん……」
エドワードの顔が青ざめていく。
「いったい何をした⁉」
大声を上げる夏目に対し、スチュアートは不気味なほどにその口角を上げた。
「爆弾を、仕掛けて、おきました……国会に。これで、十年間の恨みを……ようやく、晴らすことができる。そして、僕は……母さんの、元へ……」
そう言うと、彼は力尽きたようにその場に倒れ込んだ。
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