(あらすじ:村を訪れてきた宮部という男が村長の家にやってくる。宮部は栄治が意識を保っていることを知る。)


   *


 宮部という男が村長の家に辿り着いたのはそれから20分くらい経ってからだった。サインを求める村人に彼が丁寧な対応をしていたところ、村長がやってきて村人を追い払おうとしたが、逆にサインをプレゼントされ、黙らされてしまった。サインを貰って気が緩んだのか、村長はついでにツーショットの写真も撮らせてもらった。


 村長の奥さんは20分のあいだに客間や玄関を掃除して待っていた。栄治はずっと客間の檻の中にいた。檻は机から降ろされ、部屋の片隅に置かれた。そのとき栄治は初めて香箱座りというものをやった。


 絵瑠は客間を出て、どこかに行ってしまった。さっきまで栄治が話題の中心にあったのに、今は誰も相手にしてくれない。それがなんとなく心細かった。


(なるほど猫はこんな気分なのかもしれない。飼い主に、やれやれとか思って仕方なく座っているのかも)


 いよいよ宮部が家に上がって、客間に通された。宮部は檻を見ても何の反応も示さなかった。自ら上座に座り、村長を下座に座らせた。そのとき、宮部の右腕に刺青が掘ってあるのを栄治は見た。刺青は手首から肘の上まで伸びていた。何本かの黒い帯が腕に巻きついて行くかのような模様で、ファッションとして彫られたものではないように見えた。


 村長が委縮しているのを見て取ると、誰に促されるでもなく宮部は話しはじめた。


「この村に来たのはほかでもなく、このあたりの結界がすこし弱まっているからだ。だいぶ前からだが、気付かなかったのか?」


「ええ、はい」


「このあたりに最近麒麟は現れたか?」


「一年半ほどに、村の北にある湖に現れました。たいした麒麟ではなかったです。麒麟が現われるときは必ずあのあたりですね」


「これまでに被害は出たか?」


「11年前に村の子どもが湖のほとりで遊んでいるところを襲われて、一人死にました」


「そうか。不用心だな」、宮部は浅くため息をついて言った。「もしかしたらまた湖から入ってくるかもしれない。あとで湖を見に行って、必要なら結界を強めておきたい。手伝ってくれ」


「ええ、もちろんです」、村長は言った。


 奥さんが入ってきて宮部にお茶を出した。宮部は、ありがとうと言って湯呑みを手に取り、口に持っていく。


「熱っ」、宮部は口元を抑えた。「このお茶熱すぎないか?」


「申し訳ございません!」


 奥さんが一瞬で土下座をして謝った。人が土下座するのを栄治は初めて見たし、人ってこんなに速く土下座ができるものなのかと感心した。それにつられて村長も深く頭を下げた。


「早く新しいものをお持ちしろ!」と強く言う。


「別にそこまでしなくてもいい。俺は猫舌なのでね」


 座に微妙な空気がにわかに流れたが、栄治にとっては力関係がよくわかる出来事だった。宮部という魔師はかなり権威を背負い込んでいるらしい。


 そのとき宮部がふと顔を動かして、檻の中にいる栄治を見た。栄治もちょうど宮部を見ていたところだったので、視線がかち合ってしまった。栄治は、その眼に圧を感じて、びくっと体を動かしてしまった。


「新しいキリンジか? 若いな」、宮部は聞く。


「ええそうです」と村長は言ったあと、少しトーンを下げて続けた。「それが、一つ伺いたいことがあるのですが、キリンジがもともとの人の意識を保つということはあるんでしょうか?」


「ん? それはどういう質問だ?」


「いや、もしもの話ですよ、もしもの」


「まさか、このキリンジが人の意識を保っているということか? 」


 人の言葉の裏を読むのが上手い人だ、と栄治は素直に驚いた。


 村長は言い当てられたことに動揺したのか、「え~」と十秒くらい音を伸ばした。


「そうだよ」、栄治は待ちきれずに声を出した。


「うわっ」と今度は宮部が飛び上がった。「ホントにしゃべるのか」


「そうだよ。あんた、よくわからないけど偉いんだろ。俺を元に戻す方法も知ってるだろ?」


「まあ待て。話を急ぐな。状況を整理させてくれ」宮部は湯呑みのお茶を飲み干した。「君の名前と年齢は?」


「尾道栄治、23歳」


「栄治くん、今の気分はどうだ?」


「気分? 最悪な気分だよ」


「そうじゃなくて、なんというか、本当に自分が自分だと思えているか?」


「は? よくわからないけど、まあそうだな」


「そうか……」、宮部は顎に手を当てて、沈黙した。


「明階さま、どうすればいいでしょう。このようなことは初めてで」と村長は言った。


「俺も初めて見た」


「失敗ということでしょうか」


「どうかな。それより、このキリンジを作ったのは誰なんだ?」


「ああ、さきほど明階さまを呼びに行った私の娘です。たぶん畑の方にいっていますよ。今呼んできます」


「いや、こちらから行こう。俺はせっかちなんでね」


 そう言って宮部は立ち上がった。そのとき、さりげなく手を檻の方に持ってきて、南京錠に向かって変わった動作をした。すると、自然に南京錠が開いた。


 宮部は檻を開けて、栄治の首根っこをつかんだ。


「お前も来い」


 そのまま持ち上げられて、体がぶらんと垂れ下がった。


(まじで猫扱いだ……)


 宮部は、村長に促されるままに玄関から外へ出た。


「畑はこっちですね」


 村長は道に出て、村の中心部へと歩いていった。向かう先に、高いイヌマキの生垣に囲まれた区画が見えてきた。よく見ると生垣の一部にわずかなすき間が空いており、そこから村長が入って行った。宮部もつづいた。


 そこには、絵瑠が昨日湖に持って行った白い花がたくさん咲いていた。その真ん中に、絵瑠が立っていた。


「あ、この花、昨日見たやつだ」、栄治が言葉をもらした。「何の花だ?」


「芥子の花だな」と宮部が言った。


「芥子!? ダメだろそれ」


「いろいろあって魔師には許されている」


「もとよりこの芥子は品種改良されていないから、精製してもモルヒネは多くは取れないよ」、精製したことがありますとでも言うように、村長が言った。「私が絵瑠にこの花の世話を頼んでいるので、時間があれば一日に何度も見に来るというだけです」


 絵瑠が男たちに気づいてこちらを向いた。


「明階さまが、このキリンジについて話しがしたいそうだ」と村長は言った。

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