ふたつめの話 「 カフェラテ 」


 コーヒーと牛乳の比率は適当。だから、そのときどきで、味も色も変わる。

 でも、砂糖の量だけは決めている。スプーンに二杯。砂糖の甘みが、コーヒーの苦さを完全に消さないくらいの量。本当はもっと甘くても好きなのだけれど、それは、そうでなければいけない、という必要に駆られた時だけにしている。

 だから、私の作るカフェラテは、毎回毎回、味が微妙に変わっている。コーヒーの苦味が強かったり、牛乳のなめらかさと優しさが強かったりする。色も、茶色が濃いか、白っぽさの方が強いか、という違いが出てくる。でも、砂糖の量だけは、かたくなに、同じにしている。

 何故砂糖の量だけは変えないのか、私にもわからない。そもそも、苦味と甘みの比率を厳密に大切に考えるのであれば、その時の味をみて、砂糖の量も変えるべきなのだとはわかっている。でも、私は、「いいじゃない、味が毎回違うってことは、いつでも新鮮な気持ちでカフェラテを楽しめるってことだもの」と自分自身に言い訳をして、砂糖の量を固定したままにしている。

 だから、ある意味で、すごく手抜きなのだ、このカフェラテは。でも、その手を抜いた感じも、なんだか自分らしい、という気がしてくるのだから不思議なものだ。

 逆に、もっとこだわって作ればもっとおいしいカフェラテが作れるのではないかしら、という気もしている。

 例えば。

 ちゃんとした専門店でコーヒー豆を買って来て、手挽てびきのミルで挽いて、ちょうど良い温度になるまでお湯を沸かして、そのお湯でコーヒーをれて、そこに、じっくりとミルクパンで温めた牛乳を注いで、それから、少し贅沢ぜいたくをすることにして、自分が入れたい分だけの砂糖を入れて……。

 考えてみただけで、わくわくする思いつきだ。

 けれど、そんな風に、こだわったカフェラテは、気合を入れないと作れないのが私だった。

 だって、こだわる、ということは、気力を使うというこだ。あらゆるところに気を配り、気を遣い、自分の好きなものを作り上げる。それはそれで素晴らしいことだとは分かっているのだけれど、普段からそんなことができるような潤沢じゅんたくな気力は私にはない。

 だから私は手抜きをして、「自分なりの」おいしいカフェラテを作る。コーヒーは粉末の、お湯に溶かすだけのやつ。いわゆるインスタントコーヒー。牛乳は、普通に冷蔵庫に入っていた、どこのスーパーでも売っているありふれたもの。砂糖も、細い紙袋に入っているコーヒーシュガーではなくて、調理の時にも使っている普通の上白糖。インスタントコーヒーを溶かすためのお湯は電気ケトルで沸かす。大きなマグカップに粉末を入れて、お湯で溶かして、牛乳を注いだら、電子レンジで温める。温まったら、砂糖を加えて、ぐるぐると何回もかき混ぜる。

 そんな風に、少しずつ手を抜いて、ゆるゆると作ったカフェラテは、それはそれでおいしくなるのだから、不思議なものだ。

 それは、まあ、もちろん、気合を入れて作ったものは、おいしいに決まっているのだけれど。

 でも、まあ。

 これはこれで、悪くない、のだ。

 そんな風にして少しずつ気を緩めていって、ゆったりとした気持ちで、カフェラテを飲みながら過ごす夜と同じで、悪くない。


 そんな風に、私は、今夜を過ごすのだ。

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