3-6 墓地にたたずむ亡霊
「では男爵、私たちも出発しよう」
「出発とは、いったいどこに?」
ヘーゼルダイン卿は首を傾げた。
「議会からの招集だ。あなたのところにも届いていたと思うが?」
「恐らく、この手紙かと」
メイドの差し出した手紙を受け取ると、「こんな時間にか」とヘーゼルダイン卿は怪訝そうな表情を浮かべながらも、ジェームズと一緒に屋敷を後にする。
エドワードも、夏目やホワードとともに屋敷の前に止めていた警察の馬車に乗り込んだ。
「しかしまあ、お貴族様も忙しいらしいな。こんな時間に議会だの、何だのと……こっちは人質の命がかかっているんだぞ。行方不明の息子も探さなきゃならねぇってのに」
目の前を走るジェームズとヘーゼルダイン卿の乗った馬車を見て、ホワードが悪態をつく。
「うちの馬車ですね、すみません。それにしても、こんな時間から――よほどのことがあったのだろうか」
ジェームズたちの馬車が曲がったのを確認すると、
「急げ! 何としても犯人を捕まえてやるんだ!」
ホワードの気合の入った声が車内に響く。
「結局、六番目の謎は解けずじまいか。もう少し詳しい話を聞けるかと思ったんだが」
「仕方ないよ、夏目。それどころではなかったからね」
「まさかここで誘拐事件まで起きるとは想像もつきませんでした。墓地が男女の待ち合わせ場所というのがいまいち
「日本では違うのかい? イギリスでは散歩コースのひとつになっているけどね。それにクリスは、兄さんからの誘いだと思って行ったんだろうから、無理もないよ」
エドワードはそう言いながら、馬車の天井を仰ぐ。
「どれほど嬉しかったことだろうね……」
兄の名を語り、クリスを誘拐した人物――それが本当に自分たちの追っている連続殺人鬼だったとしたら、彼女は無事なのだろうか。今頃怖い思いをしているのではないだろうか。エドワードの胸中は決して穏やかなものではない。
彼の表情を見た夏目が慌てて詫びを入れる。
「申し訳ありません、余計な話を……まずは犯人を捕まえることと、一刻も早くクリス嬢を救出すること、この二点を考えなければ。とは言え、私には分からないことだらけですが。第一に、わざわざ中途半端な内容の予告状を現場に残したこと――場所と時間は書いてあるというのに、肝心な
「エヴァンズ教授から聞いた話だけど、シアン化カリウムは扱いが難しい薬品で、空気に触れたり、光に当たると分解されてしまうらしい。恐らく犯人はこのことを知っていて、やむを得ず薬瓶ごと持ち出すことにしたんだろうね。たとえ捜査の対象がしぼられて、警察の目が自分にいったとしても、時間のない犯人にとっては、どうでもいいことだったに違いない。宮殿のごみ箱に捨てるくらいだからね。予告状で
淀みなく、自身の見解を述べていくエドワードの姿に、夏目は脱帽する。
「……教授、もしかして犯人が?」
「ああ、だいたいの見当はついているよ」
「犯人が分かっただと? 本当か⁉」
ホワードの体が前のめりになる。
警察特有の彼の大声に、夏目は思わず耳を塞いだ。
「何もこんな近距離でそんな大声を出さなくても……」
「おっと……すまん。つい興奮してしまった。だが、分からんのがミランダ・ノエルの不可解な行動と、ヘーゼルダインに送られた手紙の内容だ。あれはどう説明する?」
ホワードが襟を正し、エドワードからの次の言葉を待つが、彼は窓の外を黙って見つめるだけだった。
「おい、マイヤー?」
「僕にとって気がかりなことは、彼に残された時間がどれくらいのものか――妙な胸騒ぎがします」
すると、ホワードが窓から顔を出し、通りを歩いていた警官に声をかける。
「ハイゲイト墓地へ向かう。至急本署に応援を要請してくれ。人質を救出し、連続殺人犯を確保する」
午後七時を回った頃、静寂に包まれた墓と墓の間の道を過ぎていく人影があった。
だが、その足音に力強さはなく、ドレスの裾を揺らしながら、必死に目的の場所へと足を向けていた。ある墓石の前で足を止めると、か細い息で呟く。
「ようやく……この日が来た。もう少しで、僕も逝くよ」
その時、カンテラの明かりがその人物の姿を捕らえた。
「女の幽霊⁉」
冷や汗を流しながら拳銃を構えるホワードを、エドワードは首を横に振り、制止する。
ベールのついた真っ黒な帽子を被っているため、その人物の顔をうかがい知ることはできないが、それが誰なのか、エドワードだけは確信していた。
「写真に刻まれていた十年前の今日の日付は、ある人物の命日を指していた。そして、その人物の着ていた服こそが、犯人にとって大切な形見であり、証拠の品。五人の女性を刺殺し、宮殿で毒殺事件を起こした犯人――“
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