みっつめの話 「 ココア 」
ココアをいれよう、という言葉は、僕にとってすごく魅力的な言葉だ。
僕が読んだことのある小説では、ココアは、たいてい、誰かの気持ちを落ち着けるために、身近な誰かが作ってくれるものだった。例えば、少女が、押しつぶされそうなほどの不安に泣く夜に、その母が作ってくれたりだとか、少年が、嫌なことがあって眠れなくなってしまった時にその兄が作ってくれたりだとか、落ち込む大人の女性がその恋人に作ってもらったりだとか。
例えば、洋酒を少し加えたり、いつもより多めに砂糖を入れたり、泡立てた生クリームを浮かべたり。たかぶった気持ちを落ち着かせて、ゆったりと静かな眠りを迎えることができるように、という願いがこめられている飲み物、それがココアだ、という気がしている。
僕が一番好きなのは、マシュマロを浮かべる飲み方だ。
もちろん、洋酒をほんの少し加えて飲むのは、少しだけ大人になったみたいな、背伸びをしているような気分になるので好きだし、いつもより多めに砂糖を入れるのも悪くない。泡立てた生クリームが、ゆるゆるとココアに溶けていくのを待ちながら飲むのも、素敵なことだ。
でも、僕がいっとう好きなココアの飲み方は、あったかいココアに、大きめのマシュマロを二個ぐらい放り込んで飲むこと。マシュマロはとろとろとやわらかに溶けていく。それが半分ぐらい溶けたところでココアをと一緒に口に入れるのもたまらないし、少し溶けたぐらいで、表面だけココアの味がして、中はむにっとした弾力ある食感が残っているマシュマロをココアからつまみだして口に入れるのも、すごく、ぜいたくな話だと思う。
だから僕の部屋には、密閉のできる、留め金付きのガラス瓶に入れてあるマシュマロが、冬の間だけ、常備されている。
僕が好きなのは、冬の間だけ売りに出される、とある製菓会社のマシュマロ。普通のマシュマロは円筒形をしていることが多いけれど、このマシュマロはちょっと変わっていて、冬の間だけ、雪だるまとか、教会とか、ツリーとか、靴下とか、雪の結晶とか、キャンディーケインとか、ヒイラギの葉とか、色々な形がある。春になれば桜やチューリップ、夏になればスイカやビーチパラソル、秋になれば栗や紅葉、というように、季節ごとに、ひとつひとつ形の違うマシュマロの詰め合わせの大袋を作るのがその製菓会社の特徴だ。
だけど僕が一番気に入っているのは、冬の間に売っているマシュマロの詰め合わせだ。それをそのまま食べたり、少しあぶってチョコと一緒にクッキーにはさんで食べたりするのもいいけれど、温かいココアに浮かべて、少し溶けたところをココアと一緒に口に入れるのが、僕は大好きだった。
僕は今日も、ココアを、大きなマグカップにたっぷり作って、マシュマロを、今日は少しだけ欲張って三つ浮かべてみたりする。ココアをこぼさないよう、ゆっくり階段を上がって、自分の部屋に戻ってそれを飲む。部屋の電気は消したまま。僕は、部屋の窓から差し込む、星と月の明かりだけを頼りにココアを飲む。
「あ」
ひらり、ひらり。窓の外を、白く、たよりなく、それでいてきらきらと輝く美しいな何かが、舞うのが見えた。
「雪だ」
僕は、思わず微笑んだ。
それは、とても素敵な夜だった。
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